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 濡れた靴下を履いて、再び臨む銀世界。

 いつもならこの時間帯にこの道を歩くことは別段珍しいことではなかったが、こと今日に限ってはどこもかしこも別世界のように見える。

 部活帰りの学生も、店仕舞いをする初老のおじさんも、イヤホンを着けてランニングをする外国人夫婦の姿もない。
 今年一番、ここ最近では滅多になかったこの大雪が、いつもの賑やかな放課後を全て雪の奥に隠してしまった。

 夜の通学路は驚くほど静かで、それでいて明るかった。
 雪が、光を返しているからだ。

「おぉ、世紀末感やべぇ!」

 格段に嵩を増した雪に明日には交通機関が機能するのだろうかと本気で心配になったが、前を歩く東と南風原は気にした様子もなく、新雪の上を歩いていく。

「世紀末?」 
「……その設定でいけば80年後には人類は絶滅の危機に瀕しているんだろうね」
「ゲーム脳だなぁ」
「たっきーもその設定ではしゃいでくれば? 新しい扉が開けるんじゃない?」
「やだよ、これ以上寒い思いしたくないし」

 コートに手を突っ込んで体を縮こませ、身を低くして歩く。
 今度は転ばないように。慎重に足を運ぶ。
 
「あいらこそ、あの輪に混じってくればいいだろ。運動不足解消されるから」
「俺、そこまで衰えてないし」

 と、言ったのも束の間。
 ぴたりと立ち止まったかに思えたその足取りが今度は急激に早くなる。

「え? ちょ、何?」

 急に歩調を早める幼馴染に置いて行かれないよう、自分も歩幅を広げて着いて行く。

「あれ、たぶん真中だよ」

 まっすぐと前を見据えて告げた一言。

「……うっそー」

 南風原たちよりずっと奥。
 こちらに向かってくる人影があった。
 離れていて顔は良く分からないが、確かにあのコートには覚えがある。

 紺のダッフル。真中が愛用しているものと色も形も一致している。
 夜の色に紛れてしまうその色も、雪のせいかその輪郭を浮かび上がらせる。
 とはいえ、ここからの彼との距離は随分と離れている。大きさで言えば豆だ。豆。

 それでも真中と判別する目の優秀さはなんなのだろう。
 
「眼鏡必要ないんじゃねえの?」
「……うん」

 皮肉交じりの言葉は、あっさりと受け流される。
 らしくない切り返しに隣を窺えば、真中を見つけたというのにその横顔は険しい。
 なにがあったとと問う前に、一度視線の先を追ってみる。
 
 さっきよりも大きくなった真中のその隣に、人影がもうひとつ。

 原因はそこにある模様。
 
「あ、真中だ」
「お迎えゴクロ〜」

 真中の存在に気がついた東と南風原が手を振れば、向こうも手を振り返す。
 隣の人に話しかけ、歩むスピードを速めたところを見るとどうやら真中の連れなのは確かだ。

「どうせ今から行くんだから黙って家で待ってれば良かったじゃん」
「コンビに行くついでだよ、ついで」
「何か買うの?」
 
 コンビニなら今しがた通り過ぎてきたばかりだ。
 また戻らなければならないのかと抗議の声を上げる南風原に、真中は苦笑しながら隣の人物に視線を送る。

「僕のパンツ」
「は?」
「僕もね、家に帰れなくてミコトの家に避難して来てねぇ。泊まるにしてもなんの準備もして来なかったからさ」

 真中の隣。にこりと微笑む少年が、流暢に言葉を紡ぐ。

「……つーか、誰?」

 真中以外、全員が思った言葉を南風原が真っ直ぐぶつける。
 緩くウェーブがかった黒髪と遊び慣れた雰囲気。
 この状況でも弾む言葉尻に仁科が口の端をひくつかせているのが視界の端に見えた。

「吉岡サエって言って、ミコトと従弟ね。歳も一緒だし、今日一日よろしく」
「こちらこそ、よろしく」

 あからさまによろしくする気などない癖に、無駄に外面が良い仁科は一番に言葉を返す。
 真中から簡単に紹介して貰い、口元で名前を繰り返した彼は「仁科君、滝田君」と早速呼びかける。

「ついでだから君らのパンツも買ってこようか」
「別に――」
「あ、お願いするねぇ」
「じゃあ、行ってくるねぇ」
「待ってよ、サエ」

 断りを入れようとする仁科の口を塞いで、お願いする。
 せっかく風呂に入れるのなら、新しいパンツを履いておきたい。
 会ったばかりの彼を送り出し、近くのコンビニへ向かうサエと真中の背中。
 その二つをあからさまに見つめながら仁科は漏らす。

「俺、別にノーパンでもいいんだけど」
「嫌だ! それはおれたちが想像したくないから!」
「ちゃんとパンツ履こうよ、にっしー!」

 あいつに借りを作りたくない。その思惑が見て取れる。
 そう言いつつも、本人が来ればまた優等生モードを発揮するのだから、面倒くさい奴だと思う。

「まぁ、分かるぜ? あんな簡単に真中のこと呼び捨てにするのもされてるのも、身内だからだよなぁ。遠慮がないってずるいよなぁ。分かる分かる〜。なんなら今日は特別にミズキちゃんって呼んでくれてもいいのよ?」
「あ、別に、そういうのは間に合ってますから」
「人を新聞の勧誘みたいに言うなよ!」

 四人、寄り集まって話し会う。
 誰かがしゃべる度に白く息が頭上に上がる。
 どうせなら、仁科だけ置いて俺らもコンビニに行っておけば良かったと心底後悔した。
 だからこそコンビニで人数分の温かい飲み物を買ってきてくれた真中が天使に見えたのは仕方ない。

「じいちゃんからお小遣い貰ってきたから」
「真中!」
「真中さん! 大好き!」
「え、ぎゃっ! 今抱きつくなよ!!」

 パッションに任せて抱きついたせいで、二人分の体重を抱えきれなかった真中はそのまま後ろに。
 
「も〜、何やってんの、君たちは」
「おれたちの愛を受け止めて欲しかったんだ」
「アホなこと言ってないで早く行くよ」

 差し伸べられた仁科の手はあっさり真中を引き起こすと、掴んだ腕はそのままに、真中だけを引き連れて目的地を目指す。
 去り際。分かりやすく従弟だというサエを睨む仁科のあからさまな牽制に、フォローをしなければならないのか、と思わずため息が零れた。
 だが、そんな滝田の想いも杞憂に終わる。

「サエくん、ごめんね〜」
「……えっ、何が?」

 真中の手から東たちの手に渡ったコンビニ袋。
 その中身を受け取りながら、幼馴染のふてぶてしい態度を謝罪するが、彼は柔らかく笑っていただけだ。

「あいらの態度がさ。寒いせいかちょっと余裕ないみたいで」
「ああ、別に気にしてないよ。僕としてはいろいろと面白いから」

 軽く笑い飛ばしてしまう彼は、さくさくと雪道を歩きながら先を行く二人の背中を眺め「ふふ」とまた楽しげな笑み。

「もしかしてあの二人って、そういう関係だったりするの?」

 にやにやと身に覚えがある笑い方をする彼は、こっそりと尋ねてくる。

「抵抗ある?」
「別に。僕そういうのに偏見はないつもりだし」

 自分も偏見はないつもりではある。
 生まれた時から一緒にいた友人が本気で思慕している相手が「真中」だから偏見がないのかもしれない。

 会ったばかりの相手がどんな考えを持っているか。そんなことは分からない。
 けれど、身内が同性愛者っていうのはもっと驚くのではないか。
 観察する限り、彼は引いているというよりも喜んでいるようにも思える。

「……サエ君ってさ、オタクの人?」

 直感でしかないけれど。
 ぽつり、と漏らしたその一言にその表情が凍りつくのが分かった。

「え?」
「オタクってみなみと同じ?」
「なんでおれをオタク扱いすんだよ。おれは単なるゲーマーなの」
「いや、そういんじゃなくて、もっとこう、ディープな方」

 いるでしょ、そういうのが好きな人って。
 関わりが少ないジャンル故に上手い言葉が見つからない。
 けれど、覚えがあるらしい南風原は「腐男子か……」と神妙な顔でサエに視線を送る。

「ちょっと、ちょっと待ってよ、なんで僕が」
「いや、うちも身内にそういうのいるから」

「あいつらにも言えるけどさ」

「好きなことを好きって言って、何が悪ぃの?」
「まあ、中には引く人もいるけどね」
「そこは見極めて上手くやっていくのが大事なんだってうちの姉貴が言ってた」

 上手に隠して生きるのも社交性のうちのひとつなのだと。
 大学、バイト、更にオタク生活を極めた美人の言うことにはなかなか説得力がある。
 あくまで人の価値観の一説ではあるけれど、彼女の言葉は少なくとも南風原の中に根付いているようだ。

「え〜、なにそれ! 南風原くんめっちゃ男前だね〜」
「みぃがカッコいいのは当たり前だよ!」

 今までサエに対して人見知りモード全開だった東がようやく口を開く。
 自分よりも南風原を褒められたことがよっぽど嬉しかったらしい。
 どこか誇らしげな様子に褒められている筈の南風原が苦笑を浮かべているのが見えた。


 仁科が真中を拉致して先を言ってしまったため、残る四人でその後を追う。
 隠しているようで傍目には分かりやすい二人の態度は後ろからでもはっきりと分かる。

「あぁ〜、真中のあの落ち着きのなさ」
「そういうとこ慣れてないよね」
「あいらも何か言えばいいのに」
「仁科くんが怒ってるのって僕のせい?」
「まあ、それ以外ないよな」

 遠慮のない南風原の肯定の言葉にしゅんと落ち込む。
 
「まあ、応援してるって言えば少しは優しくしてくれんじゃねえ?」
「よし、じゃあミコトん家行ったらちゃんと話してみる」

 やっぱり、ミコトの恋は応援してあげたいもんね。
 自分の欲望も含まれているその発言。
 仁科が厳しいのは今のところサエにだけである、という事実は追い打ちをかけることになるので黙っておいた。

 大粒の結晶が振り続ける今夜の雪は、頬も耳も痛いくらいに冷やしていた。
 
「じゃ、真中家まで競争しよ」
「真中かにっしーに尻タッチが最低条件な」
「え、なにそれ!? 場合によっては僕の命が危なくない?」
「安心しなよ、危ないのは俺らもだから」

 危ない橋。みんなで渡れば怖くない。
 たいして心強くもなれない言葉を出来たばかりの友人に掛け、雪に覆われた歩道に四人で並ぶ。

「それでは、位置についてぇ〜」

 一番端にいた東が声を掛け、それぞれ体勢を作る。
 こんな路面ですらクラウチングスタートを切ろうとする辺り南風原も本気だ。
 滝田だって負けてられない。

「よーい」

 ドン、と言い切るその前に滝田と南風原が同時に走り出す。

「あ、みぃ。たっきーも、ずっりぃ!!」
「ヒキョーだよ、それぇ!!」

 後ろから掛けられる声に南風原と顔を見合わせて笑う。
 積もった雪は踏み出し度に足を奪い、転ばせようとする。

 走って転んでずぶ濡れになりながら先を友人ふたりの背中目掛けて全速力。

 静まり返った雪の道。
 走って転んでずぶ濡れになりながら、静かな夜を笑い声が満たした。
 
end


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