薬草摘み1


今日は予定の無い休日。
こういう時はいつにも況して読書に限る。図書室から借りていた本を引っ張り出して机に向かった。ぱらぱらと頁をめくって読み掛けの箇所まで視線で辿る。そういえばしおりを挟んでおいたはずなのに何処いっちゃったんだろ。抜け落ちたのかな?
「ええと…」
あ、そうそう、ここからだ。続きを早く読みたくてこの間からウズウズしてたんだ。早く読み終えちゃおう!
「・・・」
早く読み終えちゃおう、とは思うんだけど…
「…落ち着かないな」
キョロキョロソワソワ。だってここ最近、こういう日は決まって七松先輩が私の部屋に押し掛けてくるんだ。天気が良いから外で遊ぼう!とか、どこか行きたい処は無いか!?とか、いつものあの豪快な笑顔を見せながら。いざ読書に集中し始めた頃、普段のように後ろから「ななし!」なんていきなり抱き着かれちゃ堪らない。また寿命が縮まってしまう。
そっと後ろを振り返ってみた。どうやら今日、彼はまだ来ないらしい。…あれ? "まだ"って何。私ってば、七松先輩が必ず来るものだといつの間にか思い込んでる。これじゃまるで期待してるみたいじゃないか。そ、そんなはずない。来なければ来ないに越したことないんだ、そしたら読書に集中できるんだから!
「つ…続き読まなきゃ」
ぶんぶんと頭を振って目の前の本に集中する。するっていうか、しようとする。けど、やっぱり、
「・・・」
どうにも背後が気になって仕方ない。誰も居ない場所をまた振り返ってしまった。
「…っあああもう!」
だめだだめだ、こんなんじゃだめだ! もういいや、読書はやめにしよう! 集中出来っこないもの!
開いたばかりの本を閉じて元の場所へ戻してから、ごろりと後ろへ寝転がる。見慣れた天井が視界に映った。
物音一つしない空間…静かだなあ。って当たり前か、ここは私の部屋なんだから。私が動かなきゃ音も立たない。慣れている空間のはずなのに妙に一人きりを実感してしまった。今は部屋がやけに広く感じる。
『ななし! デートしよ!』
…七松先輩、今日は遅いなあ。
あ、いや、決して期待してるわけじゃないけど。それは断じて違うんだけど。いつもだったらとっくに私の部屋へ押し入って来てる時間だ。ひょっとして今日は本当に来ないのかな。それとも事故か何かに遭ったのかな。
自分で起こした妙な考えを払拭するように、ごろんと横向きに寝返りを打った。胸の内が変にモヤモヤする。
「たまには、」
外に出て気分転換しようかな。
言葉にしながらのそのそと起き上がり、戸を開けて外へ出る。私ってば静寂の中に一人きりだと独り言が増えるんだなあ、寂しさ掻き消すみたいで子供っぽいなあ、なんて他人事みたいに頭の隅で思いながら。





風に当たりながら中庭を歩く。
空は快晴。だけど何故か気は晴れない。…私ときたら本当に何考えてるの。べつに七松先輩にも一人になりたい時ぐらいあるだろうし、四六時中私と居たいわけでもないだろうし。誘ってこない時があって当然だ。
私、近頃どうしてこんなにモヤモヤすることが多いんだろ。あの人のことを考えると胸の中心がざわつく。私はこの感情を知ってる気がするけど、ああ、でも、そんなはず無い。
そう、勘違いに決まってる。
「あ、ななしちゃーん!」
ふいに向かいから名前を呼ばれて肩が跳ねた。正面から歩いて来た人物に驚きのあまり一瞬息を止めてしまった。
「あ…っ」
「こんにちはー」
笑顔で手を振ってくる彼…私服姿の善法寺先輩だ。えええどうして善法寺先輩が! いや、どうしても何も忍たまだって今日は休みだから善法寺先輩が私服姿でここを歩いてても別に可笑しくはないわけで! でもまさか休みの日に会えるなんて…!
「今日は何処か出掛けるの?」
傍まで来てからにこやかに訊ねられて私はもう脳内パニックだった。とっ、とっ、とっ、とりあえず深呼吸しなきゃ!
「どどど何処にも出掛けませんん」
「何そんな慌ててるのさ。落ち着いて」
苦笑されて思い切り凹む。ううう、私今また変な女と思われたよう絶対。
「ぜっ、善法寺先輩は…あ、薬草摘みですか?」
よく見れば彼は籠を背負っていた。休みなのに仕事熱心だなあ。さすがは保健委員長。
「うん。乱太郎と一緒に行こうと思ってたんだけど、今日はきり丸のアルバイトを手伝うからって断られてきたとこ」
「え? じゃあ先輩、お一人で薬草摘みに行かれるんですか?」
「うーん…今、そうしようかなあと思ってたところでさ。さっきから伏木蔵を探してはいるんだけど、日陰ぼっこしてるのか何処にも見当たらないんだよねえ」
なんだか可哀想に思えてきた。これも不運のうちなのかなあ。
「あの、先輩、」
「うん?」
「よければ私、手伝います」
「え」
目をぱちくりさせて見下ろされる。おや? 私、そんなに変なこと言ったかな…。
「私、今日は予定ないので…」
「え、い、いやでも悪いよ。だってななしちゃんは保健委員じゃないし」
「だけど私、保健室の薬草を人一倍使わせてもらってる気がするので…この間の療養でも新野先生に苦笑されたぐらいだし…」
もとを辿れば、七松先輩が大量に引っこ抜いて来た薬草園のあのお花。あれの代わりに善法寺先輩が先日頑張って植えた薬草…結局それを私が前の療養でほとんど使ってしまったのだ。よくよく考えれば保健委員会には少しも還元されてない。手伝うのは当然の話というか、むしろここは手伝うしかないと思う。
「本当にいいの?」
「はい」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
「分かりました!」
意気込んで踵を返す。とりあえず私も籠を取ってくることにしよう、手伝いはそれからだ。





「付き合わせて悪いね」
「え!?いえそんな、とんでもないっ!」
空籠を背負いながら二人並んで山道を歩く。善法寺先輩と二人だなんて随分と久し振りだ。自分で提案したことなのに今更緊張してきた。
「今日取りに行く薬草、今がたくさん生えてる時期なんだ。たぶんすぐ終わるから」
「あ、塗り薬用の葉ですか?」
「うん。よく知ってるね」
「いえ、このあいだ私が使わせてもらったやつが足りないんだろうと思って…」
「気にしないで。あれは今の季節、峠の原っぱにたくさん生えてるもの」
以前薬草園から薬草を盗んだ曲者も今の時期まで待てば良かったのにねえ、なんてのほほんと語る善法寺先輩が後ろめたい。心苦しいのでここはあえて会話を逸らすことにした。
「善法寺先輩は、お休みの日はいつも薬草を摘みに行かれるんですか?」
素朴な疑問。そういえば、と記憶が蘇る。以前課外実習で六年生の先輩方が私のあとを付けて来た時、善法寺先輩だけ姿が無かったことを思い出した。ひょっとしたらあの時もこうして委員会の仕事に励んでいたのかもしれないな。
「んー…休み全部を保健委員会に費やしてるわけじゃないよ。でもだいたいは薬草摘みか、委員会の予算を稼ぐためにアルバイトしてる」
善法寺先輩、凄い働き者だ。保健委員長って大変だなあ。
「ななしちゃんは? 休みの日は何してるの?」
「あ。私はインドアなので、いつもだいたい部屋で読書して…」

『ななし! デートしよ!』

…読書してた、はずだった。今までなら。
「・・・」
「あ」
「…え?」
「ごめん。僕いま野暮なこと訊いたね。そうだよね、今は小平太がななしちゃんの傍に付いてるもんね」
う…さすが善法寺先輩。私が何も言わないうちに察してる。それとも私また顔に出てたかな。
「小平太、昨日から忍務に出向いてるし。今日はたまたまか」
「えっ」
忍務? 昨日から?
「え? ななしちゃん、聞いてない?」
「はい…」
「そっか」
善法寺先輩は少しだけ先の方に視線を落とすと口を噤んだ。それから多少の間があって、
「小平太、ななしちゃんには話してないのか…」
とぼんやり小声で話した。…話したというよりは、独り言を呟く感じだったけど。
「…善法寺先輩?」
「ううん、なんでもない」
取り繕うように首を振ってから笑顔を向けられる。何だろう。今の善法寺先輩、七松先輩について何か隠してるみたいだった。「話してないのか」が単に黙って忍務へ行ったことだけじゃないような…言葉の隙間から他意がみえた。
やけに胸騒ぎがする。
「あ! 峠が見えて来たよ!」
物思いにふけている間に目的地へ辿り着いてたらしい。善法寺先輩が突然大声を上げたのでちょっとびっくりしながら釣られて正面を見た。
「わあ…!」
野原いっぱいの綺麗な花。前に七松先輩が大量にプレゼントしてくれた薬草のお花。凄い、本当にたくさん生えてるんだ!
「何事もなく無事に辿り着いて良かったー! 前きた時はきり丸のアルバイトと重なって、薬草全部無くなっててさ。今日もひょっとしたらってちょっと思ってたんだけど、違ったみたいだ。今日は僕ツイてるなあ」
ほくほくしながら原っぱへ歩を進める先輩。きり丸くんのアルバイトと被ったって…それは確かに不運でしたね。可哀想に。
「よし! 早めに終わらせようななしちゃん!」
「はい!」
かくして二人で薬草摘みを開始した。


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