推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 5

 幸いにして、酔っていても彼女の記憶は鮮明らしい。三月頭に取り付けた約束は反故にされることなく、日曜のランチに漕ぎ着けた。ホワイトデーも近い。行きがけに花束を買って、トランクに隠そうか。花屋で目についたのはガーベラだ。
 色毎に花言葉が違ったよな。数ヶ月前に花好きの女性から情報を引き出すべく活動していたので、比較的記憶に新しい。ピンクは崇高美、黄色は親しみやすさ、赤は神秘、白は希望。店頭にないオレンジは我慢強さだったか。英語だとピンクは感謝、白は純粋、黄色が暖かさ。赤は却下し、ここにあるピンクのガーベラは色の濃い部類で、ともすれば赤を連想しそうで回避する。
 派手な顔立ちの女性店員に声をかけ、黄色と白のガーベラをメインに小ぶりな花束を作ってもらうことにした。あまり大きいと、大阪に帰る時に邪魔になるだろうから。
「分かりました。プレゼントの相手は誰ですか?」
「同僚ですよ」
 平然と嘘を吐いた。
「女性ですか?」
「そうです」
「送別会ですか? それとも誕生日とか」
「日頃の感謝を込めて。この前も仕事のリカバリーをしてもらって。だからサプライズなんです」
 愛想笑いで嘘八百を並べると、なるほど、と頷いて店員は黄色い小花と葉物を選んでいく。外見に反したというと失礼だが、とても真面目な仕事ぶりだ。もう少し正直に話した方がよかったかもしれないが、今更引き返せない。
「お花が好きな方なんですか? 可愛い系? それとも綺麗系?」
「特別そういうわけでは……でもそうですね、綺麗系ですかね。ああ、でも笑うと可愛いな」
「お好きなんですね、その方のこと」
 何本かの葉を手にして作業スペースに戻り、さらりと言って笑う。言葉にされるとどうにも返答に困ってしまって、つい頬をかいた。流れとして肯定する方がよかったのだろうが。
「あはは、あなたみたいなイケメンに懸想されるとはどんな人ですかね……あれ、同僚と言いながら実は彼女さんでしたか?」
「いえ……」
「よかった、花から選び直すところでした」
 にこにこと長い枝葉を切り落とし、組み合わせ、形を整える。
「どう、だめなんですか?」
「フィラフラワー……花と花のスペースを埋めるものに、花言葉でソリダスターを選んだんです。本当は夏の花なんですけどね。特に男性は花言葉なんてあまり触れる機会がないかも知れませんが」
「ソリダスターか……豊富な知識、では」
「あれ、お兄さん詳しいですね。でもそっちじゃない方ですよ」
「他にもあるんですか?」
「私に振り向いて」
 にやっと笑って、ガーベラとソリダスターを組み合わせてこちらに向けた。そうこうする間にバランスをみながら葉物を加える段階に到達し、あっという間に白いリボンでまとめあげられた花束ができあがった。
「では、ご武運を」
「はは……」
 なんてことをしてくれるんだ。一気に渡しづらくなったじゃないか。残らない物を選んでこれじゃあな。トランクにそれを閉じ込めて、彼女の宿泊するホテルに向かった。

 三ヶ月ぶりに会う悠宇さんは相変わらず好意の塊で、一番でもそういった意味合いでもないと思いつつも熱視線を送るものだから、気分は上がった。
 ──気後れしちゃいますう。
 電話口での悠宇さんの言葉が蘇る。もしかして僕の顔は好みなんだろうか。……押したらいける、気がする。推しがどういった存在かにもよるが。それにそもそも立場上そんな選択肢はないんだがな。

 顔を輝かせてヒラメのカルパッチョを咀嚼している。こういうさっぱりとした味付けが好みか。ともあれこうも美味そうに食べてくれると清々しい。少し遠くまで車を走らせた甲斐があった。
「結婚式、どうだった?」
「最高でした。女の子ってなんであんなに可愛いんですかねえ」
 カルパッチョをごくりと飲み込み、うっとりと言う。
「君も女の子だろう」
「それはそれ、これはこれ、です」
 きりりと真面目な顔に切り替えて、仕分けるジェスチャーと共に断言した。
「ドレスに憧れとか抱くもんじゃないのか」
 ちょっと悩んで、もし機会があればくらいですね、と苦笑いした。
「ドレスより白無垢?」
「そういう意味じゃないです」
「それとも宗教に縛りがあったか?」
「無宗教で多宗教ですので、ご安心を。八百万の神万歳」
 神様を信じちゃいないが、いたら面白いと思っていそうだな。
「へえ。ちなみに古事記を読んだことはあるか?」
「面白いとは聞きつつ、実はまだ。聖書代わりにホテルに置いてあるところがあって、さわりだけ? 話を振るということは読まれたんですか?」
「ああ、随分昔になるが」
「へえ……神様がすごく自由って聞きますけど」
 本当に聞きかじりですけど、と念を押す。僕が読んだのも学生の頃だから、半ばうろ覚えだ。
「ああ。上巻が日本神話だからもし神話に興味があるならなおさら面白いはずだ」
「天照大神とか、天之御中主神とか、月読命とか?」
「そう、そのあたりは上巻」
「量がぐっと減って読める気がしてきました。分かる名前なら読めそう。知った名前をなんとなくを一通りすっきりさせたいですね」
 そう言ってジンジャエールを一口飲んだ。
「倭建命は中巻だからな」
「そっか、網羅できるのは先ですね……心が折れました……」
 むう、と顔を顰める。
「片手間にというには少し重いかな。忙しいみたいだし」
「はは、そこそこですよ」と手を振った。
「随分と手広く学んでいるようだが」
「生涯学習です。何事もやってみないと」
 そう言って当然のように笑って見せる。それができる人間はひと握りだ。
「それは、そうだが」
「むしろ各所にアンテナ張ってるのはあなたでしょう」
 そうでもないさ、と肩をすくめる。
「──お待たせ致しました、本日のスープでございます」
「わ、ありがとうございます」
 カルパッチョで次への期待が高まったのか、悠宇さんは目をキラキラさせて給仕を待った。表情がころころと変わるので、見ていて飽きない。

