- ナノ -




その心まだ伝わらず


「銀ちゃんの様子がおかしい」
「む?」

そう、名前が唐突に呟いたのは梅雨の季節であった。
今日も今日とて長雨が続く故に縁側で書物を手にしていた桂が顔を上げる。
廊下の先から干していた洗濯物を抱えながらやって来た名前の表情はムスリとしている。
それを見て、ああコレはかなり機嫌が悪いなと読み取って書物を閉じた。

「いきなりどうしたのだ?奴がまたお前に何か仕出かしたのか」
「ううん、そうじゃなくて…ねぇ、ヅラさんは変だと思わない?」
「銀時がか?」
「うん!様子、変じゃない?」

洗濯物を抱えて僅かに首を傾ける仕草に、桂もここ最近の銀時を思い返す。
自分たちと剣術に励む以外はいつもやる気のない様子でぐーたらと寝てばかり。
もしくは高杉をからかって派手な喧嘩をしていたり、どこからか悪巧みで騒ぎを持ち帰ったりな日々。
「ああ、そう言えば」と口を開くと、名前がピクリと反応して真剣な表情で見つめてきた。

―あー、雨ばっかでクソつまんねェなァ…おいヅラ、って事でお前ちょっと縁側に吊られてこいよ
―死ぬわッ!!アホか貴様、大体そんなんで晴れるわけなかろう!
―いや晴れるって。よく言うじゃん?人柱的な、アレだよ人間てるてる坊主
―ただの首つりだろうが!

「という会話をしてきたので、ぶん殴ったのを覚えている」
「銀ちゃん…(どういう会話…)」

鼻をほじりながらそんな話まで振ってきたのだと、今思い出しても怒りを覚えつつ口角引きつり気味で語る。
対して名前は小さく微笑みながら、「そっかぁ…ヅラさんや晋助の前じゃ変わらないんだね」と返した。
少し俯き気味なりながら浮かべられる表情は、どこか切なげで桂は僅かに目を丸くして固まってしまった。
それも名前が気がつく前に、軽く咳払いをして表情を戻す事で何事もなくやり過ごす。

(俺にはむしろ変わったのは名前だと思うが…)

いや、変わったというには少し語弊があるだろうと心中で訂正して考える。
正確には随分と乙女らしい表情や仕草をするようになったと。
そうして向かい立っている名前と自身を見比べて改めて分かるのだ。
降り注ぐ長雨を見つめる横顔も、その体つきも、仕草や雰囲気はここ数年で印象が変わるほど成長した。

「…で、名前は銀時のどこがおかしいと思ったのだ?奴はいつもおかしいが」
「(今、サラッと銀ちゃんけなされた…)うん、例えば数日前とか…」

―銀ちゃん、おはよう!
―ッ!?名前ちゃんん!?な、何でココにいんだッ…!待て待て、これ以上入ってくんな!頼むから入って来ないで下さいィィ!
―いやでも、え…ちょ…
―良いか!?絶対そこから動くなよ!?絶対だぞ、良いな!?
―え、うん…

「って朝、起こそうとして部屋に入ろうとしたら凄い剣幕で追い出された」

いつも通りの朝、誰よりも早く起床して支度を整える事が名前の習慣になった。
共に生活する3人の食の準備や家の家事を一手に引き受ける。
そんな生活に慣れてきたのは、本当にここ最近だった。

松下村塾と武家屋敷が全焼し、帰る場所も住む場所も無くなった名前と銀時が身を寄せ合って。
しばらく経たない内に家を飛び出した高杉も共にあるようになるに時間は掛からず。
誰が示し合わせたわけでもなく、桂が生活する屋敷が集まる拠点となり共にある事が自然になった。
桂自身も驚くほど、名前たちの存在は一緒に生活していて抵抗なく生活に馴染んだのだ。
気がつけば2年以上が経過するほどに。

「なるほどな…」
「他にも、こないだずぶ濡れで帰った時に怒られて羽織かぶせられるし…晋助と一緒に出掛けようとしたら怒られた。でも反対に私が近づいたらあからさまに離れるし、目も合わせてくれないし…っ、私…何か嫌われる事しちゃったかなぁ…」
「……」

名前はいつもと変わらず銀時と接したいだけなのだが、その銀時の接する態度が明らかに違うのだと。
2人きりでいようものなら途端にソワソワと落ち着きがなくなり、目を逸らすわ距離を空けるわまともに会話してくれないわ…。
思い返すだけで、どよーんとした雰囲気で落ち込む様子に桂は難しい表情をするしかなかった。
やや苦笑にならないように努力しながら、ゆっくり答える。

