理由


「うぉ〜い、ななし〜」
頬をつつかれる感触。名前を呼ばれてぼんやり目を覚ますと、すぐ目の前に七松先輩が居た。
「おはよう! よく寝たな!」
慌てて記憶を呼び戻す。なんだったっけ、私確か…あっ!
「駄目だ、もう寝させない」
軽く眩暈がした私の両頬を摘まんで横に引っ張る先輩。ううう、思い出せば出すほど恥ずかしいよう。
「ひぇんふぁい、ほほあ?」
先輩、ここは?って言いたかったのにほっぺを摘ままれてるから凄く間抜けな言葉になっちゃった。口から空気が抜けてく感じ。
「二人だけだぞ!」
そう言って笑顔で私から手を離す。また上手く会話がキャッチボール出来ていないようなので、キョロキョロと辺りを見回した。
私が座っていたのは小高い丘の上。この丘より下の方にはたくさんの木々があって…って、えっ!?
私達、町に居たんじゃなかったっけ!
「私を担いで、町からここまで走って来たんですか!?」
「そうだ!」
信じられない。だって七松先輩に疲れた様子は少しも見られない。さすがは体育委員長。
「前に塹壕掘りしてたらここを見付けたんだ」
塹壕掘り…てことはここは学園の領土内なんだろう。見たことあるような無いような。こんな場所あったかなぁ?
「私しか知らない、秘密の場所だ」
ぎゅっと抱き締められる。何度されてもやっぱり慣れない。心音が早まるばかりだ。
「二人きりだから…」
い、いけない。ひょっとして先輩は私の言葉に勘違いしたままなんじゃないだろうか。
脳内でパニックになっていると先輩は急に身体を離し、私をひょいと持ち上げた。
「よっ、と」
「へ?」
ストンと先輩の膝の上に降ろされ、後ろから抱き直される。あ、あれ? 何なんだろう。変な勘違いをしてたのは私の方だったのかも。
後ろから私を抱き締めたまま、私の肩に顎を載せて話し出す。
「もーすぐなんだけどなー…」
もうすぐ? 何のことかな。
「何がですか?」
先輩の方へ振り向こうとしたら、思ってた以上に先輩の顔が至近距離にあって慌てて前を向いた。かつて無いほど近かった! うっかり横を向いたら頬に唇くっ付きそうなぐらい近かった! びっくりした! 本当にびっくりした!
耳元でする、クスクスという笑い声。
「お前は本当に可愛いなぁ」
まただ。
また、可愛くもない私を可愛いと言う。どうして先輩は私なんかを可愛いと言うんだろう。
「…可愛くなんか、ないです」
「いや可愛い。すっげぇ可愛い」
私を抱き締める腕にぎゅっと力が籠もる。
今は、七松先輩と二人きり。
だったらこの際、疑問に思ってたことを訊いてみようか。
「…七松先輩は、」
「ん?」
「どうして、私なんかが良いんですか?」
「え?」
「何か事情があるんですか?」
「事情?」
たとえば授業の一環で私を色に掛けてるだとか、何かの罰ゲームだとか。それだったら私は納得する。
「私は学級委員長みたいに成績優秀でも美人でもないです。暗くて口下手で成績も悪くて地味で…」
「…ななし」
「七松先輩みたいな頼もしい男性なら他に見合うひとがたくさんいるじゃな、」
「ななし!」
「はい?」
「ちょっと、こっち向け」
「…え?」
向けと言われても…先輩、私にぴったりくっついてるから、うかつに振り向いたら顔が触れ合ってしまうし…。
「と、あの…」
困り果てていたら次の瞬間、先輩は私の顎を掴んで無理矢理自分の方へ振り向かせた。
「!?」
先輩の視線が私の視線を捕らえる。ぎりぎりで接吻には至らなかったものの、お互いの吐息が分かる程の距離。視界に七松先輩しか入らないほどの距離。
今までに無いほど心臓が五月蠅い。
「お前、まさかそんなことで悩んでたんじゃないだろうな」
先輩は少し怒ってるみたいだった。獣のような瞳に真っ直ぐ射抜かれる。
なんだろう、この感覚。背筋をゾクゾクと何かが這い上がってくるみたい。
「あ、の…」
「理由、必要か?」
「え?」
「ななしが理由が欲しいと言うなら用意してやる」
好きになるのに理由なんて必要ない。――いつか図書室で読んだ恋愛小説の主人公がそんなことを言っていた。
七松先輩が言いたいであろうこともつまりは同じ。
だけど、私は、
「…はい」
「そうか」
私の顔から手を離し、先輩は少し考え込んだ。その間に前を向き、一つ深呼吸しておく。緊張のあまり息をするのも忘れてた。
「…まず、最初お前を見たときに、」
「はい」
「まるで長次だと思った」
意外な返答に驚く。似てる? 私が中在家先輩に?
「えっ、外見がですか?」
「馬鹿言え。外見が長次だったらむしろ敬遠する」
そ、そうですよね。私、中在家先輩ほど身長無いし。
だったら内面てことなんだろうけど…確かに共通点は多いかもしれない。読書が好きだし、口下手だし。だけど似てるなんて考えたこともなかった。
七松先輩と私の出会いは、食堂で私が豚汁を引っ掛けたから。あの出会い方で果たしてそんなこと分かるのだろうか。
「お前あの時、泣きそうな顔して私を拭いてただろ。自分の方がよっぽど汚れてたくせに」
「で、でも、先輩の方を先に拭かなかったら先輩は火傷し、」
「ああこいつに必要なのは私なんだ、って思った。お前を守るのは他の誰でもない、私だ」
えっ…
「私にもお前が必要だ」
「・・・」
「私もこんなの初めてでよく分かんなくて、そのあと仙蔵に『それは一目惚れというんだ』って言われた。恋だの愛だの私はよく知らない。だからあの後、お前の部屋に行った。そしたら、こんな可愛いヤツこの世にいるもんなのかと思った。部屋に戻って長次に言ったら『それが恋だ』と言われた」
…知らなかった。ただの行き当たりばったりなのかと思ってた。けれどあの日お互いに向かい合った瞬間から、先輩の中ではもう始まっていたんだ。一晩の間にちゃんと真剣に悩んでたんだ。
おシゲちゃん、凄いや。読みが当たってた。
「…理由っていうか、経緯だな。惚れるなって方が無理。いったい今までどこに潜んでたんだよ、もっと早く会いたかったぞ」
言葉の最後の方で私の肩口にすり寄る先輩。もさもさの髪の毛がくすぐったい。
「ななしには悪いんだけどさ、私は占いとかあんまり信じないんだ」
「へっ?」
急に話題が変わって拍子抜けする。さっきの易者の話?
七松先輩、新しい話題が降ったら一つ手前の話題を忘れる人かと思ったけれど、どうやらそういうわけでもないらしい。
「だって良いことしか言われたくないし、良いことしか信じたくない」
「で、でも、悪いことを予言してもらえたら心構えが、」
「予言してもらう必要無い」
先輩は少し強めの口調で、私の言葉を遮った。
「…戦の真ん中にいるとさ、」
いくさ? …そうか、先輩は忍務でたびたび駆り出されているから、もう戦場で働いてるんだ。
「良いことしか信じてないと、帰って来れそうにないから」
「・・・」
「絶対生き延びるってがむしゃらに自分へ言い聞かせてないと、たぶん、戻って来られないから。余分なこと聞きたくない」
ああ。七松先輩はやっぱり"先輩"だ。
住む世界も考えも今の私とは違う。
「だから、過去も未来も興味ない」
私よりもたくさん経験を積んでる。
「今がいい」
命の重さを知ってるし、ずっと現実を見てる。
「ななしと一緒にいられる今この時が、一番いい」

