ふたりのベッド
並んだベットのあいだ、サイドテーブルのランプが淡く光っている。
重いカーテンを閉めた部屋は暗い。私がベットに入ると、キノが消すよ、と言った。
オレンジの火が消え、視界がなくなる。
さっきまで見えていたものが見えなくなって、ぽっかりと放り出されたような感覚。
動く自分を確かめるために寝返りを打つと、冷たいシーツが私に触れた。
モトラドのシートみたいだな、と私は思う。
だけれどモトラドのように鼓動することもなく、ベットは固く止まったままだった。はやくあたたかくなれ、と私は祈った。
眠れない。
昼間の様子を思い出した。
旅人は歓迎されず、国の人は冷たい目で私たちを見た。出された食事はお世辞にもおいしいとは言えなかったし、真っ先に教えられたホテルは廃墟だった。
歩くたびひそひそと声をたてられ、ときおり仲間だけで笑う。
手を出されるような国ではなかったことは幸運だ。しかし、いい気持ちはしない。
たまたまだ、こんなこともある、と私は念じる。
それでも、冷たい荒野を走り続けるのをくり返して、やっとたどり着いた国がこれかという落胆は消せなくて。勝手に期待して失望している、自分はなんてわがままなのだろうとか。
自分の暗がりが濃くなって、そのまま自分を嫌ってしまいそうで、怖かった。
期待することが虚しい世界なんて、悲しい。
それが当たり前になってしまうなんて、そんなの寂しいよ。
「キノ、」
私は隣のベットで眠る彼女に呼びかけた。
「そっち、いってもいい?」
言ってしまってから、防犯上の理由から得策ではないと気が付いた。
仕方なくあきらめようと思いなおした時、キノの、いいよ、という柔らかい声が届く。
「おいで」
私は自分のベットを出た。体が外気に触れ、固くこわばった。
手探りでしか進めない暗闇が不安で、長く感じる。キノのベッドに手が触れると、とたんに安堵の息が出た。
キノが冷たい空気に当たらないように、と思ったけれど、キノはふわりと毛布をあげて私を包んだ。
あたたかい。
キノが寝ていた場所が、ほんのりと熱を残している。
「ごめんね、キノ。なんだかひとりで寝たくなくって」
私は天を仰ぎながら言う。ふたりのベッドはすこし狭い。肩がくっついている。
キノも天井を見ているらしく、落ち着いた声が空気をわずかに揺らした。
「そんな時もあるよ」
「キノでも?」
「うん」
私は顔をキノに向け、その様子をうかがうようにした。しかし、その表情は見えない。
キノは続ける。
「ずっと一人で旅をしていると、たまに温度が恋しくなることがある。もちろんエルメスはいるけれど、走っているときの風は、とても冷たいから」
「冷えた体に熱いシャワーは、気持ちいいよね」
私は、シャワールームに消えるキノの、喜びに満ちた顔を思い出した。キノはシャワーが好きなのだ。
「物理的にもそうだけどね。心にも、温度が欲しくなるんだ」
キノはそう言って、右手を私の左手に重ねてきた。やわらかな温度が伝わって、私たちは手を握る。
「さびしい時は、がまんしないで」
「……うん」
私は嬉しくなって、手をきゅっとにぎった。キノもやさしく握りかえしてくれる。
「ありがとう、キノ」
「いいんだよ。でも、どういたしまして」
真っ黒の空間に、ぬくもりだけがあふれる。キノの気配が心まで沁みこんで、ぽかぽかと私をあたためていった。
「そのかわりというわけじゃないけれど……」
「なに?」
「ボクがぬくもりを求めたときは、君のベッドに入れてほしい、かな」
キノが呟くように言って、指の圧が強くなった。照れているのだ、と私は気づく。
まったく見えないのに、キノが今どんな表情をしているのかさえわかった。
目をつむって、手を握って。私は答える。
「もちろんだよ」
私たちはそのまま眠りについた。
繋いだ手の感触が、最後まで優しく残っていた。
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電話様、ありがとうございました。
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倉庫番号31