推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 3

 不思議な関係は電話というツールを増やして一歩先に進んだ……かと思いきや、いきなり十日以上連絡がなかったので僕から接触を図った。彼女に倣って、写真を添付して送信する。その後は気が向いた時にという状態を継続したまま師走に突入してしばらくが経つ。
 次なる報告が届いて、移動の片手間に目を通す。謎が解決するどころか増えていて、意識せずとも無表情になった。
 同僚が入院したから忙しいのだと聞いていたが、仕事が増えて精細を欠くどころか、むしろ誠実さが増しているらしい。信号ひとつ無視せず、困っている人に自ら声をかけて道案内をする。私生活も杜撰になるどころか、僕の軽いアドバイスを真面目に聞いて料理などの家事も手を抜かない。自炊の延長だと言ってお菓子作りさえしている。購入した本のリストには、趣味らしい小説に加えて仕事でのスキルアップや英会話らしいタイトルも並んでいるし、ジム通いもこのところ頻度が上がっている。
 悪い兆候は何も無く、これ以上はいたずらに部下の負担を増やすだけだと判断して監視の目を外させた。一方でトリガーの分からない変化を無視もできず、誰にも言わず個人的なやり取りは継続することにした。本来は一般人との接触は控えるべきなんだろうが、危なかっしい国民一人守れなくて何が警察だ。大した頻度でもないし物理的距離は大きい。組織の監視網に引っかからせない自信はある。

「大阪、ですか」
 電話口で上司の言葉を反芻する。
「そうだ。ちょうど一つ方をつけたところだろう。二十五日だ」
「……了解」
 しばらく慌ただしくしていて一区切りがついたかと思った矢先の大阪出張だ。
 安室透の体裁を取り繕い、本筋の黒ずくめの組織とはまた別に、公安関係の現場に張り込んで面識率を上げろ──監視対象組織の構成員を覚えておけという指示だ。一つの事件が終わったからといって、公安警察が休まることは無い。恐らく今も同じ警察庁内にいながらもわざわざ電話で連絡を入れる徹底ぶりに舌を巻く。
 時間帯と打ち合わせの関係で前日入りして大阪での一泊を余儀なくされるのだが、生憎とクリスマスイブで、ホテルの手配を近くにいた風見に指示したが、微かに困惑した気配があった。冬の一大イベントが重なれば仕方ない。同時に向こうで片付けられることをいくつかピックアップしたが相手の都合でうまく予定を詰められず、少し空白時間ができてしまった。
 足を伸ばすのだから、まとめて全て片付けてしまいたかったんだがな。他に何かと考えたところで、たまたま、進藤さんのことを思い出した。電話に出るかも、予定が空いているかも分からないが、聞くくらいはいいだろう。ケータイだけを手にしてデスクを離れる。

「──はい」
 接触には成功した。
「僕だ」
「こんばんは。どうされました?」
 相変わらずの一切の拒絶を感じさせない声に、ストレートに問いかける。
「進藤さん、クリスマスイブの予定は?」
「今のところ引きこもりのつもりです。淋しい独り身、理由なく外出するエネルギーがありません」
 笑って自虐ネタを披露したつもりなのだろうが、好都合だ。
「そっちに出張になりそうなんだ。夜、会えないか?」
「いけますよ」
 またも即座に了承する。このフットワークの軽さで何故聖夜に暇をしているのかは謎だ。
「酒はのめるか?」
「好きですよ。弱いんですけどね」
 廊下の向こうに焦った表情の部下の姿を認めると、あいつもこちらに気付いて僕を呼ぶ。
「そうか。また連絡する」
 アポは取った。具体的な日時は落ち着いたら連絡しよう。
「──斎藤、どうした」
 今は仕事中だ。



 まただ。彼女の関係はどうも後手後手に回る。優先順位の問題なので仕方がないのだが、正直そろそろ文句の一つでもあるのではないかと思っている。
 店こそピックアップしたものの打ち合わせの時間が読めず、当日の日が暮れてからやっと、念を入れて少し遅めの時間を設定し、駅近のバーを指定するメールを送る。
「──よし」
 待ち合わせまでに、あと一つ片付けてしまおう。

