心の壁


肩を落として町の中をトボトボと歩く。
周りの喧騒が嘘みたいに、私のところだけいやに静かな気がする。まぁ錯覚なんだろうけど。
「はぁ…」
少し先の地面だけを見ながら歩いていたら、いつの間にか町外れの橋の袂へ辿り着いた。…あれ、ここ、いつぞや見たぞ。
ああ、そうか。ここに来たのもあの時以来だ。土井先生の家へ押し掛けて、爽快にフラれて、そのまま意地張って先生の家を飛び出したあの時。私ってば何か凹んだら水場に来たくなる習性でも持ってんのかし? 無意識な身投げ願望? 何それキモいんですけど。
橋の手すりに寄り掛かってしゃがみ込んだ。ここから先に歩いて行ったら町を出てしまう。
これ以上、行き場なんて無い。この町以外に、土井先生の家以外に、私の居場所なんて無い。けど…
「出て行けって言われちゃったなぁ…」
泣けてきた。
あの時と違って今は昼間だから、誰かここを通るかもしれない。だからこっそり泣こう。道端で年増の女が派手に泣き喚いてたら町のヒト仰天しちゃうもんね。
「うぅ…」
ぐずぐずと鼻が鳴る。情けなくて自分の膝に顔を埋めた。私ってばこんな時に限ってハンカチの一枚も持ってないよもう。
「せんせぇ…」
何を哀しむ必要があるんだろう。
何を傷付く必要があるんだろう。
初めから全部分かってたじゃないか。私が土井先生を一方的に慕ってるだけなんだから、先生は私に興味あるはず無いんだ。私はそれを知ってたはずだ。
だけど、ほんの少し、心のどこかで
先生が私に気を許し始めてくれてると思ってた。
興味を持ち始めてくれてると思ってた。
お互い歩み寄ってきてると思ってた。
わずかばかり期待してた。
ちょっとずつ、進展してるような気がしてた。

全部ぜんぶ、勘違いだった。

私が先生の態度を自分にとって都合よく解釈してただけ。勝手な思い込み。
結局、出会った時から何も進展してなかった。それだけの話。
「ううぅう…」
咽喉からくぐもった声が出る。私ってばどうしてこう綺麗に泣けないんだろう。泣き方が綺麗だったら人前で泣いても恥ずかしくないのに。くノ一として立派な武器になったのに。土井先生に少しは振り向いてもらえたかもしれないのに。良いとこ無し。
さすがに先生、今回は迎えに来ないだろうな。前回はきり丸に言われて無理矢理迎えに来たけど、今回はきり丸があの様子だったし。たとえきり丸が先生に説教したとしても、先生のあの様子じゃ確実にここへは来やしない。
ひとりぼっちだ。
…ほら、やっぱり勘違いしてる。違う、何言ってるの私。初めから一人だ。あの時はここに来て、先生が迎えに来るなんて微塵も思ってなかったじゃないか。なのになんで今はそんなこと考えてるの。
来なくて当然なんだよ。
それでも私は土井先生が好き。もう先生以外の人なんて私にとって男性じゃないってぐらい好き。先生が太ってもハゲても障害者になっても好き。どうしてこんなに好きなんだろう。どうして一目惚れなんかしたんだろう。私に性別なんて無ければ良かったのに。
やっぱり恋愛なんて大っ嫌いだ。辛くて苦しくて面倒臭くて、良いことなんか一つも無い。いい歳こいて本当に馬鹿だ。
「ぐぅ…っ」
駄目だ、これ以上は。暗いこと考えるな、悪循環だ。自己嫌悪に陥って抜け出せなくなるから。
ポジティブ思考になれななし。何も進展してなかったって、ただそれだけじゃないか。マイナススタートがゼロスタートぐらいにはなったかな〜と思ってたけど錯覚だった、ただそれだけじゃあないか!
先生の家へ押し掛けた当時と何も状況が変わってないというなら、押し掛けた当時の気持ちを思い出せ。そうだ、どんなに彼が難攻不落の城でもかまやしないと思ってた。裏を返せば、彼の気持ちなんかお構いなしでぶつかってた。いつの間に見返りを求めるようになったんだ私は。何年でも待つと決めたのに。当初の目的は先生にアタックすることであって、先生の家で留守番することじゃないんだ。それを忘れちゃいかん。
先生にちょっとぐらい愛想尽かされても気にするな!
「頭さめてきたかも…」
私って人一倍単純かもしれない。どうやら泣いたらそれでスッキリするタイプ。
「…帰ろうかな」
立ち上がって一つ深呼吸。くるりと振り返って、何となくぼんやりと、あの日と同じように川を覗き込む。相変わらずこれといって魅力の無い自分がそこに映っててがっかり。本当にがっかり。
だけど物は考えようだ。ありのままの私で先生にぶつかっても進展が無かったというなら、これから自己改革しなきゃいけない。要するに今まで努力が足りなかったってことだ。女磨きの一つもせずに恋愛成就させようって方が間違いだよな。いつの時代だってイケメンが付き合うのはイイ女だと相場が決まってんだ、イイ女になるよう努力してかなきゃ。
「…しっかし…」
なれんのかコレ…。見れば見るほど私、ブッサイクやなー。本気で自信喪失するわもう。
いやしかし、なるしかない! ならねばならない!
乳のデカさ以外に何か長所をつくっ
「姉さん、一人?」
不意に背後から聞こえたチャラい声。なんだよもう、今忙しいんだよわたしゃ! ちょっとイラッとしながら振り返る。
「あ!? お前…!」
声を掛けてきたそいつは私の顔を見るなり、目を見開いて大声を出した。なんだ?こいつ。どっかで見たことあるような無いような…
「おい、囲め!!」
目の前のそいつが声を張った瞬間、そこら中から野盗らしき男達が飛び出して私を取り囲んだ。ずいぶんと大人数だ。ざっと見て二桁以上は居る。いったいいつからそこに潜んでたのアンタら。
「てめぇ! この間はよくも仲間を御縄にしてくれたな! 此処で逢ったが百年目…!」
ああ、思い出した。こいつ、このあいだ店を襲った時に仕留め損ねたごろつきの一人だ。なんだこの男、ごろつきの中では格上だったのか。見るからに雑魚なのに。人って見掛けによらない。
「アニキ、こいつ、いつもの獲物よりちょっと歳くってません…? こんなんで売れますかね?」
「知るか。そんなんどうでもいい! こいつには借りがあんだよ!」
オイコラ目の前で失礼な会話すんじゃねーよ。お前らに評価される筋合いなんか無いっつの。願い下げ。
なるほど話の素振りからしてこいつら、女をさらっては女郎屋に売り飛ばしてるわけか。追剥よりタチが悪い。
「気ぃつけろ。この女、なんだかよく知らんが腕が立つからな」
男が周りのごろつき共にそう言えば各々木刀を構え出した。ええええ何それ、女一人にそこまでやっちゃう!? ちょ、どうしたもんかなコレ。たいそう危機なんですけど。切り抜け方が分からん!
