10


夷隅家は、いつも穏やかな空気が漂っている温かい家だった。優しく気の良い祖父母と明るく可愛らしい孫娘が三人で暮らしていて煉獄は夷隅家が大好きだった。初めて訪れた時からなんだか心地が良く祖父母はとても良くしてくれる。そして孫娘の莎弥と話すのがいつも楽しみで仕方がなかったのだ。

なのに。

「あら、煉獄さんではありませんか…」
「胡蝶!!」

何故こんな事になったのか。
むせ返るような鬼の匂い、生臭い血、家中に漂う悲しみの空気…それらは皆夷隅家には相応しくないものばかりだ。煉獄が夷隅家に到着すると既に隠らが死んだ鬼殺隊士の遺体を運んだりと作業をしていて、煉獄が家の中に進んで行くと隠の指揮を取る胡蝶しのぶの姿を見つけた。

「この家の主達は無事なのか?!」
「えぇ、御夫婦二人は今手当てをしてこちらの部屋に…」

いらっしゃいます、としのぶが言い終わるのを待たずに煉獄はしのぶに指された部屋の襖を勢い良く開けた。そこはいつも食事をする広い座敷の部屋だった。ぐるりと見渡せば座敷のあちらこちらに血の痕や鬼殺隊士の技や鬼の血鬼術で出来た亀裂等が残っていて、隅の方に目をやるといつも世話になっている祖父母の姿を見つけたので煉獄は足早に駆け寄った。

「御祖父!御祖母!」
「おお…煉獄様…!」
「動いてはいけない御祖父!酷い怪我をしているではないか!」
「なあに、たいした事はありません。胡蝶さんに看て貰いましたから…痛みも段々とひいてきておりますゆえ」

煉獄の声に顔を上げる祖父母。どちらも疲れて力なく憔悴しきっているようで祖父は怪我をしながらもヨロヨロと立ち上がって煉獄を迎える。鬼殺隊士でもないのにこんなにも酷い怪我を負って、ああ、もっと早く到着していればと煉獄は唇を噛み締めた。

…一時間程前。
夷隅家に向う途中で藤の花の家紋の家が鬼に襲われた、と鎹烏から報せを受けて煉獄が嫌な予感がした。鎹烏が言う方向は今まさに自分が目指している方向でその嫌な予感はどうか外れていてくれと思いながら煉獄は夷隅家に向う足を速めた。だがその予感は当たってしまった。鬼に襲われた藤の花の家紋の家と言うのは夷隅家の事で、その場に居た鬼殺隊士は一人は重傷であとの二人は殺され、鬼は既に立ち去った後だったのだ。

「あまり無茶をしてはいけない!さぁ、座って」
「すみません、煉獄様…」

煉獄は祖父の肩にソッと触れるとやんわりと押して彼を座らせるとありがとう煉獄様を言って祖母が頭を下げる。いつも穏やかな笑みを浮かべていたこの夫婦…なのに今目の前にある夫婦の笑顔はとても痛々しい。無理に笑って煉獄に心配掛けさせまいとしているのか、煉獄が心が痛んだ。

「…しかし、二人が生きていて本当に良かった。鬼に襲われたと聞いた時、俺は、一番最悪な状況を思い浮かべてしまっていたんだ」

一番最悪な状況…それは家の者が鬼に殺されている事だ。怪我をしてしまったが祖父母は生きていた。しのぶが居てくれたので的確な処置をしてくれただろうし祖父の怪我も心配はいらないだろう。だから祖父母の無事を確認した今煉獄は知りたくて堪らないのが。

「莎弥、莎弥はどこに居るのですか!」

莎弥の事だ。今晩は家で莎弥の誕生日を祝うから家に居るはず…なのに莎弥の姿がどこにも見当たらない。莎弥はどうしたのか、莎弥は無事なのか、煉獄は莎弥の姿が見たくて仕方が無かった。すると莎弥、と名を出した途端祖母がジワリと涙を浮かべ顔を手で覆い泣き出した。ごめん、ごめんね莎弥ちゃんと言っていて祖父は辛そうに目を細め煉獄を見る。

