散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第十九夜

「ちくしょう!!」
 少しずつ進めている引越し準備で幾分生活感の失われてきた部屋の中、右手を握りこんで盛大に叩きつけた机が鈍い悲鳴をあげた。感情のままに動いた乱暴な自分を少し悔いつつ、コミックスの九十八巻を机に置き去りにしてぱたりと仰向けに倒れた。
 まさかまさかとは思ったけれど、確かに透──いや、れいの話と二次元の降谷零の過去に何ら矛盾はなかった。
 初恋の人も、幼馴染みの親友も、テニスも、ギターも、学生時代から志し、辿り着いた職業も。そして何より。
「死んだ同期まで」
 君は笑って幸せに生きるものだと思いたかった。こんな未来、あんまりじゃないか。神も仏もあるものか。
 見るんじゃなかったとこれほど後悔したことは一度もない。そして私は紙と夢の差異を探して週末を迎えることになるんだ。滲んだ悔し涙を腕で押さえ込み、まだ終わってないのだと深呼吸する。
 透は、少年Aは、靄っ子は。れいは。ふるやれいは。
「確かにいるんだよ……」
 血の通った存在として、私の中にどかっと居座っているんだ。嫌だ。嫌だ嫌だ。未来ならどれほど良かったか。過去ならどれだけ救われたか。
 恋心は失恋と共にあった。これほど不毛なことがあるのか。

 違いを見出すには、紙の向こう側を知らなければ。二十二歳の確認をしようとじんわりと痛む右手をスマホに伸ばし、まだ慣れない指先に気付いて動きが止まる。これしかないと選んだ、爽やかなクラシックブルーとホログラムのネイルポリッシュ。退職だと浮かれて目立つ色に塗った爪だが、くすんで映る。やっぱり来週にでも落とそう、と独りごちた。私には似合わない。
 ごめん、零。

***

 少し草臥れたスーツ姿の圧倒的イケメン降谷零様に、まずはにっこりと笑いかける。何故ならいつもと違って私は元気いっぱい、退職万々歳だ。嗚呼、余裕とは斯くもいみじきものなりや。夜更かしできるだけの充分なエネルギーを得ているのだが、生憎と明日から数日は帰省するのであまり好ましくはないのだけれど。新居には持って行かず、一旦実家に置くものの関係があるのだから致し方ない。
「桜か……」
 この男は本当にかなり疲れているらしい。額に手を当て、はああと深い溜息をついている。
「何徹したの?」
「仮眠は取ってる」
「睡眠とれよ。……ま、ここで心配しても仕方ないか。どうせ今は寝てるんだし? なんかいれるよ、ご希望は?」
 キッチンに向かいかけた私だが、すぐに腕ががっちりと掴まれる。なんだよ元気じゃねえか。
「おい、今日はオムライスの日だろ」と透は不機嫌そうに言った。
「ああ、そうだったそうだった」
 夢だが多少の空腹を演出してみようと、夕食はサラダとスープで済ませたんだったな。存外空腹感はなく、規則性を見出したところで、相変わらずこの夢は気が利かない。
「思い出したか」
「うんうん、零の手作りふわとろオムライスデミグラスソースがけをいただく日だった」
「桜、サラッとハードルを上げてくるよな」
「だって、零のことだからこの二年間で練習してるだろうし。信頼しかないなあ。だから今日はここ数年で最高の出来栄えのものを作ってくれるんでしょ?」
「なんかボジョレーヌーボーみたいな評価の仕方だな」
「次作ってもらったら、過去三十年で最高ってキャッチコピーにしようかな。それとも、過去最高と言われた十九回目を上回る出来栄えの方がいい?」
「どっちでもいい」
「どっちでもっていうか、どうでもいいって感じだね」
「まあな。うまいって食ってくれるんならそれで充分」
「おいおい発言がイケメンかよ」
「悪いな、中身もイケメンなんだ」
「中身もイケメンならそんなこと言わねえよ」
「作らないぞ」
「やだ! 食べる!」
「はいはい」
 彼は嬉しそうに私の頭を撫でて、スーツのジャケットを脱いで腕捲りをした。調理開始だ。
「ねえ、私は何をしたらいい?」
「コーヒーでもいれるからそこで大人しく待ってて」
「待ってる間に寝るなという圧を感じた。そして子供扱いすんな。絶対寝ないから安心して料理して」
「はは、ごめん。桜はちゃんと宣言するもんな」
 肩を竦めてお湯を沸かし始める。
「お、謝るべきはそっちじゃないと思うな?」
 いつものノリでお姉さん、と言いかけたけれど、この部屋に居るのは曲がりなりにも同い年の男女であったことを思い出した。
「ほら、今のうちにコーヒー出して」
「豆とか言わないよね? 私分かんないよ」
「ドリップコーヒーでも、インスタントでも。いや、桜ならスティックタイプかな」
「大正解。ブラックもだけど抹茶ラテとかも結構好きなんだよね。ま、かつて仕事とズッ友してた時の連れ合いだよ。今はキャラメルマキアートに浮気したい気分。久々に飲みたくなっちゃった」
「それは家主に言ってくれ」
「こういうちょっとしたお願い、成功した試しがないよね」
「桜の欲が滲み出てるから……」
「あのねえ」
「僕は普通のコーヒーで」
「成功率高いのは私でしょ。それとも賭ける?」
「何を?」
「……何にしよう?」
「本当に軽い思いつきで話すよな」
「負けた方が買った方の言うことをなんでも聞くとかでいいか」
「雑すぎだろ。言い出したクセに思考放棄すんな」
「じゃあなんか案ある?」
「それでいこう」
 きりりと凛々しい顔で言っているが、つまり妙案はないということだった。やっぱこいつ、かなり疲れてるんじゃない?

 数分後、床に膝をついて嘆くのは私の役目だった。
「そう、そうだ! 想像が良くないんだ」
「往生際が悪いぞ」
「キャラメルラテなら」
 期待してがばりと顔をあげると、却下、と即座に切り捨てられた。
「それは反則だ。キャラメルマキアートとキャラメルラテは違うだろ」
「似たようなもんじゃん」
「キャラメルラテはキャラメルシロップ、エスプレッソ、ミルクで作るものだ。マキアートはそこにバニラシロップが入っているし、ミルクもフォームミルクを使用する。よって完全に別物だ。そもそもマキアートというのは染み付いたを意味するイタリア語で、エスプレッソに注いだミルクの跡が染みに見えることから名付けられたんだ。そういう意味でも、マキアートではないな。ちなみに、エスプレッソにフォームミルクで作るのがカプチーノだ」
「細かい!」
 こいつ知識で殴ってきやがった。どっちも美味しいからいいじゃないか。
「いいじゃんか。やるだやってみようよ、ね!」
「やるだけな」
 そして失敗するまでがセットだった。おい家主様、そういう空気の読み方は要らねえんだよ。
「何でだ……今まで私の方が成功率高かったじゃん……部屋にあるもの見つけがちだったじゃん」
「愚者は過去を語る……おっと、お湯湧いたな」
「ねえ辛辣すぎない?」
 打ちひしがれる私を無視し、透は封を切って私の分のコーヒーをいれてくれた。優しいのか冷たいのかはっきりしろし。