こんな大人数を相手にしたことなんか無い。元くノ一といえど身に付けたのは護身術ぐらいなもんで、本格的な武術なんて私は知らない。はて、どうしたもんか。
叫んでみようかな、キャーって。そんな声出したこと無いから出るかも分からんけど。昼間だから運が良ければ誰か助けに来てくれるかも。
「ちなみに叫んでも助けは来ねぇぞ」
何このオッサン! 私の頭ン中と会話してるよキモい!
「ここは近頃、俺らの縄張りだからな。最近、町の奴は近付かねぇんだ。外から来る奴しか通りゃしねぇ」
ああそう縄張りですか。だからそこら中にこんな阿呆共が潜んでいたわけですか。ってか何、それじゃ私まるで情報に疎い奴じゃん。町に住んでるのにそんなこと少しも知らんかった。元くノ一のくせして。
「仲間が御縄になっても進歩無いんだねぇ、あんたらは…」
「んだとぉ!!?」
へ? あ、やべぇ! 心の声が口に出てた! 阿呆だ私!
「ふざけんなあ!!」
一人が木刀を振り被って来た。とっさに身を横へ逸らす。私の背後にあった手すりと木刀が衝突して、ガツンと派手な音をたてた。
どうしよう、本気で怒ってる。困った、どうしたらいい、分かんない分かんない分かんない分かんない。だけどとにかく女郎屋に売られるのも殺されるのも勘弁だ。応戦して、隙を見て逃げるしか無い。
「もらった!」
身を逸らした方角にいた男が木刀を振り下ろしてくる。駄目だ、躱しきれない!
「ちっくしょぉ!」
「!?」
反射的に取り出したのは先生に貰った護身用の苦無。キン、と音を立てながら真っ向から受け止める。直撃はしなかったものの力に差があった為、思わず膝をついた。
刹那、
「しぶてぇな!」
男がガラ空きだった私の腹へ蹴りを入れて来た。ものの見事に後方へふっ飛ぶ私。瞬間的に受け身を取ろうとしたけれど、忍者服と違って着物だと思うように身体を動かせなくて、肩から地面へ派手に着地した。
一瞬、呼吸が出来なくて咽返る。四つん這いになりながらフラフラと起き上がった。良かった、昼飯食べてなくて。ゲロるとこだ。
「苦無持ってるってこたぁ、お前くノ一か。どーりで腕が立つわけだ」
後方で男が何か喋ってるけど聞いてる余裕なんて無い。
ろくに受け身も取れないようじゃ、何発か食らったらあっという間に失神してしまう。苦無で慌てて着物の裾を割り開いた。ちょっともったいないけど、さっき着地したときに片袖も切れちゃったからこのさい変わりゃしない。これでだいぶ動きやすくなるはず!
「大人しくしろや!」
一人が木刀を構えて正面から刺しの姿勢で突っ込んでくる。身丈を縮めて躱し、頭上にある木刀とその手首を掴んで、そのまま、
「うおおぉ!?」
巴投げ。やっぱり着物を割いて正解だ。背後でじゃぼんと音がした。川に落ちたかな。
考える間は無い。そのまま後転で起き上がるとすぐ次が来ていた。振り下ろされる木刀を躱して、相手の膝裏に回し蹴り。倒れたところへ手刀。これで二人目!
そう思った途端、背中に激痛が走った。
「!?」
振り替えれば後ろにもう一人立っていた。そんな馬鹿な、なるべく背後は取られないよう気にしてたのに!
どうやらこいつ、最初から隠れていたみたいだ。してやられた。
怯んだところへ正面からの敵が木刀を打ってきた。モロに食らって思わず倒れ伏す。
「スキありぃ!」
横たわる私の腹目掛けて、男が蹴りを入れてくる。さすがに二度目はキツイ。内臓潰れそうだ。
呼吸困難になってただただ咽る。痛みで立ち上がることが出来ない。悔しくて、上にある男の顔を睨み返せば、それはもう嬉しそうに下卑た笑いを浮かべながら私のことを見下していた。
「コレ、離せよ。危ねぇだろ」
苦無を握る私の手を苦無ごと踏み潰してくる。
「あああああ!!」
痛みのあまり悲鳴が飛び出した。踏みどころが悪くて爪が剥がれそうだ。痛い痛い、もうやめて!
男は私の髪をぐいと掴み上げると、私の顔をまじまじ覗き込んで呟いた。
「確かにまぁ歳だけど…着飾りゃそれなりの値がつくんじゃねぇか?」
悔しい。こんな奴に品定めされる筋合いなんか少しも無い。
嫌だ嫌だふざけるな。私は土井先生の女なんだ。他の男になんて触らせてやるもんか。汚い手を離せ。
男の顔を目掛けて思いっきりツバ吐いた。手が使えないんだからしょーがないよね、ざまみろ!
「こんんのクソアマあぁ…!」
目の前で血眼になって逆上し出すアホ男。こんな子供の悪戯みたいなことにマジギレしてんじゃねーよバーカ。
「今ここで死ね!」
男は一番近くに居たごろつきから木刀をひったくると、私に向かって身構えた。
ああ、どうやら今日は私の命日になるらしい。でも仕方ない。女郎屋に売り飛ばされるぐらいなら、土井先生の女房のまま短命で死んだ方がマシだもん。
ひゅっ、と上で空を切る音。木刀が振り下ろされた。



ひとつ、心残りを言うなら。
先生と仲直りしたかったなぁ。


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