推しに尽くしたい話 | ナノ


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 空になったペットボトルをゴミ箱に捨てる。あれから疲れきって一旦ホテルに帰ることも考えたが、清掃中でも面倒なので有言実行、杯戸ショッピングモールに着いた。駅が見えていたのでまずは駅に行き、そこからは看板に従って迷いなくたどり着けるようになっていた。私のうろ覚えの記憶は正しかったようだ──ここの観覧車で、松田陣平は死んだ。昨年のことだという。モール近くで見つけた古い喫茶店に休憩がてら入り、マスターに雑談という名の聞き込みを行い得た情報である。
 昨年の事件などなかったかのように修復工事は完了し、連休の賑わいを見せている。彼の人の死亡現場を写真で記録でもしとこうか、記憶が薄れないように。
 昨年の十一月七日に爆発事件は起きた。このことで今は原作の二年前であることが判明した。萩原研二も、松田陣平も、きっと諸伏景光も既に亡くなっていると考えるのが妥当だ。もちろんこの世界が本当に原作通りなのか分からないし、まだ裏は取れていないので調べる必要がある。どうにもこちら側に関するネットニュースの記事はそう多くない。図書館で探さなければならないだろうが、履歴が残るようなことは気が進まないので一旦保留にする。
「あれ」
 ジーパンのポケットに入れていたはずのスマホがないことに気づいていた青ざめた。いや気づけよ自分。ガラケーの世でスマホを出すのは少し気が引けて、ランチの写真を撮って以来取り出した記憶がない。例に漏れず現代っ子なのでスマホがないと生きていけないというのに。
 モール内で公衆電話を見つけ出し、一縷の望みをかけて自分の電話番号をコールする。一回、二回、三回。善良な市民が拾ってくれていたらいいんやけど。
 コール音が途切れた。返事はないが誰かが出たようだ。
「もしもし、すみません! 私、そのケータイの持ち主なのですが落としてしまったみたいで。お時間とらせて大変申し訳ないのですが、受け取りに伺わせてください。もちろんそちらのご都合に合わせますので!」
「進藤さん、思ったより気づくのが遅かったな」
「──え」
 受話器越しのイケボに怯んだ。まじか。
「僕の車に落ちていたよ」
 降谷零はそう言ったが、彼が抜き取ったと考える方妥当か。いや、実際ジーパンの後ろポケットに入れていたはずだから落ちてもおかしくはないと考えを訂正する。ともあれ転売などされずに手元に戻ることをまずは喜ぶべきなのだろう。
「本当にすみません──ご都合のつく時はありますか? もちろんお伺いします。もし難しいようでしたら、お手数ですが着払いで送っていただけないでしょうか?」

