推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ File.3 江戸川コナンの証言(34.2)

 オレが彼女に初めて会ったのは、長野でのことだった。服部を音声データで揺すって紹介された、鎌鼬の謎を解いた時だ。あのデータを消してくれという説得のため服部に連れ出され、旅館近くの自動販売機に飲み物を買いに来た彼女と出くわした。
 こちらに気付いてにこりと愛想笑いを浮かべた時は、人当たり良さそうだな、くらいで、特段何も思わなかった。しかし、どうも服部は彼女のことを知っているらしい。ちょっと、の割に服部が露骨に警戒心を見せる姿にが引っかかり、子供という立場を活用して名前を聞き出した。警戒心の無さを窘めるため、屈んでオレと視線を合わせた彼女からは、飲んだばかりなのだろう、微かに甘いココアの匂いがした。
 関西弁を話す彼女は、どうも本当にそっちに住んでいるらしい。とはいえ、長野で出会うなんて、世間って狭えな、くらいにしかその時は思わなかった。
 だが、服部から早々にその場から逃げ去った彼女のことを聞いて、少し興味が湧いた。容疑者されても動じず、一方で国会図書館での不可解な閲覧履歴と誤魔化しに挙げたあのコソ泥の話を聞き、その名前を頭の片隅に残した。



 偶然ってのは、重なるものらしい。和葉ちゃんとイルミネーションを見るためにわざわざこっちに来た服部と二人、蘭と和葉ちゃんが小五郎のおっちゃんの晩飯を用意するのをポアロで待った。店に入ると、一番奥の席に荷物と食べかけのチーズケーキとアイスコーヒーが置かれている。それ以外に客の気配はない。唯一であるその客も姿が見えないが、鞄からすると女性だろうな、くらいのものでそこまで気に留めなかった。注文を取ったのは安室さんだし、向かいに座ったのは服部だから子供らしさを今更アピールする必要もないので、好きなアイスコーヒーを頼んで、蘭と和葉ちゃんを待ちながら、服部の今旅行での目的について話をした。
 気付けば女性客は席に戻っていたが、オレの興味は別なものに向いていた。予約客がトイレに籠るため背後を通ったからか、彼女が振り返った。
 おいおい、偶然にも程があるぜ、と思ったのは仕方ないはずだ。だって、彼女はポアロの看板娘の友人だというのだから。わざわざ大阪からポアロに遊びにくるというのがまた、何か後暗い意図があるにしてはあからさまだ。今まで見かけたことがあったっけな、と一瞬考えたがそこまで覚えているはずがない。安室さんがいるくらいだし組織関係か、はたまた別の何かか、という案も、不審っぷりが露骨で逆に却下した。目立ち過ぎる。もうちょっとうまくやるだろ、普通。
「おい工藤、お前どう思う?」
 彼女を睨みながら、服部が手を口元にやって声をひそめた。
「どうって言われても……ありゃシロだろ」
「それにしては怪しすぎるっちゅー話や」
「……穿ち過ぎだろ。疑心暗鬼になってんじゃねーか?」
「工藤こそカンが鈍っとるんやないか? ウェイトレスの姉ちゃんが言うんからここに通とるんはホンマやろな。せやから余計、得体が知れへん」
 ふうん、とアイスコーヒーに口をつける。
「図書館、鎌鼬……ほんで喫茶店。今度こそ正体暴いたる……いや、今日は錦座のイルミネーション行かなあかん」
「はは……」
 ガシガシと頭をかいて悩む服部に、乾いた笑いが漏れた。視線を話題の人に移すと、一口大に切ったチーズケーキを食べるでもなく、俯いていた。こちらに背を向けているから、席的には斜めと言えど表情はよく見えない。首を傾げてあからさまにならない程度に覗き込めば、影のある表情で、フォークは持たずに手を組んで親指は腕時計の文字盤を撫でている。なんだろう、と思っていると、安室さんが構いに向かった。これだからイケメンは、と思った。

 そして停電による暗がりで、事件は起きた。正直、凶器の刃渡りから、完全に死んだと思った。けど、彼女は違った。真っ青な顔で止血しようと動く彼女を、服部が止める。はなっから犯人だと疑っているのは露骨だった。すまん、と大して悪びれた風もなく軽く謝った服部から解放され、すぐさま救命に動く。体格差から、俯いた彼女の表情がオレだけに見えた。ぐっと下唇を噛み、目を赤くした彼女の目に浮かんだのは、きっと悔し涙だ。
 バーロー、やっぱりシロじゃねえか。
 安室さんがタオルを持ってきて選手交代する。手のひらにべったり付いた血を洗うでもなく、その場で力なく被害者を、いや、被害者と安室さんを見ていた。
 特段凄惨な事件でもなく、なんなら被害者が生きている事件でここまで動揺するもんなんだな。彼女という人間の善良さを垣間見た気がして、後で謝っとけよ、と服部を小突いた。

 心ここに在らずといった様相の彼女は、腕時計のついた自分の手首をもう片方の手で掴み、壁にもたれてポアロを眺めていた。気にはなったが、事件が優先だ。だから考えるゆとりができたのは、所持品検査を待っている時だ。
「梓姉ちゃん、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「あの人の好きな物ってなあに?」
 オレに合わせて屈んだ彼女の友人に、平次兄ちゃんが疑って悪かったって謝りたいんだって、という口実を述べる。もちろん服部が言うはずもなく、触るなと、服部と一緒に叫んでしまったのを、少し申し訳なく思っていた。それくらいには、まだ顔が青い。
「よく頼むものとか」
「いつもアイスコーヒーとカラスミパスタだけど……うーん、甘い物全般は好きみたい。でも、そこまでしなくても、全然怒ってないと思うな」
「そうかなあ」
 気付けば安室さんが彼女を座らせて、紅茶をすすめていた。
「うん、むしろ気を使っ……先越されちゃったね」
「……だね」
 紅茶の匂いを嗅いで、ゆっくりとカップを傾けた彼女は、幾許か顔色がましになったような気がする。
「安室さんに出し抜かれた……私が暖かい飲み物出そうと思ってたのに……」
 打ちひしがれる姿に、二人ってほんとに仲良いんだね、と笑った。
「くぅ、これぞ安室マジック。やだ、もっていかれちゃう……!」
「梓姉ちゃん落ち着いて」
 まあ、惚れる心配したくもなるよな。でも忙しいだろう安室さんだから、発展は微塵もしなさそうだ。良かったね、梓姉ちゃん。

 事件を解きつつもしきりに時間を気にする服部に、ちょっと呆れた。無理すんな、と言ったら、言葉が十倍になって返ってきそうだ。
 謎も解けた、犯人も分かった、被害者だって生きていた。でもまだ何か、引っかかる。服部は和葉ちゃんに連れ去られて帰ったし、和田進一というあからさまな偽名を名乗った不審な男も消えた。あの男は何者だったんだ。やつの動きを遡る。気付いた時にはもう隣で紅茶を──紅茶?
 そうだ、おかしいんだ。いつもアイスコーヒーを頼む常連に、安室さんは紅茶で落ち着かせようとした。そこから弾き出されるものは、元から知り合いだった、という可能性だ。これが安室さんじゃなかったら、引っかからない。いつもの飲み物でも、甘い飲み物でもない、それを周囲に敏感なあの男が差し出したことが、違和感の正体だ。初対面だったという可能性もあるが、それにしては親しげに映ったが。あの動揺が演技には見えねえし、公安ではなさそうだな。となると、協力者ってやつだろうか。善良な市民……そういうことも、あるかもしれない。
 服部、小突いて悪かったな。心の中で謝り、事情聴取を受ける彼女の身分証から勤務先を記憶し、そして終わった彼女に少し申し訳なく思いつつ、何か得られるのではと背後からコートの裾、目立たない裏側に盗聴機能のついた発信機を取り付けた。……よし、安室さんにバレてねえな。そのまま回り込んで大丈夫なの、と声をかけた。
 一瞬きょとんとして、それから笑って屈んで視線を同じくするところは、類は友を呼ぶということなのだろう、似ていると思った。
「うん。ありがと、名探偵くん。今日はご苦労さん」
「ボ、ボクは何もしてないよ! 解決したのは平次兄ちゃんと安室さんだよ」
 にこりと笑う彼女に、目の奥に宿る何かに、ほんの少しだけ見蕩れた。次いで、子供らしく無さ過ぎたかと焦った。誤魔化すように彼女から視線を逸らし、話題にあげた安室さんを見た。店員同士、距離が近く親しげに話をしている。
「──そ、っかあ」
 オレにだけ聞こえた揺らいだ声に、彼女へと視線が引き戻された。一瞬傷ついた瞳が見えたが、頭に手が置かれて強制的に下を向かされた。そして、彼女はそっと店から出ていった。
 カラン、と静かに音を立てたドアに反応したのは安室さんだ。店内に視線を走らせて音の主を理解し、一瞬浮かぶ焦燥。しかし店員は二人まとめて事情聴取に呼ばれてしまい、すぐにいつもの笑顔に戻って対応している。
 なんだ、今のは。事件のために予定の仕事が果たせなかったのか? いや、一瞬言葉を飲み込んだような素振りは、そういった雰囲気でもなかった。しかし、少なくとも同僚の友人に対する安室さんの対応でもなかった。一瞬とはいえ表情を変えた安室さんが、平然とポアロのシフトをすっぽかす安室さんが、追いかけない。何を隠しているんだ。ゼロと呼ばれてリアクションを示したあの時を思い出した。
 何かないのか、と見回した店内で、ソファ席の端に置かれた鞄が目に付いた。おいおい、嘘だろ……動揺にも程があるぜ。ポアロから一歩出て道路を探すと、早歩きどころかほぼ走っている彼女を見つけた。
「しゃーねえな」
 追跡メガネを作動させ、店内に戻って彼女の鞄を抱えて、追いかけた。

