「ときにななしはなんでこんなとこに居るんだ?」
再度訊かれて言い淀む。上級生にもなって迷子で泣いていたなんて恥ずかしい。けど、仕方ない。
「近くでくのたまも野外訓練してたんですけど…その、はぐれてしまって…」
俯いたままモゴモゴと返答した。ああやっぱり恥ずかしいよう。笑われるかな?と思い、頭上の先輩をちらりと盗み見たけれど、これといって嘲笑はされなかった。
それどころかウーンと唸って、困った顔を作っている。
「先輩?」
「いや、送ってやりたいのはヤマヤマなんだけどなあ…」
ほぼ独り言に近いその呟きを聞いて私の思考もようやく正常に機能し始めた。
そうだ。七松先輩に見付けてもらえたからといって、みんなのところまで送り届けてもらうのとはまた話が別。先輩は今授業中なのだ。サボって抜け出しでもしない限り、それは不可能な話。
私ときたらどこまで考えが甘いのか。
「あ、す、すみません。私は大丈夫ですから、先輩は気にせず札取りに、」
「いや、べつに授業はどーでもいんだ」
「え」
なんだろう…どうでも良くはないと思うんだけど…。
「前半に五人狩るより、後半に五人分の札を持った一人を狩る方が楽でいいだろ? …まあ、仙蔵の作戦に倣っただけなんだけど。だからべつに今は暇なんだ」
「な、なるほど」
「そんなことより問題なのは、」
刹那、先輩は素早く苦無を取り出し、何かを弾き飛ばした。
地に落ちたそれは…八方手裏剣。いったいどこから飛んできたんだろう!?
慌てて周りを見たけれど人影は無い。またどこかから他の六年生が七松先輩を狙っていたようだ。
「私の札、九点なんだよなあ」
ぼそり。七松先輩が降らせた言葉は私の心配と見当違いの方面で。
「おかげでモテちゃってさ…私と居たらお前が危険なんだ」
へらりと困ったように笑う先輩。私はただポカンとするしか出来なかった。
「とりあえず安全な場所に移ろ。そしたら私が先生呼んで、」
「痛っ!」
思わず叫んでしまう。七松先輩が喋りながら私を抱え起こそうとしてくれたのだけど、その瞬間、足に激痛が走ったのだ。
「…ななし?」
先輩の顔色が曇る。彼に悪気は無いというのに変な声を出してしまったから、なんだか申し訳ない気分になった。
「あ、ごめんなさ、」
「お前、どっか怪我して…」
先輩の視線が私の身体を走る。そのまま腫れあがった足に目が留まると、顔色をサッと青くして見せた。
「お前コレどうしたんだ!?」
「え、と、罠に掛かっちゃって…」
正直、一度座ってしまった身としては立ち上がるのも辛い。けれどこんな程度で弱音を吐いていては忍者になんてなれない。引き摺ってでも立たなくちゃ。
なんとか立ち上がろうと地に手を付き、腰を浮かす。
手のひらに力を籠めたその時だった。
「ひゃあっ!」
お世話ばかり掛けてすみません、そう言おうとして開かれた私の口からは奇妙な叫びが漏れるに終わる。
気付いた時には、七松先輩に抱え上げられていた。
「先輩!?」
「保健室に行くぞ」
「エッ!?」
私に有無を言わせる間もなく先輩は駆け出し、木々の間を風のような速さで縫い進む。
「せ、先輩、実習は、」
「そんなん、どーでもいい!」
きっぱりとした返答を貰ってしまい、何も言えなくなってしまう。先輩、授業をサボってまで私を運ぶ気だ。
「・・・」
本当はそれじゃいけない。私の失態なんかで先輩の授業に水をさしちゃいけない。
ここは私に構わず授業に励んで下さい、って言うべきだ。
言うべきなのに、くっ付いた腕や胸から伝わってくる体温が、温かすぎて。
先輩の腕の中は居心地が良過ぎて。
言葉が咽喉奥に詰まったまま、口から出てこようとしない。
「ちょっと跳ねるぞ」
「わ!」
忠告と同時、とんでもない距離を跳躍する七松先輩。着地したのち、来た道へ目を向ければ、大きな罠がいくつも作動していた。
忘れたわけじゃないけれどここは六年生用の実習コース。恐ろしい罠がありとあらゆるところに仕掛けられている。
変わらず駆ける先輩はそのどれにも引っ掛からない。まるで全てを網羅しているかのように、ひらりひらりと容易く躱していく。いったいどうしてそんなに罠の場所が分かるんだろう。体育委員長だから? いいやその理由だけじゃ納まらない。
さすが、としか言えない。何故に七松先輩の札は十点満点じゃないのかと先生方へ問いたくなるぐらいだ。
ひたすら前を見据え、学園を目指す先輩の顔を下から見つめる。
七松先輩は、いつも私を甘やかすけれど、
実際のところ、私も七松先輩に甘えている。…そう思う。
「待て!」
不意に七松先輩でも私でもない者の声がした。
声がした方――七松先輩の真正面へ首を捻れば、苦無を構えた六年生がその場に立っていた。
「七松小平太! その札よこせ!」
実習中の六年生だ。七松先輩に真っ向から挑むなんて相当切羽詰まっているんだろうな。自分の札を取られた人なのかもしれない。
途端、私の身体は宙に浮いた。浮いたというか気付いたら浮いていた。
「!?」
何が起こったのか理解出来ず、思考回路が一度停止する。重力に逆らって浮かんだ私の身体は、次の瞬間には一身に重力を受け止めて落っこちた。恐ろしいほどの浮遊感。考えるよりも悲鳴が洩れようとする方が先。ひ、と声を絞り出した瞬間、
「よっと」
どさっ、と七松先輩の腕の中に再び納まった。洩れるはずだった悲鳴も口の中へ引っ込んでしまう。
先輩はそのまま再度、地を駆け出した。
何ごとも無かったように駆ける先輩の顔を見上げ、ようやく思考が追い付いてくる。どうやら私は投げ出されたようだ。何もかもを遅れて理解するぐらい、今の出来事は本当に一瞬だった。
何度か瞬きしたのち、先輩越しに後方へ目を向ける。そこに、たった今対峙していたはずの六年生が伸びていた。
…もう、掛ける言葉も見付からない。もともと掛けるつもりもなかったけれど呆気に取られて何も言えない。
だって本当に一瞬だったんだ。端から見たら七松先輩、同級生を轢き殺したも同然じゃあないか。同学年の生徒なのに、いったいどうやったらこんなに実力の差がつくんだ。普段どういう鍛え方してるの。あっ、もうなんだか真面目に考えるのもコワいや。
「七松小平太!」
二度目の宣戦布告。
またもや正面から響いてきた声に七松先輩の表情が少しイラッとしたことが見てとれた。
今度は投げ出されることを想定し、身体の芯をきゅっと縮めて心の準備をする。さっきのように突然ぽーんと放られてはさすがにちょっと怖いから。
しかし予想に反して七松先輩は足を止めた。
「?」
いったいどうしたというのか。そこで初めて私は前方を見やる。
そこには先程と違い、六年生が三人も立っていた。三対一なんて…さすがにこれはちょっと厳しいんじゃないだろうか。
「七松、見つけたぞ!」
更に驚いたことに背後からも四人ほど追い掛けて来た。計、七対一。みんなそんなに七松先輩を集中攻撃してどうする気なんだ。七松先輩の札は一枚しかないと言うのに。
「あれ? お前、なんでくのたまなんか抱いてるんだ」
「あ、確かそれ、お前の彼女だろ?」
「何してたんだよ」
呆けたような同級生の声。七松先輩は答えない。かわりに、答える時間が惜しいとでも言わんばかりに全員へ殺気を撒き散らした。結論、イライラしてる。
先輩の殺気に同級生達は少し怯んだ後、不敵に笑って武器を構えた。
「まあいい。なんかよく分からんが好都合だ!」
「普段のお前ならいざ知らず、両手が塞がってる今なら勝機はある!」
同級生達のその意気込みは七松先輩当人よりも私の鼓膜を揺らして暴れる。
私はやっぱり七松先輩の授業の邪魔をしているんだ。たとえそれが、先輩当人が気にしていなくとも。
このままでは七松先輩のためにならない。
 ――足手まとい
そう言われた気がした。
「な、なまつ先輩…」
声が、震える。
七松先輩の表情には焦りの色は見られない。が、余裕も見られない。何色も浮かんでいない。
言わなくちゃ、言わなくちゃ。
ここは私をおいて授業に戻って下さい、って。言わなくちゃ。
私は先輩の荷物にはなりたくない。
言わなく、ちゃ、
「先輩、ここ、は、私に、構わ、ず、」
ふと、私を抱きかかえる腕に痛いほどの力が籠もる。
「…いつまでたっても、」
「…え?」
ぼそりと降って来た言葉は私に向けたものではないらしい。
「これだから、私は九点止まりなんだろうなァ…」
眉尻を下げ、困ったようにふにゃりと笑う彼。その笑顔が自嘲であることを理解したのは、しっかり掴まってろよななし、と先輩の口が低い声を落としてからだった。
「せんぱ、」
ひゅっ、とすぐ傍で空を切る音がする。
「ぐあっ!」
唐突に正面の生徒が一人、呻き声を上げて倒れ伏した。驚いて目を見張る。だって七松先輩はまだ何も行動を起こしていない。
いったい何が起こったの!?
瞬時、七松先輩の殺気が消えた。
「長次!」
七松先輩の声が跳ねると同時、私達二人の前に中在家先輩が音も無く降り立った。
中在家先輩は何も言わずに七松先輩へ目配せする。先に行け、の意だろうか。
「悪いな」
中在家先輩の横を走り抜ける七松先輩。
「あ、待て!逃がすか!」
私達を追って来ようと一歩踏み出す同級生。けれどそれもなし得ぬ夢に終わる。中在家先輩が縄標を手繰り、追い掛けてこようとする彼の足を一瞬で絡め捕った。同級生はぎゃんと間抜けな声を上げ、その場に倒れ散る。
「あ、の…七松先輩…」
「ん?」
同級生数人に囲まれた中在家先輩を残し、あっという間に先を走る七松先輩へ声を掛けた。
「いいんですか?」
「何が?」
「だって、あれだけの人数を相手に中在家先輩だけ残して来てしまって…」
私のことなど気にせず、七松先輩は加勢した方が良かったんじゃないだろうか。
木々の間を縫い進んでいるため、もはや中在家先輩の姿も同級生の姿もはるか遠くで見えやしないけれど。
「細かいことは気にするな!」
「こっ、細かいとかじゃなくて…!」
「心配いらんさ、長次は私より強い。…たぶん」
「…え!?」
「あいつは、ろ組でただ一人の十点札の持ち主だ」
七松先輩がそう言い放つと同じくして、来た道の方角から鈍い叫びがいくつか聞こえてきた。
さ、さすがは中在家先輩…。暴君様を操縦出来るだけのことはある。
「・・・」
言葉も出ない。いろんなことが短時間で起こり過ぎて、私の小さい脳味噌は悲鳴をあげている。
「もうすぐコースを抜ける。だから、」
「?」
「寝てていいぞ」
少し驚いた。七松先輩、私が眠たがっていることに気付いていたらしい。
声を上げて大泣きしたのは久しぶりだったから、正直泣き疲れてしまっていた。加えて七松先輩の腕の中は温かくて居心地が良い。寝まい寝まいと重い目蓋をさっきから何度も擦っていたのだけれど、しっかり見られていたようだ。
「眠いんだろ?」
「あ、すみませ…」
「謝るなよ。怪我してること、すぐに気付けなくてごめんな」
先輩の方こそ謝らないで下さい。
…そう、言おうとしたのだけれど。
先輩の温もりに安心しきってしまった脳みそは、まどろみの中に声ごと吸い込まれてしまった。


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