かんざし


いやだ
いやだいやだいやだ
どうか、どうか間に合って

『今日は休みで天気も良いから町に行こう、ななし!』
『今日、くのたまは休みじゃないんですよ。午前中に実技試験があるんです』
『またか!? 最近休みが合わなくてつまんないなあ!』

今朝のあれが、最後の会話になってしまったら、
私はきっと二度と陽を拝めなくなる
空を見上げるたびに彼を思い出すから…そんな傷、負いたくない!

『ねえ、さっきの七松先輩見た?』
『見た見た! 正門のところで日向先生に担がれてたよね』
『何したのあれ。血まみれで凄かったじゃん』
『また忍務じゃないのー? 忍たまは今日、授業無いみたいだしさ』
『私なんて試験から帰って来た時にちょうど門のところにいて、モロ目の前でさあ。傷口とか間近で見ちゃったよ〜』
『マジ!? うっわ、ついてないねー』
『もうホント凄かったよ。夢に出そう。あれ、もう助からないんじゃない?』
『私にはもう死んでるように見えたんだけど…遠かったから?』

過呼吸でうまく酸素が取り込めないまま、保健室へ向かってひた走った。
途中、躓いて転ぶ。
だけど今は痛みも分からない

『あれ? なんでなぞのさんがここに居るの?』
『こんなとこで何してんの! 彼氏死にかけてたよ!?』
『あ、そっか。なぞのさん、試験の順番最後だったもんね』
『早く保健室行った方がいいよ』
『手遅れになる前に』

早く、早く保健室に…!

「七松先輩!!!」
保健室に辿り着くと同時、戸を壊しそうな勢いで入室した。
そこに、
「どした?ななし」
座ったままこちらを向いている七松先輩が、いつもの調子で私を見ていた。
…あ、れれれ?
「いででで!痛い痛い痛いよ、いさっくん!」
上半身に何も着ていない七松先輩の後ろで、栗色の毛がせかせかと動いている。どうやら七松先輩は背に傷を負っているらしく、善法寺先輩の手当てを受けている最中だった。
「七松先輩、我慢ですぅ」
先輩の横に座っている一年生が間延びした声を出す。善法寺先輩が「伏木蔵、包帯を取ってくれないか」と声を掛けていた。伏木蔵くんていうのか。
「試験お疲れ! 早かったな!」
いつも通りニカッと笑うその顔を見て、へなへなと力が抜けて尻餅をついた。
七松先輩、聞いていたより全然元気じゃないか。安心して涙出そう。
「その…七松先輩は大怪我を負ったと聞いたのですが…」
「へ? ああ、負ったぞー。後ろっかわに」
「え?」
腰が抜けた状態に近いので立つことが出来ない。座ったままズリズリと七松先輩の後ろ側へ移動しようとしたら、
「あああ来ちゃ駄目、ななしちゃん! 保健委員以外が見たらトラウマになるよ!」
善法寺先輩に声で制された。そ、そんなにヒドイ怪我なのか…正面からの七松先輩の様子じゃとてもそんな風には見えないけどなあ。
「日向先生に担がれてた、って…」
「ああ、門のところで意識飛んじゃってさー。そこまでは歩いてこれたんだけど」
「日向先生、目が覚めた小平太を見て笑いながら仕事に戻って行ったよ」
「今日は新野先生が出張だから、僕ら保健委員会が日向先生に手当てを任されたんです〜」
話を整理してみたところ、思っていたほどの大事では無かったらしい。
良かった。本当に良かった。もう二度と七松先輩に会えないのかと思った。
「え、ええと、ええと…」
「落ち着いてななしちゃん」
「な、何があったんですか? 七松先輩…」
七松先輩は、ん〜、と唸って考え込む。何から話そうか思案している顔だ。
「情けない話だから、あんまななしに知られたくないんだよな〜」
情けない話? いったい何だろう。また、忍務で傷を負ったのだろうか。
何となく先輩の壮健な身体に視線が向いてしまう。以前クラスメイトに騙されてお風呂で居合わせた時も思ったけれど、七松先輩の身体はそれなりに傷が多い。普段は忍び装束に隠れていて見えないけれど、踏んだ場数の分だけ傷がある…そんな感じだ。
「情けなくなんか、ないです…」
ぽつりと聞こえた消え入りそうな声は、保健室の隅からだった。
振り返ればそこに、声どころか存在すらも消え入りそうなしろちゃんが座っていた。
「しろちゃん!?」
初めからいたの!? 全く気付かなかった!
「僕のせいなんです…僕が、情けなくて…」
「え?」
「七松先輩は、僕を庇ったんです…」

それからしろちゃんは弱々しい声で事情を話してくれた。

七松先輩は私にデートを断られたのち、一人で町へ出掛けようと外出許可を取った。
その時たまたましろちゃんが通り掛かって、しろちゃんもお供になった。しろちゃんは今日、特に予定が無かったらしい。
二人で町へ行き団子屋で団子を食べていると、七松先輩の懐に光り物を見付けて、それは何ですか、としろちゃんは尋ねてみた。七松先輩は楽しそうにそれを取り出して、本当は今日ななしにこれをあげようと思ってたんだ!と自慢し始めた。
それは簪。
一般庶民にはなかなか手が届かないほどの、高貴な簪。
話を聞けば、七松先輩が忍務で成功した際、城主が褒美にくれたものらしい。お前は好きな女子がいるらしいな、くれてやるといい、城主がそう言って七松先輩にくれたのだそうだ。七松先輩ってば職場でも私のことを惚気てるのかと内心で驚愕したけれど…。
しろちゃんはそれを手に取って、凄いですねえ、と簪のきらめきぶりにうっとりした。そこで七松先輩が厠へ席を外したところ、しろちゃんの手にある簪を陰から狙っていたごろつきが、隙を見計らってしろちゃんごと団子屋からさらって行った。戻って来た七松先輩は店主に事情を聞いて慌てて追いかけた。ごろつきは簪からなかなか手を離さないしろちゃんが頭に来て、しろちゃんを斬り付けた。
そこで間一髪まにあった七松先輩が、しろちゃんを庇って斬られた。

