- ナノ -




易くは落とせない(落花流水)


誰の気配は無いなと、そっと顔を覗かせる。
かなり慎重に警戒しながらであったが、確かに誰もいないと判断して少し肩の力を抜いた。
はぁ…と眉を下げて抜いた力が増して最終的に肩が落ちるまでになったのは疲労からだ。
現在位置、真選組屯所敷地内の端っこ。
そこにコソコソする羽目になっているは名前である。

(連絡は…無しか…)

手元の携帯を確認するが連絡は無し。
つまりは今の所、事態の好転無し。

何度目か分からない溜息を漏らして、背を後ろの壁に預ける。
支えになる感触はあったのだ、感触は。
それに油断した一瞬が問題であったと、「!」と強張った身体に腕が回っていた。

「捕まえたぜ」
「ひ、土方さんッ!」

あれだけ警戒していたつもりだったのに、どうやら死角にしていた建物の外でなく内にいたらしい。
不意を突かれた驚きでいる名前の腰をガッシリと腕で固定して、身を引っ張った。
されるがままにしまった背後が固い面にあたり、視線をやって壁に押し付けられたのだと理解する。

「なァ名前…」
「!」

ドン、と片手が横に突かれるのを見る。
腰から優しく外してくれた手で、咥えるタバコを持って煙を吐く。
近づけられた顔は互いの前髪が触れられるほど間近で、大きく開いた名前の瞳にニヒルな笑みが映し出された。
薄く弧を描く笑い方に加えて、普段とは違う鋭さを宿した動向の細い眼光。
見下ろしてくる高さによる陰りで端正な顔立ちが意識せずとも際立っている。
近距離でも動かないでいる名前へ、フッと笑いを漏らしてタバコを落として足で踏み消す。
伸ばした手が顎を掴んで角度を固定した。

「もう逃げ場は無ェんだ、諦めろ」
「あの…落ち着きましょう?土方さん…ッ」
「この後に及んで往生際が悪ィぜ?散々待ってやった…」
「ちょ、!?」

更に近づいた距離には顔が赤くなる。
上ずった声を漏らすのを愉快そうにする土方が、低い吐息を吐いた。

「万事屋なんざ忘れて、俺と付き合え…俺のモノになっちまえよ?」
「ッ!…土方さん…」
「何だ?」

強引さはあるのに、飛び切り蕩ける甘さを含んだ息と声は耳への破壊力が凄まじい。
ビクリと反応してしまった名前は、戸惑いと気恥ずかしさを惑わせたように瞳を逸らす動作をした。
見る者から見れば、頬を染めて照れていると思うだろう。
土方もそう思ったからこそ、更に顔を近づけようとしたために無防備になる。
刹那、掴んでいた顎が下がって目を見開く事になった。

「!?、おまッぐばぁぁあ!?」

抱きついてきたかと思えば、いきなり身体が反転して浮く感覚が襲う。
理解する前に反転した視界は脳天に襲った打撃で途切れた。
プシュ〜…と煙が上がって見えるほど地面につけた状態で白目を向いている土方。
逆さになって折れ曲がる下半身が落ちて完全に倒れた。
まさに一撃KOである。

「キャラが違いますッッ!!」

鮮やかなジャーマンスープレックスを決めた勝者こと、名前の叫びは当の人へは届くはずがなかった。
再び本日何度目か分からない重い息を吐いて携帯を取り出してコールする。
すぐに繋がった先へ冷静に口を開いた。

「もしもし、山崎さんですか?」
『名前ちゃん!?凄い音響いたけど大丈夫!?』
「問題ありません、撃退しましたので。副長確保しました」
『!?、至急そっちに向かうよ…!(撃退!?撃退って何したのォォ!?)』

電話をする向こうで山崎の引きつりが伝わったが、敢えてスルーしておく。
生憎、こちらとて手段は選んでおけなくなったと先ほどの件で思わされたからだ。
間も無くして、山崎と共に数人の隊士が周囲を警戒しながら駆けつけてくれた。

白目で気絶している鬼の副長と陥没している地面の跡に、「うわ…」と彼らが蒼ざめたのに咳払いで答える。
慌てた隊士は急いで土方の口に布をあてると両サイドから肩を貸して支え立たせた。
山崎は手に持つ名簿らしきものにチェックを入れて立ち上がる。

「これで後は残り二人になったんだけど…」
「その残りが問題なんですよね、分かってます…」
「名前ちゃん、その…名前ちゃんには厳しい相手だと思うし、ココは引いても…」
「私以外の女性に、こんな役柄を頼むつもりですか?」

というか、頼めますか。
と、ジト目を向けた名前に山崎や隊士たちは居た堪れずに沈黙するしかない。

そもそも何でこんな事になったのか?
始まりは、山崎が銀時たち万事屋と共にお縄にしてきた輩が所持していたブツだった。
油断していた隙を突き、一人がソレを爆発させたのである。

ー好惚香…元は吉原界隈から流れてきた薬から天人が改良を加えたものらしいんだけどね。青なら男に、赤なら女に効く…これを吸ってしまった者は本能を極限まで解放させられちゃうんだ
ーつまりどういう事アルか?
ー簡単に言うと、超強力な一目惚れ薬

薬を吸ってしまった後に最初に見た異性へ恋してしまうらしい。
それも普通ではない、恋狂うレベルで。
説明を聞いた神楽と新八が何かを悟った目で、薬が爆発した煙の中にいる人たちと名前を見ていたという。
次の瞬間、目の色を変えた周囲の隊士たちに名前の悲鳴が上がったのに、新八が静かに合掌した。
そう、爆発した薬は青であった。

こんなどうしもない理由で大混乱に陥った屯所から感染者(もはや感染者と被害を被った名前は据わった目で言い切った)の逃亡を防ぐために、正気の隊士たちによって出入口は封鎖され隔離状態。
色には狂うのに頭はしっかり働くタチの悪さで逃げ散った彼らを捕獲するために、名前が自ら餌兼ハンター役で闊歩している訳だった。

「あと二人が大問題なんですよね」

遅れて合流してきた新八の呟きに他も神妙になる。
幾ら探しても捕まらない上に、追っ手の隊士たちが次々と撃退される始末。
頼みの綱と顔を向けた名前に神楽は「からっきしアル」と手をプラプラさせた。
両者の反応に一斉に疲労を表に出す。

「名前自身に簡単に食いつかない所から面倒くさいヨ」
「最後に見たのは伸された原田さんたちみたいなんですけど、本当にタチ悪過ぎですよ、あの人たち」
「うーん…否定できないかな?」

ウンザリした様子でブツブツ文句を言う子供たちの意見に否定も肯定も入れられない。
困って首を小さく傾げた名前は、お手上げ状態だと悩んでいる山崎に声を掛けた。

「とにかく、もう一度端から端を追い詰める作戦でいってみましょう。今度は私も一緒に行きます」
「その方が名前ちゃんも安全かもしれない。良し、俺は先に言ってくるよ!」
「お願いします」

土方を支える隊士たちも拳をグーで握り上げて笑みを見せてくれたので、名前も少し元気が戻って同じポーズを返す。
さぁ、自分たちも頑張ろう!と新八と神楽を振り返った。

「!?」

までは良かった、ちょうど一直線先にバズーカーを構えてニヤリとする標的がいなければ。
唖然とする名前が「あぶな、」と短く叫んだ声も発射音に消されて、派手な音が起こった。
衝撃の風と煙で咳払みつつ、慌てて周囲を見渡した。

「神楽ちゃん、新八くん、大丈夫!?…って何これ!?」

いきなりの出来事で理解が追いついていない二人も、クラクラする頭を数回振って意識をはっきりさせたようだ。
しかし、自身の状況を理解した後の叫びは同じであった。

「網ィィ!?」
「身動き取れないアルっ!コラァ、サドォォ!」
「良い眺めだ、雑魚が喚いてるぜ」
(何て生き生きとしたゲス笑い…)

キレるのは神楽だけで、新八は見下ろしてきた沖田の黒く輝くドSっぷりに引きつり笑いするしかない。
名前の方は己に絡みつく網を外そうと格闘していたが苦戦に終わる。
そこへ悠々と歩いてきた足が止まり、名前の上に影を作った。

「名前ちゃーん、ゲェ〜ト」
「ぎ、銀さん!まさかっ二人して!」

膝を曲げて腰を落とした銀時の意地悪な笑みは沖田に負けず劣らず。
身動きできない名前を悠々と眺め回しながら、睨まれているのすら楽しくて堪らないといった様子だった。

「そのまさかでした。ナイスアイデアだったろ、総一郎君」
「今回は旦那のおかげにしときまさァ」
「お前ら組んでたアルか!卑怯ネ!」
「ハイハイ、負け犬の遠吠え遠吠え」
「悔しかったらワンって鳴いてみな」
「このドSコンビ!!」

ドS上等と罵りも褒め言葉の如く堂々とする二人の厄介さがいつもの倍に増して見えるのは、きっと気のせいではないだろう。
足元にいる名前ですら、流れる冷や汗を隠しきれずに本気で眉を下げて焦り出す。

よりによって、残った感染者とはこの二人。
銀時と沖田の通称ドSコンビというやり辛い如くこの上ない相手であった。
しかも、こちらの包囲や作戦を見越して共闘していたのだから尚更。
身動きできる両手を辛うじて動かして後ずさるように引けば、その手を押さえる形で沖田の手が側へつかれた。

「ッ、沖田くんッ顔が近い!」
「駄目ですかい?俺ァ最高ですけどねィ。アンタの恥ずかしがる顔が独り占めできる」

尻餅をついている態勢に馬乗りにされているような際どい格好だと後から気づく。
真っ赤に固まっている新八が神楽の両目を隠しているのを視界に入れて、一気に熱を持った時。
背後から回された手が顎を掴んで上を向かせて。
逆さに見下ろしてくる銀時の薄っすらと細められた鋭い居抜きに身体が跳ねた。

「オイ、名前。お前がイイ顔すんのは俺だけだろうが」
「いっ、つ」
「それともアレか?銀さんマジにさせねェと感じられねェの?お前に気があんなら、いつでも見せてやるぜ?」
「ーッ!」

喉を撫でていた爪が立てられて痛みに変わる。眉をひそめた名前の様に、見下ろす銀時の欲を隠さない笑みも、楽しさを隠さずに見守る沖田の笑みも煽られる。
次は、どんな顔をするのか。
羞恥か怒りか?と、高揚する二人に挟まれた名前が浮かべたのは、どちらでも無かった。

「……」

歪んだ目尻に下げられた眉と結んだ口。
銀時を見上げ映す瞳は、銀時自身も驚くほど動揺している姿がある。
目の前で固まってしまった沖田も同じだった。
緩んだ力から名前が顎を引いて銀時から解放されると、間近の沖田に向き直る。
まだ呆然と動けないのに、今度は明らかに怒りの表情になって動く。
瞬間、絡まっていた網が緩んで名前の身体の身動きも戻った。

「!?名前、」
「いい加減にッ目を覚ましなさいイィ!」
「ぐッぁ」
「ばべェエ!?」

しっかり掴んだ沖田の身体は名前に抱きつかれたのでなく固定されたに等しい。
そのまま横薙ぎのように銀時の方へ投げ飛ばされる形で二人仲良く吹っ飛ぶ。
全身で息を整える名前は、折り重なって目を回している二人にまだ怒った顔を向けていた。

「何が起こったアルか!?新八、離すネ!見せるアル!」
「あー…アハハハ」

バタバタと抵抗した神楽を解放してしまったのは、最初から最後まできっちり見てしまったからなのだが。
「おぉー!名前強いネ!」と、惨状の有様に感激した神楽が走って行って伸されている二人の横を叩く。
わーん、つー、すりー…、てん!K.O!!
と、レフェリーよろしくノックアウト宣言を下した。
相変わらず白目状態でダウンしている銀時と沖田に、未だ乾いた笑いをやめられない新八は山崎と視線を交差させて、それぞれ結論した。

(名前ちゃんは本気出したらプロレス技もあり、と。…しっかり覚えとこう)
(名前さんが激怒する事が滅多に無くて、ホント良かった…!)

その後、確保されて無事に解毒の布を口あてられて正気に返った面々が、銀時も含めて、しばらく名前の怒りを解くのに四苦八苦したらしい。

[ 34/62 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]