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“誰かの特別になりたいなら、まずは自分にとって特別だって伝えなきゃ”
いつか桃っちに言われた事を思い出した。
初めての事じゃなかった。今まで彼女いたことあったし、仕事でもそんな感じのあったし。ただし、気持ちは今と全く違っていたけれど。
キスくらい、そんなものだと思ってた。
どれくらいの時間そうしていたかわからない。まるで時間も何もかも、呼吸さえ止まったかのような感覚の中で、ただ一人の女の子の体温だけを感じていた。
唇を重ねるだけの行為。それだけだけど、全身で伝えたいことがあった。
自分にとって、特別な存在なんだって。
こんなこと、誰にでもできることじゃないって。
添えていた手を下ろして顔を離すと、俺の目を真っ直ぐに見つめる麻衣子っちと目が合った。恥ずかしくて逸らしたい気持ちをぐっと堪える。
「…りょう、た、さん……?」
「いきなりごめん…」
嫌がっている様子は一切ない。だからと言って喜んでいるわけでもない。ほうけてるとも取れる。そりゃそうだ、誰だって突然こんなことされたら驚くに決まってる。
「ずっと、麻衣子っちに言いたかったことがあるんス」
「…?」
何度も言おうとして 、その度に言えなかったこと。言うなら今しかないだろう。
伝えようとしなきゃ、伝わらない。
「俺、麻衣子っちが好きっス」
真っ直ぐ目を見て言った。一瞬置いてから、麻衣子っちも口を開く。
「………私も、」
「違うんス」
「?」
「友達としてとか、人としてとかじゃないんスよ。男として、女の子である麻衣子っちが好き。俺にとって、麻衣子っちは他のどの女の子とも違う、特別なんス」
驚いた表情のまま黙って俺の話を聞く麻衣子っちと対照的に、俺の言葉は止まらない。ずっと貯められていたものの関が外されたよう。
「だから、俺も麻衣子っちの特別になりたい」
ずっと一緒にいてもおかしくなくて、でもドキドキしたり、キスしたりできる、そんな関係に。
好きだと思って、好きだと思ってもらえる関係に。
「麻衣子っちは、俺のこと嫌い?」
どんな答えをもらえるか、ある程度確信を抱いてるくせに。
「そんなわけ無いです」
「じゃあ…」
「ですが、今までそんな風に考えたこと無くて…私、わからないんです…」
首を微かに横に振りながら答える麻衣子っちの手を握る。
こうやって触れられるだけでも今すげードキドキしてんのに。
「無理にわかってなんて言わないっス。でももし麻衣子っちが少しでも俺と同じ気持ちなら…付き合って欲しいっス」
「それは…交際ということですよね…?」
いつの間にか真っ赤になった顔でいつもどおりのその言い草に、プッと吹き出してしまった。交際って、そんな、イマドキ…!
「そーっスよ。そんで友達よりもっと特別になりたいんス」
穏やかに語りかける。話してて自分が優しくなってるように感じるのも、好きな理由のひとつだったり。
「わ、私本当にそういうものを考えたこと無いですし、目の当たりにした事も無いんです…!全然、わからないんです…!」
「だからそんな焦らなくていいって。今からゆっくり考えてくれればいいんスから」
「……本当に、私でいいんですか?」
「麻衣子っちじゃなきゃ嫌っス」
「でも私、涼太さんのためになること何もできませんし、皆さんのアイドルで人気者の涼太さんとは…あまりにも違います」
「そんなの関係ないっス。俺にとっての特別は麻衣子っちだし、俺のために何かしてもらいたいなんて思ってないっス」
…強いて言うなら、交際、してもらいたいんだけど。
「私は…」
麻衣子っちが何かを言おうとした瞬間、すぐ近くで足音と話し声が聞こえてきた。
「ねーねー、さっきからこっちの方で声がするんだけどー」
「えー、学祭の真っ只中でこんなハナレで語ってるとかカレカノじゃねー?」
ゲッ…!しかも女の子…!
こんなとこでふたりきりで話してるの見られたらおそらく良い結果は期待できない。それどころか麻衣子っちに悪い影響が及ぶかも知れない。
ここまで来るのに役立った被り物をひっつかんで、そっと耳打ちする。
「ここで騒ぎになったらマズイんで俺行くっスね!また後で…ってか、部活で!」
「ええ、気を付けてください」
事態を理解してくれているらしい麻衣子っちを残して、走り出す。
被り物被ってそこに居続けることも選択できたけど、告白の直後で精一杯なのにそんな事態をくぐり抜けられる自信はなかった。
俺の顔も十分赤くなっているようだし、とりあえず人がいないところに行こう。
ついに、言ってしまったんだ。何度も言おうとしたけど言えなかったこと。
もう、後戻りはできない。
この後の部活の時どんな顔して会えばいいんだろうなんて、そんな事を考えながら必死に走った。
きっと何言えばいいかわかんなくなって、緊張して。そしたら麻衣子っちが先に話をするんだ。
できれば俺にとって、いい話であってほしい、なんて。
会いたくないくらい怖いし恥ずかしいのに、すごく会いたいような。
不安と恥ずかしさを抱えながらも、それ以上に幸せな想像ばかりが頭の中を駆け巡る。
この時の俺は何の疑いもなく、次に会えるその瞬間を楽しみにしてた。
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