推しに尽くしたい話 | ナノ


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 文具屋に寄ってルーズリーフと手帳サイズの鍵付き日記帳を、それからコンビニで晩御飯とライターを買ってホテルにチェックインした。杯戸駅から徒歩五分のビジネスホテルだ。私は米花町に泊まるような自殺志願者じゃない。
 思い出せるだけの原作知識をルーズリーフに書き出し、コナンくんはみなみなどのメタ知識でもって暗号化して日記風になんとかまとめあげた頃には、すっかり空が白んでいた。日記であれば旅先で持ち歩き、鍵がかかっていても不審ではないはずという思考のもと、あとから思い出した分を書き出せるように余白も十分にとってある。存在してははならないこのルーズリーフは全て燃やして証拠隠滅し、日記の鍵を確認して仮眠を取るため布団に潜り込んだ。



 十時にかけたアラームで目を覚まし、ニュースをつける。環状線爆破予告犯は威力営業妨害罪で指名手配され、一家心中未遂で女が捕まり、よく知らない俳優が亡くなったとどこか物騒なニュースが立て続けに放送される。ニュースを眺めながら寝ぼけまなこで歯磨きをする。ナチュラルメイクを施してジーパンに薄手のニット、小ぶりなショルダーバッグという軽装になり、日記を入れたことをしっかりと確認してからホテルを出た。夜更かしの割にきちんと起きて昼前に出れたので、ネットで評判のイタリアンでランチをとることにして地図を頼りに店に向かう。ふと気づいたのだが、どうもこの世界の人間はみんな所謂ガラケーを使っている。かと言って私がスマートフォンを使っているのを不思議そうにみられる気配も一切ない。確かに原作が始まってない以上スマホをこちらの住人達が使うのはおかしい。ちぐはぐさにゾクリとして、こんなとこでまたSANチェックかよと気を紛らわすように内心毒づいた。クトゥルフ脳ですごめんなさい。
 ホテルから十分ほど歩き、ビルの間、車がなんとか通れるような小道を抜けた先にある小綺麗な店の前に二十分ほど並んで入る。評判通りのカルボナーラとデザートのティラミスを平らげ、美味しい食事にここがどこであるかもつい忘れ、満足してごちそうさまですと笑顔で店を出た。あとか振り返れば、圧倒的に警戒心が足りなかった。注意力散漫だった。いくら原作が始まっていないとはいえ、米花町ではないとはいえ、馴染みの世界ではないのだから本来は常に神経を尖らせているべきやったと言える。
 その上、聖地巡礼ではないが、来た道とは反対から抜けて、この世界をあちこち見てみようなどと欲が出てしまったからもうどうしようもない。考えなしの阿呆だ。それが変化を引き起こす。その善し悪しはさておき。