涙が出そうになった。
何故だか分からないけど
たぶん、誰かにここまで必要とされたのは生まれて初めてだから。
耳元で響く先輩の声がぴりぴりと心地良くて、甘くて中毒になりそう。まわりの空気がふわふわして、頭の芯から溶けてしまいそうだ。

私が今日、先輩を誘ったのはお付き合いを断るためで、
――私はなんて非道いやつなんだろう。
それでも私は、善法寺先輩が好き。
七松先輩は、こんな取り柄のない私をこれほど想ってくれるのに。
こんなに、こんなに想ってくれてるのに。
痛いほど伝わってくるのに!
どうして私が好きなのは善法寺先輩なの?

苦しくて死んでしまいそうだ

「ななしに見せたいもんがあってさ、もうすぐなんだけど…」

言わなきゃ、いけない。
終わりにしなきゃいけない

「…せんぱ、」
「あ! ななし、正面向け、正面!」
「正面?」
急かす先輩に促され正面を向く。と、
「うわあ…」
目の前の光景に息を呑んだ。
昼間とは違う、朱く綺麗に色付いた太陽が、遠くの山と山の間に差し掛かって少しずつ傾いていく。
まるで染め物をするように、夕日が触れた部分からじわじわと、山の緑が色を変えていく。
きれい…
隠れてしまうことを惜しむように。最後まで誰かに見ていて欲しいかのように。
朱く眩しい夕日は、少しずつ、少しずつ、その顔を下げていく。
こんなに綺麗な夕日を見たのは初めてだ。
「悩んだり、嫌なことがあったりしたとき、私はいつもここへ来るんだ」
先輩の言葉は夕日の色と一緒に、スッと胸に溶けて沁み込んだ。
分かる気がする。
燃えるような朱も、浸食される深緑も、少し上から顔を覗かせる夜も。
全ての息吹を感じられる今が、この感覚が、何よりの幸せなんじゃないかと思う。
自分の存在をはっきりと感じる。自分もこの風景の一部になる。
私は確かに今ここで生きている。
充分じゃないか。他に何が必要なんだ。
そう思う。
「気に入ってくれた?」
後ろから私の足先に自分の両足を絡めて、全身で私を抱き締めてくる先輩。
「素敵な場所ですね」
顔がくっつかないように注意して振り向き、素直に感想を述べた。

「また来ような!」
心から嬉しそうに、先輩は微笑んだ。

いま、
今、私がここでさようならを言ったら、先輩はどんな顔をするだろう。

『お願い、嫌わないで…』

あの日あのとき私に見せた、捨てられた子供のような顔になるのだろうか。
違う。
たぶん、あの時よりもずっと傷付く。
絶望の淵に落っこちて、きっと、先輩は――

恐い。
この優しい人を傷付けてしまうことが、私は恐い。
奈落に突き落としてしまう勇気なんて、私には、

「…そう、ですね…」



七松先輩の笑顔を崩したくなくて
最後まで何も言えなくて

全部夕日のせいだと、自分に言い訳した。



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