 仕方が無いので、料理をする透をひたすらにじーっと見詰め、観察し、目に焼き付ける。レシピを盗む。多分できないだろうけど、でも、自分の世界でなら透の味で食べる・・・ことができるかもしれないから。しばしば顔にばかり視線がいってしまい、手順を見落としそうになる。だって楽しそうに作るんだもの。こんなの、ずっと見てられるに決まってる。
 まずは炊飯器をセットし、デミグラスソース作りが始まる。玉ねぎをオムライス用とソース用に分けてみじん切りにする包丁捌きは手慣れたものだ。私の方が確実に遅い。
「そうだ、卵はふわとろでいいんだな?」
「ふわとろもいいけど……やっぱり薄焼き卵で包んだやつがいいなー」
「さっきのはなんだったんだよ」
「よくある最強のオムライスじゃん。でも私は昔ながらのオムライスも大好き」
「はいはい了解」
 他の食材と共に卵が常温に戻し、オムライス用の人参などを切っていく。次いで小麦粉を乾煎りし始めた時には唖然とした。知らない手順だ。いや、デミグラスソース手作りしたことなんかないけどさ。不思議そうにしてるいると、背後に目でもついていたのか、乾煎りの理由を説明してくれた。
 きつね色になった小麦粉を取り出し、バターと玉ねぎを炒めてから小麦粉を入れて更に炒め、その後で他の調味料を投入。途中炊けたご飯を冷ましつつ、ソースを煮込み、目分量なので味を微調整する。満足のいく出来栄えらしく、頬を緩めて頷く表情にちょっぴりときめいた。
「そんなに見詰められたらやりにくいな」
「へ?」
 解説タイムではないと油断していたため、妙な声が出た。
「いや、めちゃめちゃいつもやってますって感じだけど。むしろ本職ですって勢いだけど。実は調理師免許持ってたりする?」
「趣味の範囲だ」
「趣味って言葉のレベルが高ぇなオイ。絶対うまいじゃん」
「期待に応えられるよう頑張るよ」
「もうちょっと頑張らなくても応えられますって顔なんとかしたら? 自信しか感じないよ」
「そんなことないよ」
 ケチャップライスの準備をしながら、透はくすりと笑う。もうちょっと謙虚さを出してもいいと思うよ、私は。
「へえ?」
「好きな人に初めて作る料理で緊張しないわけがないだろう?」
 思わず机に突っ伏しそうになったのを気合いで堪え、ポーカーフェイスをキープするべく小さく深呼吸する。
「……だから、もうちょっとそれらしくしてみたら?」
「してるしてる」
「どこがよ……」
 唸る私に笑い声が返ってきた。

 ケチャップライスはきめ細やかな薄焼き卵に包まれ、無事出すことの出来た大きな白い平皿の真ん中に一発で配置された。その上に手作りデミグラスソースがかけられ、完成だ。早く食べたい。期待で唾液が増える。我ながら卑しい。
「どうぞ」
「いただきます!」
 合掌し、すぐさまスプーンに手を伸ばす。ぷつりと端から卵を切るとすぐにケチャップライスが顔を出し、まとめて掬ってデミグラスソースをつける。くん、と一度匂いを嗅いで口に放り込むと幸せが広がった。満面の笑みで一口目を飲み込んだ。
「零、すごい! すっごくおいしい!! 今までのオムライスで一番美味しいかも……え、何これ。やばい。すごい。家にある材料だよね」
 すごいと美味しいを馬鹿みたいに繰り返した。グルメレポーターにはなれなかった。透は私の大絶賛に驚いた顔をして、それから口元を手で隠し、目を細めて照れくさそうに笑った。なんだよその表情可愛いじゃんか。だがしかし乙女モードの私も食欲に敗北して次なる一口を放り込んだ。欲目が入っているのかもしれないけど、でも、やっぱりおいしい。その一言に尽きる。
「いただきます」
 顔を引き締め、正面のイケメンも手を合わせて食べ始めた。あ、真ん中から食べるタイプか。一口が大きい。そんな一つ一つの発見が嬉しい。まだまだ知らない彼がいるんだ。
 好きな人と一緒にご飯を食べられる。今だけの喜びだ。ぱくり、また一口。

「最近さ、占いにハマってるんだよね」
 粗方食べたところで、手を止めて口を開く。
「占い?」
「そう。占い。タロット占いやるんだ」
「やる側かよ」
「うん。で、練習に透何回か占ったんだけどさ」
「勝手に占うなよ……」
「何回も逆位置ばっかでさー、なかなか始めらんなくて。あ、逆位置ばっかだとやり直しなんだよ。ああカードの機嫌が悪いですねーとかなんとか言ってさ。質問の仕方が悪いとか言われてたりもするんだけど」
 もちろんそんな占いをしたのは嘘だ。とっても不服そうな透を無視する。
「変なこと言っていい? 私もちょっと、どうすればいいかわかんなくてさ」
 困り顔を作ると、透もスプーンを置いて聞く姿勢に入った。
「透だからいけないのかと思ってさ、透の友達を占ってみることにしたんだ。ほら、前言ってた刑事課の人。タロット占いなら名前も何もいらないでしょ? で、こっちは占えたんだけどさ……死神の正位置が来てさ。占い方を変えてみたんだけど、結果が変わんなくて。タロット占いの占える範囲って、せいぜい一年なんだけど……なんか、心当たりある? いや考えすぎだと思うんだけどさ。ケルト十字法とヘキサグラム、それにホロスコープでも同じ結末ってのがどうにも不気味で……」
「バカだろ」
 清々しいまでの一刀両断っぷりだった。死神の正位置は死の暗示。破滅や別離、中には事故死なんて踏み込んだものもある。
「ちなみに十二ヶ月で占うと二月に来たの。また正位置で」
「考えすぎだ」
「悪魔じゃなくて塔のカードが正位置で出たから、事故の類だと思うんだけど……」
 悪魔の正位置は病や裏切りを、塔の正位置は天災や事故などの災難を暗示する。
「……この年でなら事故と考える方が自然だろう。警察官というバイアスもかかってるんじゃないか?」
 苦笑いで至極真っ当な指摘をする。
「でもっ!」
 正直に言ったって理解なんてされない。直接コンタクトが取れないなら零に頼るしかない。
「心配してくれてるんだな」と零は淋しそうに笑った。
「僕が一人になるんじゃないか、とか思ってるだろ」
「う」
「図星か」
「アイツに言ったら、桜は安心できる?」
 またとない提案にこくこくと頷いた。
「ふーん……そんなに僕のこと考えたんだ、この一年」
「あー、痛いところを突くなあ」
「否定しないんだ」
「零の中では答え出てるし無意味。言い訳がましくなるだけ」
「もう少し可愛いリアクションしてくれてもいいんだけどな」
「そ、そんなことないんだからねっ!!」
「やり直し」
 全力のロリ声は笑顔で却下された。ぶーぶーと不服を訴えながら冷めてきたオムライスをもりもり食べる。
「毎日こんなご飯食べたい。明日からの自炊のクオリティ急に上がったりしないかな。食べたし」
「食ったらスキル獲得とか、ゲームのやりすぎだろ」
「楽しくなるよね。敵を倒してスキルを奪う!」
「もしもそんな世界だったら、まともに能力を磨こうってやつは少ないだろうな」
「嫌な想像させないでよー」
「言い出したのはどっちだ」
「私だっ!」
「そういうことだ」
「ちぇ」
 ぱくり。ああ、なくなっちゃう。
「こんなに大きくなって……できないことがなさすぎて逆に可愛げがない」
「可愛げはいらない。もう二十八だぞ。三十路が見えてる」
「男は三十からなんだからいいでしょ。でも、そっかあ」
 二十八歳、同い年。私にとっての始まりだけど、意味はあるのかな。
「あの日の私に追いついたね、透……」
「え……待て、おい、あの日ってどの日だ!」
 スプーンを置いた透に微笑みで返す。スプーンで残ったオムライスを大きく掬い上げ、口元に運ぶ。
「あの日って、まさか。それだったら!」
「──ダメだよ、零」
 薄く魔女のように微笑んだ。
「どうして」
「君のゆめに、私は邪魔だ」
「僕のこと、嫌い?」
「まさか」
「好き?」
「人間としてね」
 ぱくり。最後の一口を味わう。
「そっか」
「ご馳走様! あー、幸せ……」
 ごろん転がり、天を仰いだ。

 片付けは私がして、二人並んでコーヒーを飲みながら料理勉強会を開催し、私の仕事ははぐらかし、今回もまた手を繋いで眠る──はずだったのに。
「……いや、おい、ちょっと。無視か!」
「うるさい」
「離そうか?」
「嫌だ」
 布団の中で問答無用で抱き締められ、そのまま目を閉じてしまった。嘘だろお前。ハグしませんとか手を繋ぐだけとか約束はしてない。してないけども。
「おやすみ、桜」
「……おやすみ。またね、零」
 抵抗するだけ無駄なので、どくどくと拍動する二つの心臓のシャットアウトを決め込んだ。

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