 どこかで通りを一本間違えでもしたのか、細く薄暗い道に出てしまった。まっすぐ抜けれるはずだったんやけどな、と立ち止まって真正面、数メートルには三階建てのビルを見た。カーブミラーから右に道はあると分かるが、急に不安になった。さっきの店の行列はどこへやら、人がいない。ここは、私は、どこに。異界からさらなる異界へと迷い込んでしまったのではと思うと、心臓がドクドクと煩く感じる。
「おい、外だ!」
 ビルの二階、窓の隙間から男の声がして、途端現実に引き戻された。正面のビルから黒いスーツを着た中肉中背の四十絡みの男が飛び出し、すぐ私の存在に気づいたのか、すぐに向きを変えた。驚きの声をあげる前に、本当に事件に巻き込まれるんや、世の夢小説は嘘じゃなかったんや、と唖然としたが、何かしらしでかしたらしい男が向かって来ないことにひどく安心した。早急にここを立ち去るべきか、それとも一般人らしく証人として残るか逡巡する。
 結論が出るよりも前に、ドゥッ、という鈍い音と共に先程の男が倒れるのがカーブミラー越しに見えた。揺れるミルクティーカラーの髪に淡いブルーの瞳、グレーのスーツを身にまとった背の高い青年が崩れ落ちた男を手早く拘束していた。
「ふ、降谷さん! 申し訳ありません!」
 ややあって、慌てた様子でビルから黒いスーツの若い男が出てきた。さっきの声の主みたいだ。遅れてもう一人、こちらも焦った様相でガタイのいいスーツの男が飛び出す。
 これはあかん。絶対にあかんシーンに遭遇した。公安モードのトリプルフェイスさんですよねこんにちは。なんでこんなところにいらっしゃるんですかね。ああブーメランですよねそうですよねわかります。逃げたところでむしろ即捕縛コースやんけと容易に想像がついて、動かなかった自分を褒めた。動けなかったわけじゃない、多分。立ち尽くして目が離せないでいると、降谷零が部下と思われるガタイのいい男に失神した犯人を受け渡すのが鏡越しに見えた。風見さんちゃうやんと思案していた所に鋭い声が飛んでくる。
「──そこにいるのは誰だ?」
 ああ来てしまった。バーボンの時だったらこの比ではない緊迫感だろうし、安室透であればもっと柔らかな言い方になったいたのだろうことは想像に難くない。
「ええ、と?」
 何を言うのが正解か分からないし、下手な演技を見抜かれて疑われるのは面倒。事前知識のない一般人になら今の光景はどう映るか。どんな反応をするか。考えろ考えろ。深呼吸して落ち着け。頭を回せ。不信感を抱かせてはいけない。時間を稼ぐようにゆっくりと歩を進め、曲がり角からそろりと顔を出す。
「──あの、私、何も見てません」と四人のスーツの不審者を前に、真顔で嘘を言い切った。これはどう考えても関わるとややこしい案件だ。そして実際はおそらく公安事件だ。探偵さんたちなら間違いなく首を突っ込むしコナンくんなら盗聴器を貼り付けるところ、善良なる日本国民は波風立てぬよう知らぬ存ぜぬを通して日常に戻るべし。不審者ではないと見逃してくれればラッキー。そういう目論見と、あからさまな嘘を掲げることでその他の綻びを覆い隠してくれないかなという希望的観測である。なんなんですかとすっとぼけた方が良かったかな、と言った直後に少し後悔する。ああもう、なんで予想外のタイミングで出会うかな! イケメンをゆっくり眺める心の余裕もない。顔もイケメン、声もイケメン、ハイスペックゴリラとの邂逅は今じゃないやろ。どうしろってんや、この微妙な距離感。部下のお二人めっちゃ戸惑ってるやん、極秘案件ですよねどうせ。そういうパターンですよね。知ってた。ああでも、ほんまに、顔がいい。
 登場人物初遭遇の降谷零と視線が交わり見蕩れたのも束の間、先に気まずくなって視線逸らしたところで、ふと失神した男の正体に気付いて瞠目する。おいおい、東都環状線爆破予告犯さんじゃないですかやだー。展開についていけなんですけど。なるほどテロリストで公安か。爆破予告は虚偽ではなく本当に爆薬があったと考えるのが妥当か。何も見ていないと言った直後に見ちゃったよ。リアクションしちゃったよ。どうしてくれる。
「少しお時間よろしいですか?」
「いくらでも!」
 反射で威勢よく返事をした。驚きがそんなに顔に出てしまっていたのかいなかったのか、有無を言わさぬ降谷零の雰囲気に一瞬途切れた思考を続ける。呼ばれたってことは、やっぱりこの事件には裏があるってこと。十中八九、口止め。
「怖がらないでくれ。我々は警察だ」
 迂闊にも降谷零の名前を口にした男が宥めるように口を開く。
「警察……あー、そやんね、いえそうですよね。その方テロリストですもんね。ええと、いつもお勤めご苦労様です。──ふるやさんと、お二方?」
 ぴしりと、きっと不格好だろう敬礼をした。
「それで、私は何をどうすればいいんでしょう?」
 手を下ろして誠心誠意、営業スマイルを浮かべる。計画も何も始まってない段階やというのに。原作なんてまだ始まってすらないのに。高校生探偵活躍すらしてないのに。どうしてこうなった!
 ええい、ままよ! こうなったらどこまでも降谷零に都合よく従っていこうじゃあないですか。ここにいるのは安室透でもましてやバーボンでもない、警察庁公安部警備企画課の降谷零。紛うことなき日本の正義の男なんやから。

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