6.この刹那を写真のように切り取って飾り立て、そうしてあなたを美しい思い出に閉じ込められたなら


 視界に入った駆けてくる姿に、吹かしていた煙草を消す。スカートの裾が揺れている。そんな何でもないことに、ああ愛おしいなと思った。
 「ごめんなさいランサーさんっ」膝に手を置いて息を整えてから、なまえはオレを見上げてくる。

「お待たせしてしまいましたか……?」
「いいや、今来たところだ。ん?どうしたなまえ。随分と機嫌がいいじゃねえか」
「えっ?あ、いや……こういうやり取り、なんだか恋人同士みたいだなあって」

 照れたようにはにかむなまえに、思わず緩む口元を手のひらで覆う。おいおい待て待て、こいつこんな奴だったか?こんなに無邪気に、はつらつと笑える奴だっただろうか。
 目的地へと歩き出す。身長差のあるオレたちは、当然歩幅も違う。オレの歩く速さにちょこちょこと小走りでついて来るなまえはひよこみたいで頭をめちゃくちゃに撫でたくなった。おもしろいから、まだなまえに合わせてはやらない。前なら、歩くのが速いとすぐ文句を言ってきたのだろうが、『そんなんじゃ女の子にモテないよ』と頬を膨らませていたなまえは、今ではもう遠い。

「それにしても、わくわくざぶーん無料ペアチケットなんて、どこで手に入れたんですか?」
「ガキのギルガ……あー、知り合いに貰ったんだよ。福引で当てたとかなんとか」

 実際にはオーナーに直接押し付けられたのだが。『今を楽しむべきですよ、ランサーさん』とか『ちゃんとエスコートしてあげてくださいね』とか言っていた。うるせえ、んなこと分かってらあ。
 「いい人ですね、その方」ふわりと、風が吹く。横目でなまえを見て、その服はオレのことを考えながら選んでくれたのだろうかと、考えていたらふいになまえと目が合った。弾む心臓を隠すように余裕ぶって笑顔を作る。「ランサーさん」

「手を、繋いでくれませんか」

 ああ、本当に、この女は。
 どうしてそんな何でもないことを、こんなに必死な顔で、真剣に、不安そうに、それでいて瞳だけは断られるなんて微塵も思っていない光をたたえて、訊くのか。

「いいぜ。ほら」
「……ランサーさんの手は、大きいですね」

 お前の手は小さいな。
 なあお前はもう覚えてはいないだろうが、オレはこの小さな手に槍を突き刺したことがあるんだ。痛かっただろうに、なまえ、お前はそれでもオレを手放さなかった。知ってるか、なまえ。オレは、あの時とても、嬉しかった。


 水着を着たなまえを見て、心の底からギルガメッシュに感謝した。悔しさを飲み込んで、肩を抱き寄せてなまえの顔を覗き込む。「よく似合ってる。……オレの色だな」久方ぶりに触れたなまえの肌は、しっとりと柔らかかった。柔らか、かった。「はい。ランサーさんの色です」目尻を赤く染めて微笑むなまえに思わずキスしそうになったが、寸でのところで堪えた。

「だがこんなにかわいいなまえを他の男に見せるのは癪だ。これでも着てろ、な?」

 羽織っていたアロハシャツを着せてやる。当然なまえには大きすぎるそれは、太ももの半分まですっぽりと白い肌を隠してしまう。ふむ、彼シャツを一押しするアーチャーの話を聞いた時はそんなの脱げば全部同じだろと思ったものだが、実際見るとこれはこれで悪くない。むしろそそる。
 「行きましょうランサーさん!まずはウォータースライダーです!」オレの頭の中で自分がどんな格好になってるか知らないなまえは、子供のように笑って、オレの腕を引く。ああ、そんなに必死にならなくても、オレはどこにも行かない。
 うぉーたーすらいだーというやつは、2人一緒に乗れるらしい。後ろからなまえを抱え込んで、赤くなった耳を軽快に笑い飛ばしてやった。短くなった髪では隠せないなまえの素直な気持ちを、心の底から愛おしく思う。

「ちょ、ちょっと待ってください。これすごく高くないですか?やっぱり止めとこう、ね?」
「今更怖気づくなよ。大丈夫だ、オレがちゃんと守ってやるから」
「え──う、うわあああああああ!!」

 勢いよく水の滑り台を降りて、どぼん、終着点のプールに沈む。「おう、これ楽しいな!もう一回乗ろうぜなまえ!」なまえの腕を引いて立たせてやれば、全身をびっしょりと濡らしたなまえは咳き込みながら睨んできた。

「もう!ちゃんと行くって言ってよ、バカ!心の準備ができなかったでしょ!」
「でもちゃんと守ってやっただろ?」
「そんなかっこいいこと言ったって許してあげないんだか……あ」

 いつの間にか敬語を外していた自分に気づいたのか、なまえは申し訳なさそうに口を噤んだ。オレは、粗相をやらかした子供のように小さくなっているなまえの頭をわしゃわしゃと、滅茶苦茶に撫でてやる。水滴が飛んで、人工の日に照らされてキラキラと光った。

