- ナノ -




4 私の気持ち


しゃがみ込んで泣きじゃくる私には、囲んでいる不良たちが途方もないほど大きく見えて。
絶対に越えられない、迫って来る大きな壁に感じられさえした。
それを軽々と追い払ったあの人は、後ろから塀を飛び越えて来た姿も相まって…本当にヒーローそのもので。
思い返せば、振り返って目線を合わせるために屈んでくれた手に持っていたのは、竹刀だったと思う。

―ホラ、怖いモン無くなったろーが。もうビービー泣いてんじゃねェよ。…オイィィィ!! 頼むからッッ、これじゃ俺がいじめたみてェだろうがァァ…!! こんなトコ、松陽に見つかったら…!!

慌てながら漁ったポケットから目の前に出してくれたモノだって、あったじゃないか。

―コレやっから。元気出せ、クソガキ

瞬いて手を伸ばして受け取って、口にした時…凄く甘くて嬉しくなったのを覚えてる。

―そっちの方が、まだブサイクじゃねーぞ

そうして、撫でてくれた手が優しかった。
あの手と、くれた甘い物は…レロレロキャンディーだった。

「今更さ…よーーく思い返したら、細かく思い出せる事があったなぁ…何で今まで思い出せなかったんだろう自分…って、穴があったら入りたい」
「自分で穴を掘って埋まるだなんて、貴女も中々の素質の持ち主じゃない!! その気なら、私が真の覚醒の手伝いをしてあげなくもないわよ?」
「思い返せば思い返すほど、記憶と重なる部分が沢山あるし…」
「そうね、まずは亀甲縛りからね。ただ縛り方を覚えても駄目よ? 素早く、生々しく、胸とお尻を強調してキツクするの」
「でも、いざ「貴方だったんですか」とは聞けなくて…先生も、いつもと同じ調子で何か言ってくる訳でも無いし…このままじゃ駄目なのは私も…」
「後、喘ぎながら身を反る姿勢を忘れちゃ駄目よ。縛り方よりも、そこが肝心なんだから。分かった?」
「うん、さっちゃん…分かってるよ」
「良い返事ね! なら、早速、あっちのベッドで練習してみせなさ、」
「ぬしは、ちょっと黙っておれ」

何故か、月詠先生の投げた枕がヒットして、さっちゃんが保健室のベッドに沈んでしまった。
それで私も顔を上げて、さっちゃんと一緒に話を聞いてくれていた月詠先生に意識を戻す。
月詠先生は心底呆れた顔をしているのには申し訳無いけれど…。

「ぬしの不調の原因は大体分かった。じゃが、こやつに話をするのは間違っておるじゃろうが」
「一応、うちの保健委員なので」
「まぁ、そうじゃが」
「さっちゃんと一緒だったら、その…銀八先生に呼ばれても…言い訳になりますから…」

後ろの方で復活したさっちゃんが「一応って何よ、一応って!! この私が銀八先生との愛の営みを我慢して、ついてあげて来たってのに!!」と、叫んでる。
つまり、銀八先生に呼び止められたのに、私はさっちゃんを巻き込んで保健室へ逃げてしまったという事なんだ。
前に座っている私の額の具合を看てくれる月詠先生が、包帯を取ってくれた。

「この調子なら、もう包帯を取って良いじゃろう。まったく、酷い事をする奴らじゃ」
「…他の皆は、どうですか」
「安心しなんし、来週には活動をして良いと伝えておる。一番酷い傷じゃったぬしの包帯を最初に取るのも妙じゃが…」
「丈夫なだけが取り柄なんです」

すっかり傷が塞がっている自分の額に触れると、月詠先生が鏡を見せてくれる。
前髪を上げれば、生え際の近くに薄っすらと跡が残っているけれど、前髪を下ろしてしまえば隠れてしまうから気にする必要は無い。
それよりも、怪我を負わされた他の部員たちの事に胸が痛んだ。
後遺症が残るような酷いものではないけれど、日常活動に制約が無くなるのは来週までかかる。
必然的に今週末に予定されていた例の試合は、アイツらの目論見通りに運んでいる事になる。

「ミツバ先生の退院もまだ先。部員は貴女以外に活動不可。その貴女も、ずっと不調なんでしょ」
「…うん」
「聞いたわよ。練習人形相手に、まともに面も決められない。そんな状態で、まだアイツらとの試合をやる気?」

復活したさっちゃんが腕組み状態で、私へ言葉を向けてくれる。
厳しい内容だけれど、どれも今の私の状況で、事実だ。
引退した三年の仲間部員にも練習相手になって貰ったけど、「どうしたんだ!?」と心配されるほど完敗してしまったし。
それだけでなく、日常的にも集中力が散漫になって失敗ばかり。
極めつけは、銀八先生にどう顔を合わせて良いか分からなくて、ずっと避けている。
準備係の仕事も、人伝で伝言ゲームのようなやり取りをして…って、思い返して顔を伏せる。
春雨の奴らに受けた心の傷からの不調だと、皆が心配してくれるけれど…。

