- ナノ -




第1章-4


結局、あれから何度か局長さんと副長さんに頼んでみたけれど却下されてしまった。
本当に拘留所か牢の隅でも大丈夫なんだけれど、女性がそんな事を言うもんじゃないと、逆にこってり怒られてしまったから仕方ない。
局長さんたちにお礼を言ってから屯所を後にして、神楽ちゃんに手を引っ張られながら再び町中を歩くことになった。
その間に、どうしても生活に必要な最低限のグッズをお店に寄って購入した。

「しょうがねーから今回だけだ。あくまで貸しだからな、しっかり利子つけて返して貰うからな」

と、散々に坂田さんに念を押されての甘えだった。
ここでも新八くんと神楽ちゃんが頼み込んでくれたのが大きかったんだと思う。
本当に恩ばかりが積っていて、必ず返そうと決意を新たにしてしまった。
買い物を済ませて、かぶき町の一番街を通り沿いに進んでいく事、数十分くらい。
割と古い造りが並ぶ中で目を引いた建物があった。
「あそこアル!」と神楽ちゃんが指でも教えてくれた。
二階建ての家で、二回屋根の部分に大きく『万事屋銀ちゃん』の看板があったからだ。
一階は、どうやらお店のようで、『スナックお登勢』の看板があった。
私の視線の先に気づいた新八くんが丁寧に説明してくれた。

「下はお登勢さんという方が経営されているお店なんです。銀さんが上の部屋を借りていて住居兼万事屋の事務所になっているんですよ」
「じゃあ、お登勢さんは大家さんなんだね」
「はい」

なら、一晩だけでも泊まらせて頂くのだから挨拶はした方が良いだろう。
寄れないかと聞いたら、真っ先に坂田さんが嫌そうな顔をした。
思い返すけど、私が泊まる話が出てからずっと坂田さんの不機嫌が続いている気がする。

「いちいち挨拶なんざ必要ねーよ。どうしてもってんなら、お前らだけで行けや。俺ァ先に帰るぞ」

(…坂田さんは、大家さんと仲が悪いのかな?)
(あぁ、これは違います。どうせ、いつものですから)

新八くんに耳打ちして聞いたら、否定と共に仕方無さそうな顔で坂田さんを見ていた。
私たちとは反対方向に向いて、横の階段から上へ上がってしまいそうな後ろの襟首が掴まれる。
「ぐえッ」と短い悲鳴を上げている坂田さんだけど、掴んだ二人は容赦無かった。

「近い内にキャサリンさんかたまさんが強制徴収に来るんですから、今月は大人しくいきましょう。ナナシさんがいますから寄りやすいでしょう!ほら、銀さんも行きますよ!」
「観念するしかないヨ。銀ちゃんを飛び跳ねさせれば、小銭の音くらいはするかもしれないネ」

カツアゲでもされるのだろうか…。

「わがッ…わがっっだから、はなぜッ首じまるゥゥッ」
「ふ、二人とも…!大丈夫みたいだから離してあげよう…!?」

じゃないと本当に魂が出ていっちゃいそうな勢いだ。
やんわりお願いしたら、あっさり解放してくれた。
喉元を押さえている坂田さんは気にしつつ、新八くんが先にお店の扉を開いてくれる。
中は、こじんまりとしているけど落ち着いた雰囲気のあるスナックだった。
カウンター席の方に女性が三人いて、こちらを見る。
何というか、特徴的ですぐに覚えられるだろう組み合わせだった。
一人はタバコを吸っている妙齢の女性で、多分この人が大家のお登勢さんだろう。
もう二人は従業員なんだろうか、綺麗なメイドさんと猫み…猫耳!?な女性だ。

「何だい、アンタたち。こんな時間からウチに寄るだなんて珍しい」
「大人シク金出ス気ニナッタカヨ」
「こんにちは、銀時様、新八様、神楽様。そちらの方はお客様でしょうか」
「ん?そういや、見ない顔だねぇ。依頼人かい?アンタもコイツらに依頼だなんて物好きなもんだ」

「こんにちは」と返した新八くんが、私の方へ向いてそれぞれ紹介してくれた。
やっぱりタバコの女性がお登勢さんで、メイドさんがたまさんで、猫耳さんがキャサリンさんというらしい。
たまさんは実はカラクリ人形で、キャサリンさんは天人なんだと聞いて驚いてしまった。
そうしている内に、お登勢さんと坂田さんが話をしていた。
お登勢さんの呆れ笑いに、ヒクリと坂田さんが顔を引きつらせたから嫌味が効いたんだろう。
「うっせ!」と文句を言いつつ、懐から封筒を取り出してカウンターに乱雑に置いた。

