第3話 02 
[ 7/83 ]

『……この件は多生の親父にも話してねえ』
 ぎょっとする隻に、天理は肩を竦める。翅はだろうなぁと遠い顔。
「海理達らしいというか……さ」
『しゃーねーだろ。多生の親父が知ったら、それこそ幻境にまで乗り込みかねねーよ……まあ、昔話だ。どうせ千理の奴パソコンの扱いはインターネットしか知らねーから、時間かかる。今のうちに吐かせてくれ』
 確かにワープロの入力速度は現代人か問いただしたくなるほど、ローマ字ですら三秒に一文字ペースだったけれど。
 今まで中空に浮いていただけの海理が、畳まで降り胡坐をかいて座った。本気であると同時に、まだ生きている感覚が残っているのかと思うほど、死んだ人間の姿には見えなかった。
『師匠と会ってる時――まあ、オレからして最期に師匠に会った時だな。師匠が千理に和為出して、あいつが泣きながら逃げてった後で、修行をつけてもらってたんだがよ。その時は天理と一緒につけてもらってた――つか、天理とタッグ組んで全力でかかっても、毎回いなされてたぐらいにあの人強かったけどな』
 想像できる。できるからこそ、隻も翅も響基も苦い顔になった。
「あの日は父さんが稽古の調子を見に来てたんだ。けど師匠が途中でふざけて、父さんも標的に交ぜて三人一遍に相手にする格好になってさ。父さん巻き込まれたって苦い顔しながら一緒に稽古に付き合ってくれたけど、あの人の取得って獣化と憑依だから……」
『はっきり言って、オレとの相性は最悪だったんだよ』
 真顔で父親との相性を斬って捨てた長男に、天理が頷きながら「海理そもそも、父さんに対してはほぼ一生涯反抗期だっただろ」としみじみとした言葉。思い出したのか、響基が顔を引き攣らせて、いつきとヨシ子はそっと視線を外している始末。
「おじちゃんに何回鯛焼き取られた事か……っ!」
「小父上は基本的に全ての根本(げんきょう)だ」
 ……訂正。海理だけではなかったようだ。ヨシ子の本気で泣きそうな顔で痛いほど分かった。海理は冷めた目で見下ろしているけれど。
『……鯛焼きはいい』
「よくない!!」
『今はいいっつってんだ後で墓持って来い食うから』
 食うのか! 備え物なら食えるのか!!
『しばらく修行して、休憩入るかって辺りで、オレの意識が途切れたんだよ』
 そして意外すぎるほど完結的に述べられていた事に気づいた隻は、余りの展開の早さに頭が一瞬フリーズしかけた。
「……えっと、稽古が終わって休憩入るかどうかで、って事か?」
『そう言ってるだろ。気ぃ抜きすぎてたんだろーな。なんか生温かいもの感じて、気がついたら親父の心臓刺しちまってた』
 結李羽が口を覆ってしまっている。顔を青くしている彼女の肩を、煉が優しく叩いてくれている。
 天理が無表情に近い顔で、必死に苦渋を見せまいとしているのが、逆に心苦しかった。
「おれも何が起こったのか、全然分かってなかったよ。ただ急に切り裂いた音が響いたから、は? って振り返った瞬間に、父さんが血を流して倒れてさ。――海理も顔引き攣らせて真っ青でガタガタ震えて、ただ事じゃないっていうのは理解できたんだ」
『――悪い、もうこの辺りは』
「分かってる」
 あまりにも強烈過ぎる記憶は、本人ですら無意識に忘れようとしてしまう。海理が謝ったのも、鮮明に残っているはずの最後がすっぽりと抜け落ちてしまっているのだろうか。
 代わりを引き継いだ天理は、ただただ真剣な顔だった。
「海理自身も訳が分かってなかったみたいで、刀をきっちり持ってるのに父さんを呼んでたんだ。そうこうしているうちにまた刀を構えてく海理に、おれも師匠も操られてるって気づいた。けど」

 しっかりしろバ海里!!

