Raison d'être | ナノ


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 本日の任務は都内に発生した呪霊の討伐だった。私の家からほど近いため自力で現地に着けば、休日に急遽招集されたらしいワンピース姿の羽佐間二級呪術師がいた。翻るスカートを気にも留めず突撃し、彼女が宙空の呪霊を結界で串刺しにしたことで討伐が完了したはいいが、油断した彼女に呪霊が取り込んでいたモノの血肉が降り注ぎ、全身どろどろだ。私は膝から下が少し汚れただけだったが、これじゃタクシーも乗れないよシャワーと洗濯機貸して、と彼女が文字通り泣きついてきたせいでもれなくジャケットまでクリーニング行きになった。

 そんな羽佐間佳蓮という女性とは、名前を付け難い関係性になっている。
 友人というには近過ぎて、それでも親友でもなく、まして恋人などでもない。甘い空気になったことなど一度たりともない。それでも間違いなく、術式の相性がいいからという理由だけでは到底説明がつかないほどに近過ぎる。彼女の隣はただ心地よい。彼女は戦場に生きる根っからの呪術師であり、呪詛師を静かに狩る結界師であり、そしてよく笑う二十五の女性だ。
 だがそう思っているのは私だけのようだ。彼女はことあるごとに、相棒、相棒、と付けた呼び名でひどく上機嫌に笑っている。彼女が望む関係性は明らかだが、それを否定も肯定もしないでいる。
「あれだけ嬉しそうにされて、今更否定もできないでしょう……」
 コーヒーを飲み、溜息をついた私は、彼女に甘い。そして彼女は私には驚くほど無警戒だ。
「悪くはありませんが」
 最初は同輩へのささやかな配慮程度のつもりだった。二級までくれば、くだらない揶揄は減るだろうか。ただの友人関係を隠す必要が今もまだあるのだろうか。そう思いながら、隠れたこの関係をずるずると続けていた。彼女もそれに不満はないようだし、お互い満足している現状を変える必要など──……
「七海、洗濯まだ終わんない! 何とかできない!?」
「無理です」
 バスルームから顔だけ覗かせたらしい彼女に一瞥もくれず、冷たく返した。
「今日は硝子さんに会うのに」
「待っていても早くはなりません。部屋着でもなんでも着てさっさと出てきてください。私も早くシャワーを浴びたいので」
 はあい、としょげた彼女が頭を拭きながらリビングにやってくる。私の前に来ると、先ありがと、と微笑んだ。



 待ち合わせ場所についたのはかなりギリギリだったが、私と佳蓮さんが最初らしい。
「あ、伊地知さん遅れそうってさ」
 スマホを見て、佳蓮さんが言った。個人連絡か。少しモヤっとした。
「来れるといいけど」
「どうでしょうね」
「前七海の家で宅飲みになったのも、一次会間に合わなかったからだもんね」
「五条さんに彼が振り回されるのはいつもの事ですが」
「高橋ちゃんがキレてたなあ」
 彼女の親しい補助監督の名前をあげ、困ったように首を振った。
「どうにかならないかな?」
「無理でしょう」
 だよねえ、と苦笑いする。
「……七海、今日は家でゆっくりの気分だったでしょ。巻き込んだけどよかったの?」
「ええ」
「そり──あ、硝子さんだ! こっちですー!」
 途端に満面の笑みでぶんぶんと手を振る。反転術式で怪我を治してもらって以降、ますます慕っているようだ。懐いているという方が適切な表現か。
「聞いたよ。急遽任務だったんだってな」
「そうなんですよ! 家出てたのに、タイミング悪すぎて。あ、それが七海とだったから今日の誘ったんですよ」
「ああ、そういうことか。二人とも無事そうじゃないか」
「服はダメになっちゃったんで、さっきそこで買いました」
「へえ、七海と?」
「はい。店の外でしっかり待たせちゃいました!」
「ははっ、さすが」
 伊地知君は遅れるようなので入りましょう、と言ってこちらに向いた物言いたげな視線を捩じ伏せた。こうなるならいつものスーツで来るんだった。