「少なくとも、今の私から見た貴女は、『主将』でも何でも無いわ。ただの臆病な負け犬よ」
「…うん」
「良い? 本当は、その原因も自分でハッキリ分かってるんでしょう。いつまでも目を背け続けていれば、それこそ春雨の思うツボになるわ」
「…さっちゃん」
「貴女は誰? この学校一の剣の使い手…名門銀魂高校、剣道部の『主将』でしょう!?」
「!」

さっちゃんが指を突きつけて、私を睨んでくる。
その睨みと言葉で、軽い衝撃を受けた心地だった。
そうだ、単純な答えじゃないかって。
ゆっくりと頷いて真剣に見返したら、さっちゃんが不敵に笑った。

「その調子よ、主将。良い? 真に覚醒したいなら、いつでも自ら飛ぶのが雌豚ってものよ。飛べない豚はね、ただの豚でしかないんだから」
「いや、普通の豚は飛びんせん」
「…私のしたい事…すべき事…分かった」
「「!!」」

座っていた席から立ち上がって、保健室の扉の方へ走って手を掛ける。
開けた扉から身を出してから気づいて、顔だけ中へ戻して二人へ口を開く。

「さっちゃん、月詠先生…ありがとうございました!! 私…飛んでみるよっ」

二人は少し驚いた様子で、それから軽く手を振って見送ってくれた。
保健室の扉を閉めてから前を向く。
閉めたと同時に、自分の中の晴れない靄に区切りをつけようと思えたから。
それから日中の授業をこなして、放課後に立ち寄ったのは国語の資料室だった。
帰りのホームルームを終えてから、先生が職員室にも教室にもいなかったので思い当たる場所は其処しかない。
扉は開いていて、外からでも先生がいるのが少し見えていたけれども、礼儀上きちんとノックする。
「失礼します」と言う前に、すぐに先生から「主将ちゃんだろ。入れよ」と気だるい返答があった。
椅子に座っているのに、上げた足は両方とも机に、顔には教科書を乗せたまま。
お世辞にも行儀の良い姿勢じゃない状態で、うたた寝していたのかなと考える。
私が中へ入ったのと合わせるように、顔の上から落ちる教科書を器用にキャッチして先生が立ち上がった。

「スランプは抜け出せたか」
「! …いいえ、まだ」
「先生なら、可愛い生徒に散々避けられまくって傷心中なんだけども?」

そんな口調でも、近くまで来て見下ろしてくる眼鏡越しの瞳は、どこか楽しそうだ。
一歩分も無い距離の近さと片手を私の顔横につけてくるのだって、いつもと同じで私で遊んでいるだけ。
そうだ、そうに決まってるはずだから…以前なら、「セクハラですよ」って…ムキになって怒れたのに。
飲んでしまった息で喉が音を立てて、うるさく鳴る心臓に身体の熱が上がるのを自覚させられていた。

本当は、知っている。
皆が言うように、いい加減でやる気が無くて、教師とは思えないほどの駄目人間だけれど。
それ以上に、困った時や大変な時は必ず助けに来てくれる、頼れる優しい人なんだって。
だから、何だかんだと言われながらも、皆から好かれて信頼される先生。
死んでいる魚だなんて表現される目でさえ…細く鋭さを宿せば、もう逸らせなくなるくらい。
この先生に…この人に、私の心なんて…とうに。

「!!」

ハッと目を見開き、我に返って、首を左右に軽く振って口を噤む。
視線だけ逸らせて合わせない。
目の前の先生が口元だけで笑ったのが見えたけれど、火照った頬も、気持ちも誤魔化せなかった。
駄目だ…今は自分の気持ちに翻弄されるてる場合じゃないだろう!!…と強く思って、深く息を吸った。

「先生、私、」
「まァ待て、そう急くなや」
「!」

意を決して切り出そうとした時、近かった先生が急に引いた。
緩く笑う表情も雰囲気も、全身が熱くなるような…さっきまでの空気とは全然違う。
いつもの、少しだけ優しい先生のものだ。
驚いて言葉を止めてしまっていると、先生が指を立てて外の窓を示す。
つられて顔を向けた先、何があるのか理解して更に目を丸くしてしまった。

「聞きてェ事があんなら、『あっち』でジックリ、な」

先生の指が向けられている窓の外…見慣れた剣道部の道場である建物だった。
それから、向かった剣道場内には案の定、誰もいなかった。
灯りをつけて、広い中を見てから、先生と話しをせずとも自然と足は更衣室へ向かっていた。
私も何も言わなかったし、先生も私の行動に対して何も言わない。
ただ、入った時…先生が、道場内に常備している竹刀を手にした時に、その意が伝わったから。
ロッカーに置いていた、自身の竹刀袋から竹刀を取り出す。
しっかりと手に握り、道場で待つ先生と一定の距離を保った前で立ち止まった。
ゆっくりと前へ構えれば、先生も口端を上げて、片手で独特の構えをとる。見た事のない構えだ…剣道の正式な型じゃない、多分、我流の。
睨みを鋭くして、足を踏み出し、勢いをつけた。
「めぇぇん!!」と、鋭く一声と振り下ろした剣先。
それは、先生が正面に持ってきた物打ち部分で防がれる。
接近して持ち込んだ鍔迫り合いで、竹刀の向こうで笑う先生に言葉を投げた。

「先生が、シロヤシャさんだったんですかッ」
「お前くらいの時は、そんな名で呼ばれてた頃もあったな」
「じゃあ…ッ、私を助けてくれたのはッ、先生だったんですね…ッ!!」

私の強い声に、先生は笑うだけで何も言わない。
そこに答えは期待していなかった…もう一太刀、打突を繰り出す。
受け止められて、いなされて。
でも、諦めずにまた挑む。

「先生は覚えてないと思いますけどッ、私ッ、昔! 貴方に助けられた事があるんですよッ」
「あァ」
「あの時から、ずっとッ、貴方が憧れで、目標でしたッ」
「へェ?」
「貴方のように強くなりたくてッ、貴方に御礼を言いたくてッ…それから…!!」

気がつけば、面も胴も小手も関係ない…単純な打ち合いになっている。
打ち合いと言っても、私が一方的に先生に挑んでいるだけ。先生は受けて流すのを繰り返している。
それでも、私はまた弾かれた竹刀を握り直して姿勢を正した。
とった距離から生まれた間に、乱れた息を吐きながら、せり上がる自分の気持ちを自覚する。
先生…それから私は、ずっと焦がれてたんだ。

「私はッ、銀八先生が…好きです!!」

叫んだタイミングで、打ち込んだ竹刀が止まる。
いや。止められて動かなくなったんだと、交差している竹刀同士を見て瞬いた。
顔を上げると、笑みを消している先生の真剣な表情がある。
同時に、自分でも驚くくらいスッキリした気持ちになって、今度は逆に私が笑いを漏らしていた。
竹刀を離して、何も言わない先生に向き合う。

「シロヤシャさんだったからだけじゃないです。私、先生に会った時から、ずっと惹かれてたんだって…ようやく気づけたから」
「…俺ァ」
「待って下さい」

片眉を上げた先生が何か言おうとしたのを、慌てて制した。下ろした竹刀を握ったまま、先生に笑む。

「今週末の春雨高校との試合、予定通りするつもりです」
「んなッ…あんな事されたってのに、まだやるつもりか!?」
「はい」

私が切り出した内容には驚く先生の反応も分かる。

「大体、お前以外に戦える奴いねェだろうが」
「はい。でも逆を言えば、戦える者に、まだ私がいるって事ですよね」

下げた竹刀を、今度は包むように両手で握り直して先生を見る。
私の言葉に最初は驚きと反対に染まっていた顔が、僅かに目を大きく開く。
それに頬を緩めて、「やりますよ、試合」と繰り返した。

「私はまだアイツらに負けたままです…でも、今度は勝ってみせます」

卑怯なイジメでも、道場破りでも、不意打ちでもない。
私が先生に出会えた事から始まった、この竹刀に。
私が強くなりたいと思って続けてきた、好きな剣道に。
全てに懸けて、今度こそ…負けないために。
不利であろうと、春雨高校との試合は放棄しない。

「それで、先生にお願いがあるんです…最後に顧問として、その試合を見届けて貰えませんか」
「俺に?」
「はい」
「…分かった。どうせ、ここまで乗りかかった船だ」

少し考える素振りをしたけれど、先生は面倒くさそうに髪をかきつつも最終的には頷いて。
溜息混じりに、「おめェの覚悟ってのが、どこまでか付き合ってやるさ」と答えてくれた。
間を置いてから、「それから…」と話題を切り出す。
再び先生の意識が向けられたのに、身体を緊張させつつ、意を決した。

「さっきのお返事も、試合の後に…聞かせて欲しいんです」
「!」

ピクリと反応されたのは、分かる。
感情の読めない先生が見ているのは、私の紅くなっている顔だろう。
分かってる…自分が何を伝えたのかも…そして、返されるだろう告白の答えも。
私みたいな子供が、先生のような大人に相手にされない事を。
でも、震えの緊張と羞恥に負けないように、先生を見つめて願った。
実際には、そんなに経ってないだろう時間すらも…その時だけは、死ぬほど長く感じられる。
黙っていた先生が、懐からレロレロキャンディーの包みを取り出して開ける。
新しいソレを口に含みながら、ゆっくりと笑った。

「良いぜ」

その答えを聞いた瞬間に思わず、「ありがとう、先生…!!」と声を上げていた。

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