 気付けば口車に乗せられて会うことになってしまった。これが組織の情報屋の力かと唸ったところで決まってしまったものは仕方ない。指定されたのは杯戸駅近くの喫茶店で、待つこと二時間。席が全て半個室になっている英国喫茶だ。紅茶をポットで頼んだ。昨日買った本はホテルに置いてきてしまったので道中に買った工藤優作の小説も読み終えてしまい、手持ち無沙汰となると本当に来るのだろうかと落ち着かない。ポアロでもしょっちゅうシフトを抜け出したり、また二次創作でみたドタキャン祭りを思うと不安しかない。追加の紅茶とスコーンを頼み、さらに小説の二週目に入って一時間半粘る。指定された時刻から一時間が経過した。本をしまって頭を抱える。忙しい人であることは承知しているこの程度の遅刻は織り込み済みだ。なんなら閉店まで待つ所存だ。モブなのにタスク増やして申し訳ない。せめて風見さんでもさっきの二人でも派遣してさくっと渡してくれたらいいのに。これだけの時間あるんだから解析されていてもおかしくはない。トークアプリから名探偵コナンに纏わる会話が丸ごとごっそり消え去っているのは確認済だ。それでも本当に下手なことを検索したり履歴が残っていないか問題がないかスマホの履歴を反芻する。
「やっぱ忙しいから郵送でってなんないかなあ」
 会いたさ半分、惹き込まれてしまう恐怖半分。読書という先延ばしも無くなった今、独り言が零れた。
「ひどい人だな、あなたは」
 顔をあげると、薄く笑う推しに見下ろされていた。やっば、聞かれてた。
 遅れてすまない、と言って向かいの席に着く。降谷零はおしぼりと水を持ってきた店員にダージリンを注文し、店員が去るとテーブルの中央に私のスマホを置いた。居座ってオハナシするつもりらしい。そうじゃないとわざわざ来たりはしないから当然の流れとも言える。
「ありがとうございます」
 受け取ってちらりと通知を確認する。トークアプリにメッセージが届いていたが緊急事項ではなさそうだ。既読をつけずにそのまま画面を落としてバッグにしまう。
「僕に会いたくなかったか」
「あー、いや。そんなことはないんですが」
 イケメンを前に言葉を濁す私に冗談だと肩を竦める。それから手を組んで顎を乗せ、じっとこちらを観察する気まずい時間が訪れた。しかしそう長くは続かず、救世主のような店員がポットの紅茶とカップ、それから砂時計を運んできて、軽く説明をして立ち去る。
「進藤さん、連絡先を聞いても構わないか」
「え。か、まわないですけど」
 てっきり尋問タイムだと思っていた。連絡先なんて住所名前職場の分かっているのだから聞かずともどうでもなるだろうに。促されるがままにしまったばかりのスマホを取り出して連絡先を教える。じわじわ追い詰められるのだろうか、と不穏な思考が過ぎった。そんな大した人物じゃないですよ、と言いたいが原作知識がある分だけは大した人物とも言えてしまうのが辛いところだ。
 スマホが震え、メールが一通届いた。知らないアドレスからだ。考えるまでもなく目の前の人物からだろう。開くと十一桁の数字の羅列。ゼロから始まるそれは、電話番号だ。
「覚えたら廃棄してくれ」
 これは関西にも協力者がほしいということだろうか。確かに私の勤務先は総合病院であり、一人くらい知り合いがいれば便利といえば便利かもしれない。
「仕事の関係でね、僕はあまり連絡先を公開していないんだ。電話も非通知になる」
「分かりました」
「だが気が向いたらいつでも連絡してくれ。どんな内容でもいい。返事ができるかは分からないが善処する」
「どんな内容でもいいんですか?」
 それ一番困るやつやん。何食べたい? なんでもー、と一緒やん。肉か魚かくらい教えてくれてええんやで。
「いい」
「本当に?」
「本当に」
「なんでも?」
「なんでも、さ。妙なところで疑り深い人だな」
 そう言って可笑しそうに笑う。
「警戒心が足りないって言ったのはあなたですよ」
「そうだったな」
「それで名前も年も何も知らん人とメールしろって言うんですから、矛盾もいいところですよ」
「降谷だ。降谷零」
 本名きちゃったよ。漫画では透けてるからゼロというあだ名だったと言ったくらいだから、偽名ゴリ押しかと思ったんだけど予想が外れた。やっぱり協力者として相応しいかの判定が始まったのかな、まずは第一段階クリアってところか。
「降りる谷に数字の零で、降谷零」
「降谷さん」
「年は二十七だ」
「私より一つ上ですね」
「なんだ、見えないと言いたいのか」
「いいえ?」ベビーフェイスとは言うがな! というか肌綺麗だな。過労死に片足突っ込んだ生活してるはずなのに私よりずっと綺麗で複雑な気持ちになり、溜息を飲み込んで冷めきった紅茶を啜る。
 紅茶をカップに注ぐ降谷さんを尻目に一息ついてメールアドレスと電話番号を頭に叩き込み、メールを削除しさらにゴミ箱からも消去して画面を見せる。
「降谷さん、これでいいですか?」
「ああ、ありがとう」
 降谷さんに確認させると今度こそバッグにしまう。もう絶対になくさない、と固く誓った。
「さっきは急に飛び出したから驚いた」
「すみません、つい。でも降谷さんも急にいなくなってたから驚きましたよ」
 ちょっとした意趣返しだ。一時間遅刻はまあまあつらいぞ。降谷さんじゃなかったらおこだぞ。仮にそうであっても届けてもらう手前、言うことはないけど。
「ちょっと仕事で呼ばれてね」
 しれっと答える降谷さんに、嘘つけ目立つわけにいかないからだろ、心の中で突っ込みを入れる。
「日曜なのにお仕事大変そうですね。お節介ですけど、でもちゃんと休んでください。お休みあります?」
 ないと分かりきっているが心配せずにはいられない。それがファンというものだ。
「大丈夫だ。そう言うあなたの休みは土日か?」
「一応暦通りの土日祝ですね。公立病院なんでそんなもんです」
 残業はザラですけどという言葉は心の中に留めておく。比較対象があまりに悪すぎる。
「休日は何を?」
 めっちゃ探るやーん。怖い怖い。
「普通ですよ。友達とランチしたり、ジムに行ったり、映画をみたり」
 あとアニメ一気見したりオタ活してますなどとは言わない。絶対にだ。
「へえ」
 どれに対する相槌だ。さらに降谷さんが口を開こうとしたところで彼のケータイが鳴る。失礼、と一言詫びて席を立ちながら応答する。
「──僕だ」
 電話の相手は誰だろう。やっぱり風見さんかな。エース級の公安に連絡取れる人なんてそうそういないもんな。
「ああ、わかった。すぐ行く」
 店外に出るまでもなくすぐに電話を切ってこちらに向き直った。
「すまないが急な仕事が入った。旅行、楽しんで」
 愛想笑いするでもなく告げると、伝票を自然にかっさらって出ていった。イケメンかよ。イケメンだよ。ごちそうさまを言う時間さえなく颯爽と立ち去られてしまったあたりは、忙しないことだ。
「ほんまに、お疲れ様です」
 紅茶を飲み干してそっと呟く。空っぽになった自分のカップと、結局一切口を付けられることのなかった彼のカップがなんだか目に焼き付いた。

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