「いや、違うぞ名前…銀時はお前を嫌いになったワケではない、むしろその逆だと思うぞ」
「逆…?銀ちゃんが私を好いてくれてるって事…?」
「うむ」

パチクリと瞬いた名前は目を丸くして桂を見返すので、桂自身もちょっとドキリとなる。
しかし対する名前の瞳は純粋な疑問と驚きしかなく、意図した感情は見えない。
むしろ次に発された言葉にガクリと肩を落とすしかなかった。

「私も銀ちゃんの事大好きだし、大切だよ…ヅラさんも晋助も」
「そういう意味では…いや」
「だから嫌われてなくても避けられるのは悲しい…っ、ひょっとして私が銀ちゃんに悪い事をしちゃったんじゃないかって」
(うむ…どう言うべきか…)

書物を持つ手を顎元に持って行きつつ、難しい表情は考える人だ。
すっかり自分が何か悪い事を仕出かしたのかと邪推して落ち込んでいる名前には、とても答えになど辿り着けないだろう。
むしろ、コレは同じ性でありほぼ同じ条件で過ごしている自分と高杉だからこそ分かる答えだと思う。
少なくとも、銀時があからさまに示すほど名前に対してはっきりとした感情を抱いていないだけで。

(いや、高杉は違った方面だから名前も気がつかないだけか)

悩みつつ、もう1人の人物の名前への態度を思い出して溜息をつきつつ首を横に振った。
名前へ態度が変わったと言えば、銀時だけでなく高杉だって該当するだろう。
しかし、それは名前を傷つけるものではなく、むしろ仲を良好にする流れになったから自然に落ち着いたのだ。

成長した高杉の名前へ対する態度は、不器用ながらも随分と落ち着いた優しさを醸すようになった。
名前を気遣う、その隣にある事を認めて否定する者を許さない。
そうした事が名前を認めているとありのままに伝えるから、名前自身も高杉への態度をより変化させた。
高杉、と呼びが、晋助、となった事はここ最近である。
あの時の銀時の表情といったら…と、初めて名前が「晋助」と口にした時の事を思い出して苦笑した。

「とにかく、名前。むしろお前はお前自身の事をこれからよく考えていくべきだろう、そうすれば銀時の変化もいずれ落ち着くものだ」
「私自身、か…」
「つまりだ、俺たちはもう子供ではない…世間でいうお年頃というもの、悩み多き世代なのだ!」
「そういうものなの?」
「そういうものだ!」

指を立てて、ズバリ!という顔で言い切れば、名前は首を傾げて未だ納得しきれない様であり。
それは、銀時たちよりも幾分か歳が下だからという理由が主な事はまた別の話となってしまうが。
それでも桂が示した答えを納得しようとした時、建屋の廊下奥から声と足音が聞こえて会話を止めた。
歩いてきた主は、たるそうに耳をほじる銀時だったからだ。
耳から抜いた指をフッとした銀時は、死んだ魚の目で前を見て名前を捉えるなり「げ」とした顔を出す。

「!」
「ッ、いや違う!別にお前が何とかってワケじゃ…!」
「ごめん…私、先に部屋戻ってる!」
「ちょっ、名前!!」

銀時の表情を見て、明らかに酷く傷ついた表情を浮かべた名前は洗濯物を抱えたままクルリと向きを変える。
そのまま駆け足に近い形で奥の部屋へ続く曲がり角に姿を消してしまい。
手を伸ばしたまま弁解しようとしていた銀時が引きつり笑いで茫然と固まっていた。
横で桂が「アホめ」と半目で冷静にねめつけると、怒りマークが浮かびあがって動く。

「うるせーッ!つーかヅラ、名前に何かしてねェだろうな?」
「するわけなかろう、貴様と一緒にするな」
「俺だって何もしてねーっての!」

まだな、と最後は濁された言葉と苦虫を噛み潰したような表情に桂は呆れたまま半目を向ける。
しかし、頭をかきつつ「あーッ、やっちまったチクショー」とぼやいている様子から自覚はあるのだろう。
桂に対して、「大体、名前も…」と語り出す内容はほぼ桂の予想通りだった。

「朝といい普通に男部屋に入ってくんじゃねーよ、大変な事になってんだよッ俺が!分かんだろヅラ!」
(分かる、が!分かると言いたくないのはコイツ相手だからだな、うむ)
「ずぶ濡れたまま帰ってくんなよ、見えるっての!あぁ、随分デカかくなったよな揉みてェな胸…って視線がそっちにしかいかねェんだよォォ!!分かるだろヅラ!」
(体つきも女らしくなったからな、うむ…)
「なのに、何で高杉の野郎と今まで同じように接してんだ!ってか高杉何で平気でいられんだコノヤロー!」
「あやつの場合は分かってて接していると思うぞ」
「はァァ!?ムッツリかっ!」

