善法寺先輩について


今日も一日疲れたなあ。明日は朝早いから早く寝ることにしよう。
いつもなら湯浴み後は部屋で読書に励むのだけれど、今日は早々に布団の中へと潜り込んだ。
「・・・」

―だったら流されたままでも良いから、小平太の傍に居てやってくれないかなぁ―

天井を見ながら昼間のことを思い返す。善法寺先輩にあんなことを言われたら、もともと断り辛かった七松先輩との関係を余計に断ち切れなくなってしまう。
私が好きなのは善法寺先輩なのに。
「…なんだか目が冴えてきちゃったな」
善法寺先輩に対する恋心を認識したのは、実はつい最近のこと。四年生にあがったばかりの時だ。
気が付いたらいつも彼を目で追っていて、入学したばかりのタカ丸くんに相談したら「それは恋だよ」と教えてくれた。
善法寺先輩への気持ちに気付く前に七松先輩と出会ってたら…そしたら、ちょっとは違ってたのかな。こんなに悩む必要無かったかもしれない。七松先輩の言う通り、もっと早く七松先輩と出会えてたら良かった。

善法寺先輩との出会いは、私が一年生の時。…私が一方的に善法寺先輩のことを知っただけだから、"出会い"とは言えないかもしれないけど。
入学したばかりの私は今と変わらず内気で口下手で、なかなか友達が出来なくて。授業にもあまりついていかれなかった。ああ私はここに居ちゃいけないのかもしれないな、なんて毎日凹んでた。いくら頑張っても、何をやっても上手くいかなくて、どうして私は忍術学園に来ちゃったんだろう、って。作法を学ぶためと婿探しならここじゃなくても他にたくさんあるんじゃないかな、早々に立ち去った方が良いんじゃないかな、…ずっとそう思ってた。
確かあの日、授業で大きな失敗をやらかして凄く落ち込んでたんだ。自分が情けなくて、校庭の隅にある木陰で膝を抱えて一人泣いてた。
そしたらすぐ側から男の子達の会話が聞こえてきて…
『おー、いたいた! また落とし穴にハマってたのか』
『また、って言わないでよ…』
なんとなく声がした方に目をやれば、瞳の切れ長な三年生がぽっかり空いた穴に向かって話し掛けてた。
『さっきの授業で罠の避け方、教わったばっかりだろ』
『しょーがないでしょ! こんなとこに落とし穴掘る奴がいけないよ!』
反論は穴の中から聞こえてきた。落とし穴の中に誰か落ちてるんだ。
『お前、本当に忍者に向いてないなー』
『そう言わないでよ! 傷付くじゃないか』
忍者に向いてない、か。まるで私のことを指してるようでちょっぴり耳が痛い。
『そりゃあ、確かに僕は不注意で、忍者に向いてないのかもしれないけどさ、』
穴の中から聞こえるその声は凛としていて。

『戦うばかりが忍者じゃないでしょ』

どきり、と。
彼の言葉に心臓が跳ねた。
『僕は大事なものを守れる忍者になりたいんだ。忍者としての技術はみんなほど上手くないけど、誰かを救うことに関して一番になりたい。だから、向いてないなんて言わないで』
『…そうだな。悪かった』
なんて志の高い忍たまなんだろう。穴の中にいる彼の存在が気になって、気が付いたら涙なんてとっくの昔に引っ込んでいた。
 −カーン―
結局、その時は授業の鐘が鳴ってしまって、穴の中の彼を見ることは出来なかったんだけど。

戦うばかりが忍者じゃない。大切なものを守れるようになるため、忍者になる。

少なからず私は姿も知らない彼の言葉に救われた。これからは私も彼と同じ志で授業を受けようって、そう思った。だから苦手な授業もその言葉を胸にずっと頑張ってこれたんだ。

穴の中の彼が善法寺先輩だったと知ったのは、私が三年生になってから。
学年があがるたび授業についていかれなくて途方に暮れていたところ、クラスのみんなが噂しているのをたまたま耳にした。
『五年生の善法寺伊作先輩、このあいだ落とし穴にハマったところへ鳥のフン落とされたらしいよ』
『うわあ、最悪じゃん。不運どころじゃないよもう』
『あの先輩、ほんっと忍者に向いてないよね』
『でも格好良いけどね!』
五年生にもなって「忍者に向いてない」なんて後輩に噂される忍たまが居るんだ。いったいどんな人なんだろう。
自慢じゃないけど、私も自分は忍者に向いてないと思う。けど、噂される程じゃない。
ちょっと気になったから図書室の帰り際、一つ年上の不破先輩に訊ねてみた。
『ああ、善法寺先輩は面倒見の良い優しい先輩だよ。不運な保健委員の中でも特に不運で有名な生徒だけど』
聞けば聞くほど気になって、その日、保健室の近くを通ってみた。姿だけでも見てみたいと思ったんだ。
そしたらたまたま保健室の戸が少し開いてて…だから、勇気を持って中を覗いて見た。
『こりゃ痛かったねぇ、左近』
中に居たのは五年生の忍たまと、彼に手当てされてるらしい一年生の忍たま。
『すみません、伊作先輩…。ただでさえ保健委員会は予算が少ないのに、僕なんかが薬を使ってしまって』
ああ、あの人が噂の善法寺伊作先輩なんだ。色素の薄い癖っ毛が特徴の、柔和な人。クラスのみんなが格好良いって騒いでたのも頷ける。
『何言ってるんだい。保健室の薬は怪我人の為に使うものだよ。気にすること無いさ』
『でも僕、もう数えきれないぐらい罠に掛かってます…』
善法寺先輩が優しく声を掛けてみるも、彼の前の一年生はしょんぼりしたまま。あの子、罠に掛かって怪我をしちゃったんだ。私も罠にはよく引っ掛かるし、しょっちゅう新野先生に手当てしてもらってるから、その気持ちは凄く分かる。
やっぱり忍者に向いてないのかな、って凹むよね。
『僕、忍者に向いてないのかもしれません…』
今にも泣き出しそうな彼に、善法寺先輩は穏やかだけど凛とした表情で告げた。

