散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第十八夜

「全然終わんない……」
 漫画片手にぱしぱしと机を掌で叩くは木曜深夜三時。いい加減翌日に支障を来たしそうな時刻だが、明日さえ過ぎればボーナスタイム。多少のことは気にするまい。
 ごめんね透、なんて心の中で何度も何度も土下座したのは数日前のこと。巻数が膨大で短時間で完全把握は難しそうだったことはずっと引っかかっていたので、いい具合と言うべきかやっとお鉢が回ってきたというべきか、詳しそうな友人に電話する機会を得た際にSOSを出した。うっかり熱いプレゼンをされそうになったが、余計なバイアスはかけたくないのでどうにか回避して原作と映画とスピンオフの存在を聞いた。まだコミカライズされていない警察学校編に関しては電子書籍となったので、やはり最初から全て電子書籍にしておくべきだったと後悔したのは記憶に新しい。
 ここまで多いならば一度抜粋して読もうと結論づけ、びびり倒しながら安室透の登場巻を読んで誰だこいつと真顔になり、バーボン疑い三人衆の末の愛車破壊と無茶な運転に冷や汗をかき、ミステリートレインでドヤ顔したのにキッドだったねと茶化し、お茶会してあだ名を知り、絶対読めと言われた緋色シリーズまで履修した。そのあと睡眠時間を抉り取りながら観覧車格闘映画にシフトして何やってんだこの脳筋馬鹿野郎とひっぱたきたくなり、平和()と専らの噂のスピンオフを一瞬パラ読みしてそのままカフェ店員として過ごせばいいのにと心底思った。登場回すら飛ばし飛ばしで、いやだからこそのこの怒涛の展開か。キャパオーバーしつつあるが今更戻れない。だって終わってないのだから。赤井秀一の伏線全然回収できてないのに緋色シリーズ入っちゃったけど本当に大丈夫だったのかな。いや、この際赤井秀一はどうでもいいや。
 ところでサンドイッチどこ? ゼロシコ観れば分かる?
「んな時間ないよ……」
 ごつんとテーブルに頭をぶつけ、呻く。
 それにしても、偶然にしては些かできすぎではないだろうか。私が元々知っていたなら、精神に異常を来たしていそうだが、夢だね疲れすぎてるねで片付けられる。だがしかし知らないものはどうしようもない。そもそもサンデーよりジャンプ派だったし、社畜が染み付いたここしばらく、まともに追いかけてる漫画なんか極僅か。
「──うん、たまたまだ。たまたま」
 特技、先送り発動。なんてったって夢だぞ。それに、過去ならともかく私から未来の情報を得ることができてしまう。
「つまりタイムパラドックスが起きる」と顎に手を当てて思慮を巡らせるドヤ顔の透、じゃない零を想像して真似をしてみた。似てないと思った。
「それとも今知ったことが予定調和なのかな……」
 爆発物処理班のエース二人を喪う事件は、次会う時にはもう、佐藤刑事の心に深い傷を残して一旦の終局を迎えた半年後だ。あれは昔に読んで、印象深かったエピソードだ。しかし原作の七年前、つまり一ヶ月前に聞いた儚くなった同期が、危険な部署というのが爆発物処理班なら、ピタリと符合する。それは非常にいただけない。