「煉獄様や、莎弥は、莎弥は…!」

祖父もまた唇を噛み締め煉獄を見ると悔しそうに涙を流しそして頭を垂れて声を振り絞るようにしながら言った。

「莎弥は、っ鬼、鬼めに、っ連れて行かれましたぁ…!」

莎弥は、鬼に、連れて行かれた。

「なんだと…!?」

その言葉を聞いて煉獄が眩暈がした。

「それは本当なのか!」
「はい…鬼は…約束をしたと言って莎弥を娶りに来たのです…!」

それから祖父は鬼が来た経緯を煉獄に話してくれた。鬼は莎弥が十五になったら嫁に貰うと死んだ莎弥の両親と約束をした事、そしてその約束を果たす為に莎弥を迎えに来て連れ去ったと言う事。その話を聞いて煉獄は怒りで震える。人を喰う事で力を得る鬼が、人間の娘を嫁にする?そんな馬鹿な事があってなるものか。ああ、なんという悲劇が起きてしまったのだ。

「何故だ!そんな事があったのなら何故俺に話してくれなかった!」

知っていれば、莎弥の側に居たのに。命に代えても莎弥を守り抜くため戦ったのに、どうして言ってくれなかったのだと悔しさからの八つ当たりか煉獄は祖父母を睨みつけるように見てしまった。

「煉獄様は直炎柱とも言われる力のあるお方…そんなお方の力を莎弥一人に使えるはずがありません…」
「なにを言う!!!」

煉獄の声にビクリと身体を強張らせる祖父母。

「大切な人を守れずして柱になどなれるものか!!!俺は、俺は…!」

煉獄はやり場の無い怒りをぶつけるようにダンと音を立てて座敷の畳を拳で殴りつける。

「煉獄様や…」

祖父母も、襖の向こうで作業をしていたしのぶも、こうも感情を露にする煉獄を見るのは初めてだった。煉獄は自分の拳を一点に見つめ黙っていたが、意を決したようにスッと顔を上げると真っ直ぐな視線で祖父母を見る。

「…莎弥はまだ、死んだ訳ではない」
「煉獄様…!」
「その鬼が本当に莎弥に嫁にする気であれば、莎弥を殺して喰う事はないだろう」

鬼に人を想う気持ちがあるとは思えない…だが喰うつもりであればその場で莎弥を殺しそして祖父母の事も殺していただろう。それをしていないと言う事は本気で莎弥を妻にする気でいるのかもしれない。鬼がそこまで莎弥を想うのならばそれでいい、莎弥が、生きているのであれば。

「御祖父、御祖母。俺は今日、莎弥に言おうと決めていた事があったんだ」

本当は、まずは莎弥に伝えたかった。

「俺は、今日、莎弥に結婚を申し込もうと決めていた」

莎弥の事が好きだ、俺と夫婦めおとになって欲しい。
煉獄はそう伝えるつもりだった。本人に、莎弥に、直接伝える事が出来ればどんなに良かったか。煉獄の真剣な表情を見てその想いが冗談や嘘などではないと分かった祖父母は。

「そうでしたか…そうでしたか…!それを聞いたら…莎弥はどんなに喜んだ事でしょうか…!」

一瞬驚いた表情を見せたが祖母は再び涙を流し、祖父は嬉しそうに弱々しく笑った。祖父母は莎弥から煉獄に対する想いを直接聞いた事はないが莎弥が赤子だった頃から育ててきた二人だから分かる。莎弥は煉獄が家に来ると報せを受けた時はいつも楽しそうにしていたし煉獄と話す時の莎弥はそれはそれは可愛らしい顔をしていた…きっと、莎弥も、煉獄の事が好きだったはずだ。

「…きっと、十五になったばかりの莎弥にとって、煉獄様は莎弥の初恋相手だった事でしょう」

莎弥を好いてくれた男が煉獄様のようなお方で…本当に、本当に良かった。
祖父のその言葉を聞いて煉獄は立ち上がる。

「俺は、今日この日以上に自分を情けないと思った事はない!そして今日この日以上に鬼が憎いと思った事はない!!」
「煉獄様…!」
「俺はこれからも莎弥を探し続ける。莎弥をこの手で抱き締めるまで、俺は絶対に諦めない!」

必ず助けるから、どうか、それまで無事で居てくれ。
こんなにも非力で、すまない莎弥。
不甲斐無くて、すまない莎弥。

煉獄は涙を流していたが悲しそうではなかった。莎弥の事を必ず救うと決意し、煉獄はこれからも莎弥を想い続けて行こうと、固く、誓ったのだった。

 


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -