64. 勝利への疾走




ジョルノがチョコラータを仕留めた後、ローマ市内に蔓延していたカビはその勢力を一気に失くし、惨劇は納まりつつあった。
ミスタの治癒はもちろんの事、ヴィスカの身体に回った薬についても、ジョルノが半分程は取り切る事に成功する。
その甲斐あってか、それまで足の覚束なかったヴィスカは立って喋れるまでには回復していたーーのだが。

「ヴィスカ、大丈夫ですか?」
「うんーー、大丈夫。たまに世界が万華鏡を覗いたように見えるけれど」

「おい、マンゲキョウって何だよ」

ヴィスカの放った聞きなれない単語に、すかさずミスタが余念の一切感じられない口調で口を挟んだ。
それに対し、ジョルノは手で大雑把な形を作る。

「万華鏡…それは日本のおもちゃですね。コルネッタくらいの筒状のーー…」
「GIAPPONE!!Ancora!?」

まーたニッポンかよ!、ミスタは辟易した様子で叫んだ後、ジョルノに詰め寄った。

「で、それが何なんだよッ」
「筒の中身が鏡面になっているので、それを覗くと景色が反射して何重にもなって映るんです。ヴィスカが言いたいのはつまり、建物や人間の顔が複数にぼやけて見えるって事かと思いますけど」
「はぁ?それヤベーだろ!おいヴィスカ!そうなのか!?」

ヴィスカはなんだか申し訳ない気分だった。
変な例えをしたばっかりに、この場を(特にミスタを)ややこしくしてしまった気がする。

「た、たまにね…。今はだいぶ楽よ。まったくーーアイツ、とんでもない物を私に打ってくれたわ」

苦笑いをして答えると、傍にいたピストルズたちが顔を輝かせた。

「ヴィスカ、ソレ、楽シソウダナー!」
「オレモマンゲキョウ見テミタインダゼー」
「オレモー!ジョルノトヴィスカダケ知ッテルナンテ、悔シイモンナ!」
「オイ!楽シイワケ、無イダロッ!大変ナンダゼ!」

リーダーのNo.1以外は状況を把握できていないのか、まるで女学生のように楽しそうにお喋りをしている。
その様子に、ヴィスカは顔を綻ばせた。

「そんなに気になるなら、今度見せてあげる」
「エー!ホントカッ!?」
「うん。イタリアにも似たようなのがあると思うからね」
「エ〜〜、ドウセナラ俺タチもGIAPPONEニ行キタイナ〜」
「行キタイゼ〜〜!」
「日本に?」

ヴィスカはミスタの顔をちらりと覗き見る。
けれど彼は今、さも不平たっぷりな顔をしてジョルノに小言を漏らしている最中で、この会話には気づいていないようであった。

「…いいよ。今度案内してあげる」

まるで秘密を共有するようにーーヴィスカはピストルズたちだけに聞えるように、そっと小声で囁いた。
ヤッター、と嬉しそうに歓声を上げる彼らを前にすると、つい口元が緩んでしまって、慌てて彼女は口元を手で覆った。
こうして自分が彼らと"だけ"楽し気に話していると、ミスタがまた、とやかく言いに来るかもしれないと思ったのだ。ピストルズびいきだ!とかなんとか言って。
でも実際、彼らのおかげで、強張っていた筋肉がーー、緊張が、大分和らいだような気もする。
ありがとう、と告げるも、彼らは相変わらず良く分かっていないようであったけど。

「チックショ〜〜…、絶対に許さねぇ‥…あのクソ変態ゴミ野郎が……マジでぶっ殺す…‥」
「ミスタ、多分彼は死にましたよ」
「ンな事分かってるっつーの。俺が言いてェのは、死んでも許さねぇって事」

一方で険しい表情のミスタは不愉快そうにそう吐き捨てると、つかつかとヴィスカに近づき、顔を近づけた。
ピストルズのうちの誰かが、可愛らしく「きゃっ」と声をあげる。

「あーあーあー、俺の可愛い可愛いヴィスカをよォ、こんなにしちまって」
「……ミスタ、ち、近いって」

顔を背けるヴィスカにいつもなら楽し気にニンマリとするミスタも、今回ばかりは哀しそうに目を伏せている。

「悪かった、何もできなくて。結局ジョルノに良い所を持ってかれちまった」
「何言ってるの?ミスタが最初にピストルズで斥候を出してくれたから、私はいきなり飛び込まずに慎重に行けたのよ。そうでしょ?」

その言葉に、ミスタのみならずピストルズも多少自信を取り戻したのか、顕著に表情に晴れ間が戻っている。
ミスタに至っては、どこか照れくさそうにもしていた。

「……それならよォーー…、まぁ、いいんだけど。辛くねーか?大丈夫か?」
「うん、今はね」
「代われるものなら俺が代わってやりたい。つーかよォ、一体何を打たれちまったんだよ」
「……」

ヴィスカは口ごもった。今までなら、とてもじゃないけれど口に出せなかっただろう。
また要らぬ心配をかけさせる事になると。けれど、自分も、仲間ももう、後悔させることはしたくない。

「死刑に使われる薬を打ったと、言っていたわ」

その言葉に、それまでの和やかな空気は消え、ジョルノもミスタも言葉を失った。
丁度その時だった。携帯電話の着信音があたりにけたたましく響きわたったのは。





セッコは、チョコラータが電話に出ない事を焦っていた。
暫く着信を鳴らしていたがやがて諦め、チョコラータからの留守録が2件ある事に気づき、留守電を聞く。
1件目には、拳銃使いのミスタを仕留めたという"良い"知らせだった。ご褒美である角砂糖を5つも貰える事もあり、セッコは上機嫌に電話を切る事になる。
そして2件目の留守録はーー、女を捕えたという、"とびきり良い"知らせだった。これにはセッコも破顔せざるを得ない。

「うへっ!!うへへへッ!!さすがチョコラータだ!!」

不気味に小躍りを始めたセッコを前に、目の前で構えていたブチャラティは眉を潜めた。

「急に…なんだ…コイツ……」

しかしその踊りは長くは続かない。
周りで倒れていた人間から少しずつカビが無くなっていくのだ。その光景を前にして、セッコは不気味な動きを辞め、急に慌てふためき始めた。
どうやら電話の朗報に反して、チョコラータはやられてしまったらしい。

「なっ…!なんでだっ!?電話では、成功したってーー…!」
「おい、お前の"主人"はやられちまったようだぜ?」

ブチャラティはフン、と鼻を鳴らすと、驚きに満ちていたセッコの顔は怒りで赤くなった。
しかし、その怒りはどうやらブチャラティに向けたものではないらしい。セッコは口元まで覆っていたマスクをずらし、怒りの声を露わにする。

「クソチョコラータがッ!!」
「……な、なんだ?」
「角砂糖もくれるしよォ〜〜強いから今まで一緒にいてやったけど!!弱いじゃあねーかッ!カスが!」

セッコは握っていた携帯電話を投げ捨てる。それからは悪口雑言の嵐だった。
今まで行儀よく付き従っていた姿からはとても想像できない言葉の数々に、ブチャラティは呆気に取られ無言で見つめていたのだがーー、セッコがふと思い出したようにくるりと振り返って投げ捨てた言葉に、耳を疑う事になる。

「うへ…ヴィスカ…‥とか言ったか?あの女はもう助からねーかもしれないぜ」
「………おい、どういう事だ」
「うへうへッ!その顔!その顔だよォ!!チョコラータはやられちまったけどよォーー、お前には一泡吹かせられるぜぇ、ブチャラティ〜〜!」

「俺はもう一度しか聞かないぞ。"それは一体、どういう事だ"」

ゆっくりと、しかし確実にブチャラティの口から紡がれた言葉に、セッコは全身を硬直させた。
今まで味わった事の無い殺気だった。

「チョ、チョコラータが患者をおもちゃにする時に使っていたクスリだ。それを女に打ったって……あれを沢山打たれた奴らはそのうち死ぬんだぜ」

打ったのは大人しくさせるためと、道中を楽しむためだったらしいけどッ!と、セッコは捲し立てた。
口を滑らせてから、これは言わぬべき情報だったと気づく。セッコは足が震えだした。ブチャラティの淀みない眼差しが、恐ろしくてたまらないのだ。

「ちっ…ちくしょう!!こんな事になるなら、言わなきゃ良かったぜ!!」

セッコは急いで向きを変え、コロッセオへと向かいだす。
ブチャラティたちの目的地がコロッセオであり、ボスの秘密を知る何者かが待っている事を、チョコラータからの伝言で知ったのだ。
本来はそこでヘリと落ち合うはずだったが、チョコラータがやられてしまった今、なんとしても1人で阻止せねばいけない。ボスの期待を裏切るような事はしたくないのだ。彼は"チョコラータと違って強い"から。

「……いいさ。行くがいい。それよりも早く俺がお前を仕留める。この手で、絶対にだ」

スティッキィ・フィンガーズが伸びる。縦横無尽に怒りのジッパーが張り巡らされ、セッコの行く手を塞いだ。





「幻惑剤……僕も聞いたことがあります。直接的には死に至らせない薬らしいですが」
「じゃあ死刑に使われるって一体どーいう事なんだよッ!!!」
「死ぬ前の不安を和らげるために幻覚を見せるんです。死に際の恐怖と言ったら、想像を絶するでしょうから。もしかしたら認知されていないだけで、終末医療などにも使われてるかもしれません」
「なーーッ……」

コロッセオまでの道のりを走るジョルノとミスタの2名は、お互いに息を切らしながら顔を見あわせた。
ヴィスカは亀の中で、ナランチャの隣のソファで身体を休めている。とにかく水を大量に飲んで寝ていろ、と無理矢理寝かされたのだ。

「ヴィスカが言うには痛みは一瞬とのことで、大量に打たれた訳では無いようです。命に別状はないと思います。だからきっと大丈夫です…‥きっと」

発言の内容とは裏腹に、ジョルノにはいつものような余裕が感じられない。心なしか顔色も青く、見ている方を不安にさせる。
その様子にミスタは目を逸らした。いつものように、毅然とした態度で、少し憎らしいあの涼しい笑顔を見せてほしいとさえ思う。
けれどそれは叶いそうにない。ミスタは引きつった顔で、無理矢理白い歯を見せた。

「ジョルノ……頼む、笑ってくれ」
「無理言わないでください」
「だぁああッ!!クソッ!!」
「コロッセオに急ぎましょう。大丈夫です。最善を尽くしました。ヴィスカは助かります……必ず」

きっと、が、必ず、へ。ジョルノは語尾を強め、もう一度言った。
安心させたいのか、わざと言っているのかの判断がミスタにはつかなかった。たまにジョルノは、素でこちらの不安を煽るような事を言う。彼にはそんな気は微塵も無いのかもしれないが、時たまミスタは返答に困る時があるのだ。
まあ、ここは変に勘繰らず、彼の言う事を素直に信じる方が良いだろう。ーー命に別状はない。

それから暫くの間、石畳に2人の靴底が当たる音が一定のリズムで響き続ける。

「……なあジョルノ。お前の能力には感謝してもしきれねーくらいだ」
「ーーどうしたんですか、急に」
「1度だけじゃあねェ。ヴィスカを何度も助けてくれただろ」
「当たり前ですよ。"仲間"なんですから」

わざと強調されたその言葉に、ミスタは片方の眉毛をピクリと動かした。

「ヴィスカもよォ、お前には大分心を開いてるみたいだしィ?感謝してるだろうぜ。秘密を共有したりだとか…ゴニョゴニョ…そりゃあ、"同郷"って事で、気が合う所もあるだろーよ」
「……はぁ?」
「でもまァその…正直言うとよォ、俺はお前には手を引いて欲しいって思ってんのよ」
「ーーはい?何の事ですか?」

あくまでしらを切ろうとするジョルノに対し、ミスタはジト、と睨んでからぶっきらぼうに言い放つ。

「おい。今の話の流れからして分かんねーかな」

それに対し、ジョルノは悪びれる風もなく答えた。

「ヴィスカの事ですか?」
「分かってんなら、聞き返すなよ」
「ヴィスカから手を引けって?」
「ああ、そうだ。悪いが俺は本気なんだ。揶揄い半分でそそのかしてるお前とは違ってーー」
「悪いけれどミスタ、僕は揶揄い半分なんかじゃあありませんよ。"だいぶ"本気です」

話に気を取られたミスタを差し置いて、ジョルノは走る速度を上げた。
それまで揃っていた足並みが崩れ、ジョルノはミスタより一歩先を走っている。

「ミスタ、ヴィスカの身体についた傷の事、知ってましたか?」

ヴィスカの傷、と聞いて、ミスタの心臓はビクリと跳ねた。

「……は?な、なんだよ、急に」
「彼女の胸に、深いナイフの切り傷があったんです。見る限り、最近できたものでした」
「おーー…おう」
「それを始めて見た時、僕はーー僕なら、自分の愛する人に絶対にこんな傷を作らせないのに、と思いました」
「ーー…」
「そしてそれを、僕はヴィスカに伝えました。今と同じような言葉で。ヴィスカの瞳は揺らいでいましたよ。少なくとも僕の目には、そう映りました」
「‥‥…へェーー、そうかい」
「僕は彼女の全てを受け入れて、全てを癒す事ができる。僕こそ、ヴィスカに相応しいと思います。それは譲れない」

それに対し、ミスタは「ふーん」と、言葉を漏らした。相変わらずミスタは、ジョルノを追い抜こうとする気配は無い。
気を良くして、ジョルノはペースを保っていたのだが。

「あの傷はーー、俺が作っちまったヤツだ。だからそれを治してくれたのは礼を言うぜ」
「……ああ…ミスタ、あなただったんですね。ジッパーが付いていたので、てっきりブチャラティかと……」
「おいおい、今さら気を遣うなよ。分かってたんだろ?」
「いや、僕はーー…」

素なのか猫を被っているのか。戸惑いを見せるジョルノに対し、今度はミスタが一歩大きく踏み込み、ジョルノを追い越した。
とりわけ大きく、ブーツのソール音が響く。ミスタは振り返ってニタリと笑った。

「だからよォ、"俺が"最後まで責任を持ってアイツを見てやる必要があると思うのよ。傷モノにしちまったのは俺だしィ〜〜、もう俺が引き取るしかねーよなァ〜」
「……傷はもう消えてるんです。だからその必要はありません」
「まァでも、つけちゃったものはつけちゃったもんね〜〜」
「……」

もう何を言っても無駄だと判断したのか、すっかり黙りこくってしまったジョルノに対し、ミスタはふん、と控え目に鼻を鳴らした。

「正直、お前ってただのスケコマシ野郎だと思ってたわ。でも今ので分かったぜ。お前も本気なんだって事が」
「スケコマシなんて心外だな……」
「悪いけど、俺のピストルズたちもヴィスカの癒し担当だからな?さっきも何か話して笑ってただろ。そこは理解しておいて欲しいとこだわ」

ミスタらしいその言葉に、ジョルノは皮肉とかそういう事は関係なしに、自然と笑みを漏らした。速度を上げて横に並んだが、相変わらずミスタは真っ直ぐ前を見続けている。

「2人の恋路には敵が多い方が燃えるだろ?ジョルノ。"お前の"正論をぶちかまそうが俺は微塵も怯まねー。覚悟しとけよ」
「ふふ、ミスタの威勢の良い所、僕は好きですよ」
「Grazie.俺もお前の小憎たらしい笑顔が大好きだぜ」
「小憎たらしい…‥ですか‥。まぁ、ここで僕たちがどうこう言っても、決めるのはヴィスカですからね」
「ああ、そうだな。俺たちがどう足掻こうと、最後に選ぶのはアイツだ」
「彼女には答えを出すまで頑張ってもらわないと」

「ーー…ヴィスカの隣も、ブチャラティの右腕の座も、俺は両方絶対に譲らねェからな」

チョコラータを仕留め、カビの惨事は終わった。これからヴィスカもナランチャも無事に回復するだろう。地中の男を倒したブチャラティと合流してーーそれから、謎の男と落ち合う。
矢を手に入れ、ボスを見つけ出し、彼を倒して、すべて終わらせる。大丈夫。すべてが望むように、良い様に進んでいる。
大丈夫だ。これ以上誰も欠けることなく、俺たちは勝利を掴む。
ミスタは汗で湿った手を強く握りしめた。

コロッセオは目前に迫っている。

「さァ、俺たちの"希望"がお待ちかねだぞ」



64. 勝利への疾走 end


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