 そんな油断がいけなかったらしい。伸びた仕事をきっちりと終えた途端にバーに急行する羽目になった。クリスマスイブに女性一人をバーで待ちぼうけさせるのは些か、いやかなり不味い。
「十分、か」
 エレベーターの中で息を整えつつ、遅刻時間を確認する。店内を覗くと、ニットワンピースを着た彼女はすぐに見つかったが、一人でいる女性は彼女だけだという理由もある。丸いテーブルに頬杖をついてぼんやりしているが、手元のグラスが半分以上空いているのは、手持ち無沙汰で早めに来たのかもしれない。
 受付でコートを預けていると、彼女がこちらに気付き、自分のグラスに一瞬視線を落として目を泳がせた。遅刻した僕が悪いんだがなあ、と思いつつスコッチをストレートでオーダーして彼女の向かいに座った。
「お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな」
 待たせたはずなのだが、彼女はへらりと笑う。気を利かせた壮年のバーテンダーが、ロックグラスに注ぐだけのスコッチウイスキーをすぐに持ってくる。
「お疲れ様──いえ、メリークリスマス」
「メリークリスマス」
 グラスを鳴らして、遅い乾杯をする。
「本当に来てくれたんですね」
「誘ったのは僕だよ」
 笑顔の理由を語る彼女にしっかりと事実を思い出させる。
「それでも。嬉しいです」
 にこにこと笑みを湛えて彼女が言い、予想以上に好意的な様相に少し反応に困った。嫌われていない自信はあったが、な。僕の僅かな戸惑いを他所に、彼女はまた口を開く。
「雰囲気のいい店ですね」
「カクテルもうまいしな。進藤さんは甘い方が好きと思ったんだが」
 彼女の手元にあるグラスにはレモンが入っている。
「普段はそうですよ。たまにはチャレンジ、でカリフォルニア・レモネードです」
 バーボンベースのカクテルだ。あまりカクテルを飲むことはないのだが、記憶にあるそのレシピを話すと、多分そんな感じです、とふんわりした返事をして、グラスを回し、残りを一気に飲み干す。おい、弱いんじゃなかったのか。
「知らずに頼んだのか?」
「来る途中の電車で調べて、印象に残ってたので」
 すぐに白状した彼女の素直さに少し笑ってしまう。
「次は甘いのにしますよ。クリスマスっぽいのとか、おすすめとか、あります?」
「そうだな、アレキサンダーはどうだ? カカオと生クリームで飲みやすい。それとも冬らしくホットカクテルの方がいいか?」
「んー、アレキサンダーにします」
「すみません、彼女にアレキサンダーを」
 僕が先程のバーテンダーに声をかけると、進藤さんはお礼を言って楽しみだとにこにこ笑う。
「私、お酒弱いんであまりこういう店来れなくて。新鮮です。いつも二、三杯で顔真っ赤になっちゃうので、飲まされることがあまりないのはラッキーですが、好きなんで色々飲みたいんですけどねえ」
「好きだけど弱いのか、それは困ったな」
「タチが悪いって友達には言われるんです」
 その友達は間違っていないぞ。一杯目にして表情の緩んだ彼女を見て確信する。
「普段は何を飲むんだ?」
「ピーチベースとか、カルーアとか。口当たりのいい日本酒も好きですよ。獺祭とか久保田とか。あなたは?」
「このところはもっぱらウイスキーだよ」
「スコッチ?」
 先程のオーダーを聞いていたらしく、小さく首を傾げ、五大ウイスキーの中から代表格を挙げた。
「スコッチ。もちろん店と料理に合わせてワインなんかも飲むけどね」
「全部似合う……」
「進藤さんは僕にどういうイメージを持ってるんだ」
「すごい人」
「ざっくりし過ぎじゃないか」
 あはは、と彼女は口を開けて笑う。裏のない笑顔で、先程までの気の抜けない仕事とのギャップに毒気を抜かれた。思いの外、好意的に思われているらしい。まったく……仕方ないので誤魔化されてやることにした。

 バレンシアをすすめ、どうにか彼女の話を聞き出す。上司が、友達が、後輩が。名前や個人情報に障りのない範囲で色々な人物を引き合いに出すから、少し手こずった。誰かの話を聞き始めると彼女自身に辿り着くのに随分とかかるのではないかという予感があったので、全て流した。
 彼女がメロン・ボールを飲み始める。僕は何杯目かのスコッチを頼んだ。数少ない対面の機会は他人の話をする時ではない。ジム通いの頻度をあげてトレーニングに励んでいることも、英語の勉強をしていることも、彼女の口から聞くことと報告書の内容は合致した。

