- ナノ -




歩みたい未来(鏡花水月)


カァ、と鳴き声を聞いて窓の方を見る。
何度か首を傾げて屋根の縁を行ったり来たりして存在を主張する鳥が一羽。
真っ黒な眼と同じ真っ黒な羽根を振るわせて再び短く鳴いた。
整備していた忍具を置いて閉められていた窓を開けると、イタチの手へと迷わず飛んできた。

「…手紙か」

カァ!と返事をするようなカラスの足に括りつけられた紙を解く。
そこに書かれている内容は、極秘や重大なものではない。
むしろ、任務とは全く無関係である。
カラスを目に留めた時点で誰からの使いなのかは分かっていたが。
シンプルに書かれた文字とは対照的に、文字から伝わる躍動感で本人の様子を想像してしまった。

フッ、と小さく緩んだ気持ちが表情に出たのは意識せず。
広げていた任務の資料や巻物を片付けつつ、白紙へ筆をとった。

運んできた紙とは違う紙を括りつけられている感触を確かめるように、己の足を何度か見たカラスはイタチを見る。
羽根を撫でて手に乗せたまま窓の方へと近寄った。
腕を突き出せば、たちまち羽根を広げて飛び去って行く。
沈んでいく地平線と群青色の間に馴染むように小さくなっていく黒を見送ってから窓を閉めた。

本当ならば、今夜も与えられた資料室に籠りっきりになるつもりだった。
上忍になると同時に部隊を任される昇進をした出来事もまだ記憶に新しい。
やるべき事、片付けなければならない事は山積みだ。

アカデミー卒業後、下忍として下積みを積んだ後、中忍試験を優秀な成績でクリアした日。
イタチが選んだ新たな先は、父であるフガクと共に警務部隊の一員として働く事だった。
ずっと前から思い考えていた末に導き出した道。
初めて父へ告げた時の、その驚愕していた表情は今でも思い出せる。

―…お前だからこそ、選ばぬと思っていた

驚きから険しさへ、いつもの厳格な父へと戻っても、怒りや否定は無かった。
ただ、一言…低く紡がれた言葉に込められている心意は察せる。
あの頃、イタチには他にも沢山の選択肢が広がっていた。

「お疲れ様です」
「!、イタチさん、もう上がるんですか!?どこか具合でもッ…」
「いえ、そういう訳ではなく。約束が出来たもので」
「ああっなるほど!」

資料室の戸締りをした後、正面入り口で話をしていた同僚へと声を掛ける。
すると、イタチを見て驚いたようだったが、理由を聞いて納得したように破顔してから再び手を振ってくれた。
「お疲れ様ですー!」と人懐っこい笑みと共に、向けられた背にある団扇の家紋。
段を下り、もう一度振り返って見上げた先にあるマークとも重なった。

手裏剣と団扇が象られた木ノ葉警務部隊のシンボル。

「……」

まだアカデミーに通う前、父に連れられてよく訪れて見上げていた事を何となく思い出す。
暗い空の陰りと建物から漏れる灯りによって独特の色合いに映るマークから身を翻した。

あの頃、イタチには他にも沢山の勧誘が舞い込んでいた。
有望な筆頭は、火影の側近、暗部への入隊などだろう。
特に四代目火影の覚えもめでたいと評判であったから、どちらを選んだとしても損は無かった。

―父上、オレは…最近、考えるようになった事があるんです

一対一、座敷に正座して向き合う中、腕組みを崩さないフガクへと答えを返して。

選んで繋がっている今なのだと意識を戻しながら、里の屋根を駆ける。
音もなく、闇に紛れる様は見事としか言い様が無いだろう。
中心部をあっという間に駆け抜けてから、更に瞬身で火影屋敷のある奥の方へと。
距離としては大分離れているのだが、イタチなら何の事は無しに奥から崖まで登り上がる。
歴代の火影岩も越した先、崖の頂きだ。

地を踏み締めた時、真っ先に視界に入ったのは燃える赤色だった。
風でなびくソレが遠くにあっても瞳を捕らえるから。
振り向いた名前が嬉しそうに笑う。

「イタチ、久しぶり!」
「ああ。急な連絡で驚いた」
「ごめんごめんっ、昨日帰りが決まって。精一杯早めに飛ばしたつもりだったんだけど…」
「昨日?…ひょっとして里へ戻ってきたのは今日か?」
「ん!今さっき」
「…名前」
「?」

呆れを浮かべるイタチの珍しい様子にも、首を傾げて「どうしたの?」と明るく聞き返す。
それは、唐突にも程があるだろうと。
確か、人伝で聞いた話では遠方の長期任務だったらしいが。
その任を完了した足で、イタチへ文を飛ばし、真っ直ぐ約束の場所へ来た。
何の疑問も抱いていないだろう。
波風名前という娘は昔から、そういう性格だ。
普段なら口にするだろう論理立てた呆れは言葉にせず、イタチは名前と並んだ。

「それで、どうしたんだ?」
「実はね、ほら、上」
「…空、だが。…星が出ているな」
「そう!こんなに沢山、綺麗な星空が見られる日ってとても珍しいんだって!任務で護衛した博士から聞いたら、いてもたってもいられなくなって」
「言われてみれば、ここまでよく見えた事は無いな…」

