推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 8

 チョコレートをぽいぽいっとカートに放り込む。バターと小麦粉は家にあるから、あとは生クリームかな。平和に会った翌日、バレンタイン用のお菓子を作ろうとスーパーに来ていた。そろそろ学習したので、常にセンサーを広げながらの買い物だ。しんどいなこれ。こんなん毎日? まじか。上司用の既製品は後輩が買ってきてくれるし、先に百均でラッピング用の小物は購入している。ここさえ乗り切ればあとは帰ってうきうき引きこもりタイムや。
 心配は杞憂に終わって無事帰宅し、お菓子作りを開始する。今年はミニサイズのチョコレートタルトだ。ココアのタルト台と、チョコレート生地。それから仕上げのグラサージュ。ひとつだけ大きめのものを作っておいた。ホワイトチョコレートはキッチンシートで作ったコロネに入れ、Happy Valentineと書いて予め冷蔵庫に入れておいた。それを取り出して慎重に剥がし、タルトのひとつに載せる。それから、全てのタルトにナッツやドライフルーツを飾れば完成だ。
 唯一の文字入りのタルトを小皿に載せ、美味しく撮れるようアプリで苦戦しながら一番いい角度とフィルターで撮影。少し早いですがとタイトルに入力して写真を添付し、本文なしで送信する。今週の降谷さんへの日誌だ。
 満足して、小さなタルトをラッピングしていけば、気づけば夕方、いい時間になっていた。文字入りのタルトはデザートにしようと決めて晩御飯作りを開始した。



 それから数日経って、さあ寝るぞというタイミングで返事が来た。
『おいしそうだな、食べたい』
 見間違いかと三度見したが、当然ながら文面は変わらない。いや、潜入捜査官に手作りとかご法度もいいとこやで。お世辞だろうが冗談だろうが、気安く口にするもんやないで、それでいいのか降谷零。セキュリティ大丈夫か降谷零。突撃されたらどうするんだ降谷零。後でいただきますねって営業スマイルで持って帰って捨てるんですよね分かります。きっと今まで沢山の乙女の思いが踏みにじられたことは想像に易いが、仕方のない事だ。罪のない食べ物に祈る。アーメン。
 目が冴えた。残念ながらもう私の胃の中です、送信、削除、削除。完全に削除するのもメールアドレスを入力するのも自然な流れで、慣れきったなあと感慨深い。予測変換に出てしまうので、時々似て非なるものを入力して予測変換を消す羽目になっているのがちょっとした難点だ。それから一日一往復程度に頻度をあげて会話は続いた。

『誰かにあげる予定があったんじゃないのか?』
『この子の仲間は友人の手に渡りましたが、写真用で自分の味見用ですね』
『本命用かと思ったぞ』
『相手がいませんから』
『欲しいとは思わないのか』
『今はそんな余裕ないので。婚期逃すって言われますが、生憎と一人でも生きていけるライフプランを確立しています。そのための資格です』
『意外と、と言うと失礼かもしれないが、結婚願望はないんだな』
『子供が欲しいと思ったりもしますけど。だからって婚期に慌てて適当な相手と結婚するくらいするなら断然独り身派ですね』
『強かだな。なんとなく、結婚したいものだと思っていたよ』
『そんなことないですよ。来月友達の結婚式が東京であるんですが、その時多分羨ましくなります』
『それで相手を探すのか?』
『ないですね』
『相手、やっぱり要らないんじゃないか。今はそれどころじゃないとかじゃないだろう』

 この会話なに、いる? 相変わらず目的の分からない人や。心の中で訂正しておくが、あなたのおかげでそれどころじゃないんですよ。協力者に相応しくなろうとするだけで、精一杯です。



 職場の最寄り駅付近で開催された飲み会帰りにほろ酔いで歩いていたら、電話が鳴った。
「はあい」
「僕だ」
 非通知やもん、知ってる。
「なんだ、酔ってるのか」
「ふふ、ご名答。同期のみ帰りですー」
「外か」
 言うが、疑問形ではない。車が横を通ってるんだから当然だ。さすがと舌を巻いたのだが、降谷さんじゃなくても分かることだったなと頭の回らない自分に気付く羽目になった。
「女性なんだから気をつけろよ」
「大丈夫ですよー。酔い醒ましに歩くの、好きなんです」
「本当に、君は警戒心が足りない」
「これで数年間何もなかったんで大丈夫ですって。一応警戒しながら歩いてるんですよ」
「酔っ払いの言うことは当てにならない」
「信用ないですか」
「ないな」
 即答され、ぐぬぬと唸る。
「帰るまで通話を切るなよ」
 スパダリかよ。彼氏かよ。あ、あかんこんなん冗談でも全国の安室の女にぶち殺される。
「最近ですね、筋トレ頑張ってるんです。でも全然筋肉つかないんですよ。美ボディほしい、腹筋割りたい……」
 話が変わったなと言い、どこを目指してるんだと降谷さんは笑った。
「どんなメニューをしてるんだ?」
「マイブームは腹筋ローラーです。あとプランクが日課です」
「……バランスが悪い。腹筋を割るだけが目的なわけじゃないだろう。背筋のトレーニングもした方がいい。身近なものだと、胸と膝を浮かせてやや仰け反った状態でうつ伏せになり、タオルを前で伸ばして持って胸元まで引くとかだな。下半身だとスクワットだが、フォームが悪いと腰や膝を痛めることになるから、最初に自宅でやるのはあまりおすすめしないな。ジムなんかでプロの指導を受けた方がいい。となると結局はランニングが鉄板だな」
「ランニング嫌いなんで続かないんですー」
「だったらまずプランクの時間を伸ばせ。最低五分だ」
「今三分が限界です……」
 つらつらと降谷零による筋トレ講座が始まる。素面の時に聞かたかったです。覚えらんない。
「それで、何故そんなダイエットを始めたんだ? 今でも君は華奢だろう」
「筋肉は裏切らないって言うじゃないかー」
 いつから脳筋になったんだ、と薄く笑う声がスマホ越しに聞こえる。
「いいじゃないですか。かっこいくて。ダメですか?」
「ダメではないさ」
「レベルをあげて物理で殴る! 最強!」
「何の話だ」
「なんでもです」
 酔いからかテンポよく会話が進むが、ふと沈黙が生まれた。さて何を話題にしようか。
「ところで、来月結婚式あるんだよな」
「ああ、はい。確か二週目なのでそこの金夜から東京ですねー」
「そうか。もしこちらの手が空いたらだが、食事に行かないか? 前は酒だけだったから」
「え、いいんですか。貴重なお休み」
「気分転換も必要だろう」
「私でも気分転換になるのなら、謹んでお受け致しますけど。正気ですか?」
「今に限ったことじゃないがひどい疑われ様だな。全く、僕が一体何したって言うんだ」
「えー、だって。ねえ? 鏡みろください。そういうことです」
「どういうことだ」
「気後れしちゃいますう」
「悠宇さんが?」
「私が」
 ふうん、と曖昧な相槌が返ってきた。なんや言いたいことがあるならはっきり言いたまえ。
「何が食べたい?」
「あなたのおすすめならなんでも嬉しいですよー」
 どうせ私が選ぶ店なんか行けへんのやし。
「苦手なものは?」
「パクチーですかね」
「確かに好き嫌いが分かれるものだな。分かった」
「期待せず連絡待ってます」
「……そこは、期待してくれ」
 へへーと笑ってお茶を濁す。無理すんなって。
「あ、おうち着きました」
「それは良かった」
「ただいまなのです」
「……おかえり?」
 家についてからもしばらく通話は続いた。図書館の話はもちろんしなかった。変わったことなど、先輩が出産のため休職することになったくらいだと話をした。降谷さんの近況などこちらから聞けるはずもなく、私の日常と雑学王降谷さんのもつ謎知識たちで会話は進んだ。



 土曜にあった友人の結婚式は恙無く終わり、幸せ夫婦を眺める時間は終わった。みんなで作ったムービーで花嫁を泣かせることができたし満足の一言である。一方で帰省の度に祖父母を筆頭に結婚をせっつかれることを思い出し、少し憂鬱にもなった。二次会まで終わってスマホを見れば、明日のランチのお誘いが来ていた。なんとホテルまで迎えに来てくれるらしい。推しからの待遇が手厚過ぎて死にそう。ホテル名を返信したが申し訳なさしかない。連絡がなければ図書館のつもりやったけど、これはこれでいいのだろう。早く協力者として認められたいけれど急がば回れ、堅実にいかなければ。
 翌朝、チェックアウトすると待ち合わせ時刻より前にも関わらず、すでに降谷さんが愛車にもたれて待機していた。うわっ絵になる写真に収めたいという欲望を一旦抑えると、待たせてしまった罪悪感でいっぱいになった。トリプルフェイスで多忙な推しの時間なのにという絶望はおくびにも出さず、お久しぶりですと笑顔を貼り付けて声をかける。
「久しぶりだな」
 降谷さんは自然な所作で私の旅行鞄を奪い、トランクにしまう。調べた情報や暗号化したメールの一部も書き込んだ日記帳はあの中で、逃げ道を失った。この所は友人帳を持ち歩いている気分なのだ。
「乗って」
 それは初めて聞いた同じ言葉とは思えない柔らかさを含んでいて、ふわりと不思議な感覚を覚えた。
「少し走るが構わないな」
「了解しまっしました」
 噛んだ。久々の降谷さんが相変わらずイケメンなんが悪い。そうだそういうことにしよう。
「そう固くならないでくれ」
「すみません……」
 降谷さんは肩を竦め、車を発進させる。都心の込み合った道で、緩やかな沈黙流れる。前回は精神的にゆっくり拝むどころではなかったので、運転する降谷さんの横顔を見つめて心のシャッターを切りまくる。連写だ。顔がいい。尊い。語彙力は死んだ。
 讃えるのはそこそこにしておいて。あの時降谷さんは私の最推しになった。大ヒットし社会現象にもなった映画をみて確かに降谷零のことは格好いいと思ったし、懐かしくなって久しぶりにコミックスに手を伸ばした。けれどそれだけだった。沢山いる推しの中の一人。なんなら哀ちゃん推しだったし、他のジャンルに推しもいた。ある時は王国民で、ある時は審神者なのだ。けれど今の推しは降谷零だけになっている。恋とか愛とかじゃなくて、推し。最推しというもの。幸せになって欲しい。エゴイズム上等と図書館やネットで調べてはみたけれど、結局直通するいい情報なんか見つからなかったし、どう整理しても救う道筋なんか浮かばなかった。早々に烏丸蓮也に辿り着けば潜入捜査が終わるのではと思ったが、私の力でどうこうできるレベルではないし、潜入捜査官を脱したからと言って根本的な解決にはならない。初恋の人を、知らぬ間に親しい四人の同期のうち三人を、そして目の前で親友を失ったこの人のためには、絶対に最後の一人を守りたい。もし降谷さん本人から情報を得るとしたら、密室であるこの車内しかない。
「そんなに見つめられると照れるな」
「……全くそうは見えませんけど」
 余裕そうに口角をあげる降谷さんからぷいと視線を逸らして窓から外をみる。聞けない。思い出して辛くさせることが分かっているのに、降谷さんにそういう顔をさせたくなくて今を生きているのに、聞けるはずがない。悔しい。
「筋トレは順調なのか?」
 降谷さんから話題があがったかと思えば、他の誰の話でもなく、そんなことだ。お菓子作りの話にしてもゲームの話にしても、同じことだ。一体いつになれば降谷零の目的が分かるんだろうと思案しつつ、正直に答えて会話のキャッチボールをする。

 海辺にぽつんと立つの小綺麗なレストランの前で車が停止した。そこは魚をメインとしたランチコースが絶品で、素直に舌鼓を打った。予約してあった関係でメニューも録に見れなかったので、お値段が怖いところだ。デザートと共に降谷さんはコーヒーを、私は紅茶を頼んだ。
「すごく、美味しかったです」
「知ってる。顔に出てた」
「恥ずかしいんで言わないでください……」
「褒めてるんだがな」
 なんでもない会話をしながら全てを平らげ、胃は満足したが何の情報も提供できず何の成果も得られなかったので気分的には不完全燃焼だ。この二時間本当になんなの、降谷さんの睡眠時間奪っただけでは?
 帰りもしばらく車だからとお手洗いを促されて戻れば案の定会計が終わっていて、額も分からなければ返金も許されなかった。店を出れば外は少し暖かくなってきたが、それでも海岸はまだまだ肌寒く、店内との温度差に身震いしてコートの前を閉じる。
 降谷さんの携帯が鳴り、離れて車の方に行った。ほらみろ無理するからだとはもちろん口にできない。聞かない方がいいのだろうと海を見つめる。海は好きだ。水着で泳ぐより、季節外れの砂浜ではしゃいだり、静かな夜の海辺を歩くのがいい。浜風を浴びて目を伏せ、降谷さんに思いを馳せた。
 すっと目の前に小さな花束が差し出された。
「少し早いですが、」
 目をぱちぱちさせ、いやに強調されたその言葉がいつしか私が送ったメールのタイトルだと気づくのにしばらくかかった。
「……ホワイトデー?」
「ああ」
「私、あげてないですけど……」
「写真を送ってくれただろう。あれは僕用で、だから誰にもあげず自分が食べた。相手がいないと言って、味見のためにあれだけのデコレーションをするとは思えない。字が崩れたなんていう理由の失敗作でも無さそうだった。となるとあれは写真を撮るために飾った。しかしSNSにあげたのは別のラッピングされたタルトだ。つまり、僕に送るためのものだった。違うかい?」
「……違いません」
 否定もできず、見抜かれた恥ずかしさで顔に熱が集まる。まじか、なんで分かるんや。絶対バレへんと思ったからやったことやのに。
「だからお返しだ」
 おずおずとガーベラの花束を受け取って顔を近づけると、花のいい匂いがした。
「ありがとうございます……」
 戸惑いと嬉しさと気恥しさが綯い交ぜになって眉尻を下げて礼を言えば、降谷さんは満足気に笑った。帰ったら飾って家宝にしたい。……ちょっと待て私のSNSってなんや。絶対教えてへんぞ。
「悠宇さん?」
「あ、お花貰うなんてそうないから、その、嬉しくって」
 思い至った事実に震え、全力で誤魔化した。それから少し海辺を散歩した。一歩前を歩きながら、この人を幸せにしたいのになんでできないんやろうと涙が出そうになった。自販機で暖かい飲み物を買って押し付け、帰りは並んで歩いた。
 降谷さんと別れて即、青い鳥のアカウントに鍵をかけた。一体いつから見監視されてたんや、顔出ししてないはずなんやけど。

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