 カクテルの話になり、軽い冗談で言ったロングアイランド・アイスティー本当にを注文した時には、知らないのかとまた心配になった。止める間もなくバーテンダーに言ってしまう。僕がぎょっとしたのに気付いた彼は、スコッチを好む僕にチェイサーの水を勧めた。いい大人なんだからセーブくらいできるだろうが、この様子だと手元にあった方がいいだろう。
「あ、おいしー!」
「そうか」
 彼女は頬を赤く染め、にこにことレディーキラーの代表格を味わう。半分くらいのんだあたりからはへなりとした笑顔を途切れさせることなく、鼻歌でも歌いそうなくらいの勢いだ。
「機嫌がいいな」
「ふふ、そりゃあもちろん」
「どうしてだ?」
「だって私今、すごい人の前におるし?」
「へえ、どうすごいんだ?」
 軽い気持ちで尋ねると、えー、とはにかむ。
「まず正義の人じゃないですかー?」
 同意を求められても。警察だから正義、か。安直だなあ。そんな思考は直ぐに打ち消される。
「もちろんお仕事もやけど性格の話ですよー。それにまずは悪い人を討伐する腕があるじゃないですか、強いっ! お忙しそうな中キープするのって、相当な努力家ってことですし。素敵すぎるやん。尊敬」
 唐突な褒めちぎりに呆気に取られ、言葉を失う。
「それからー、お料理もやし。何度飯テロやと思ったことか。家庭料理から本格的な料理まで手広くカバーしているあたりがやばい。自炊筆頭に生活力に満ちてる。その調子やいいぞもっとやれ」
 どういう視点だ。
「あとはなー」
「まだあるのか……」
「当然です。それこそ掃いて捨てるほど……いやそれはあかんもったいない!」
「比喩だろう」
「比喩でもだめですぅ。根が真面目で、優しくて」
 嘘だろ、まだ続けるのか。
「やから目の前のものを放っておけへん、真っ直ぐで素敵なんヒトなんです」
「ホォー……」
 こそばゆい気持ちになったが、なんとかロックグラスに残ったスコッチを呷って顔を引き締める。
「真善美兼ね備えたストイックな、尊崇すべき存在です」
「ストイック、ね……それは進藤さんだろう?」
「うん?」
 きょとり、と首を傾げる。
「仕事に体作りに家事に世間に、妥協せず向き合ってるじゃないか」
 そうですかねえ、と破顔したまま呟く。この酔っ払いは、あれだけ手放しに賞賛した相手なんだから、今踏み込めば答えるんじゃないだろうか。
 僕は国の為にある。この日本と言う国を尊び、守る為に日々を過ごしている。生きている。だったら、君は。進藤さんがこうなったきっかけは?
「君が頑張る理由はなんだ?」
「推しに尽くしたい」
 すぅと笑みが消え去り、赤らんだ顔のまま、瞳に強い意志を乗せて言葉を紡ぐ。真っ直ぐに僕を見据える瞳に、告白を受けたような気分になった。
 おし? 聞きなれない単語で、咄嗟に漢字変換に手間取った。何にしろ、誰にしろ、彼女の生活の一%にも及ばない僕は関係がない。なのに惹き込まれてしまった。
 彼女を駆り立てる理由が僕なら。
 ふと浮かんでしまった夢見がちな思考を慌てて消す。
「なんだ、それは」
 ふふ、とまた進藤さんは頬を緩ませた。
「推しは推しです」
 なんの解答にもなっていない返事だ。困ってついグラスに手を伸ばしたが空で、咄嗟に隣に置いたチェイサーを喉に流し込む。──しまった、彼女用だった。いくらここまで酔っていようが口をつけたグラスを渡すのは気が引けて、バーテンダーに水を頼む。一緒にバーボン・ウイスキーも。アルコールと酔いに関する記憶をろくに聞いてもないだろう相手にべらべらと話す。
「だから──まったく、のみすぎだぞ」
「だいじょーぶでーす」
「いいからほら、飲んで」
 水の入ったグラスを押し付けると、にやにや笑ったまま受け取る。
「はあい。……優しい。人たらしですよね本当に」
 おい、いつまで言うんだこの人は。
「それだけ言うにしては随分と他人行儀だな」
「えー、そうですかねー」
「……なあ、名前で呼んでもいいか」
「はい」
 清々しいまでの即答だった。
「……悠宇、さん」
「はいっ!」
 心底嬉しそうに返事をする。僕が名前で呼んでも彼女は──そもそも、僕を名前どころか苗字でさえ呼びすらしないのか。まさか、忘れられてはないよな?

 終電がなくなったから、いっそ時間を気にしなくて良くなったと屈託なく笑う。もう少しこの時間を続けたかったから、好都合だった。この酔っ払いを終電に押し込むより、タクシーで帰らせた方がよっぽど安心だ。

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