推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ Scotch#1

 オレは走った。警視庁公安部からとある組織に潜入していたのだが、スパイだという情報が漏れてしまったらしい。親友が同じ組織に潜入しているが、そちらはどうも安全圏のようだ。オレと、親友と、それから同時期に入った男。偶然か運命か誰かの差し金か、ウイスキーの名前をコードネームとして与えられたオレ達は活動を共にすることもあり、今回はそのパターンだった。スコッチ──オレと、情報屋の立ち位置を得た親友バーボン、組織の男であるスナイパーのライ。ならばオレを追って来るのはライの可能性が高い。近くにコードネームの与えられた組織の人間がいるのに、更に手を割く必要はない。ライではなくバーボンに指示が下されたならばとうに連絡が入っているはずだ。故に、情報の出処が分からない今、迂闊なことはできない。オレがどこからの潜入捜査官で、どのような情報を得て、元の所属とどう連絡と連携をとっているのか、知られるわけにはいかない。何より親友が、ゼロが何よりの気がかりだ。
 追手を放たれた気配がある。全てを守り通すことは不可能だろう。協力者に接触するのはあまりに危険だ。今に限って、手に得物もない。ここがオレの命の使いどころ、ということか。裏路地に曲がってすぐの物陰に身を隠し、目視とカーブミラーで人影がないことを確かめて最期のメールを作ってゼロに送信した。は、と息をつく。このケータイと命を始末すれば、終わりだ。
「お困りなら、助けますよ」
「──っ!」
 薄暗い裏路地に、見覚えのない同世代の男が静かに踏み込んできた。ジーンズにパーカーというラフな服装ではあるが、警察官のオレと近しい体格からして常日頃何かしらの運動はしているのだろう。ならば尚、油断はできない。返事をする前に、真っ直ぐとオレを見据えて更に口を開く。
「追われてるんですか?」
 ぐっと奥歯を噛み締める。どれほど魅力的な言葉であっても、無関係な一般人を巻き込むわけにはいかない。
「少なくとも、何か事情はあるようですが」
 ちら、と男が背後に視線を送る。そこにはまだ中学生か高校生くらいの長い黒髪の女の子がいた。兄妹だとすると、やはり一般人か。
「いや、大丈夫だ……」
 小さく首を振る。
「そんな顔で言っても説得力はありません」
 断定する男の背後から女の子はオレに上から下まで値踏みする視線を投げかけ、頷く。
「体格は似ているし……いけるんじゃない?」
「よし、そこの廃ビルで服を取り替えよう──どうでしょう」
 またとない提案だが、そう易々と乗っていいものか。服装だけでも印象は変わる。セーフハウスに一人で逃げ込むことができれば少しは、と淡い期待が思考を埋める。
「き、君は──」
「そんなのはあとで。ほら、急げ」
 乱雑に急かされ、廃ビルの一角に押し込まれた。女の子が外を監視すると言って、男は即座に服を脱いだ。状況をまだ処理しきれていないオレにパーカーを突きつける。
「こっちも寒いんだ、早く」
「わ、分かった」
 着替えながら、言葉を交わす。
「相手は何人で、どんな人ですか?」
「いや、そこまでは。危険すぎる」
「分からないと逃げられない」
 服装と背格好だけで、騙されてくれるとは思わないが。
「……おそらく、ニット帽で長髪の男が一人だ」
「了解」
「安全圏まで辿り着いたら連絡をください」
「逃げ切れた暁には必ずしっかりと礼をさせてくれ。だが連絡、と言われても」
「……俺のサブのスマホを渡すので好きに使ってもらって構いません。代わりに、あなたのスマホを一時的に貸してください。ロックはかけたままで結構です。逃げ切れたら、電話してください。それを合図に撤退します」
 相手にした組織の強大さを想像だにしない彼は逃げ切れると信じているらしい。そして掲示されたのは等価交換だ。
「しかしっ……!」
「生憎と、同じ機種のスマホを直ぐに手配はできないので」
「……本当にオレに成り済ますつもりなのか」
 男が首肯し、オレの服に身を包んで白いケータイを差し出す。
「お前の運命、変えてやるよ」
「誰か近付いてきたわ!」
 女の子の鋭い声が飛んできて、腹を括る。男のスマホを受け取り、その手に自分のスマホを押し付けた。
「行け! 紅子からの電話には出ろ!」
「了解」
 男に背を押され、フードで顔を隠し、廃ビルの窓から逃亡を図った。アカコ、というのはあの女の子の名前だろうか。

 オレは走った。どうにか人通りに出ると何食わぬ顔で歩き、少しずつ人混みの雑踏に紛れるべく移動する。
 ──助けてくれたのに、悪いな。借りたスマホを使って、オレのスマホに仕込んだ遠隔操作アプリを起動する。ジャケットのポケットにでも入っているのか、拾えるのは音だけだ。イヤホンはないので、ケータイを直接耳に当てる。もしもライがあちらに気を取られたなら、その隙に協力者にコンタクトを取れるかもしれない。
 変装完了、と女の子の声がした。あちらも無事らしいが、オレがここまで移動する間にさらに変装していたのか、と眉をひそめた。彼らは一体何者なんだ。どうしてそこまでする。尋ねなければならないことが増えた。
『これなら話さなきゃバレんよな……お、紗知だ』
『連絡がついたのね』
 もしもし? と電話を始めたらしい。彼らもスリーマンセルで動いているのかもしれない。
『ああ、今動画に切り替える……どう? プロデュースバイ紅子の変装。これで長髪のニット帽男から逃げればミッションコンプリート』
『えっ? ちょ……、…の……名……?』
 サチという女の声まではうまく聞き取れない。
『え、いや聞いてないけど──は!? 嘘やろ!?』
『もし……ら、……が混ざっ………かも』
『まさか』
『…に……の変……が…コ……て、追……赤………ちになるけ……でも……』
『まずは今よ』
『紗知、スコッチの未来は?』
 ひゅ、と喉が鳴る。スコッチ、とこの男は言ったのか。
『自殺……そ…も』
 拳銃自殺、と聞こえたような気がしたのは気の所為ではないのだろう。確かに、追手から拳銃を奪ってケータイ共々処理するシミュレーションはした。したが。
『俺が、それをやるのか』
 サチの声はやはりくぐもって聞き取れない。
『最終確認だ』
『ええ』
 二人の声に安堵する。総括してくれると非常に助かる。
『ライから逃げて屋上へと向かい、拳銃を奪ってスマホごと撃ち抜く。本来は心臓だが、今回は腹だな。それで、バーボンの目を欺いて死んだと思わせる……そんなもん、目の前で屋上ダイブしか浮かばへんぞ。紅子、いけるか』
『わたくしを何だと……ちょっと、ニット帽の男が見えたわよ』
 男が舌打ちをする。
『スコッチには俺の家で待機と指示しておいてくれ。時期が来るまで誰にも接触させるな。あとは頼んだ』
『無……で……』
『じゃあな、紗知。愛してるよ』
『待っ──!』
 途端に雑音が増え、カンカンと階段を移動する音が聞こえるようになった。戻らなければならない。そうやって彼の決意を無駄にしていいのか? そもそもライが騙されるのか? 足が止まり、前にも後ろにも動けず立ち尽くす。くそ、判断が遅い。ぐしゃりと頭をかく。
 ケータイが震え、雑音しか拾わなくなったケータイを耳から離す。メールを受信し、差出人には紅子と表示されている。送られてきたのは住所だけで、やはりあちらも切羽詰まっているのだろう。男の家とセーフハウス、現在地からのルートと時間をシミュレーションしつつ、傍受を再開する。ライに見つかったなら、オレの手先と勘違いされて問い詰められているかもしれない。
『さすがだな、スコッチ……』
 耳に飛び込んできたのは思いがけない言葉だった。
「ライ……!」
 まさか、成り済ましに成功しているのか。有り得ない。ライから拳銃を奪った男と、スコッチと対面していると思っているライで会話が成り立っている。──いや、言葉を発しているのはライだけだが。
『命乞いをするわけではないが……俺を撃つ前に話を聞いてみる気はないか?』
 パァン、と銃声が鳴り響き、音が途絶えた。本当に、撃ち抜いたのか。
 考えろ。俺は生きている。ケータイもハードごと処分が完了した。目的は達成している。……じゃあ、あの男は誰なんだ。重い足を引き摺って男の家へ向かいながら、手元の情報源からプロフィールを確認する。
 三井彩仁あやひと、それが男の名前らしい。

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