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5 一本取られた恋


剣道の試合は、二種類ある。
一対一で行う個人戦と、五対五で行う団体戦だ。
団体戦では、それぞれ先鋒、次鋒、中堅、副将、大将という順で役割がある。
全員が試合に勝たなくても良い…最終的に勝者の数が多い方が勝利という星取り戦形式は、チーム戦ならではのルールになっている。
けれども今回、その形式の団体戦として試合を約束していた私たち銀魂高校側は、試合に出られるのが私しかいない。
普通なら、試合はこちら側の落ち度で中止、良くて個人戦へ切り替えのお願いをするのが自然の流れだ。
でも、どちらに転んでも、こちらに非があったのを前提として相手に頼み込む結果になる。
道場破りという卑怯な手段を使って、今の状況を意図的に作り出した相手に。
だから、どちらでもない…こちらが頭を下げるでもない、けれど、あちらも受けるに違いない方法を提示した。

「ルールは、五対一の勝ち抜き戦。その女が一本でも負けりゃあ、終わり。てめーら銀魂高校の負けで良いんだな?」

今更泣いて乞おうと変えてやらねーぞ、と。
そういう脅しと馬鹿にした様子を隠さない笑いをする春雨高校剣道部の顧問。
直後、相対している銀八先生と眼が合うや否や、引きつった顔に変わって嘲笑が引っ込んだけれど。
同じ笑みで私を見下して余裕を醸している相手の五人を見た。
睨みはしない…道場破りをされた時の卑怯さへ湧いていた怒りは、今は不思議なくらい静かだ。
うちの見慣れた道場の空間。
毎日雑巾をかけて綺麗に掃除をしている床。
窓から時折聞こえてくる外の音や声。
そこから意識する、胴着袴を纏い、防具を身に着けて、竹刀を手にする自分。

「臨むところです」

春雨の顧問が紡いだ最終確認へ答えた一言は、何より自身に響いていた。
面防具を被って枠線内へ踏み入れば、世界は完全に切り替わる。

一戦目、先鋒。
文字通り、試合の先陣を切り、その勝敗で次の流れを形作っていく。
血気溢れて勢いのある者が任される事も多い。
面金の物見からでも伝わる敵意は諸に私へ向けられる。
勝負前に見た顔は、道場破りをしてきたのを返り討ちにした不良の一人だったと思う。
読み合いや私の動きを伺う様子も無い…突っ込んでくる。
構えは中段、打って出るのは小手。
動く瞬間に剣先が僅かに上がったのを見て、先鋒相手が口を開くや否や動く。
「小手!」の掛け声で打ち出された打突は、既に空ぶる。
抜いて打ち込む刃…「面!!」の叫びは相手よりも強く。
竹刀の物打が頂の打突部位へ高らかな音を決めた。
「一本!」と、主審が宣言してくれる。
呆然とする相手と再び構え合う…二本目。
もう先鋒相手の勢いは無い…結果は、一本目の面、二本目の胴で決した。

二戦目、次鋒。
今度は相手が動く前に、こちらから一気に仕掛けた。
始めの合図と同時に、連続技で攻めていく。面金の隙間から舌打ちが聞こえるほど、相手と鍔迫り合いまで持ち込む。
主審が止めに入るような膠着は続けない…わざとこちらから引いて隙を生む。
転じた勢いの引き技をいなす、更に払い技も応じる。
面、胴次いで小手を防ぎ、逆に「小手!!」で打ち返した。
二本目も同じく小手を決めて、先二本取り勝ち。

三戦目、中堅。
私の本数が決まった判がなるごとに、春雨高校側からの見下し笑いが消えていく。

四戦目、副将。
戦い終えた三人、そして、今しがた打ち取った四人目の顔色が変わった。
蒼い顔をして竹刀を握ったまま震えていたり、中には拳を握って青筋を立てた怒気を向けてきたり。
それでも襲い掛かってきたり、罵声や野次を浴びせては来ない。
線で区切られた四方内の試合場は、一線を画した世界。
ココでは、手に持って振るう竹刀は、誰かを傷つけるための刃じゃない。
いや、ココでなくとも…剣道は誰かを貶めて奪う手段じゃない。
怒りの凄みを見せている春雨の大将だけれど、試合場への境界線を踏み越えて来なかった。
代わりに、顧問が動いて大将と会話する。次にニヤリと浮かべられた笑みと共に、防具を身に着けて前へ出たのは、最初の相手じゃなかった。

「途中だが、こっちのオーダー変更で選手を代える」
「なに…? そりゃ反則だろ」
「こっちは、そっちの無謀な試合形式をのんでやったんだ。構わねェよなァ」
「屁理屈にも程があんだろうが…そんなもの…!!」
「先生。構いません…相手は、貴方ですね」
「お前…」

