残り一寸


「えっ」
ええええ先輩そこに隠れるんですか!? 無理があり過ぎるるる!!!
「今日の課題を持って来たのだけれど」
サラリと戸を開けるシナ先生の方へゼンマイ仕掛けの人形よろしく首を捻る私。こんもり盛り上がってる掛布団は誰がどう見ても不自然だ。んもう絶対にバレてるよこれえええ!
「明日また回収に来るから、忘れずにやっておくこと。いいわね」
…おや? シナ先生、意外にも普通だ。ひょっとしてバレてないのかな? そんな阿呆な。
「返事は?」
「あ、は、はい。分かりました」
「じゃあこれ、机に置いておくから」
そう言って部屋へ踏み入り、机の上に課題のプリントを置くシナ先生。
うそ、まさかまさかでバレてないらしい。奇跡ってあるもんだ。安心して泣きたくなった。
「昼寝はいいけれど、もうすぐ昼ご飯だから寝過ごさないようにね」
「はい」
シナ先生は私を一瞥し、そのまま何事もなく部屋を出て行こうとした。が、部屋の戸に手を掛けたところで立ち止まる。
「最後に一つ言いたいのだけれど」
「は、はい!? なんでしょう!?」
「あなたじゃないわ」
七松くんによ――シナ先生がそう溢せば、盛り上がった布団の塊が分かりやすいほどビクリと跳ねた。
「六年生なんだから、もう少しマシな隠れ方をしなさい。次に見付けたらただじゃおきませんから」
ぱたり、戸が閉まる。
シナ先生の言葉は優しかったはずなのに、どこか氷のような冷たさを含んでいた。それがかえって怖かったりする。
「・・・」
「・・・」
室内に訪れた暫しの沈黙。少し間があってから七松先輩はもぞりと布団から顔だけ出して見せた。まるで亀みたい。
「…シナ先生、人が悪いよな」
ばつが悪い顔でぼやきつつ、のそのそ身体を起こす彼。さっきまで見惚れていたその顔が拗ねた子供そのものになっていて、なんだかとっても可笑しかった。
「ふ…っ、ふふふふふ」
「あ!? ななしってばなんで笑うんだよ!?」
「ご、ごめんなさ、ふふっ」
決まり悪く不貞腐れる様子が可愛くて我慢出来ずについ笑いを溢せば、彼はますますぶすくれた。堂々巡りだ。
「だ…っ、今のはしょーがないじゃん!」
「そ、ですね、ふふ、ふ」
笑いを堪えようと唇を噛めば、七松先輩はそんな私の正面で決まりが悪そうに眉間に皺を寄せる。
「・・・」
それから、フッ、と。
とても柔らかく一笑して見せた。
彼のその表情に、自分でも分かるぐらい心臓が大きく跳ねた。
いつもの快活な笑顔とは明らかに違う。愛おしんでくるような、そんな瞳。知らなかった…七松先輩、こんな表情も持ってるんだ。
以前の真っ直ぐ射抜いて来る獣の瞳とはまた違う、けれど視線を逸らせない。優しい色を浮かべたその瞳にこのまま吸い込まれそうになる。
先輩は何か話そうと一度口を開き掛け、そのまま何も言わずにそれを引き結んだ。
見詰めあったまま、お互い言葉を失う。

やってきたのは静寂。

部屋の中には初めから二人だけだったというのに、何かから二人して取り残されてしまったような。
先輩との距離に妙な熱が生まれた、気がした。
あれ、おかしいな、どうしたらいいんだろう私。普通に会話を続ければいいだけなのに、言葉が出てこない。布団を手繰り寄せて寝る作業に入ればいいのに、身体が動かない。
七松先輩から、目を逸らせない。
わけが分からず緊張する。口の中がカラカラに乾いて来た。呼吸も浅くなってくる。
不意に、先輩の手が私の頬に触れた。触れられた手のひらが湯のように熱い。…手のひらが熱いのかな、単に私の頬が熱いだけかもしれない。
触れられた部分からじんわりと広がるように、熱に浸食され始める。頭の芯がぼうっとして、目の前の状況がまるで自分のことじゃないみたいだ。
ごく自然に、先輩の顔が近付いてくる。
私は変わらず、動けない。ただひたすら心臓が早鐘を打つだけ。
静寂の中で、どくりどくりと、まるで全身が心臓になったみたい。
ついさっき格好良いと思ったばかりのその顔がすぐ側までやってきて、視界いっぱいになった頃、反射的にきゅうと固く目を閉じた。
先輩の呼吸が私の唇に掛かる。熱い、暑い、何もかもあつい。

想定の感触が訪れるのに、およそ残り一寸――

「チッ」
想定外なことに、次に訪れたのは柔らかい感触などではなく、七松先輩の苦々しい舌打ちだった。
緊張の糸が切れた気がする。よく分からずに瞳を開ければ私から手を離して身を引く先輩が視界に映った。
同時に廊下からぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「なぞのせんぱーい!」
「お昼ご飯、運んできましたー!」
近付いて来るのは可愛い後輩達の声。
「あ…」
そうか、だから七松先輩は…
「あ、の、せんぱ…」
今になって凄く気まずい。恥ずかしい! 流され過ぎにも程がある私! だって今あと少しで七松先輩とせっ、せっ、せっ…!ひぃぃぃぃ!!
一人茹蛸になっている私の前で、眉間に皺を寄せて不機嫌なままの七松先輩。それから唐突にグイと私の首を引き寄せ、耳に口を寄せて一言。
「また今度な」
低音で囁いてから、あっという間に天井板を抜いて姿を消してしまった。
ポカンとした私だけが部屋の中に取り残される。
「っもおおお…!!!」
分かんない分かんない!自分のことがよく分からない!だって私は善法寺先輩が好きなはずなのに!
「・・・」
抵抗しようと思わなかった。それどころか、
「なぞの先輩! 失礼しまーす!」
「ご飯、横に置いときますね!」
「へ!? あ、ああ、うん! ありがとう」
「あれ? なぞの先輩、顔赤いですよ? 大丈夫ですか?」
「熱あるんじゃないでしゅか? 新野先生呼んできましゅか?」
「う、うううん! だっだだだ大丈夫ぶぶ!」



それどころか
少しも、嫌だと、思わなかったんだ


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