「僕のせいなんです…僕が弱いから…」
「違うぞ、しろ。あれを人目にさらした私が浅はかだったんだよ。お前のせいじゃないさ」
二人の会話を聞いてチクリと胸が痛む。しろちゃんが自分を責める必要なんてどこにも無い。七松先輩のせいでもない。二人とも何も悪くないのに。
私の心の声を察したように、善法寺先輩が「二人ともどこが情けないんだい?」と穏やかに笑う。善法寺先輩はそのまま七松先輩の上半身に包帯を巻き終え、彼の横へ移動して左腕の治療に取り掛かった。気付かなかったけれど、七松先輩、左腕も少し斬られたのか。
「ときに、ななし」
「はい?」
「お前、私に何か用だったんじゃないのか?」
「え?」
「ここへ入って来るとき私のこと呼んでたじゃないか」
「あ」
呼んだ。それはもう盛大に。
だけど何も言えない。べつにこれといった用は無かったわけで…。
「え、と、」
「あ、まさか私のことが心配で仕方なかったのかあ?」
「・・・」
茶化すように笑われて返答に困る。正直、その通りだから何も言い返せない。恥ずかしさのあまり赤くなって下を向いた。
どうして私、無我夢中でここへ来ちゃったんだろ!? もうやだ来るんじゃなかった! 部屋に帰りたいよぅ!!
 ぺちんっ
「あたっ! 何すんだよいさっくん!」
「いや、小平太がななしちゃんに襲い掛かろうとしてたから」
「何故分かった!?」
「顔見てりゃ分かるよ」
「ショーガナイだろ。今のはななしが可愛すぎるからいけない」
「惚気るのは構わないけど治療が終わってからにしてよ。動いたら手当て出来ないでしょ」
「だからって一言止めてくれればいーじゃんか。デコ叩くなよ痛いから。まるで人を虫みたいにさあ」
「ななしちゃんのご家族にとっては充分に悪い虫でしょーが」
「いさっくん、なんだか刺々しい」
「僕、小平太の手当てだけで週に何回保健室にいると思ってるの?」
ついクスクス笑ってしまう。先輩方、仲が良いんだなあ。
間が空いたところで、七松先輩がぼんやりとしろちゃんへ話し掛けた。
「なあ、しろ」
「…はい?」
「斬られたのも、お前を危険な目に遭わせたのも私の責任だが…。お前、委員会であれだけ鍛えてるから逃げようと思えば逃げられたんじゃないのか?」
委員長ならではの視点。確かに七松先輩の疑問は的を射ている。
二年生だから戦うには実力不足かもしれないけど、走って逃げることなら他の十一歳よりよほど長けていたはずだ。しろちゃん、なんで逃げなかったんだろう?
彼は部屋の隅で小さくなったまま、抱えた膝へ声を溢した。
「放さなかった、から…」
「ん?」
「ごろつきが簪を放さなかったから…絶対にとられちゃいけないと思って…」
再び胸の奥が締まるような感覚。
そうか、しろちゃんは――
「七松先輩が忍務を頑張って城主から貰ったものだから。なぞの先輩にあげる大事なものだから。奪い返すまで帰れないと、思って、」
七松先輩の眉間に皺が寄る。どうして気付けなかった?、そんな表情。先輩もまた自分を責め始めている。
「だけど結局、簪は折れちゃって…」
語尾が震えるしろちゃん。
七松先輩は、そんなしろちゃんを手招きした。
「しろ、こっち来い」
「え」
「いいから、こっち来い」
促されるまましずしずと先輩へ近寄るしろちゃん。傍まで来た途端、
「わあ!」
ぐい、と。七松先輩は空いてる右手でしろちゃんを抱き寄せた。
「七松先輩?」
「…悪かった」
小声で謝罪してから、抱き寄せたままの手でしろちゃんの頭を撫でる。
「よく、頑張ったな」
しろちゃんは今まで我慢していたものが決壊するようにくしゃりと顔を歪めて、七松先輩の胸へ顔を埋めた。
辛かったね、苦しかったね、自分のせいだから泣いたらいけないと思ってたんだね。
手当てを終えた善法寺先輩が私の胸中を再び掬うように、我慢して偉かったね、としろちゃんへ穏やかな声を落とす。
「でも、簪は、もう元に戻らないです…」
「あんなもん、またいつか買えばいいさ」
「なぞの先輩にあげる大事なものだったのに…」
「お前が無事ならそれで充分だ」
しろちゃんの肩が小さく震え出す。耳に届いた掠れるような泣き声を、私達は温かく見守った。
もっとたくさん、思い切り泣いたらいい。しろちゃんは頑張ったんだ。

「甘いと思うな」

不意にした場違いなその声は、私の真後ろから聞こえてきた。


























もしも問い合わせが来たら返答に困ってしまうので、先に補足します><!
途中「以前お風呂で居合わせた〜」の回想をしていますが、この長編には番外編が存在します。七松先輩とお風呂でバッタリ遭遇☆TOLOVEる番外編です。
相互様へ差し上げた相互記念なので、サイト内には掲示していません。今後も特に貼る予定はありません。

…別段、二人の関係に何も進展無い番外編でしたのでご安心下さい。


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