推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ #5

 彩仁さんは目を閉じ、深呼吸する。一体どれのことか分からないが、何かが気に食わなかったのだろう。いや、あるいはまだ充分に癒えていない傷だろうか。
「そうだ、怪我はどうなんだ」
「大丈夫だ」
「銃創だろう。発砲音と同時に聞こえなくなった」
「……傷は癒えた」
「それは無理があるだろう」
「かすり傷だったってことかな」
「ポケットのスマホを撃ち抜いて、か? 腹か」
 胸ならば死んでいる。ならば自分で撃ち抜くならコートだ。うまく内臓を避けたにしても、退院は早すぎる。銃創の時点で報告書なんかもあるだろう。
「ほら」
 彩仁さんはシャツをたくし上げ、シックスパックとまではいかずとも引き締まった腹を見せた。左にそれらしき傷痕はあるが、癒えている。掠るにしては真ん中に寄っているし、撃ち抜いたにしては治りが早い。今回とは別か。推理が外れて、頬をかいた。
「参ったな、本当に傷がない」
「銃の方もライとバーボンがなんとかしてるだろう。俺はただちょっと高いところから落ちた、ってだけのことだ」
「ちょっと、ね」
「ああ。だから意識が戻って検査して終わり」
 そう軽い話には聞こえないんだが。オレの説明がお気に召さなかったらしく、随分説明する気が失せたように見受けられる。
「スマホは悪いが破壊させてもらった上で、ビルに置いてきた。『死体』が回収された以上、遺品が何かないとあんたが死んだという説得力に欠くからな。
 今や情報源だった紗知もその記憶がない。ただの一般人だ。不用意なことを言えば、巻き込めば、俺がお前を殺す。どうせ上には内々で殉職として報告があがっているんだろう。いいか、お前は死人だ。その自覚を持って……三年を生きろ」
「三、年?」
「組織壊滅時期の予想だ。お前が下手に動いたら、壊滅自体が危ぶまれることは念頭に入れておけ。俺も慎重に動く。下手に動くと、今度こそ消されるかもな」
 真顔でとんでもないことを言い出した。頭が痛い。
「お前を助けたのは俺の勝手だ。だが、お前は俺の手を取った。その対価を要求する」
 滅茶苦茶な脅迫だ。その眼はまっすぐで、真剣そのものだ。
「一、死人としてここに潜むこと。二、紗知に近寄らないこと。この二つは要求だ。命令と言ってもいい」
 そう言って指を二本立てる。そして三本目を動かした。
「三つ目は、提案だ。俺の指示下で組織とその周囲と、キーパーソンの動向を探る気はあるか」
「──あるさ」
「色良い返事が貰えて良かったよ」
 インターホンが来客を知らせ、ビクリと体が跳ねた
「宅急便……あんたの布団かな。今日だったはずだし。野郎と添い寝する趣味はない」
 そう言いながら彩仁さんが立ち上がる。
「絶対出て来んなよ。大人しくしてろ」
 びしりと指さし、対応に向かった。
「了解……」
 オレ、ここでやっていけるんだろうか。溜息をつきかけたところで、気配を消すんだったと飲み込む。
 彩仁さんの話には理解が及ばない。胸がざわつく。何を隠しているんだ。オレは何を見落としているんだ。具体的な流れを説明させたことから、オレのもつ情報のレベルを知りたかったのだろう。
 何が足りない。何がおかしい。
 出会いの瞬間、服とスマホの交換、盗聴と偽装。彩仁さんの部屋での待機指示。会話。
 待て。壊れたスマホで何故二人が引くと思ったんだ。それに『死体』をどうやって回収した。自分で動けない。誰かの手助けが必要だ。紗知ちゃんは大阪だった。
「もう一人、いる」
 あかこ、という人間か。その人間が彩仁さんを回収したとしよう。それは成り立つんだろうか。
 ゼロ視点では遺体回収はライか組織の人間で、下手にしゃしゃり出るとボロが出る。ただでさえNOCに過敏になってるところだ。逆にライ視点では、組織の人間でなければ公安か誰か──違和感を覚えたにしても、わざわざほじくり返したところでライにメリットは少ない。揉み合いの末に始末した、で充分だ。元から二人は入った時期も近く、張り合っていた。額を寄せて情報交換するとは到底思えない。だからこそ、露見しない。それほど二人の性格を見抜いているのだ。
 ライよりゼロを警戒した。どちらも行動を共にしているのは同じなのに。幼馴染みなら見抜かれうると考えたのだとしたら……さすがにこれは考え過ぎか。
 運命なんか大雑把なものじゃない。とてつもない量と質の情報がどこかにあると気付いて青ざめた。脈拍は速く、呼吸は浅い。考えろ。他にはないか。
「オレはどうやってこの家に入ったんだ?」
 言葉にすると、ずきりと頭に激痛が走った。
 鍵を使って表から入った。じゃあ、その鍵は? 最初から持っていた? ポケットにあった? それに気付いたのが夕方になってから?
「違う」
 オレに成りすましてから、運命を知った。だったら鍵を渡すはずがない。そんなタイミングはない。一件の後にオレは鍵を得た。どうやって? どうして思い出せない。ありえないのに、最初から持っていたような気分だ。それが正しいのだと。
「違う、そんな筈ない。ありえない」
 伝った冷や汗を拭う。鍵を持っていたとしたら、何処だ。ジーンズにパーカーだぞ。気付かない筈がない。彩仁さんも、受け取ったオレも。
 紗知ちゃんに連絡を取るなと言った。けど、オレに待機を指示して支援物資を送った妹さんに今更何故そんなことを言う。殺すとまで脅迫する。テーブルに置いたスマホに視線を送る。
「違う」
 そうだ、無かった。着信履歴も、発信履歴も。オレはこのスマホで誰かと連絡を取ったことがない。
 記憶がない。どうして。言い知れぬ恐怖に包まれる。オレみたいに、紗知ちゃんも何らかの力が働いて記憶が書き換えられている。震えるほど恐ろしく、けれど思考をやめるわけにはいかない。
 あかこだ。答えはもうそこにある。オレはあかこという人間を忘れている。多分、出会ったあの瞬間にも、いたんだ。
「ハァ……ッ」
 身が竦む。呼吸が乱れる。そんな情けない自分の身体に異常はないか、見下ろす。怪我はない。どこも痛みは感じない。彩仁さんのように、癒えた傷が、あるとしたら。シャツを捲って腕を、身体を確かめる。くそ、暑いな。
 ごくり、と生唾を飲み込んだ。どうして。今日は、そうだ。カレンダーに視線を走らせる。
「時期外れのコートを着ていたのか? オレが?」
 有り得ない。そうだ、あの日は。日付は。
 ばちん、と頬に衝撃が走って、絶叫が飛び出す直前に意識が現実に引き戻された。
「勝手に一人で進めんちゃうわ、アホ」
 じんじんと熱を持ち痛む頬が全力で引っぱたかれたのだと知らせる。
「あや、とさん……」
 絞り出せたのは掠れ声だ。
「紅子ちゃんは! なあ、どうなってるんだ!!」
「運命を変えた代償、だ。まさか、こんな形になるなんて思わんかったけどな……」
 掴みかかったオレに、彩仁さんが苦しげに歪めた顔を晒した。
 紅子。長い黒髪の勝気な美少女。そして自称、魔女。
 彼女が、消えた。この世界から消えてしまった。
「はは……頭が、おかしくなりそうだ……」
 記憶すら頼りにならないなんて。オレは、誰だ? 本当に諸伏景光なのだろうか。ゼロは本当にオレの親友か? ライは?
 ぱしん、反対の頬に衝撃が飛んできた。
「いってぇ……」
「そうだ、痛いんだ。夢じゃない。これは現実だ」
「……どうすればいいんだよ」
「言っとるやろ? お前は死んだ。架空の人間として生きてもらうで、同居人」
「諸伏景光は、死んだ」
 新たな名前が必要だな。諸伏景光でも、ヒロでも、もちろんスコッチでもない新しい名前が。
「彩仁でも、アヤでも、好きに呼べ。『長い』付き合いになるからな」
 時の流れさえ歪む。三年は、一体何日だろう。
「──なら、翼。そう呼んでくれ」
「了解。よろしく頼むで、翼」
「こちらこそよろしく、アヤ」
 固く決意の握手を交わした。

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