 そして、八月になった。

***

「あ」
「……あ、ってなんだよ」
「いや、おやすみ三秒したからびっくりしただけ」
 あんたのこと考えて寝不足だったの、などと表現をするとあまりに乙女チック街道まっしぐらで失笑ものだ。
「零」
 元気、と尋ねかけて口を開いたけれど、そこから音を発することはできなかった。
「なんだよ、固まって」
 スーツ姿の透が不思議そうしている。ばりばりの挙動不審さが伝わっている。
「あー、いや、その」
 人差し指を立てた右手をくるくると回し、言葉を探す。
「らしくないな。何があった? またここの規則性にでも気付いたのか?」
「そういう訳じゃないんだけど、さ」
 ええい、ままよ!
「私にして欲しいことない?」
 こうなったらド直球のストレートだ。
「本当にどうしたんだ?」
 ぱちくりと瞬きして、透はテーブル越しの正面から回り込み、すぐ隣にかがみ込む。
「熱でもある?」
 心配そうに私に手を伸ばし、大きな浅黒い手が私の額に触れる。暖かい。
「ないよ。もうちょい素直に受け取ってくれてもいいんじゃない? ばりばりの健康体だよ」
 靄の熱なんか分かんないでしょばか、という言葉は心の中に留めて手をやんわり振り払う。
「本当に?」
「超絶健康。嘘、ちょっぴり寝不足」
「心配事は肌荒れ? それとも吹き出物?」
 せっかく払い除けた手がまた伸びてきて、頬を両手で無遠慮に撫で回す。
「黙ろうかれーくん」
 真顔で黙られた。チクタクと、ありもしない時計の音が聞こえる気がした。
「いやホンマに黙るんかい!」
 ツッコミをいれたが、透はガン無視で靄の中で両手を動かす。片手を後頭部に送って私に上を向かせ、もう片手で顎や首を触る。顎のニキビはストレス由来というが、果たしてその有無を感じ取ることができるのかは不明だ。
「むしろその手の摩擦が刺激で……」
「え?」
「いや、なんでもない。ねえ、零、悩み事でもあんの? それとも相当疲れてる? 頭回ってないんじゃない? 私の顔触って解決するなら好きにしてくれていいけどさ」
「んー、悩み事というか」
 煮え切らない返事に胸がザワつく。透の両手を掴み、胸元に引き寄せた。
「何があったの? お姉さん誰をぶん殴ればいい?」
「やめてくれ」
「まあ零がぶん殴る方が手っ取り早いし強いよね。ううん、でも職場の柵があるなら私が殴るべきかな。あ、警察官か……うまく見逃してくれるかな。無理か」
「一人で話を進めるな。違うから」
「出番なしかあ」
「そんな出番は一生来ないから大人しくしてて」
「ちぇ」
「おかしいな、いつから諭す側になったんだろう……」
 ぶつくさ言う透を無視し、紅茶飲みたい、と言ったら頭をひっぱたかれた。
「ちょ、脊髄反射で叩かないでくれる? 今脳細胞死滅した。馬鹿になってしまう」
「はいはい、元から馬鹿だから関係ないぞ。良かったな」
「いくない」
 立ち上がって、どうも本当にいれてくれるらしい。やったね。
「砂糖? ミルク?」
「ストレートのアイスティー」
「地味にめんどくさい注文するよな……」
「だって気分はアイスティーなんだもの。作れる?」
「当然」
 文句を言いながらアイスティーを作ってくれたので、寛大な心でお話を聞いてやろうと思う。

