「今日こそくのたまは休みか!? デート、し、よ…」
私の姿を見て言葉を詰まらす彼。足元から頭のてっぺんまで、優に視線が三往復する。露骨にじろじろ見られると恥ずかしくて堪らない。
「あの、先輩、」
「…ななし」
今日は実習なんです、と告げようとして遮られる。私から視線を外さないまま、傍まで歩いてくる彼。え?いや、あの、
「めちゃくちゃ可愛い…」
途端、ぎゅうと抱き締められた。う、嬉しいけどやっぱり恥ずかしい。というか今はこんなことをしてる場合じゃない。
「先輩、ごめんなさい。今日は、」
「私は嬉しいぞ! めかしこんで待っててくれるなんて!」
は!!?
「ちょ、先輩!?」
「いよおぉし、このまま町へデートだななし!」
膝裏に腕を差し込まれ、ひょいと抱え上げられる。いけない!この先輩、また何か勘違いをしている!!
「ちが、せんぱ…!」
「いけいけどんどーん!!」
そのまま外へ元気よく飛び出し、私の重みもなんのその、ひらりと塀の上へ駆け上がる彼。
わああん違う違う違う違うのに!! 私このままじゃ授業サボることになってしまううう!!
「お、降ろして下さい…!」
「照れるな照れるな! 暴れると危ないぞ!」
私の訴えをワハハと笑い飛ばし、塀の上を駆けて行く。照れるとかそういう問題じゃない!違う!!
どうしたものかと必死に辺りを見渡せば、塀の下で六年生の先輩方が自主鍛錬していた。潮江先輩と食満先輩が手合わせしてる傍で、立花先輩が縁側に腰掛けてそれを眺め、中在家先輩が隣で武器を手入れしている。
「あ、せ、先輩方…!」
私の声が聞こえたのか、それとも気配に気付いたのか。こちらを見た立花先輩と目が合った。
「助け、」
「いっけどーん!!」
私の叫びは七松先輩の上機嫌な声に掻き消される。どう足掻いても腹から出す彼の声量には敵わない。泣きそうな目で先輩方を見やりながら、あっという間に彼らの頭上を通り過ぎていく。
不意に、中在家先輩が手入れし終えたらしい縄標をくるくると回し始めた。
次の瞬間、ヒュッと縄標の先にある棒手裏剣が私の真上を掠める。中在家先輩が地上で縄をくいと手繰れば、それはうまい具合にくるりと回り、
「ぐえ!」
あろうことか、七松先輩の首に巻き付いた。
首が締まってバランスを崩した彼は、塀から足を滑らせて落下する。
「ひあああ!」
もちろん、私も一緒に落下した。
どすん!と派手な振動が背中に伝わって来たけれど痛みはあまり無い。慌てて視線を向ければ地面と私の間に七松先輩が挟まれていた。先輩、落下したものの私からは手を離さなかったようだ。
「あ、いてて…」
私の下敷きになったままムクリと上半身だけ起き上がる彼。凄いなあ、今のって人によっては死んじゃうんじゃないかな。
「いきなり何すんだよ長次!」
プンスコと文句を垂れる彼の視線を追えば、縄を辿るように六年生の先輩方がこっちへ歩いてくる。何すんだよって問われたら、中在家先輩は私を助けたんだと思います、七松先輩…。
「お前なあ…一歩間違えば婦女誘拐の域だぞ」
呆れたように潮江先輩が呟く。何がだ!と七松先輩が吠えれば、今日はくのたまは休みじゃないだろ、と食満先輩が返答した。
「食満先輩、くのたまが休日じゃないのをご存知なんですか?」
「さっきしんべヱと会ってな。おシゲちゃんと遊べない、って嘆いてたんだ」
なるほど、しんべヱくんもおシゲちゃんをデートに誘おうとしたんだ。…まあ七松先輩ほど強引ではないだろうけども。
「だったらみんなヒトコトそう言えばいいだろ! 私いま死ぬとこだったぞ!」
「ヒトコト言ったところでお前が聞くかよ」
「お前はそれぐらいで死なん」
「首に巻かなきゃ長次が引きずられて終わりだったしな」
「(もそもそ)」
どうやら七松先輩の味方は誰もいないらしい。みんなが私を責めるよななし〜!なんて、ぎゅうと私に纏わりついてくる。正直、反応に困る。
「しかしまあ…町娘の格好だから小平太も勘違いするか。今日の課題は何なんだ?」
立花先輩が私を眺めながら何となしに溢す。
「あ、これは、」
「私はてっきりデートの準備をしてくれたのかと思ったぞ。ななしが珍しくめかしてるから」
心なしかションボリと眉尻を下げる七松先輩に、なんだか悪いことをした気分になってきた。実際は何も悪いことしてないんだけど。
「今日は、町で実習なんです」
「町で?」
「はい」
先輩方へ大まかに課題の内容を説明した。不安でいっぱいだけどとにかく頑張らなきゃ。
「へえ、くのたまってそんな課題もあんのか」
くのたまの授業って案外面倒だな、なんて潮江先輩が呟く横で、なるほどだから化粧してるんだな、と食満先輩がまじまじ見つめてくる。あんまり見られると恥ずかしい。
「お前、なかなか化粧がうまいじゃないか」
立花先輩が褒めてるのか貶してるのか分からないような物言いでくすくすと笑う。
「や、違うんです、これは…タカ丸くんがやってくれて…」
「斉藤が?」
「はい。お恥ずかしながら私、くのたまのくせに化粧も変装も苦手で…。悩んでいたらタカ丸くんが手伝ってくれたんです」
おかげで自分で化粧をするよりずっと見栄えが良い。
課題とはいえせっかく町に行くのだから、タカ丸くんに何かお土産を買って来よう。帰って来たらきちんとお礼を言わなきゃな。
不意に、纏わりついている七松先輩の腕に力が籠もった。きつく抱き締められてちょっぴり痛い。
「な、七松先輩…?」
恐る恐る先輩の顔を見上げれば、ぶすっと不貞腐れた表情を浮かべている。
この顔にはさすがにもう見慣れてきた。何度となく目にして来た、ヤキモチ全開の表情だ。
「七松せんぱ、」
「そんな課題はサボれ」
「…エ?」
唐突な発言に、私どころか他の先輩方も目を点にする。またもや何を言い出すんだこの人は。
「そんな、無茶言わないでくださ、」
「いやだ。私は放さんぞ」
「先輩!」
「や だ !」
明らかに理不尽な駄々を捏ね始める。他の先輩方は暴君様の言動が面倒臭くなってきたのか、一斉に溜め息を吐き出した。
「そんな危険な授業にななしを行かせられるわけないだろ!」
「き、危険って…べつに戦地に行くわけじゃないんですから、危険なことなんて何も、」
「馬鹿! それが問題なんだよ! 危機感が薄すぎる!」
「危…機感?」
「そうだ! あのなあななし、男なんて生き物は頭ン中エロいことばっかりなんだ! 常にエロいことばっかりなんだ!!」
「え、あの、」
「女に声を掛けた時点で頭にはそれしか無いんだぞ!」
七松先輩だって立派に男の人じゃないかっていう…ツッコミ不在。
「いいかよく聞け! 男なんてみんなケダモノだ! そんな奴らをななしに近付けさせるか!」
「そ、そんなわけ、」
「事実だ! 特にななしは可愛いんだ! 町へ出たら周りにはケダモノしかいないんだぞ! 町を歩く時は猛獣の檻に放り込まれた気でいろ!」
「むむむ無理ですようぅ」
「無理とは言わせん! 町の男どもは全員ななしに声を掛けようとするに決まってるんだから、常に意識して歩け!」
「そ、それじゃあ病気ですよ!」
「病気なもんか! 滝ぐらい自意識過剰でいいんだお前は!」
そこで滝夜叉丸くんを引き合いに出さないで下さい。余計ムリ。
「町中の男全員が自分に欲情してると思え! 男はみんな四六時中お前でセンズリ掻いてんだ自覚しろ!」
「ヲイ後半お前限定の話になってんぞ小平太」
「やめろ文次郎、相手にするな。こいつもう自分の性癖を懺悔しちゃってることすら気付いてねえよ」
くだらないと言いたげに潮江先輩と食満先輩が会話する。まあ当事者の私ですら疲れるんだから、第三者の先輩方には本当にどうでもいいやり取りだろうなあコレ。
七松先輩ときたら過保護過ぎる。はて、どうしたものか。
「…七松先輩」
「なんだ!?」
「どうしても放してくれないというなら、私は先輩を嫌いになりますっ」
「う゛」
最近覚えた必殺技。先輩はジト目で口をもごもごさせてから、心底名残惜しそうに私から身を離す。まさしく色に溺れているなあ、と立花先輩が再びくすくす笑い出した。
瞬間、カーンとヘムヘムの鐘の音が聞こえてきた。授業開始の合図。いけない!完全に遅刻だ!慌てて先輩方に挨拶し、踵を返して立ち去ろうとする。
「頑張ってこい」
「無理はすんなよ!」
潮江先輩と食満先輩が爽やかに声を掛けてくれる。
「小平太の言うこともまあ一理ある。声を掛けてくる男には気を付けろ」
優しい立花先輩。
「(もそもそ)」
中在家先輩。
「また私のななしに触りやがってチクショウ爆ぜろ斉藤」
んんん!?
「七松先輩!?」
「ん!? どしたななし! いけいけどんどんで頑張ってこい!」
にっこり笑顔で私を送り出そうとする七松先輩。えええ今かなり真っ黒な感じだったのにエエエエエ…!

「気にするな。小平太は頑張れと言ったつもりだ」
「心の声が漏れただけで」
「あれは時々、矢羽音ですら口に出るからな」
「(もそもそ)」
七松先輩、同級生からも暴君と思われてるみたいですね…。



慌てて校門へ向かえば、シナ先生が仁王立ちで私を待っていた。
「上級生にもなって遅刻するなんて!」
「す、すみません…」
軽くお説教を食らってしまった。クラスメイトの姿が見当たらないから、みんなもう先に行ってしまったんだろう。どうやら私が最後みたい。
「いいから早く行きなさい!」
「はいっ!」
半ば追い出されるかのごとく、走って学園を後にした。


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