主審を間に挟んで、睨み合う先生と春雨の顧問の話に答え入る。
合った目は不平への怒りを醸している…でも、最後には軽い舌打ちと一緒に下がってくれた。
対して、勝ち誇ったように春雨の顧問が竹刀を肩にして笑う。

「さすがは四本抜きの凄腕様は、どんな相手でも余裕って訳か。こりゃ遣り甲斐がある」
「こちらこそ、最後の相手を顧問がしてくれるだなんて光栄ですよ。…今度は『剣道』ですから」
「ハッ、安心しろよォ。俺だって有段者だぜ? 『試合』で叩きのめしてやる」

そう豪語して試合場で向き合って、構え合う。
互いの意見が一致したのを察してくれた主審が、間を置いて合図をとる。

最終戦、大将。
「始め!」の合図に、動いたのは私が先だった。
春雨顧問のとった下段の構えに、中段から一気に攻める。
防がれる手も想定しての小手…であったのに、何の抵抗も無しに物打が打突部位に直打する。
今までの打ち込みで一番拍子抜けする有効打突による一本。
あまりの落差に戸惑ってしまう。面金の隙間から見た横顔が私を見て嫌な笑みを返した。
あぁ、分かった…わざと取らせたんだ、私に。
二本目を向き合って、今度も私に攻めさせて油断を誘うつもりか…と思った。
けれど、私が中段を構えたのに対して、春雨顧問は打って変わって上段の構えだった。

「!?」

合図があったと思った刹那、飛び越えるように動いた動きを見失う。
数段早いリーチと、低い声が「面」と言い切って、私の頭が打撃を受けた。
やられた…!! 完全に出遅れた僅かな隙から受けた打突。
顔をしかめた時、再び向き合うために歩き戻る擦れ違い際に、小さな言葉を聞き取った。

「お前は勝てやしねェよ」

横目を向けて、鼻を鳴らせて笑った背を捉える。
卑怯な事をしなくても、確かにコイツは有段者で顧問としているだけある。
強い…コイツは今まで相手にしてきた奴らよりも、確実に強いと思う。
こっちが一本、あっちも一本で、後が無い。この三本目を取られれば勝敗は決する。
そう意識した時、初めて向き合い構える竹刀の剣先が僅かに震えているのに気づいた。
私は、この男の言う通りに、負けてしまうんだろうか…って。
主審が口を開いて合図をしようとしているのは分かるけれど、意識に浮かんだのは遠い昔の事だった。
十年前、竹刀を振り回す不良たちに追い詰められて、泣いて。
もう駄目だと思った…あの時。

私は、あの日から何も変わっていないの?
コイツに後ろから殴られて動けなくなった時に浮かべた涙を。
泣き虫だった私を追い詰めて、不良たちの中心で笑うリーダー格と目の前の男の顔。
同じ…と思った刹那、その後ろにいる先生と目が合った。
下段に構えていた手が動く…上へ、上へ上げて…上段になった。
春雨顧問が今度こそ鼻を鳴らせて、中段に。

始まる…今、合図。
水を打ったように静かな意識は何も音を拾わない…前にいる相手すら、全てが霞んで揺らぐ不思議な感覚。
細めた瞳と身体の全神経が研ぎ澄まされていた。
相手が動く、否、自身の方が地を蹴って飛んでいた。

「胴!!」

叩いた音が響いて、一気に視界が鮮明になり、世界に音が戻る。
そこで自分が振り向き、相手へ構え直しているのに気づいた。
相手…春雨顧問は最初の構えのまま動いていない…。
次に、主審が「一本!」と高く手を挙げて私を示した。
一瞬、何を言われたのか自分でも分からなかった。

「な、今の…アイツ、何した!?」
「顧問ッ動かないまま、胴を…!! あんな流れるように…ッあの女!!」
「嘘だろ…打ち込ませないまま、決めやがった!!」

答えは試合を終えた春雨高校の選手たちの声で理解出来た。
覚えていないけれど、私は確かに胴を決めたと。
まだ戸惑って先生を見たら、先生が肩を竦めて小さく笑み返してくれる。
それで、ようやく自分でも辿り着けた。

「二本先取により、試合終了。全試合勝ち抜きにより、この試合…勝者、銀魂高校!!」

間も無く、主審の宣言で正式に練習試合が終わる。
こうして私は望んだ通り、春雨高校に一矢報いられたのだ。
その後、春雨高校側は負けを認めずにまた卑怯な事をするかとも心配したんだけれど。
試合前とは一転して、試合後の去る時までずっと固い表情で黙っていた春雨顧問の制止で、ソレは杞憂に終わった。
会話はしていない…けれど、先生と私を一度だけ睨んできて、それで終わった。
とにかく、終わったのだ…そう、改めて思った。

「聞いたぜ、週明けにはミツバ先生が復帰出来るらしいな」
「はい。体調もすっかり良くなったって、元気そうでしたから嬉しいです」

先生曰く、とんでもなく馬鹿な試合を終えて数日後。
その朝、授業の終わった屋上で会う約束をした。
何を話すのか意識してしまえば時間なんて、あっと言う間で。
生徒たちが走っている校庭をフェンス越しに見ている先生は、いつもと同じで気怠そうだ。
口に咥えている間から漏れている煙は、高速で舐めていると主張するキャンディーじゃなくてタバコだなと思った。

「先生。約束のお返事…聞かせてくれて大丈夫ですよ」
「好きです!! って、やつな?」
「く、繰り返さないで下さいッ、恥ずかしいんですから…!! べ、別に後悔はしていないですよ!?」
「オイオイ、スゲー情けねェ顔」
「こんな時まで、からかわないで下さいよっ」

今から思い出しても、竹刀で打ち込みながら「好きです!!」は、自分でも『ナイ』と思うけれど…!!
明らかに思い出し笑いをしている先生に、怒って抗議はする。
けれど、すぐに力を抜いて私も仕方ない笑いになっていた。
別に良いんだ…どうせ貰える返事なんて分かっているし。
むしろ、こんな会話を出来る事が私には無性に嬉しいから。
ずっと憧れて好きだった人に出会えた…強くなった所も見届けて貰えた。
告げられるはずも無い想いすら伝えられた…だから、十分だ。
風が吹いて、私の制服や先生の白衣を揺らせる。
笑いを止めた先生が、タバコの煙を吐いて口を開いた。

「お前、昔に俺と会ったって言ったよな。それから、ずっと俺を目標にしてきたと」
「? はい…そうですけど…」

悪い、とか。
その想いには応えられねェ、とか。
そんな一言だと思っていた言葉が、全然予想してなかった問いかけから始まって驚いてしまう。
多分、疑問符に溢れている顔になっているだろうに、先生は何故かニヤニヤし出す。

「おめェよ、小六の時に初めてジュニア大会で優勝したよな」
「はい、確かに…えッ!?」
「中学ん時に夜兎工の奴らを返り討ちにしてた」
「なッ…!! 何で、」
「それで惚れられた奴に去年までストーカーされてたが、ようやく付きまとわれなくなっただろ」
「!? ど、ど、どうしてそんな事まで!?」

驚きが追い付かない…!!
先生が次々と話題にするのは、私のちょっとした掘り返したくない昔の思い出ばかり…!
何で、昔の、いや、そんな事も!? と叫びたくなる事まで…!
「もう止めて下さいッ」と赤面で逆にお願いするように前へと乗り出したら、その手が急に引っ張られた。
視界が白に染まって、苺のような甘い匂いがする。
ピンク色の派手なワイシャツで、今どんな状態なのかを理解して慌てて顔を上げた。
至近距離にあるのは、先生の笑み。

「ようやく、ってトコだ。おめェから言われんのは良いな」
「え……?」
「あァ悪いのはお前だからな。最初は偶然だったのによォ、見掛ける度に目が離せねェわ、ハラハラさせるわで…そうだ、お前が全部悪ィ」
「う、ちょ……えっと…つまり」
「あのストーカー野郎を諦めさせんのに、どんだけ骨折った事か…」
「待って下さい!! 先生っ」
「あ?」

ニヤニヤ笑いで顔を近づけるの、ほとんど距離が無いくらいに。
熱が上昇しているのもあるけど、落ち着いて理解しないと私!! って、頭を必死で働かせて。

「せ、先生は、私を昔から知ってたんですか!?」

あ、また笑い一つで、言葉が無くても全てが伝わってしまう。
ドンピシャであったという事は…何で、どうして…いや、その前に、最初の返事については。
と、考えに辿り着いた時、私の腰に回っている手がゆっくりと動いた。

「十年待った…後の数カ月なんざ、どうって事ァ無ェ。卒業さえしちまえば、我慢する必要もねェしな」
「……!!」
「十八過ぎりゃ、立派に成人だ。速攻ゴールインってのも悪くねェだろ?」
「…そ、そ、そ! それはッッ二○二二年から施行ですゥゥ!!」

怪しい動きをしそうな先生の手から、全力で逃げ出す方が先だと。
少なくとも、この恋、始める前から先生に一本取られて負けてるよ…!!

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