 逃げろ――

「止める暇なかったよ。海理の意思じゃないのに動いて、父さんは八つ裂きにされてさ。血溜まりで放心してたのは海理なんだ。もう意識なんてあってないような顔してたの、今でも覚えてるよ。――あんな海理の顔、初めて見た」
 ただ上がる絶叫が誰のものだったのか、天理も海理も覚えていないと言う。
 ただ永咲が海理を止めようとして、結果的に仙人としての幻術を使わなければいけないまでに至ってしまったのは、天理が覚えていた。
「海理も力量が高すぎたんだ。父さんともう少しで肩を並べられるレベル……早い話、十六で多生おじさんを超えてた。レーデンは実力がトップの人間は基本的に当主にならないんだ。二番目の実力者が当主になって、一番上は五神に入ったり、各部隊と一緒に外に出る役割が与えられる。その当時で、多生おじさんと海理のどっちが跡目を継ぐかで、しばらく揉めたぐらいにはね」
 同じく実力を高めつつあった天理も、海理同様当主になる役目を持ちかけられた。ただ、天理は海理のように、物心ついた頃から当主になる自覚を持って鍛錬に励んできたわけではない。あくまで幻術使いの世界で上の実力になる努力はしていても、だから当主になりたかったかといえば、それは全く違う話だったのだ。
 天理は、大人の汚い面を、海理より早く見抜いて皮を被って過ごしていた。
 海理はその辺が不器用なところがあったから、当然大人からの風当たりは強い分、反骨精神でぐんぐんと技量を高めて、礼儀作法も大人顔負け。気がつけば子供達からも慕われて、レーデン家の次期当主として名が挙がるようになっていた。
 自分の信念を貫き通してきた海理だからこそ、自分が父親を刺した現実を理解したくなかったのかもしれない。現に海理は、普段見せないほど消沈しきった様子で、誰とも視線が交わらないようにしているのだから。
「師匠が言ってたよ。『仙人だからってなんでもできるわけじゃない』って。……悔しそうにさ」
 永咲が持つ霊薬で、海理を止めようとはした。けれど止められたとしても、その次にどうするかなど、できるはずもなかった。
 海理を乗っ取る何かはもう、海理の体を自由自在に操って、外部からも本人からも止められなくなっていたのだ。
「……そんな時に、千理が来るもんだからさ。堪ったもんじゃなかった」
 操られている海理の刀が千理に向いた時、千理自身が叫んだのだ。
 「兄を返して」。
 全てを見ていたわけでは、ないはずなのに。
「おれが千理を庇おうとして走ったら、千理もおれのほうに走ってきた。もう少しで手が届くってぐらいで、師匠に咄嗟に庇われたんだ。海理の刀がおれを斬ろうとしてたみたいで。代わりに斬られたのは、千理の左腕だったんだけど」
 海理の心が修復できるはずもないぐらいにぼろぼろになったのは、天理にも永咲にも明らかだった。
 海理に憑いている幻生の正体も分からない代わり、おびただしい血を流す千理の手当ても遅れてしまえば死んでしまう。
 だからこそ、永咲が海理を討つしかなかったのだそうだ。
「――その後は、おれは師匠に存在を隠された。最初は確かに保護のはずだったんだけど、しばらくして師匠はどんどん歪んでいっていたんだ。二年も経って、千理の指導を師匠が継続してやってるって知って、焦ったよ」
 海理を殺した永咲は、自身が幻生である事を隠し続ける事に限界を感じていたそうだ。
 疲れきっていたのかもしれない。長い時をずっと生きて生きて、知恵を授け渡り歩いて。
 それでも永咲にとって、海理達レーデン兄弟は安らぎだったという事を、海理と天理に零していたのだという。
 隻はただ、目を伏せていた。
「……だから……」