「いいぜ。お前はそっちの方がずっといい」
「……意地悪なランサーさんの望む通りにはしてあげませんっ」
「ええーいいじゃねえかあ」

 しつこく迫るオレに、攻撃するように水しぶきを飛ばしてくるなまえ。頭を振って水気を飛ばす様を犬みたいだと言われたから、オレも反撃した。プールに引きずり込んで、じゃれ合って、触れ合って、笑い合う。着せてやったシャツはもう意味を成さず、逆になまえの体のラインをより一層際立たせていた。けれど劣情は浮かばず、この健全でかけがえのない一瞬を切り取ってしまいたいと思った。
 「見て、ランサーさん。水面に虹が映ってます。綺麗ですね」お前の方が綺麗だぜ、なんてどこぞの弓兵が言いそうなセリフを吐きそうになった自分を心の中で笑い飛ばす。綺麗だ、なまえは。ずっと、このまま、綺麗なままで、いればいい。



「今日はありがとうございました」

 わくわくざぶーんを出た時、空は灰色に覆われていた。今にも雨が降り出しそうだ。参ったな、傘は持ってきていないんだが。オレだけならまだしも、なまえに風邪を引かせるわけにはいかない。

「よかったらまた、一緒に遊んでくれますか?」
「ああ、もちろんだぜ。今度はどこがいい」
「じゃあ、水族館に」

 水族館か。いつかのなまえも行きたいと言っていたな。
 「ランサーさん」なまえの表情は随分と柔らかくなった。ギルガメッシュには重ねて礼をしてやらねば。今度性悪シスターの使いでも変わってやるか。
 なまえが微笑む。大人びた、今にも消えてしまいそうな顔で。

「言いそびれましたが、今日のランサーさん、とってもかっこよかったです」

 ──気がつけば小さな体を壁に押し付けていた。
 ずるいだろう、それは。そんな顔で、うぬぼれじゃなくとも感じ取ってしまうほどに、オレのことが好きで好きで堪らないという想いが表れた顔で、そんなことを言うなど。
 鎖骨、首筋、喉元、耳たぶ、順々に頬を寄せて唇を押し付ける。瞼を舐めて、潤んだ瞳と見つめ合うともう我慢が出来なくなった。なまえの頤を上げて、ゆっくりと目を伏せる。

「やだっだめ、だめですランサーさんっ」

 拒絶の言葉に思わず体が固まる。前だったら拒絶ごと丸呑みしていたが、今はそんな真似をする勇気はない。オレのものと言っていたなまえはもうその通りではなくなってしまった。鎖骨の間、令呪のない、真っ白な肌が脳裏をよぎる。なまえの罪のしるし、オレとの繋がりの証はもうない。青が好きなのかと訊いた。ランサーの色だから好きなの、といつかのあいつは言った。あの時のなまえはもういない。数刻前に飲み込んだ悔しさが腹の底から上がってくる。
 「……嫌なのか」初めてこんなことを訊く気がする。なまえがオレを拒むことは今まで一度もなかった。それは、一番最初の時でさえ。
 『いいのか、本当に』『こうするしか手はないんでしょ。私は貴方に消えて欲しくないし、自分の手で貴方を助けられるのなら、嬉しい限りだよ』そう言ってオレに身体を明け渡したなまえは、今、その身体を縮こませて身を守るように両腕を胸に寄せ、雫がこぼれそうなほど潤んだ瞳で見上げてきて、

「食べちゃイヤです、ランサーさん……っ」

 ──なんてことを、うまそうな唇で言いやがった。

「っ!」
「ひゃっ!ちょ、ま、まって、ラン──ッ!」
「は、くそ、あんま煽んな馬鹿野郎……!!」

 腰を引き寄せ深く深く口付ける。後頭部にあてた手のせいでなまえの髪が乱れるが、まあ許してくれや。

「ふぁ、っ、んん!」
「はぁ……なまえっ」

 食べられると思ったのか、オレに。そんなに飢えて見えたか。ああ、正解だ。オレはいっそ、お前を食ってしまいたいくらい、お前を欲している。罪な女だ。噛みついて、舐めて、吸って、なぞり、なまえの吐息すべてを飲み込む勢いでキスをする。やってしまえと、己の中の獣が囁く。押し倒して、身体を暴き、その身に刻み付けたお前という存在を呼び起こさせてしまえと。そうすれば、きっとこの女はお前のことを思い出すと。
 思い出す。すべてを。傷つけ、傷つけられたあの日々を。そしてなまえはまた──ひとりに、なる。
 足元から頭のてっぺんまで一気に駆け上がった冷たさに、咄嗟になまえを離した。頬を涙で濡らして、息を切らした女。もうオレのものではなくなってしまった少女。

「──今日はオレも楽しかった。気を付けて、帰れよ」

 なまえの顔を見ることはできない。背を向け一歩踏み出す。ぽつりと、雨が降り出した。
 心臓から流れ出るなまえへの想いが胸を満たして、苦しい。


  
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