『戦うばかりが、忍者じゃないよ』

鼓膜を揺さぶるその声は、
あの日あの時の声と、全く同じ――
『罠に掛かるぐらい、どうってことないよ。実践や実技の類が上手くいかなかったとしても、それだけで忍者に向いてないとは言えないよ。そうだね…まず将来自分がどんな忍者になっているか、もしくはどんな忍者になりたいか、思い描いてごらん』
『え、と…僕がなりたい忍者像、ですか…?』
『うん。そりゃあ、留三郎みたいに"武闘派忍者になりたい"って思ったり、小平太みたいに全くの実技派を目指したいと思うなら多少努力しなきゃいけないかもしれないけど…たとえば仙蔵みたいに策を練ることで優秀って言われたり、長次みたいに豊富な知識を持ち得てることで優秀って言われる忍者もいる。優秀な忍者なんて多種多様でいろいろいるもんさ』
『僕がなりたい忍者像…』
『左近がなりたい"優秀な忍者"を思い描いてごらん。そうしたらそれはきっと…左近にしかなれない"優秀な忍者"だから』
『伊作先輩は、なりたい忍者像があるんですか…?』
『うん、あるよ』
善法寺先輩は、凄い人。

『僕は、人を助けることに関して誰よりも優秀な忍者になりたい』

私が一年生だったあの時から少しもブレてない。芯の強い、真っ直ぐな人。
純粋に憧れたんだ。私もこの人みたいな忍者になりたいって、心底思った。

それからというもの、善法寺先輩を見掛けるたび目で追うようになった。彼のことをもっと知りたいと思った。気付けば彼のことで頭がいっぱいだった。
四年生になったらちょうどタカ丸くんが入学してきて、「それは恋をしているんだよ」って教えてくれた。
「・・・」
私がここまで頑張って来れたのは善法寺先輩のおかげ。善法寺先輩のあの言葉が無かったら、私はきっととうの昔に学園を辞めていたと思う。
四年掛けの恋。
今更そう簡単にこの想いは捨てられない。
「…完璧に目が冴えちゃった」
いろいろ物思いに耽り過ぎたかもしれない。ちょっと頭を冷やしてこよう。

忍者服に着替えて夜風に当たることにした。ふらりと外へ出て、月見亭までの道を歩く。
「・・・」
空を見上げれば、そこにあったのは綺麗な満月。通りで夜なのに明るいはずだ。
「あれ? ななし?」
不意に背後から名前を呼ばれた。振り返れば、七松先輩と潮江先輩の二人がこちらへ歩いてくるところだった。
「どうしたんだ? こんな夜更けに」
「いえ、なかなか寝付けなくて…先輩方はどうされたんですか?」
「私達は鍛錬帰りだ。一日に二回も会うなんて奇遇だなあ!」
ずきり。
夜中なのに陽射しのような明るい笑顔を向けられて、また心が痛む。自分の優柔不断ぶりが情けなくて仕方無い。
「くのたまがこんな時間に一人で出歩くのはあまり感心しないな」
「いちいちウルサイなぁ文次郎は。保護者気取りやめろよ」
「気取ってない」
「お前はどうしてそうななしに突っ掛かるの? モテないからってヒガんだら余計にモテなくなっちゃうんだぞ?」
「ケンカ売ってんのかお前は!」
いつも通りの可笑しなやり取り。たまらずクスクス笑ってしまう。
七松先輩は急に静かになると、私の顔をじっと見詰めてから、私の両頬をフニッと摘まんだ。
「どうしたななし」
「へ?」
「元気無いな」
さすが、としか言い様が無い。ここ数日で分かったことだけれど、七松先輩は他人の感情に凄く機微だと思う。
「寝付けないなら添い寝してやろうか?」
心配そうに私の顔を覗き込んでくる彼。冗談で言ってるのかと思いきや、どうやら真面目に言ってるらしい。だって表情が真剣だもの。
「ひへ、らいひょうぶれふ」
いえ大丈夫です、って言いたいのに言えない。
「放してやれよ小平太」
潮江先輩の言葉にしぶしぶ手を放す七松先輩。
「大丈夫です、ご心配ありがとうございます」
「悩みがあったら言うんだぞ?」
「…はい」
言えない。
七松先輩が優しければ優しいほど、私の中の罪悪感は増すばかりだ。
「フラれたなあ小平太」
「うるさい」
「今日はあっさり引き下がるのか。お前にしちゃ珍しい」
「だって鍛錬帰りで汗臭いまま言い寄ったら、ななしに嫌われるじゃん」
「お前にそんな紳士な面があったのか」
「今日はもうさっさと風呂入って自慰して寝る!」
「最後のは言わんでいいだろ」
七松先輩の右手が、私の頭をいつも通りにくしゃりと撫でた。
「じゃあ私達は戻るけど、お前も少ししたら戻るんだぞ。風邪引くなよ?」
「はい」
そのままくるりと踵を返し、背を向ける彼。最後にもう一度だけ振り返って、
「また明日な!」
よく知った満面の笑みを見せて手を振りながら去って行った。
潮江先輩も、あとに続いて去って行く。

七松先輩の笑顔を目の当たりにするたび、ぎゅう、と心臓が縮こまる。



善法寺先輩のような、誰かを救える忍者になりたいと思っていたのに、

七松先輩も
善法寺先輩も
自分自身ですら



私はおそらく、誰も救えない


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