 私と家入さんのペースに釣られて飲んだ彼女はそこそこで落ちた。伊地知君は来れなくなったようなので、実質サシ飲みになる。
「七海……わざとだろ」
 家入さんがお猪口を手にしたままにやにやと笑った。
「なんのことですか?」
「佳蓮がハイペースなのに止めなかった」
 彼女の隣で突っ伏す女性の頬をつんつんとつつくが、起きそうもない。
「……それが何か? もういい大人なんですから、それくらい自分で管理すべきでしょう」
「それだけ?」
「ついでに言えば、家入さんも同罪です」
「違いない」と彼女は笑った。
「で? お前らどうなってんの?」
「何も」
「この子は奥手だぞ。それに、恋愛遍歴聞いたか?」
「いえ」
 そういった話題は出ない。
「全然続かなかったんだと」
「……でしょうね」
 頷いた私に、家入さんは小首を傾げて続きを促す。
「彼女は根っからの呪術師ですよ。今までは一般人のフリをしていただけで……親しくなって皮が剥がれてくれば、噛み合わないこともあるでしょう」
「よく分かってるな」
「普通の人間は躊躇なく呪詛師を屠って、その後を平然と生きるなんてことはできませんよ。一般人として過ごした時の長い彼女のような場合は特に」
「それもそうか。少し前も呪詛師引いたんだっけ? 二級に上がった直後の。いや、あれはお前はいなかったか」
「佳蓮さん単独です。呪詛師二人を相手取って無事にやれたなとは思いますが」
「随分と説教をしたそうじゃないか」
「知ってて聞きましたね」
 家入さんは肩を竦めて日本酒を飲み干す。空になったお猪口に徳利から酒をついでやった。
「時々急に突っ込むんですよ、佳蓮さんは。結果術師を出さない帳に閉じ込められて」
「でもうまくすり抜けて出たんだろう? やるじゃないか。褒めてやれば随分喜ぶだろう?」
 佳蓮さんの長い髪を、テーブルで汚れないよう流してやっている。なんだかんだ、家入さんも彼女に甘い。
「即座に外の呪詛師を叩きに行った判断は正しかったのですが、それを真っ先に褒めては彼女が反省しませんので」
「厳しいな」
「普通ですよ」
「君がそんなだから、この子が自信をつけるのにこんなにかかったんだろ? じゃなきゃもっと早く二級になってたかも」
「家入さんはご存じないかもしれませんが、佳蓮さんは時々無鉄砲です。それで死なれる方が迷惑ですから、きちんと実力を身に付けて、かつ反射的な行動を制御できるようになっていただかなければなりません。物事には順番がありますので」
「どっちがよかったかは微妙なところだな」
 家入さんは軽く流して、追加の酒を二人分注文した。

 二人で飲むことしばらく。佳蓮さんは相変わらず起きる気配もなく、私もかなり酔いが回ってきた。平然としている家入さんはただでさえウワバミだというのに、私にどんどん酒を勧めてくる。
「ちょっと前にも佳蓮とサシ飲み行ったんだよ」
 薮蛇にならないよう、口を挟まずウイスキーを飲んだ。
「ええと、いつだったかな」
 考える素振りを見せた先輩に、やや迷って、助け舟を出す。
「……佳蓮さんが犬のようにはしゃいでいたのは先月末です」
「やっぱ把握してるんだ。マネージャー業でも兼業してんの?」
「違います」
「どっちかというとトレーナー? それともコーチ?」
「この人が私に従ってくれれば、説教することもないはずなんですがね……何が言いたいんですか?」
「私も君達はそんなものだろうと思ってたんだけどね……その時潰したらゲロった」
 可笑しそうに口角をあげた先輩に、フーー、と溜息をつく。この人との付き合い方も教えた方がいいのかもしれない。
「一応聞きますが、何を?」
「ネックレス、贈ったんだって?」
「……その時は少し時間があったので。昇進祝いを買おうと欲しいものを聞いた結果ですよ」
「へえ、七海に選んでもらったと聞いたんだけどな」
 意地悪く先輩が微笑んで、つい舌打ちした。不敬を咎められはしなかったが、追及は続く。
「その後の肉もだ。あの店の予約がまったく取れないのは私も知ってるぞ。餌にして釣っただろ」
「そうですね」
「開き直ったか。デートのつもりだったんだろう?」
「違います……佳蓮さんが、無事に帰還したいと思える理由を作りたかっただけです」
「見えないところで死なれたくない──で隠れて奔走するようなキャラだっけ?」
「きな臭いと連絡してきたのは家入さんでしょう」
「ははっ、そうだった」
 上機嫌な家入さんを前に、ウイスキーを流し込む。味がよく分からなくなってきた。もう止めなければ。
「彼女が無事に帰ってきた。昇進祝いに欲しいものをプレゼントした。それだけのことです」
「すべて計画通りに進んだようで安心したよ」
「……それが確認したかったんですか」
「七海が素直に喋ってくれる男なら、ここまでしなくてもよかったんだぞ。安心しろ、五条には言わない。絡まれてお互い面倒だ」
「元の情報源はそちらでしたか」
「まあな。で、いつから好きなんだ?」
「知りたいんですか?」
「いや、聞いてみただけだ」
 本日何度目かの溜息で返した。
「うまくいったらこっそり教えてくれ。酒持って遊びに行くよ。──じゃあ、あとは任せた」
 家入さんはすっと立ち上がり、同じだけ飲んだとは思えないほど安定した足取りであっという間に消えてしまった。

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