月が綺麗ですね。 | ナノ

泡沫うたかたに浮かぶ月。




「蓮子!蓮子ーーー!!」

 蓮子は意識を失う瞬間、殺生丸の腕越しに、目が見えないながらもこちらに手を伸ばす犬夜叉を見た。

(犬夜叉・・・ごめんね・・・)

 自分の放った技で蓮子を殺してしまったら、きっと犬夜叉はひどく傷つく。それでも蓮子は飛び出さずにはいられなかった。





 ‡ 弐拾漆 ‡





(身体が動かん・・・)

 殺生丸は唯一残った腕の中で眠る蓮子を見た。固く目を瞑ったままの蓮子。その脇腹に残る痛々しい傷跡。殺生丸は腕をあげることもできないほど傷が悪かったので、彼女の状態を正しく確認することはできなかったが、耳を澄ませば微かな呼吸音が聞こえる。

(生きてはいるな・・・)

 そのことに、殺生丸は少し長めの息を吐いた。

(バカめが・・・)

 飛び出してきた際に咄嗟に殺生丸が引き寄せ庇ったこと。天生牙が結界で護ったことで蓮子の傷自体は殺生丸のそれより少ない。しかし、庇いきれなかった傷は人間の少女にとっては充分すぎるほど深いものだった。

(なぜ私を庇おうとした・・・)

 動かない身体への苛立ちをぶつけるように、蓮子を睨む。犬夜叉が寸前で刀を振り切らなかったことに、殺生丸は気付いていた。しかし、風の傷の威力は妖怪の殺生丸に重症を負わせるほどのものだった。殺生丸が咄嗟に庇わなければ人間である蓮子は死んでいただろう。

 何より、人間の身でありながら、妖怪の自分を庇うことが理解に苦しむ。

(慈悲の心というやつか・・・)

 ならば、やはり強さを求める覇道には不要のものだ。と殺生丸は思った。

 例えば蓮子が盾になって死んでいたとしても、殺生丸は傷を負っていただろう。彼女の行いは全くの無意味だったのだ。

(人間の匂い・・・)

 近付いてくるものの匂いを感じ、殺生丸はとっさに蓮子を己の毛皮で包み隠す。

 顔を覗かせた人間に向かって、牙を剥いた。

(子ども・・・?)

 現れたのは野盗でも坊主でもなく、まだ年端の往かぬ、女の子供だった。

 子供は、殺生丸の威嚇に一瞬怯んだ様子を見せたが、ごくり、と生唾を飲むと、恐る恐る近より、殺生丸が動けないことをいいことに、持っていた竹筒から水を顔にかけた。

 そして、反対側。恐らく、殺生丸が気を失っている間に既に自分と彼女の存在を見つけていたのだろう。殺生丸の毛皮で隠した蓮子に近寄った。反射で彼女の体を幼子から遠ざけ、自分に引き寄せた。

「・・・・・・」

 蓮子に近寄らせない殺生丸に、幼子が躊躇いがちに彼を見上げた。困ったようにも見えるそれに、殺生丸は幼子の意図が読めなかった。

 しかし、幼子がさっと手にしていた竹筒を差し出した。その手は小さく震えており、その震えを見て、殺生丸は少し頭が冷えた。先に同じ中身をかけられていたので、それがただの水だとわかっていたからだ。

 殺生丸は少女の身なりを見る。幼い子供が一人で生きていけるほど、この世は甘くない。みすぼらしくはあるが、きちんと着物を着ており、長い髪はざんばらでも結ってあった。人里が近い証拠だろう。それでも、人を呼ばず、水を運ぶ幼子に敵意を感じられなかった。

「・・・・・・」

 腕一本、持ち上げることが出来なかった殺生丸は、蓮子を包む毛皮の縛りを少し緩め、幼子に彼女の顔が見えるようにした。すると、幼子は恐る恐る蓮子の方に寄ると、彼女の口に竹筒の飲み口を差し入れた。それを見て、確信する。

(こいつ・・・我らを救おうとしているのか。)

 傷を負ってなければ、それでも信じられなかっただろう。殺生丸は水を飲み下した蓮子を最後に、目を伏せた。





***





(・・・あれから何日たったのか・・・まだ動けん・・・)

 どのくらいの時間、気を失っていたのだろうか。妖力の高い殺生丸はそれなりに治癒力も高いため、じっとしているだけで傷の回復はできる。まだ動けはしないところを鑑みるに、まだあまり時間はたってないように思う。しかし、徐々にではあるが、殺生丸の傷は確かに塞がりつつあった。

(まだ塞がらんのか・・・)

 問題は蓮子だ。未だ血を滲ませる彼女の傷を見て、殺生丸は眉を寄せる。

 ふと、ガサガサと草を掻き分ける音がして注視する。匂いでそれが誰かはわかっていた。

(また来た・・・)

 ひょっこり顔をだす少女。殺生丸が睨んでも凄んでも、彼女は毎日何度もやってきた。

 少女がさっと何かを差し出した。皿がわりなのだろう大きな葉の上に、焼かれた魚とキノコが乗せられていた。どちらも殺生丸の食事にはなり得ないものだ。見た目は人間に近いが妖怪である殺生丸は人間の嗜好とは少し違う。何より山よりも高い彼の自尊心が、いつも蔑んでいる人間からの施しを受けることを許さない。なので、常の殺生丸ならば少女の手を払いのけ、追い払うくらいはするのだが。

「・・・・・・」

 殺生丸は隣で未だ眠ったままの蓮子を見る。怪我を負ってから蓮子は少女がそれまで持ってきていた水しか口にしていない。たしか、妖怪と違って人間は毎日食事をしないと飢えて死んでしまうこともあるはずだったと思い出す。

 そっと差し出された少女の膳を受けとる。とたんに少女が破顔した。

 殺生丸は焼き魚を一口かじり咀嚼すると、蓮子を引き寄せ、その口を吸った。詰まらせぬように舌を吸い、喉奥を開かせ、咀嚼し流動体になった魚を流し込む。途中で咳き込みはしたものの、幾分かはその喉を通ったことを確認し、もう一度と魚に手を伸ばす。その際、視界に入った少女が顔を茹で蛸のように真っ赤にし、腰を抜かしていたようだが殺生丸は気にせず続けた。

 いきなり沢山は食えまい。と、殺生丸は魚の半身ほどを食べさせたところでやめた。蓮子を毛皮の上におろし、ぐいっと袖で自分の汚れた口を拭った。葉の上に戻された魚がまだ身が残っていたからか、側で控えていた少女が再度殺生丸に魚を差し出す。

「・・・余計なことはするな。人間の食い物は口にあわん。」

 自分は食わん。という意思を示して顔を背けば、少女は躊躇いつつも、膳を下げた。

 幸いなのは少女が無口だったことだろうか。もちろん殺生丸から話しかけることはほぼ皆無だったが、少女から話しかけられることもなかった。

 殺生丸は引き寄せたため近くなった蓮子の顔を改めて見た。もともと色白ではあるが、普段は血色のいい頬は魚の腹のようにしろんでおり、紅を引いたような唇は青ざめていた。初めは殺生丸より浅かった傷も、今では逆転し、彼女のほうが重症になった。

 口のはしに零れたどちらのかもつかない唾液を指の腹で拭ってやりながら、思う。

(やはり人間は脆いな・・・)

 普段の、妖怪をも蹴倒す彼女の姿からついつい忘れそうになるが、彼女の身体は脆弱な人間のものなのだ。

 初めからわかっていたことだが、殺生丸は改めてその事実を突き付けられたように感じた。彼女も、数十年で年老い、死に逝く儚い命なのだと。

(なんだ・・・?)

 彼女の死を想像した途端どくりと心の臓が大きく動き、胸に靄がかかったような重たいような感覚を覚え、殺生丸は傷の状態が悪化したかと首を傾げた。








泡沫・・・儚いもの。
月・・・うつろいやすいもの。人を狂わせるもの。

(20/08/03)


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