 店を出てすぐ、アラームで着信を装ってFDの方に向かうと、予想通り彼女はこちらから距離を置いて海を眺め始めた。
 気取られないように花束を取り出し、状態を確認する。問題ないな。静かに悠宇さんの元へ向かうと、目を閉じて少し切なそうな表情を浮かべていた。何を考えているんだろう。こちらに気付く気配がないので、すっと花束を彼女の前に差し出した。彼女が目を開いてきょとんとする。
「少し早いですが、」とバレンタインメールのタイトルを真似た。
 花束と僕を交互に見て、ホワイトデー? と首を傾げた。
「ああ」
「私、あげてないですけど……」
「写真を送ってくれただろう。あれは僕用で、だから誰にもあげず自分が食べた。相手がいないと言って、味見のためにあれだけのデコレーションをするとは思えない。字が崩れたなんていう理由の失敗作でも無さそうだった。となるとあれは写真を撮るために飾った」
 推理を述べるうちに彼女の耳が赤く染まって花束に視線を移した。寒さではなく、照れだろう。推理は的中しているらしい。不意に花言葉を思い出して、思考を打ち消そうと余計なことを口走ってしまった。
「しかしSNSにあげたのは別のラッピングされたタルトだ。つまり、僕に送るためのものだった。違うかい?」
 違いません、と弱々しく肯定しつつこちらを見上げる。SNSに関して彼女から聞いていないにも関わらず知っていることは聞き流されたようで胸を撫で下ろした。せっかくのムードがぶち壊しだ。
「だからお返しだ」
 そこまで言ってやっと花束を受け取ってくれた。
「ありがとうございます……」
 へなりと笑って、花束に鼻先を埋めて、匂いを嗅ぐ。喜色に安堵していると、突然顔が少し強ばった。
「悠宇さん?」
「あ、お花貰うなんてそうないから、その、嬉しくって」
 SNSの件に思い至ったのかもしれない。だがそれを指摘はしなかった。
「少し歩こうか」
「はい」
 大切そうに花束を胸元に抱き、彼女が足を動かし始めた。
「ちょっと、すみません」
 隣を歩いたのは一瞬で、悠宇さんが一歩先に出た。花束を抱く腕に力が籠り、少し下を向くのが後ろから見えて隣に並びかけた足を緩める。一度だけ鼻をすするのが聞えた。泣きそうで顔を隠したかったらしい。嬉し泣き……ということはさすがにない、よな。
 少しすると自販機があって、小さく首を振って、足を止める。追いついた時にはもう笑っていた。小銭を入れて、何飲みます? と尋ねる。
「これくらい出させてくださいね」
「……じゃあ、コーヒー」
 ホットコーヒーとホットミルクティーを買った。彼女は一口飲んで暖かい、と呟いた。僕は彼女と反対側の手に持って温度を感じつつ、今度は並んでゆっくりゆっくりと歩いた。
「お花、ありがとうございます」
「うん」
「今までで一番嬉しいホワイトデーです」
「大袈裟だなあ」
「本当ですよ」
 だとしたら、今まではどんなホワイトデーだったんだ。恋愛遍歴はある程度あがっており、経験ゼロというわけでもないことは知っている。
「ガーベラ、可愛いです」
 そのままソリダスターには気付かないでくれるか。
「白いリボンって珍しいですね。ふふ、白、好きなので嬉しいです」
「好きな色は白?」
「そうですね」
 頷いて、白、スカイブルー、黄色、あとはグレーもかな、と指折り数えながらこちらを見上げる。悠宇さんは僕の好みは尋ねなかった。
 寄り添いはするが、一切合切踏み込んではこない。だからこそこうして時間を共有できるのだ。そこに付随する感情にはまだ気付かないフリをしていたかった。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -