推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ File.5 沖矢昴の証言(55.2)

 始まりはボウヤからの救難信号だ。妃法律事務所で見張られているので探って欲しいという内容だった。暇を持て余して読書に耽っていたので二つ返事で了承し、その人物のいる喫茶店と特徴を確認した。

 メールに記載された場所に赴くと、喫茶店の外から姿を確認できた。なるほど、ライトブラウンの髪と髪色と同じ明るいブラウンの瞳、それから少しとれた赤いリップが目立つ派手な顔立ち──いや、化粧か。その外見に合わず、開いているのは小説だろうか。しかしそれに集中している気配はなかった。店内の混み具合から彼女の近くを確保することは難しそうなので、もうしばらく外からの観察を続ける。頬杖をついてぼんやりとボウヤのいるビルを見上げているものの心ここに在らずといった様相だ。
 ──ふむ。
 顎に手をやり思案する。
 どうにも、その手の人間では無さそうだ。事務所の監視も抜け目ないとは言い難いし、こちらの視線に微塵も気付いている気配もない。全くの素人だ。
 眉尻を下げて溜息をつく姿は、監視役と言うよりは、むしろ恋する乙女とでも言うべきだろうか。最も、それすら演技だとすれば恐ろしい話だが。

 折を見て入店し、彼女に相席を持ちかけることとした。コーヒーを得て彼女の所に向かうと、その頃には手元にあるのは本からスマホに変わっていた。
 座る彼女のスマホをさり気なく覗き見ると、『運命を変える方法』で検索しているところだった。言葉を失った。
 気を取り直して観察を続ける。ライトブラウンの髪は、染髪で傷んだというより偽物、すなわちカツラに見えた。一瞬ボウヤのセンサーを疑ってしまったことを反省し、外見と挙動と中身と、全てがチグハグな彼女に相席を請う。しかしこちらに一瞥もくれず、一拍遅れて是の返事をされただけだった。
 あまりの反応の無さに拍子抜けしつつ、小さな机を挟んだだけの近距離で無遠慮に観察を続けた。
 髪は、カツラだ。よく見ればもみあげから微かに覗く黒髪が地毛なのだろう。目も、カラーコンタクトだ。赤いリップもはっきりしたアイメイクも薄いとは言い難く、まじまじと見つめていれば、むしろ元の顔立ちを誤魔化すようにされている化粧だと分かった。間違いなく意図的だろう。スマートフォンは見慣れないメーカーのもので、それを持つ手は見た目に反して爪がきちんと短く切りそろえられており、ネイルなども施されていない。こちらが本来の嗜好だろう。
 儚げな表情で伏し目がちに外を見ていたが、微かに口元を緩ませ、不意にこちらを捉えた。瞠目し、固まる。驚嘆の理由に思考を巡らせつつ「どうかされましたか?」と何食わぬ顔で尋ねた。

 あからさまな警戒心を発揮しつつも、逃げることなく会話を続ける。色恋沙汰と指摘したのは半分当てずっぽうだったのだが、反応は悪くはなかった。
 ──優しくて、知的で、目的のために邁進するキラキラした人。住む世界が違う、遠く及ばない人。
 強く想う相手へのその評価は、本心だろう。顔も名前も偽ろうとした彼女だが、甘さがある。根は善人らしい。口が悪く冷たい対応だが、こちらを完全に突っぱねようとはしていない。駆け引きよりもストレートに逃げ道を奪う方が合うだろう。
 そこそこで駆け引きに見切りをつけ、雑談へと移行する。知識豊富で、頭は回るタイプらしい。それでいて素直だ。興味深い話題に警戒心が薄れ、地の関西弁が出ている。意図的に隠していたのだとすれば、本拠地はそちらだろうか。踏み込むに当たって彼女の基盤を考え、口説くようなことを言ってみたが袖にされてしまった。害を成す人間ではないらしいが、実態を暴くには長丁場になるな、とじわじわと距離を詰め、どうにか連絡先を入手した。どうアプローチしたものか。

 ボウヤには、人畜無害そうである旨を伝えておいた。慌ただしいらしく、感謝を示す簡素なメッセージのみで、深く問われることはなかった。



 対面でないと警戒心を取り戻したらしく、随分と反応が悪い。他愛のない会話をし、日常を探り、時々率直に突っ込む。画面越しになった途端、プロファイリングの難易度が上がった。アイコンが初期に変わったのには、後悔して僅かであっても情報を減らしたいのかと邪推した。それでも返事の有無を気にせず、手の空いた時にメッセージを送り続けた。
 バーボンを片手に、メッセージを読み返す。返事の時間帯などから、フルタイム勤務で、休みは土日祝。知識は多岐にわたるが、特に医療に造詣が深い。こちらに出てきているのではなく、やはり関西を本拠地とするらしい。その上で、東都に住んでいると思わせようと足掻いている。それは単なる警戒心からだろうか。最初にこちらに気付いた瞬間の表情を思い出す。何を知っている。



 ゴールデンウィークから少しして、ボウヤが工藤邸を訪れた。ふと話題が彼女に移る。そう言えばあの人はなんだったの、と。沖矢昴の姿のまま、本来の口調であの日の会話内容を掻い摘んで説明する。問題ないと聞いていたのに、と変装と偽名で引き攣っていた表情が、本名で少しだけ変わった。
「覚えがあるのか」
「まあ、よくある苗字だからね」
 足をぶらつかせながら言う。
「それもそうだな」
 それきりで、話題は移ろった。



 それからしばらく経つが、彼女に関する情報収集は特段進んでいない。返事をしてくれるあたりに人の良さが出ているが、対面や直接の会話でないと、おいそれと個人情報を落としてはくれないらしい。尚更探る必要が生まれた。探られて痛い腹があるのではないか、と。
 意外にも、再会したのは米花町だった。こちらを訪れる理由があるのか、あるいは読み違いでこちらに住んでいるのか。相変わらずの冷たい対応だった。
 車道にまで後退り、スピードを落とすことなく走るセダンにも気付かない。慌てて引き寄せると、どこか懐かしい匂いがした。ふと潜入していた時を思い出す。バーボンと、スコッチと、三人で行動していた頃を。何がそう思わせたのかは分からないままに、体が離れる。
 結局はペットの世話などという理由で逃げられてしまった。本当にいるのであればとあとで写真を請求してみたが、返事はなかった。



 決定打のないまま、翌日ボウヤに彼女に会ったことを伝えると、昼過ぎに慌てた様子で工藤邸を訪れた。
 彼女とのやり取りを見せてくれ、と。

「やっぱりそうだ」
「彼女は君の知る人で、それも安室君関係だと?」
「うん。さっき風見さん──安室さんの部下と接触しているのを見たから、間違いない。それに、二人は親しいはずなのにそれを隠してるって、前から疑ってたんだ」
 彼女は安室君に焦がれて盲信する協力者であると推理した。そうであれば、初めてこちらを見た時の驚嘆にも説明がつく。安室君経由で沖矢昴を知っていたのだ。江戸川コナンを知っていたのだ。沖矢昴と江戸川コナンの繋がりを聞いていたのだ。警察官という正義に寄り添う協力者──なるほど、対応の中に悪意を感じないわけだ。
 彼女の言う大切な相手の像は、降谷零くんに一致する。偵察に関して素人であることや、住む世界が違うという言葉から、警察官ではないことも推察できたからこその、協力者だ。
「組織関係で、福山って苗字に覚えはある?」
「──いや、これと言って浮かばないが。どういう意味だ?」
「あの人の結婚相手の苗字だよ。親しい梓姉ちゃんにも言わなかった……いや、偶然がない限り言えなかった苗字なんだ。安室さんの立ち位置からすると……潜入なんじゃないかな、と思うんだ」
「組織関係の男の元へ送り込まれたということか」
「うん。結婚相手は仮初の相手だから、言えなかった。躊躇したのだって、好き好んだ苗字じゃないから。……そうだ、職場でも旧姓をずっと使ってる。後暗いものがあるのはほぼ確実だよ。
 だから何とかして助けたいと思ってる。だって泣くほど焦がれてる相手がいるのに、好きでもない人と結婚するなんて絶対間違ってる」
 彼がそんなことを強いるだろうか。少し考えて、その疑問を口にする。
「言い出したのはどっちか分からないけど……そこまでさせるんなら、組織の中核に近いはずだよ。それこそ、昴さんが知らないくらい。それに、あの安室さんが一瞬でも表情を崩すくらいには重要な存在みたいだし」
 推理を否定する材料はなく、肯定する情報ばかりが次々に湧き出て来た。
 福山という男の実態を知るには、直接話すしかないだろう。

 ポアロの従業員から、今日彼女はトロピカルランドに行くこと、それから安室君は不在であるという情報を得ていた。そもそも彼女がこちらにいる時は限られている。話を持ちかけるに足る情報が揃っていた。今日しかないと思えるほどに。



 安室君に連れられて彼女が廃ビルを立ち去るのを、ただ見送った。悲痛な咆哮がまだ耳に残っている。
「……ボウヤ、一つ思ったことがあるんだが」
「……奇遇だね。僕もあるんだ」
 はああ、とボウヤが屈んで深々溜息をついた。完全に、一方通行だと勘違いしていたようだ。
「馬に蹴られた気分だぜ」
「全くだ」
 結局どっちもオレが損してるじゃねえか、とボソッっと毒づいている。
「契約結婚だか不倫だか知らねえけど……まあ、あの人のことだからなんとかするだろ」
「ふむ……潜入捜査官の立場上、安室君は表に出れず略奪に手間取っているのか。彼も人の子だったようだな」
「うげ、そういう生々しい話始める?」
 それすら見当違いだと知ったのはそう遠い未来の話でもないのだが、この時はそんなこと知る由もない。

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