 ふふ、君もあの子の宝物だね

 あれは、永咲の本心で。
 その永咲の本心を捻じ曲げてしまった海理は、背筋が粟立ったからこそ、腕を――
『――合わせる顔なんて、あってたまるかって思ってたんだよ』
 守りたかったものを自分の手で、傷つける事になって。
 その守りたかったものは、必死で自分達を探してくれていた。
『……なんで、オレがこうしてまだ残ってるって、あいつ知ってやがったんだ……』
 合わせる顔なんて、どこにもないのに。
 なかったはずなのに、勝手に契約を結ばれて。
 それでも弟は、知らない振りをしてくれていた。
 偽り続けてきた、会わなかった理由のほうを察して、過去を忘れて。
『……あれだけの事しちまったのに、あいつに話しかけられる資格すらねーのにって、ずっと貫いてたのにな。――馬鹿みてーだよ』
「そりゃそうだよ。千理にそんな事考えるほうが馬鹿らしい」
 翅が頷いて、呆れたような声で。万理も「そうですね」と、どこか遠くを見るようで。
「……いつも思うんですよ。兄さんが馬鹿なのか、僕が馬鹿なのか。いつも兄さんに馬鹿ですかって問いただしても分からなくなるんです。自分を偽らない事が本当に馬鹿なのか。建前なんかで自分を殺してる僕のほうが馬鹿なんじゃないのかって。あの人と一緒にいると、兄さんの馬鹿さ加減が嫌ってぐらいに見えて……自分の馬鹿さ加減も全部知らしめられてるみたいで、何がどう正しいのか見えなくなる」
「だろうな」
 いつきの呆れた溜息は、自分にも万理にも向けられたようなものに聞こえた。
「元々正しいものなんてあってないようなものだろうが。世の中の正しいと思われてる事全部が、万人が万人に正しいと認識されてるとは限らないだろ。ただ……千理はいい意味でも悪い意味でも、他人に自分を見せる天才(かがみ)かもしれないな」
 本当だ。隻は天井を見上げて、その後海理へと目をやった。
「海理がそこで落ち込んでようが後悔してようが、どう転んでもあいつにその事言わないんなら、あいつ何度でもお前に会いに来るぞ。知ってるからもう、レーデンに顔出したんだろ」
 海理は目を丸くして。げんなり顔になったではないか。
『政にも言われたよ……たまったもんじゃねーぞこっちは』
「そういう無鉄砲に育てたのはお前らだろ。こっちだってたまったもんじゃないんだよ」
『るっせーな……とにかくだ。オレを操ってた奴があの後しかけてこないのはおかしいんだよ。ただの悪戯や戯れには思えねー』
 やっと普段通り、頭の回転と口調がミスマッチなほどに冴えた考えをしはじめる海理に、響基も難しい顔で頷いている。
「十一年は経つけど、幻生によってはそんなの些細な時間だろうしなぁ……」
「海理自身は覚えがないんだろ?」
『あったら親父に斬りかかる前に自分(てめぇ)で止めてるよ』
 苛立たしげな海理の言葉に、隻は首を捻りかけた。
 どうにも海理の不良口調、端々に江戸っ子の言葉遣いが見えるというか……気のせいという事にしておこう。
「天理の肩の痣と、繋がりあるように思うか?」
 途端に海理が考え込んでいるではないか。天理が先に口を開いた。
「あるとは思う。一応隔離される時、おれも気が動転してたからさ。師匠に無理やり閉じ込められたに近かったんだけど――右肩に攻撃を受けたのは覚えてる。もちろん海理以外でだよ。ってかおれに攻撃が来る前に、師匠がいなしてくれてたに近いけど」
 改めて永咲の実力が末恐ろしく感じて、背筋が凍る隻である。
「じゃ、じゃあ俺の痣は?」
「天理の魂を入れられた時に、ウィルス感染みたいな容量で何かを写された。とかなら考えられるかな」
 情報通ヨシ子の見識に、隻も天理もつい口を閉じてしまった。
 ウィルス感染……で、足?
「けど呪いは分割できないんだろ」
「全部が全部そうとは誰も言ってない気がするんですけど」
 万理にそう言われるとぐっさりとくる何かがある。いつきも真顔で頷いた。
「俺の呪いは父親から移し変えられた≠烽フだからな。分割ではなくても、呪いそのものは移動もできる。それに天理を狙ってつけられたその痣が、もし天理の魂≠狙っているなら、お前に移った理由も納得できると俺は思うが」
「でも魂は天理に戻って」
『――るかどうかは、まだ分からねーって言ってんだろ。とちんじゃねーよ』
 だから、毎回、なんでそうムカつく言い方しかっ。
 拳が震えかけているのが見えたのか、結李羽が苦笑いして抑えるよう促してくる。
 海理は隻を見下すように目を据わらせているではないか。
『オレがてめーを乗っ取った時、確かに魂が滑り込める余裕はあったぜ。天理の気配も残ってた。けどどうにも解せねーんだよ。大体、てめー天理の魂とてめーの魂、一度融合しかけてたんだろ。呪いが分割できるタイプのものなら、そのままてめーに残ってても不思議じゃねーだろーが』
 ぐうの音も出ない。天理が手を上げている。
「じゃあ海理、おれに乗り移ってよ」
「はあ!?」
「うっわー……」
 翅がげんなり顔だ。響基は顔を真っ青にして「正気か!?」と尋ね、海理に海水をぶっかけられている。
『てめーな、さすがに弟相手に危害加えてたまるかってんだ』
「千理の事は!?」
『あれは不可抗力扱いでいいんだろ』
 開き直った。いいけれど開き直った。
 そうは言っても今までの覇気がやや少ない海理の様子に皆気づかないはずもなく。隻が納得した顔になってしまい、海理に睨まれてそっぽを向いた。
 自分で成仏できない理由が分からないと言っていたけれど、結局はそういう自責の念もあって留まっているという自覚はあったのだろう。ただ、周りにごまかし続けなければ自分が辛かったのかもしれないけれど。
 天理が挑発するように、来いよと手で合図して、響基が顔を真っ青にする。
「天理ちょっ、それダメだって!!」
「え、いっつも海理とはこういうやり取りだけど」
『だよな? 何か問題あったか』
「ありすぎ!!」
「さーやろうか海理。あ、融合したら無事に成仏できるようきちんと祓ってやるから安心してよ」
「てんっ」
『おー上等じゃねーか天ぷらが。地獄に来たら泣きっ面で喚かせてやるぜ覚悟しやがれ』
「海理ぃぃぃぃぃぃっ……! あ」
 タンッ、タンタンッ
 ぐぐっ、ガタッ、ドタンッ
 ……ダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンダンッ!
「……千理、来たけど……」
「海理、やれ」
『だからてめーに言われる筋合いねーよ』
「あれ無視!?」
 隻が溜息をついて襖に向かっている間、海理が天理に取り付いたのか、翅が「うーわぁー……!」とか細い悲鳴。ヨシ子が隻の手を引いて止め、怪訝な顔で見下ろす。
「いいよ、自力で開けるでしょ」
「けど煩いし、響基が」
「今日の千理リズム感いい!!」
 ……問題なかったようだ。
 しかもいきなり叩く頻度が減り、心配そうに襖を見やった響基がはっとした顔で叩かれているリズムを確かめて――叩く頻度がやや増えた辺りで目を輝かせている。

[*prev] [next#]
[表紙目次]
back to top
back to main
しおりを挟む
しおりを見る
Copyright (c) 2020 *そらふで書店。* all right reserved.

  
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -