転び笑うて冴ゆる夜
十何年ぶりと謳われた大雪は、都会の街並みを白く覆って混乱を招いた。
そんな大都会とは離れたこの田舎にも、混乱の火種は落とされていた。
雪が降っているからと、いつもの半分にも満たない時間に切り上げられた部活動。
待っていた仁科と共に学校を出ると灰色の街並みは、銀世界へと変わり果てていた。
風と雪に足を取られ、時間をかけてようやく駅へと辿り着いたものの、慣れない寒さと予想だにしない雪の量。
入り込んだ雪が靴下に染みていき、濡れたところから体温を奪っていく。ようやく立ち止まった頃にはつま先の感覚はなくなっていた。
早く帰りたい。風呂に入りたいと帰宅を急く彼の心情も虚しく、見上げた先。電光掲示板。「運休のお知らせ」が流れては消え、消えては現れる。
「どうする、たっきー?」
「どうするもなにも、待つしかなくね?」
同じ制服を着た生徒たちの中にはその場で迎えを呼ぶ者もいた。
自分も、と携帯に手を伸ばし掛けるも共働きの両親は、今日は遅くなると言っていた。
この雪では車を出せるのかも怪しいものだ。
仁科の両親に至っては、現在双子の弟妹を連れて海外勤務。
来いと言うのが無茶な話だ。
残された交通手段のバスには長蛇の列。
二人が乗る頃はいつになるのかも分からない。
「待ってても、確実に帰れる保障もないしなぁ」
「……とりあえず、晩飯の確保するか」
「そうだな」
周囲が混乱している中でも、仁科は冷静。
淡々と紡がれる言葉に焦っているこっちがバカバカしい。
幾分冷静さを取り戻したことで空腹だったことを思い出した。
本能が働いているだけまだマシなのだろう。
いつまでも立ち往生していても腹は満たされないからと、足場の悪い道を辿り繁華な道へと入る。
互いの財布の具合から、向かう先はチェーン店のファミレス。
慣れない寒さに晒されたせいか、暖房の効いた店内は天国のよう。
滝田たちと同じように自宅に帰れない、或いは迎えを待つ学生たちでごった返していた店内。
早速注文を店員にお願いし、仁科がドリンクを取りに言っている間、妹に連絡を入れる。
今年受験生の彼女は、早めに戻っていた所だろう。
電車停まってて、今日、帰れなくなるかも。
飯と風呂、自分でやって。
カノジョや女友だちに送る時とは違い絵文字や顔文字もない、そっけない文。黒一色の羅列を送る。
数分と経たずに返ってきた答えは「わかった」とこれまた愛想のない黒さ。
「ウーロン茶でいいんだっけ?」
「そうそう、監督に炭酸禁止されててさ」
何の根拠があって飲んじゃいけないのか。
チームメイトの中にはそれを無視して愛飲している者もいる。
無性に飲みたくなる瞬間があるのは滝田にも分かる。
それでもその禁止令を守るのは、それでレギュラーの座をが一歩でも近づくのなら、と思っているからこそだ。
「割とあるあるだよね」
「あれって、なんで飲んじゃダメなの?」
「糖分取りすぎちゃうからでしょ。あとは腹が膨れてちゃんと栄養がとれないとか」
「なるほど」
悪いことだけじゃないけどね、とどこから仕入れたのか監督以上の説得力がある幼馴染の講義。炭酸を飲む利点を聞きながら出した滝田の答えは「やっぱり飲まない」だった。
乳酸が炭酸でどうとか言われても現実味がないし、なんのことだかピンとこない。
友人たちに比べて些か伸び悩んでいる身長の方も気になる。特に最近、仁科との身長さが顕著だ。
炭酸よりも牛乳を飲むべきだろう。
「で、どうすんの、この後」
「どうするもなにも、バス待つくらいしかなくね?」
「だよなぁ」
やんなるわぁ、とこれから寒さに堪えることを前提に進められる会話に頭を抱える。
電車にもバスにもいつ乗れるか分からない。
家に帰れる保障もない。
出てくれるのは重いため息ばかりだった。
「課題でもやる?」
「いいよ。あいらの見せて」
「学校に置いてきた」
「何のためにその話題振ったの、お前」
「気が紛れると思ってさ」
厨房の奥から「チーン」という電子音。
まもなく運ばれてきた料理は皿ごと温かった。
みんなでいれば気にならないことも、今日はなんだか気になってしまうのは「帰れないかもしれない」という事実があるからだろう。
せっかくの仁科の気遣いだったが、逆効果に終わりそうだ。
ゆっくりと咀嚼して、できるだけ長居できるようにしよう。無駄な足掻きとわかってはいたがそうせずにはいられない。
その最中、向かい側から着信音。
味噌汁を啜りながら携帯を操作していた仁科の表情がわずかに明るくなる。
彼の表情をこうも変えてしまう人物は一人しかいない。
送り主はきっと、
「真中?」
「……表情読まないでくれる?」
「じゃあお前も露骨に出すなよ」
向かい側からの抗議をやり過ごすと、自分の方にも着信。
相手は東からの一斉送信。
本文はとってもシンプルで「うち来る?」と、それだけ。
真中と一緒にいるのか、それとも真中の方から連絡をしてくれたのか。
今、一番欲しかった誘いには違いない。
「あいら、飯食ったら行こう」
「ん」
ファミレスの窓の外。
苦労して歩くして人々の傘の上。
降り積もる雪の多さに驚きつつも、握った箸は進む。
今日の宿が確保されたというのもあるが、この緊急時に助けてくれる友の存在が大きかった。
デザートのパスタは今日は遠慮して、いそいそ会計を済ませ、雪の大通りに飛び込んだ。
本日二度目の通学路。
そこから分岐したところに東の家はある。
途中で合流した南風原と共に肩や頭に雪を積もらせいつもより視界の悪い道を行く。
時折足を滑らせて、転ぶ寸前で体勢を整えるも、ばっちり見ていたらしいみなみの噴きだす声。
「たっきー、かっこわる!」
と、笑っていたのも束の間。南風原も派手に転ぶ。
肩に掛けていた鞄も膝も雪塗れの大惨事。
「わぁ〜、たっきーもみなみもだっさぁ〜い」
数歩遅れて歩いていた仁科の小馬鹿にした声が重なる。
南風原と二人。顔を見合わせて、笑う。
勢いをつけて滑る路面を蹴り、仁科の方へ駆け出す。
二人、ほぼ同時に片方ずつ腕を捕らえると「せーの」で後ろに負荷を掛けた。
人の不幸を笑った男は尻餅をつく結果となった。
「やぁだ、にっしーてばだっさぁい」
「人のこと笑うからだね」
「これにどう抵抗しろって言うんだよ!」
薄く積もった雪を投げつけ悪態を吐く。
その攻撃を交わすため、駆けだしては転び、転んではまた笑われ、東家に着く頃には当然三人ともずぶ濡れだった。
「なんでみなみまで濡れてるの? 傘は?」
「こいつらに没収された」
「いやいや、フェアじゃねぇって変な男気みせるからだろ」
持ってきた筈の傘は、男三人が入るには小さすぎた。
仁科も滝田も男と相合傘はしたくないと譲り合った結果、三人濡れていくという選択肢に至ったのだ。
雪だし、払って行けばいいと思ったが払う程度は済まされない量だということは、早い段階で気付いていた。
それでも誰も傘貸してと言い出さなかったのは、三人とも負けたくなかったからだ。
「も〜、変なとこで意地張ってないで傘使えよ〜」
珍しく、東からの呆れ声。
見合わせる三人の顔には苦い笑み。
急遽一人分のタオルが追加され、濡れた服を乾かしている間、東の部屋に通される。
用意された暖かいお茶に安心する。
カップに触れた指先がじんじんと小さく痛んだ。
「そういえば、真中はなんて言ってた?」
プチ遭難状態の仁科と滝田を拾った東は、その後南風原と真中にも連絡を入れたらしい。
二人は歩いて来れる範囲だから、どうせならお泊り会しよう、と。
比較的寛大な南風原家の母は容易に許可をしたらしいが、真中の方は苦戦しているらしい。
「さっき電話したら拗ねてたよ。おばさんが、夜に出歩くのはダメだって」
「夜って、まだ七時前じゃん」
「冬は暗いからね」
真中家の家長は祖父ではあるが、実権は母が握っているらしい。
彼女が「No」と言い続ける限り、真中は家の中から出ることは許されない。
仁科がいるから、という事実を差し引いても自分一人だけが取り残されている状態が嫌だ。
以前、そっと漏らした真中の言葉を思い出す。
今まで広く浅くしか付き合ってきたからこその反動もあるのだろうが、その発言に彼なりの可愛さを見つけたことは仁科には内緒。
「でも、真中もいねーとつまんねえな」
「だよね」
不満そうな顔を揃える東と南風原は、同じような動作でお菓子に手を出し、呟く。
一緒にいたい、と思っているのはなにも真中だけではない。
友情にも片想いや両想いがあるなら相思相愛。らぶらぶだ。
「いっそおれらが行くか」
「いいねぇ! ちょっと母さんに聞いてくる!」
急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りる東の「母さーん」という声が部屋にまで響く。
先に真中家へ連絡を入れなくていいのだろうか、と抱いた疑問は「あ、真中?」と隣から聞こえてくる幼馴染の声によって解消された。
そう簡単に許可が下りるものだろうかと言いたいところだったが、
いつもよりもワントーン高くなった声。
持ち上げられた口角。
優等生モード全開のとこを見ると、電話の相手は真中の母に変わったのだろう。
お願いがあるんですけど、としおらしい態度。
素を知っているからこそ違和感のある仁科その様子に笑いを堪えながら散らかしたテーブルの上を片付けていく。
「靴下乾いたかな」
「まだだと思うけど」
「今来たばっかだしね」
「それより見てください、にっしーのあの幸せそうなツラ。解説の滝田さんは、どう思われますか」
「あれは通話の相手が真中に変わったんでしょうね」
「その気持ちを端的に表すと?」
「公式お泊り決定、最高」
べち、と濡れ布巾を投げられた。
電話を離そうとしない仁科の無言の圧力。
表情を読むなとでも言いたいのだろうが、見ているだけでにやけてしまう。
早く告白でもしろよと言いたいけど、互いに相手を想う二人の様子は傍目に見ても面白い。
上手く行けば良いと願うが、この均衡が崩れて欲しくないと願うのも彼らと同じなのだろう。
「おばさん、良いって?」
未だに通話の切る気のない仁科に尋ねると、親指と人差し指が輪を作る。
どうやら先方は許可してくれたらしい。
「あっじゅまー、真中んち良いって〜」
「待って、お土産用意するから!」
部屋を飛び出し嬉々として報告する南風原に、同じく楽しそうな声が返された。
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