 アイスティーのお礼を言って、並んで座って話を促した。さっきは茶化してしまったので、仕切り直しだ。どうにも深刻な話だと透の醸す空気が物語っている。まったく、彼の人生には波乱が多すぎやしないだろうか。
「重い話になるんだが……聞いてくれるか」
「もちろん。この際守秘義務は気にしないこと。話したいか、話したくないか、基準はそれだけ。秘密ってのは、相手がいないことには成立しないんだし」
「──そうだな。どこから話そうかな。警察学校時代の話したの、覚えてるか?」
「うん」
「つるんでたのが僕含めて五人……でも残っているのは二人だけなんだ」
 意味が分からなかった。
「……ウン」
「正直、まだ受け入れられないんだ。そのうち突然現れて、飯行こうぜ、なんて軽く誘うんじゃないかとか。僕が職場に戻ったら、面倒くさそうに書類をまとめてるんじゃないかとか」
 未だに時々夢に見るのだと。彼は同期二人の死を語った。そのうち一人はひーくん、つまり親友で、その死を目の当たりにしたのだと。親友の死にはRという仮名の男が関わっているらしい。他殺ではなく、自殺に追い込まれたのだと、助けられなかったのだと、まだ終わってなんかないのだと。彼は静かに語る。パキンとコップの中で氷が弾けた。
 話すうちに透の目から光が喪われてくのが見て取れて、けれど話終わるまで、相槌に徹した。聞いているだけなのに込み上げてくる熱い雫をどうにか留め、こっそりと鼻をすする。バレているとは思うけど、特段指摘もされなかった。
 もう一人は市民を守って、観覧車の爆発で死んだのだと、それを少し後から知ったのだと言った。
「僕は何もできなかった。目の前で、知らないところで、みんなこの世を離れていってしまう」
 微かに震える声で吐露し、私はぎゅうと強い力で腕の中に閉じ込められた。
「桜ちゃんは居なくならないで」
 消えそうな声で紡がれた音は懇願だった。その背に手を回し、心許無い身体を引き寄せる。
「……うん」
 しばらく痛みを堪えた後、こつんと額を突き合わされ、約束だ、と彼は私の言葉を確かめた。
「うん。じゃ、指切りね」
 懐かしい方法が浮かんで提案すると、れいは少しだけ表情を緩めた。私が差し出した小指に、褐色の彼の小指が重なる。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
 ゆーびきった、と声を揃えた。
「懐かしいな」と呟く彼にただ微笑みを返す。幼馴染みとこんな約束を交わしたことがあるのだろうと思ってしまうと、言葉は出てこなかった。
「そういえば、仕事、まだ辞めないのか」
「辞めたよ」
「へ」
 私のもたらした朗報に気の抜けた声を出し、ピタと表情の一筋まで動きが止まる。
「今から束の間のおやすみを満喫するところ」
「……まじで?」
「うん」
 頷く私を何故か呆然と見下ろしている。
「どうした?」
「なんで?」
「なんでって、脱ブラックしたかったからだけど」
「それだけ?」
「他に何があるの? 辞めればいいと思って聞いたんじゃないの?」
「そう、だけどさ……」
「何、はっきり言いなよ」
 小さい首を振って曖昧に笑う。再び揺らぐアイスブルーを晒したんだから、もう躊躇わなきゃいいのに。
「れい」
「んー」
「私に遠慮したら怒るよ」
「遠慮しなかったらしなかったで怒るクセに」
 あははと笑うと、身体が自由を得た。
「で? そんな湿気た面させる理由は? 似合わないよ」
「似合わないって……」
「似合わないものは似合わない」
 きっぱりと言い切ると、そうか、と透は呟いて黙ってしまった。いつも通り心がけたはいいけど、ずけずけ言い過ぎたかもしれない、と少し優しく尋ねてみる。
「何が恐いの?」
「怖いの前提かよ」
「じゃ、何に怯えてるの?」
「大して変わらないんだが」
「じゃ否定しなよ」
 透はきゅっと口元を引き結んだ。
「変化? 時間?」
「全部読み取ってくる桜が恐い」
 反射で言っただけらしく、ふぅと息を吐き出した。
「どっちもだよ。この十五年変わらなかった桜が、今になって変わるから。止まっていた時が動いたような感覚だった。もしかしたら、そのまま手の届かないところに行ってしまうんじゃないか、って直感的に思った」
「このままこの夢が終わるんじゃないかとか思ったってこと? 私が転職に漕ぎ着けるまでに君はどれだけ変わったって話になるでしょ。中学高校大学就職、ついでに異動か何かもあったのかな。それだけ自分の生活が変わって、今更私の変化の何が恐いって言うの」
「いや、それも少しはあるんだけど……」
「違うの?」
「桜が本当に退職するなんて、あー、結婚でもするのかと思って」
「は?」
 結婚という言葉を正しく認識するのにしばらくかかり、理解すると吹き出した。
「あはははは!」
「笑うな!」
「だって神妙な顔して遠いっていうからさ、私てっきり、ふふ、そっかあ」
 怒られたので笑いを必死に抑え込んだつもりだが、あまり効果はなかった。
「そういう透は? 恋人とかは?」
「仕事かな」
「なんだろう、零が言うとめっちゃ輝かしいな……誇りもって働くっていいな……」
「桜、次の仕事はどうなんだ?」
「残業ほぼなしの事務職だよ! QOLを優先しました。反動ってすごい」
「いいんじゃないか?」
「一年くらいそこで働きながら、資格なり公務員試験なりの勉強して次の仕事探そうかなと思ってて。要は繋ぎの職場なんだけど、まあ、居心地次第かな」
「……へえ。数年は堅いな」
「それな」
「一度桜が働いてるところ見てみたいなあ」とにっこりと笑う。
「やめれ」

 仕事の話もそこそこに、次は絶対にオムライスだと約束をしてまた指切りをした。それから布団に潜り込んで手を絡ませ、 寄り添って熱を分け合う。
「……もう少し、あいつらの話してもいい?」
「どうぞ? 私でいいのなら。だってもう一人の同期は……」
「連絡を断ってるんだ。僕は今、潜入捜査官だから……話す相手がいなくて」
「潜入捜査官……スパイか。悪い組織の構成員のフリして生きてるのか。気が休まらないな。警察関係者とは、そりゃ接触しづらいよねえ」
 完全に安室透ですお疲れ様です。トドメを刺されたよ。
「そう。だから僕の手は……」
「暖かい手だよね。守ってくれてありがとう」
 恋人は国、だったっけ。一国民たる私にやれることと言えば、笑って後押しすることくらいだ。
「……うん」
 一瞬強ばった零の力が抜けたので、素直に受け入れてくれたらしい。聞けば聞くほど過酷なダブルフェイスの日常で、そりゃ布団に入れば眠くもなるわと納得しながら、ふわふわと話す透を寝落ちする瞬間まで、ずっと全身全霊で聞いていた。

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