1論
ちゅんちゅん。
鳥の囀りが耳に届く。
歌うようにそよぐ柔らかな緑の上に寝転んで、鮮やかな青い空を見上げた。
頬を撫でる涼やかな風が、散歩でもしているように草木の合間を抜けていく。
お供に運ばれていく雲も実に気持ちよさそうだ。
何時の間にか周囲に寄ってきた動物達が、ぴたりとくっついて寝息を立てている。
この辺りに生息しているのだろうか。それにしては警戒心が薄いようだ。
刺激させないよう慎重に手を伸ばす。何度か頭を撫でても特に逃げる様子は無い。
それどころか、真ん丸の目が開いた途端、もっとというように押し付けられた。
よし、思う存分もふもふさせて頂こう。
寝転がった体制から身を起こし、その柔らかな毛を堪能する。
体のサイズは俺の片手と同じ程で、全長でも腕の中にすっぽり収まった。
おまけに驚く程軽いので、縫いぐるみでも抱えている気分になった。
にゃあにゃあと甘える姿も重なって非常に愛らしい。本当に人懐っこいなあ。
ただただ、穏やかな時が流れていく。
視界に映るその全てが、都会では到底見る事の出来ない大自然。
その澄み切った空気を感じて、ゆっくりと息を吐いた。
何の偶然か、応募したつもりも無い旅行券が当たって、ノリで来てしまったけど。
いやあ、素晴らしいね。これぞスローライフってやつだねえ。
ところで。
この愛らしい動物達が、俺の記憶違いでなければ。
こうして触れるどころか、画面越しでしか見る事が出来ない筈のもの、なのだが。
もっと解かりやすく言えば、そう、実在しない、する筈もないもので。
単刀直入に言おう。ポケモンである。
長々と現状整理をしてきたが、つまり、そういう事なのである。
「……まじかー」
ちゅんちゅん。
「鳥」の囀りが耳に届く。
細かく言うならば、それは勿論、鳥ポケモンであった。
周囲で微睡む動物も、花に蜜を吸いに来た虫も、全て、画面越しに見た生物。
ああいや、ちらほらーっと普通の虫も居るっぽいけど。
でもまあ、大体ポケモンだ。
…夢だけど、夢じゃなかったー。なんてねえ。
旅行という名の異世界強制連行の旅に、本人も預かり知らぬ内に当選させていた、まっくろどころかまっしろしろすけな人影を脳裏に浮かべる。
さて、突拍子もない事を言うが。
どうやら俺は、神様というやつに、この世界に連れてこられたらしい。
気付けば訳の解らない、明らかに現実ではない空間に、俺は一人突っ立っていた。
夢か、と認識するかしないかの辺りで、前触れも無く目の前に白い影が現れる。
驚く間も無く、ぱん、と手にしたクラッカーが小気味良い音を響かせた。
「ぱんぱかぱーんおめでとーございまーす」
「……は?」
リボンやら紙吹雪が掛かるのを、呆然と受け止めて、絞り出した声がそれだった。
はらり、と視界を遮るようにピンクのリボンがずり落ちる。
「見事貴方は僕の世界のトリッパーに認定されましたー!いやー嬉しいねー」
「…んんー?…トリッパー、ねえ……」
かなり棒読みな声でからんからんとベルを鳴らす、真っ白なお兄さん。
しかもその内容が、この状況と同じ程に訳の解らないものだった。
いやまじで、何だよこのヘンテコな夢。新手のドッキリ?間に合ってます。
あとトリッパーってなんだよ。ペリッパーなら知ってるけど。
…ああいや、何処かで聞き覚えが無くもないか?生徒からうっすら聞いたかな。
とりあえずこういう時のテンプレとして、こっそり自分の手をつねってみた。
普通に痛かった。
「あ、そうそう、僕は偉大なる創造神アルセウスでっす☆」
「うわまじかー」
「…ねえ、信じてる?」
「んー、ごめんねえ。夢としか思えなくて。俺の目には人間にしか映らないし」
先程から大袈裟な身振り手振りで話すそれは、何処からどう見ても人間だ。
高価そうな装飾も、ちょっと高度なコスプレしてるなあぐらいにしか解らない。
ちなみに本人曰く、この姿なのは釣りやすいかららしい。何をとは聞かなかった。
「まあ良いや。それよりさあ僕の話聞いてよ。最近本当つまんないんだよねー」
「うん?まあ、先生で良ければ付き合うよ」
「わーい流石センセー。あのさあ…ワンパターンすぎるんだよどいつもこいつも」
「…うん?」
「やれ美しくなりたいだの、強くなりたいだの、愛されたいだの、そればっか!!延々とコピペ作業してる気分でいい加減飽き飽きなんだよね。もうちょっと捻ったオネダリをしてくる奴は居ないのかってさ!!そうして手に入れた欲も棒に振って無様に藻掻く姿を楽しみたいのに!!ねえどう思うよ、死活問題じゃん!!?」
「…先生、生徒指導は向いてないんだよねえ。反面教師が売りだったからさあ」
「そうじゃなくてさ」
残念ながら先生、他人の不幸を好んで蜜にはしないからねえ。
話を聞く限り、色んな人を彼の世界に連れ込んでいるようだ。ご愁傷様である。
とにもかくにも退屈しているらしい神様は、仕切り直しと言う風に笑みを深めた。
「で、そんな世の中だからさ。ちょっと趣向を変えてみる事にしたんだよねー」
「それで俺がお眼鏡に適ったと」
「そうそう!なんたって男だからね。今までとは違う願いが期待出来そうじゃん?し、か、も、お得意様と取引して手に入れた魂!絶対面白い演者になる!これまでほっとんど脳内お花畑な女ばっかだったからね!期待してるぜー」
「それは光栄だねえ」
この流れだと、どうせ拒否権も無さそうだ。
夢なら夢で良いんだけど…もし俺が実はやっぱり死んでて、何の因果か変な世界に産み落とされるのが真実なのだとしたら、真面目に考えないと後々面倒臭いか。
…まあ、ポケモンの世界なんだろうけどねえ。
さてさて俺はこれから一体どうなるのやら。
溜め息を漏らしそうになると、白い神様は俄然テンション高めに声を張り上げた。
「そんじゃ皆さんお楽しみ!!希望の特典を答えてねー!!」
「特典?あ、さっきの願いがどうとかいうやつかなあ」
「そうそれ。本当に何でも良いけど、三つまでね。其処は公平にね〜」
三本指を立てて、へらへらと陽気な笑みを浮かべる自称神。
どちらかというと神より悪魔を連想してしまうのは俺だけだろうか。
とにかく俺は、三つの願いを求められている。
うーん、考えすぎるのもアレだし、ゆるーく決めようかなあ。
真面目半分、遊び半分くらいに構えて損は無いよねえ。
何より。
「――そういう事なら。俺、ニート志望なんだよねえ」
次いで続けた内容に、白は爽快そうに笑った。
草木の囁くような音。警戒心の無い動物達。
成程、確かに、これは。
「正しく『スローライフ』だねえ…」
いささかスローすぎる気もしなくもないが。
来てしまったものはどうしようもなく、俺はぼんやりと遠のいていく雲を眺めた。
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