月は出ていない、微かな雲が途切れ途切れにある空を彩っているのは無数の煌きだけ。
それも尋常でないほどの数だ、仰ぐイタチでも純粋に凄いと感心してしまうほどの。
こんなによく見えるのは、ココが里で一番高い場所だからでもあるのだろう。

この星空を見たいと思って、思い浮かんだのがイタチだったと。
楽しそうに星を示して語る名前の横顔に、瞳を細めてしまった。

「…名前、任務は大変か?」
「大変だよー。中忍の頃と段違いでびっくりしちゃうくらい。でも、それ以上に」
「以上に?」
「なんて言えばいいのかなぁ…嬉しい!」

難しい書物を読んだ。今まで携わって来なかった任務に加わった。
他国の訪問者と語り合った。上忍の先輩に下忍の子たちと知り合った。
大きな出来事でも小さな出来事でも、上忍になって世界がまた変わったと。
笑う名前の紡ぐ言葉に耳を傾けながら、また瞳が細まった。
きっと、今浮かべている表情を名前は特に何も思わないかもしれないけれど。

「イタチは警務部隊の部隊長になったんでしょう?聞いたよ!おめでとう!」
「ああ。まだまだ未熟だけどな」
「じゃ、お互いもっと頑張らなきゃね!」

まだ足りないと口にしても、名前なら頷いて一緒に頑張ろうと語ってくれる。
充分過ぎる、謙遜するな、とか誰もが向けてくる事を名前は言わないから。
また内に浮かんだ感情を、仰ぎ見た星空のようだと思えた。

再び星を仰ぎ見たイタチが静かになったから、名前も星に目を戻す。
会話を止めてしまえば、水を打ったような静けさが世界を包むようである。
けれど、その穏やかさこそ心を掴んで離さないものがあった。

中忍試験を境に、二人が選んだ道は別々になった。
名前は火影直属の遠方任務に従事する上忍に歩みを進めたし。
イタチは警務部隊へ入隊してフガクを支えて里内を奔走する日々を送っている。
前よりも会う機会はずっと少なくなっている。
お互いに大人になっていっているのだと思えば自然なのだろう。
だが、と伏せた瞳と共に己の心を想った。

―父上、オレは…最近、考えるようになった事があるんです
―考えるようになった事?
―はい。オレの目指す夢を覚えていますか
―ああ。お前の語っていた、争いのない世界…だな

最初、フガクは夢物語のようだと口では言わずとも、表情では酷く戸惑いを見せていた。

この世から一切の争いを無くした平和な世界を作りあげる事。
イタチの昔からの何よりの夢。
忍としての才覚を表し、力をつけて、名声と評判を得るようになって、もっと上へ。
何にも構わず目指し続ければ、近づいていくものだと幼い頃は疑っていなかった。
なまじ年齢に似合わない精神を持ち合わせていたからこそ余計に。

けれど、と思う。
あの頃、何気なく振り返った先に名前がいてくれて気づいたのだ。
それは、どんな時だったかは曖昧だ。
修行をした帰りだったかもしれないし、イタチか名前がどちらかの家を訪れた時だったかもしれない。
どの場面だったかではなく、あの時に気づいた感情から考えた事があった。

―オレの目指す夢は、これからも変わらないでしょう…だからこそ、選びたいと思えた道でした
―…選びたい、か…

うちは一族として、木ノ葉の里の忍として。
何より、フガクの息子である、うちはイタチとして。

そう語ったイタチの穏やかさを含んだ冷静な表情に、フッと息を吐いてフガクが浮かべたのは小さな笑みだった。

―分かった…お前の好きに進んでみろ
―良いのですか
―ああ。お前の、その言葉を聞けたからな
―…?

頷き立ち上がったフガクが背を向けて座敷の襖を開け放つ。
話は終わりだという事なのだろう。
それ以上、何も言わなかった横顔の浮かべる微笑みだけが優しかったのを覚えている。

「名前」

唐突に口を開いて沈黙を破る。
イタチへ首を傾げた名前と向き合いながら告げた。

「オレと一緒に暮らさないか」
「!!」

文字通り、目を丸くした名前の驚き方といったら全身でと言えるような程だった。
だが、紡いだイタチ自身は静かに黙したまま見つめ続けて動かない。
何度か口ごもりつつ、目を右往左往させて一生懸命考えているらしい。
紅潮した頬が暗がりでも、はっきりと見える。
やがて、頬を染めたまま名前が言葉を震わせつつ聞き返した。

「え…と…それ、って…同棲、する…ってこと?」
「ああ」
「私がイタチの家へ、でもなく…イタチが私の家へ、でもなく?」
「新しい場所で、一緒にという意味だ」
「……」

再び静かになった後、何やら考えているらしい名前が最終的に出た行動が答えだった。
はにかみを湛えて、広げた両手のままに勢いよく抱き着く温もり。
少しよろけつつ抱きとめながら、返された短い言葉が響いた。

「喜んで!」

星空の下、今度はイタチも優しい微笑みを浮かべた。

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