「これで文句ねェだろ。それと、コイツは今晩だけウチに泊まる客人だ。いらねぇっつーのに、挨拶するって聞かねェから寄っただけだよ」
「アンタらんトコにかい?」
「ええ、実は…」

記憶喪失な事、身元不明者で役所に申請中な事、万事屋に一晩だけお世話になる事。
と、ざっくりではあるけれど説明してくれた。
聞いていたキャサリンさんは「記憶落オトストカ、トンダ間抜ケデース」って笑ってたけど。
「よしな」と、お登勢さんがたしなめてくれた。

「大変な目にあってんだねぇ…それで、アンタは…あぁー名前はどうしてるって?」
「名無しアル。名無しの権兵衛の名無しアル」
「名無しぃ?」
「ナナシッテ、ソノママジャナイデスカー!」
「ナナシ様ですね、データに記録しました」
「(記録されてしまった…)ハハハ…」

案の定な反応だけれど、自信満々に紹介してくれる神楽ちゃんの手前で何も言えない。
「ナナシねぇ…」と繰り返しながら、お登勢さんが封筒を手にとって中身を数え出し始めた。
お札の束みたいだから、多分、今月の家賃なんだろう。
それで坂田さんは寄るのを嫌がったんだなと分かって腑に落ちる。

「ババア、コイツの顔は見た事ァねーのか」
「無いね。残念だけど、真選組の服着る女の噂も聞いた事無いよ」
「たまは、どーアルか?」
「申し訳ありませんが、私のデータにも該当する件名はありませんでした」
「そうですか…お登勢さんとたまさんでも心当たりありませんか…」

後ろで「チョット、何デ私ハ無視カ!」ってキャサリンさんが主張しているのは置いておいて。
二人はこの町でも結構な情報通らしく、新八くんは少しでも情報を得られたらと思ってくれたんだろう。
何も得られないのは残念だけれど、と淡々と思う自分を自覚した。

「この町にいたってんなら、この町に縁があるのは間違いないはずだ。以前、そこの馬鹿も記憶を失くした時があっただろう…その時みたいに、町中を地道にあたってみたら手掛かりを掴めるかもしれないさ」
「!、坂田さんも記憶喪失になった事があるんですか?」
「だあぁぁーッ!そりゃどーでも良いだろ!」
「そう言えば、この人もなった事ありましたね。ジャンプ買いに行った帰りに事故起こしたんだった…今思うだけでも、どうしょうもない理由で」
「ぶつかった衝撃でポーンって落としたネ。振り回されて大変だったヨ」
「過ぎた話だッ、終わった話だァ!掘り返すんじゃねェよ!」

呆れた目を向ける三者へ必死になって主張する坂田さんから本当の話なのだと理解する。
必死な様子と新八くんたちの冷たい目から、思い出した本人からすれば黒歴史になったのかもしれない。
それでも、何もかも忘れてしまって尚、私とは違う立場だったのは聞かないでも思い浮かべた。
彼には、きっと、こうして同じように二人がいてくれたはずだから。
日も暮れようとしている今になるまで、一日かけて自分の情報の手掛かりすら得られない私は、と考えて瞳を伏せた。
少しだけ落ちる静けさに、お札を数えていたお登勢さんの手が止まった。

「銀時、アンタ、分かってるかい」
「んだよ」

真剣な声色に応じる坂田さんもやや姿勢を正して見えたけど、言い方は相変わらずだ。
だから私も下げていた視線を上げて二人を見た。
喉を鳴らせそうなほど真剣な空気の中で、お札を弾いたお登勢さんが続きを紡いだ。

「あと二ヶ月分、足りないよ」
「……」

次の瞬間、応じていた顔が高速で横に逸らされる。
坂田さん、どれだけ家賃滞納の常習犯なんですか。



「何とか期限延ばして貰えて良かったね」
「本当です…とっても助かりました。ナナシさんまで巻き込んでしまってすみませんでした」
「ううん、私に出来る事ってアレしか無かったし…」