高杉、ぶっ殺す!!と息巻く銀時の叫びにげんなりしながら、桂も「貴様も変わらんだろうが」と心中で毒づいた。
それでもこうまで一気に語ったという事は、よほど日頃から我慢していたのだろうと同情する。
同じ男として、好意を寄せる相手が一つ屋根の下…それもあちらは自覚なしとなると葛藤は常々辛い。
言い切って幾らかすっきりしたのか、そのまま踵を返して歩き出す背に問いかける。

「だが、忘れるな。名前は俺たちよりも年下だ」
「…分かってらァ」

だるそうに頭をかきながら歩く背は振り向かずに、一言だけ返して奥へと消える。
桂が言い聞かせた意味…それは、名前が精神的にも感情的にもまだ自分たちと同じでないのだという事の釘だ。
だからこそ、擦れ違っているこの感情の問題を解決できるのは結局。

「おーい…名前ちゃーん…」

コンコン、と名前が私室として使っている部屋の襖を軽く叩く。
勿論、鍵などかかっていないのだから開けようと思えば開けられるのだが。
驚くほど静かな襖のすぐ向こうに僅かに身動きする気配が分かるから決して開けようとは思わないのだ。

(襖に背預けてんな…こりゃ)

ちょうど襖を挟んで、背中を向けて立っているだろう。
「…なに?」と小さく返された声は落ち着いているように聞こえるが、銀時には相当参っているように聞こえた。

「…ごめん、今はちょっと…もう少ししたらそっちに行くから今は会いたくない」
「俺の顔見んのも嫌か?」
「ッ…違うの、今銀ちゃんと顔合わせたら私ッ…きっと酷い事言っちゃうから!だからお願い、放っておい、」
「できるかバカヤロー」
「!?」

堪えるように紡がれる言葉が震えているからこそ、背が襖から離れた気配を感じて動いた。
スパンッと、勢いつけて襖を開けてその背を自身の側へと引き込む。
後ろから抱き締められる形になって、「!」と名前が目を見開いたまま固まっていると耳元に飛び込む一言。
「悪かった」、と…紡がれた言葉は、銀時の性格にしてみれば滅多に発されないものだ。

「…これからは気ィつけるようにするから…会いたくないなんて言うな」
「!、…銀ちゃん?」
「酷い事言ったって構わねーよ、ぶん殴られたって構わねーよ…名前ちゃんならな」

けれども、避けられるのは耐えられない。
最後の本音だけは言葉としては語られずに、抱き締めを強くする腕が語っていて名前は小さく噴き出した。
あぁ、自分の知っている銀時だと安堵と共に不安も途端に失せる。
同時に、自分の気持ちをこうも変えられるのは銀時しかいないのだとも。

「うん、私も銀ちゃんの事傷つけてごめんね…まだよく分からないけど、これからは気をつけるようにするから」
「あーあ、違ェって…おめェは悪くねーの、全部俺の問題なの」
「それでも私も考えないといけない事があるって、ヅラさんが言ってたから…私たち、お年頃なんだものね!」
「……」
「でもどんな時でも私の気持ちは変わらないから。それだけは銀ちゃんも覚えておいて」

背中越しの抱き締めが緩むと同時に、クルリと振り向いた名前はキラキラとした瞳で銀時を見上げる。
「ね!」と意気込む様子は前向きに考えていくよという純粋な気持ちしかないのだと痛いほど伝わる。
それでも、引きつり笑いの銀時の心中で再び葛藤が起こっている事は残念ながら読み取れずで。
すっかり調子の戻った様子で、にこやかにとどめを刺した。

「私は銀ちゃんが一番大好きだよ」
(ぜんっぜん分かってねーんですけど!?なにこの『私を好きに食べて?』的にリボン巻いてスタンバッてるの!?そういうお誘いだろ!コレそういうアレ的なアレだろォォ!)
「?」

首を傾げる名前に対しては、上を仰ぐ事で表情を見せてやらない。
と、これがこれからも続くのかと思うと更に心中大嵐な状態になるのであった。

とどのつまり、悩める世代というもので。
銀時の気持ちを名前が理解できるようになるのはもう少し先…攘夷戦争に身を投じるようになってからであった。

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