 やっと止まった。女性にしては思いの外速かったし、持久力もあった。何かやってるんだろうか、と思いながら信号待ちで息を整えて鞄を持ち直す。まじかあ、と掠れた声を盗聴器が拾った。誰かといるのか、それとも独り言か。鞄からスマホについた大きなペンギンがはみ出しているから、電話ではないのだろう。財布もこっちだから、やれることも限られている。少し中を探りかけた鞄を、躊躇って一旦戻した。オレが知りたいのはバーボンと、黒ずくめの組織のことであって、善良な女性の鞄を漁るのは気が引けた。財布を開けば個人情報が載っているだろうし、スマホをハッキングすれば安室さんに関して何か分かるかもしれない。少なくとも、彼女との関係性くらいは分かるんじゃないだろうか。──けど、こういうのは迂闊に乱用するもんじゃねえよな。
「梓姉ちゃん、意外と鋭いっつーか、鈍いっつーか」
 安室さんに取られるも何も、あの人はとっくに惚れてるだろ。
 青信号を渡って走り出すと、震える声が伝わって、どうも独り言らしい。位置的にはこの先の公園のはずだ。おそらく一人だろうが、油断は禁物、気配をできるだけ消しながら公園をさまよっていると、うぐ、という声が二重に聞こえた。──いた。
 暗がりで静かに近づくと、膝を濡らしていることに気付いてぎょっとした。

「失恋、しただけ」
 彼女はそう言った。そのくせ、安室さんのことが好きだとは言わなかった。
 自動販売機でホットコーヒーを買い、缶を取り出すため少し上がったコートから発信機を回収する。バックにチラつく安室さんを思うと、危ない綱渡りだ。いつあの人が現れるかと思うと気が気じゃなかったぜ……。
 甘いココアではなく苦いコーヒーをオレに渡したあたりから、開き直ったのかと思えた。要所要所で、こちらのことを知っているかのような錯覚を起こすが、本当にそうだとして、それを晒す理由が分からない。発信機を回収したのはミスだったかさえと思ったが、現時点、安室さんと敵対する要素を生み出すのは、得策ではない。職場は把握したし、服部に調べてもらえばいい。道はまだ繋がっている。

 嫌いじゃない、それが今のオレ達の関係性だ。根本的に、悪い人じゃないんだろう。でも、何かある。キーは、最後まで好きだとは言わなかった、安室さんだ。
 絶対、明らかにしてやる。

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