たまさんがモップを構えた段階で三人が大慌てしていたので、強制徴収の寸前なのだと知ってからは動くままだった。私まで一緒に頭を下げてお登勢さんに頼み込んで、何とか残りの家賃を待って貰える事になったのだ。
重々とお礼を言ってから、お店を出て二階へ続く階段を上がっていく。
手すり沿いに歩いて行き、引き戸の扉の前へ辿り着く。
下から見上げた時に看板の後ろから少しだけ見えていた扉だ。
「ただいまアルヨー」と神楽ちゃんが先に開けて中へ入る。
ただいまと声を掛けたという事は、他に留守番をしていた従業員がいるのかと思えて。
けれど、すぐにそれが人ではないのだというのを、走ってきた大きな存在で分かった。
とても大きな真っ白い犬だ。

「紹介するネ、定春アル!定春、こっちはナナシアル!」
「大きな犬だね、神楽ちゃんが飼ってるのかな?初めまして、定春。よろしくね」
「おぉ!定春も嬉しそうネ!」

可愛いなぁと思って手を伸ばしたら、ワン!と鳴いた定春が自ら頭を近づけてくれた。
大きな毛並みを撫でると、見た目通りにフワフワで柔らかくて気持ち良い。
よくブラッシングされているし、とても大切にされているんだろう。
神楽ちゃんの嬉しそうな紹介から私も嬉しくなって更に撫でてしまう。
顔を近づけたら、暖かい舌で舐められて尻尾を振ってくれた。
そしたら、何だか静かだなと思っていた坂田さんと新八くんがちょっと距離を置いてこちらを見ている。
顔が引きつり気味で身構えているような気がするのは、気のせいじゃないようだ。
どうしたのだろうと思えば、「やっぱり貴女ってとても強いですよね」と言われてしまった。

「動物好きだって、普通は定春の大きさには怖がって近づくの躊躇しますよ。それなのに、やっぱりナナシさんは大物だと思います…」
「そうかな?定春は見た瞬間に良い子だと思ったよ」
「どこがだっての。やたら図体がデカイだけが取り柄で、他はよく食って糞するしか能がねェ犬だ、あだだァァッ定春ゥゥ!」
「と、こうなるからなんですけど…」

ガッツリ頭の上をかじられて悲鳴を上げている坂田さんがバタバタしている。
見事に流血しちゃってるから、かなり強めに噛みついているらしい。
こんな光景だと、大きくて凶暴というよりは人の言葉を察せる賢い子だという印象が強くなるんじゃないだろうか。
反撃をくらう前に離れていってしまう後ろを、坂田さんが「コラァア!」と怒鳴りながら追っかけて中へ。
お邪魔しますと告げて上がる形になってしまった。
玄関を真っ直ぐ進む廊下の横に、洗面所や浴室へ続く部屋と向かい側に神楽ちゃんが寝室にしているという押し入れがある部屋。
そのまま進んで行けば広い一間があって、窓際に机と椅子のセットと真ん中にはテーブルを挟む長椅子が二つ。
壁際にはテレビや古箪笥があって、万事屋の事務所兼生活空間だというのが感じられた。
奥は襖で仕切られているから、更に部屋が…襖だから恐らく畳部屋があるのだと見た。

「あぁ、あそこは完全に私室ですね。普段は銀さんが布団を敷いて寝てます」
「冬はコタツも出すヨ」

なるほど、事務所を兼ねる居間と違って完全に私室なんだ。
正面へ視線を戻して、テーブルと長椅子の周りをグルグル回って定春を捕まえている坂田さんに注意を戻した。
定春も嫌そうだし、そろそろ止めてあげた方が良いんじゃないかなと。
思っていたら、先に坂田さんが定春を放した。
どうやら不満はあったものの妥協したように見える。
ガシガシと頭をかいて、だるそうな目は相変わらず死んでいるけれど。
こちらへ戻って来たタイミングで、新八くんが話し掛けてくれた。

「それで、ナナシさんの寝る所なんですけど…」
「あ、あのね、そこの長椅子を貸して貰えたら嬉しいなぁって」
「そこじゃ固くて身体バキバキになるネ。私と一緒に寝るヨ!」
「神楽ちゃんと一緒に寝ちゃったら、それこそ物理的にバキバキでお陀仏になるからね!?大体、押し入れじゃ一緒になんて寝れないでしょ!」

夜兎は怪力だし、神楽ちゃんは寝ぼけると力加減ができないらしく、過去に飼っていたウサギが一緒に寝た翌朝に悲しい事になってしまったらしい。
話を聞いて、丁重に辞退させて貰った。
身体は辛い事になりそうだけど、部屋的に寝られる場所で思い当れるのは長椅子しか無い。
もう一度お願いをすれば、「…仕方ないですよね」と新八くんも難しい顔をしつつ賛成してくれた。
坂田さんの方を見たら、「…好きに使えばいい」とだけ言われて特に何も無しだった。
許可が下りれば後は安心で、ホッと息を吐ける。
私としては、長椅子を借りられるだけでも十分なのだから。
それからは、流れるままだった。
「お腹ペコペコアル!」と騒ぐ神楽ちゃんと悩む新八くんに頼んで冷蔵庫の中を失礼して。
中身は聞いた通りの寂しい状態であったけど、残り野菜や冷凍されている肉、出汁や調味料を確認して料理をさせて貰えないかと聞いた。
「できるんですか!?」と驚かれるのは分かるんだけど、「料理になるアルか!?」って叫びはグサッときたよ神楽ちゃん。
品揃えを見て自然と思い浮かべられる工程があるから、できると思うと伝えて袖をまくって取り掛かった。
結果として、豪華とは言えないけれど夕食の形にはなった。
味も悪くないと全部食べて貰えたのに嬉しい気持ちを覚えつつ、ご馳走様と手を合わせた夕食。
その後、神楽ちゃんと一緒にお風呂を借りて身体の疲れを汚れと一緒に落とした。
さっぱりとした気持ちで出てきた時に、ちょっとした出来事が起こったのだ。

「どうしたの?」
「あ、ナナシさん…すみません、それが…」
「あぁ…なるほど」

大きな溜息を吐いて居間の一カ所を見ている新八くんへ声を掛けた。
振り向いた向こうから見えた光景に納得してしまう。
そこには、いつの間にお酒を飲んだのやら…缶ビールを机に転がして長椅子に寝転んでいる坂田さんがいたからだ。
酔っぱらって寝落ちしてしまったのだろう…顔がやや赤いし、ヨダレとイビキがよろしくない。
私の苦笑いを聞いた神楽ちゃんが同じ光景を見て新八くんと同じ顔をした。

「駄目人間アル」
「飲まないって言ってたのに…まったく…これじゃナナシさんが寝られないじゃないですか!」
「もう片方は定春が寝てるヨ」
「仕方ありません…申し訳無いんですけど、畳間の方で良いですか?」
「えっ」

それは、と思って首を横に振って遠慮した。
だって、あそこは坂田さんも寝室にしている完全に私室じゃないか。

「無理だよ…!」
「いいえ、そもそも銀さんがだらしないのがいけないんです。ちょっと汚いのは我慢して貰うしか無いんですけど、使うのは全然気にしないで下さい。いや、むしろ休んで下さい」
「そーヨ。身から出たワサビアル。銀ちゃんはココに寝かして身体バキバキなれば良いヨ。いつもやっているから平気ネ」
「……」

うんうん、とお互いの言い方に納得している二人から視線を坂田さんへ向けた。
転がっている缶ビールやら寝相やらで、酔っぱらっての寝落ちだと…そう思える。
でも…と思ってから、ふと一点に目を留めて二人に向いた。

「…じゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかな…」
「どうぞどうぞ!あ、僕と神楽ちゃんで布団用意しますから!」

そう言って、お客さん用だという布団を敷いて寝る準備を手伝ってくれた。
その間も坂田さんは居間に放置されたままだったけれど。
時間も遅くなって今日は帰るという新八くんに何度もお礼を言いつつ見送った。
やがて神楽ちゃんも眠くなったと言って、お休みを交わして押し入れの方へ行く。
私が完全に一人になったのは、深夜に近づく時間帯だった。
二人がいた時は賑やかで明るかった家の中全体が、夜の静けさに溶け入る。
今日一日で本当に色々な事があった、覚えている限りでも。
万事屋の三人、真選組の人たちに、お登勢さんたち、それに定春とも出会えて。
自分の手掛かりは何も無い状態は変わらないけれど、私は明日からどうしているかなと思ってタオルケットを手にした。
一枚は肩へとかけて、もう一枚を手に持って畳間から居間の方へ歩いていく。
灯りの消された広い居間の長椅子に、イビキをかいている姿は変わらず寝相が悪い。
そんな姿を見下ろして、漏らしてしまった笑いが音になった。
定春がピクリと耳を動かしたようだけど、気のせいかもしれない。
持っているタオルケットを身体にそっと掛けてあげて、長椅子を背に座り込んだ。
後ろの方では相変わらず、よく聞こえるイビキだけれど。

「坂田さん、今日は泊まらせてくれてありがとうございました。寝る場所、お借りしますね」

ほとんど独り言に近いし、答えなんて期待してない。
でも…聞こえていたイビキが止まって、坂田さんが寝返りで背を向けた感覚は伝わった。

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