「うー……」

小さな呻き声が図書室に響く。
テーブルに本やノートを広げ、静かに勉強していた生徒達は何やら聞こえてきたおぞましげな声に、近くに座るもの同士何事かと顔を見合わせた。
“図書室ではお静かに”というマナーを守り、互いに声を出すことなく目配せし合い、うめき声の発信源を探す。そして。

「うう゛……あ゛あ゛あ゛」

再び聞こえた呻き声。
先ほどよりもさらに掠れ苦しげな声に、誰かがついに『ひっ』と悲鳴を上げた。
藍色の髪を揺らし引きつった顔で目に涙を貯める女子生徒が一人、向かいの席に座っていた白い制服の女子生徒を見て震え上がった。

一斉に視線が彼女達に集まる。
そしてまた聞こえる呻き声。白い制服の生徒こそ、その声の発信源だった。

藍色の髪の女子生徒は震える手で、白い制服の生徒……露樹に手を伸ばす。
だが、次の瞬間露樹が少し長い前髪の下から睨めつけたことにより、伸ばしていた手を泣きながら下ろすことになるのだった。
……恐ろしい目で筆入れから取り出した鋏を見つめる露樹の肩に触れようとした手を。



 ■


「あら?」

どこからともなく聞こえてくる喧騒が響く廊下を歩く世南は、前方からトボトボ歩いてくる露樹を見つけて足を止めた。
がっくりと肩を落とし、ふらふらと歩く姿は普段の彼女からは想像がつかなくて世南は首を傾げる。
いつもならこれだけ至近距離にいれば自分の存在に気がついて声を掛けてくるというのに、露樹はまったく世南に気がついていない。
何かあったのだろうか。心配になり世南は駆け寄ろうと足を踏み出した。だが。

『やめておけ』

突如聞こえてきた声に、足を止めて半身とも言える影……セナを見た。

「どうして?」

『……なんだか、面倒な匂いがする』

「……でも、放ってはおけません」

『おいっ』

セナの制止を振り切り、世南は走り出す。
いつの間にか既に通り過ぎていた露樹を呼び止めて、正面に回り込んだ。

「露樹様!」

「……世南」

ぽつりと呟かれた世南の名前。
いつものよく通る声ではなく、力の抜けた声だ。

「どしたの」

「どうかしたのは露樹様の方です。どうされたんですか? 何だか様子が……」

心配げに見つめてくる世南を最初はぼんやり見つめていた露樹だったが、みるみる目が見開かれていく。そして、突然自分の額にペシっと手のひらを被せた。

「露樹様?」

「な、なんでもない。なんでもないから! 心配かけてごめんね、私急いでるからそれじゃあ」

額に手を当てたまま足早に立ち去ろうとする露樹に、思わず世南は手を伸ばし、その肩を掴む。
振り向いた露樹が慌てて世南の手を振り払おうとするが、世南も食らいついて離さない。

「は、離して!」

「離しません! 露樹様何だかおかしいです、明らかに! そんな危なっかしい状態で放っておくなんて私には出来ません!」

ぐぬぬ、と引っ張り合いを始めた二人。華奢な腕で露樹を掴む世南を前に、セナ言う。

『……仕方ないな』

はあ、と溜息をつくセナ。彼女の意図を読み、世南はふと一瞬だけ力を緩めた。
そして次の瞬間、目つきが変わる。

「……いい加減にしろ」

いつにない鋭い声に、露樹がピタッと動きを止める。

「は、ハイ……」

「……それじゃあ、何があったかお話してくれますか? 私、秘密は守ります」

先ほどの世南はなんだったのか。そんなことを考えながら、目の前で優しく微笑む世南を見て、露樹は観念したように頷いた。





 ブルー女子寮、露樹に宛てがわれた部屋に世南と露樹はいた。
スプリングの効いたベッドに世南を座らせて、露樹は二人分の飲み物をテーブルに置きながらソロリと世南を見た。
それからおずおずと口を開く。

「わ、笑わないで聞いてくれる?」

「ええ」

「ひ、引かない?」

「……ええ」

今の間は何かなー。そんな事を泣きそうな声で言いながら、露樹はずっと額に当てている手で軽く自分の頭を叩いた。
そのまま近くにあったビーズクッション型のソファに腰掛けて、ようやく額に当てていた手をどけた。

「これなんだけど……」

「……露樹様、それ……」

目を丸くした世南は震える指で露樹を指差した。

「その前髪……」

指さされた露樹の前髪、いつもなら自然に流れている前髪は、不揃いで不格好な形に変わっていた。

「……どうしよう、これ」

目に涙をため、露樹は膝を抱えた。そして世南に促され、何があったのかをポツポツと語りだした。

「……前髪が伸びちゃって、切りに行く時間もなくて、でももう我慢できなくて。そしたらなんだか頭痛くなってくるし、気持ちまで荒んでくるし、もう限界で……」

「そ、それで……」

「我慢できなくなっちゃって、さっき自分で切っちゃった。気が付いたらこんなんなっちゃったよ……」

「…………」

『なんというか、アホだな。ものすごく。こんなにアホだったか、こいつ』

至極呆れた、という目でセナが露樹を見た。世南はそんなセナに苦笑しながら、露樹の肩に手を乗せる。そっと露樹の顔を覗き込んで、優しく笑った。

「大丈夫です、私にお任せ下さい」

ふわっと微笑む。亜麻色の髪がさらりと流れた。



 「さあ、座ってください!」

鏡台の前に露樹を座らせ、後ろに世南が立った。
不安げに鏡越しに見つめてくる露樹に笑いかけ、世南が櫛と整髪料を手に取る。
櫛をクッションで代用した即席トレイに一度乗せ、整髪料を手に馴染ませて露樹の前髪に触れた。

「これくらいなら何とかなりますよ、安心してください」

前髪を引っ張って摘んで馴染ませて、器用にセットしていく。
みるみる変わっていく前髪に、露樹の目が丸くなる。

「すごい、どんどん良くなっていく……」

「ふふ、このままイメチェンしてみますか?」

クスッと笑う世南。
露樹は赤くなった目元を擦りながら、頷いた。


 長い後ろ髪を後頭部で纏めバレッタで止め、少々短くなってしまった前髪を横に流す。
綺麗に結い上がった髪に、露樹が感嘆の声を上げた。

「出来ました!」

「す、すごい! 可愛い! 前髪も不揃いなのが気にならない……ほんとにすごいよ世南!」

「お気に召されたようで良かったです」

すごいすごい、と繰り返しながら自分の髪を鏡で色んな角度から見てははしゃぐ露樹に、世南はほっと息をついた。

『まったく、また余計な世話を焼いて』

「いいんです、露樹様嬉しそうだから」

「ありがとう、世南!」

露樹が世南の手を取る。世南は頷き、また微笑んだ。
後ろから聞こえてくる半身の呆れながらも柔らかい気配を感じ取りながら。


 
 ◆

フリリク20000hit作品でした。青金石様、リクエストありがとうございました!
世南ちゃんと露樹のコラボは書いていて楽しいです^^
頂いた作品含め、以前書かせて頂いたものも露樹から見た世南ちゃんだったので、世南ちゃんからは露樹がどんな風に見えているのかなーなんて思いました。
また機会があればコラボさせて頂きたいです!

リクエストありがとうございました!

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