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 多分、今俺と課長が運命の六尺褌で結ばれていたら、真っ白な布は一気に赤く染まって爆発しそうな勢いで膨れ上がっていただろう。

 あの鬼原課長が。
 いつも険しい顔でパソコンの画面と書類を睨み付けていて、仕事以外には何の興味もないような、仕事の鬼だとばかり思っていた鬼上司が。

 こんな優しい顔で、俺に甘い言葉を囁いてくれるなんて。

「……俺、別に可愛くないです」
「ん?」
「間宮さんみたいな癒し系天使じゃないし……クリスさんみたいな色っぽい小悪魔でもないし。むしろ地味めで残念なくらいの冴えない男じゃないですか」

 自分で言っていて悲しくなりそうな現実を口にすると、鬼原課長は意外そうに一瞬だけ目を大きくして、すぐに吹き出し、大きな手でワシャワシャと俺の頭を撫で回した。

「人目を引くような派手な顔立ちじゃないことは確かだな」
「義理でも何かフォロー入れてくれるトコロです、ココは」

 一応ツッコミを入れつつも、今の俺には鬼原課長のこの反応が何よりも嬉しかった。

 下手に嘘くさいフォローを入れないところが、いかにも課長らしい。
 それでも、大きくてあたたかい手の優しさから、課長の気持ちがちゃんと伝わってくる。

「それでもやっぱり、俺はお前が可愛くて仕方ない」
「課長……」
「名前を呼ぶたびに涙目でぷるぷるしながら怯えられるとクるものがあったな」
「俺が涙目で叱られてるときにそんなこと考えてたんですか!」
「パソコンが苦手なら誰かに頼ればいいものを、意地になって一人で悪戦苦闘している不器用な姿も、数字の取り合いで殺伐としがちな課のムードを和ませるマイペースっぷりも。いつの間にか愛おしくて堪らなくなっていた」

 多分、今までの人生で、家族以外にここまで俺を思ってくれた人なんていない。

 間宮さんのような可愛い天使じゃなくても、クリスさんのような小悪魔じゃなくても、今鬼原課長が見つめてくれているのは俺なんだ。

「好きです、課長」

 溢れて来る想いを止められず、もう一度素直な気持ちを口にすると、鬼原課長の手が微かに震えたのが分かった。

「それは聞いた。――が、まだ信じられん」
「こんなことで嘘なんてつきませんよ!」

 不器用な指先が壊れ物に触れるようにそっと髪を梳いて、首筋をくすぐる。

「お前……男の経験はないだろう」
「けっ、経験っ!?」

 この場合の経験というのはもちろん、身体の関係のことを言うのだろう。
 男の経験どころか、女の子とですらごくごく淡泊な短期間のお付き合いしかしたことがなかった俺は、鬼原課長の質問で一気に全身が茹で上がり、あからさまに挙動不審になってしまった。

「男の人を……好きになったのは、はじめてですけど、って、ふおぁっ!?」

 しどろもどろになってうろたえる俺の身体をもう一度力強く抱き寄せると、鬼原課長の手はやや乱暴に、遠慮なくケツを揉んできた。

「かちょ、課長! あの、ケツ……っていうか、腰に何か当たっ……、っ!」

 それまでとは打って変わって強引にケツを揉んでいた手が、尻肉の間を探って際どい部分に触れてくる。
 密着した腰に、既に臨戦体勢に入りつつある雄の器官を感じて顔を上げると、熱を孕んだ野獣の瞳が至近距離から俺を見下ろしていた。

「俺は当然、こういう下心も込みでお前が欲しいと思っている」
「!」
「男同士、どうやってヤるか知らない訳じゃないだろう。お前にそこまでの覚悟があるのか?」

 獣の本能を抑え切れず、余裕がなくなった一匹の雄の顔。
 こんな課長の顔、今まで知らなかった。

 熱い吐息が耳に届きそうな距離で低いハスキーボイスに鼓膜をくすぐられて、ケツを揉まれているうちに、俺の身体は芯からぐにゃりと溶けて腰くだけになってしまった。

「――ここで強引に襲って喰うのは、フェアじゃないな」
「え?」

 鋭い牙を持った獰猛な野獣に食べられてしまいそうな錯覚に陥って微かに身体を震わせた俺を支えてソファーに座らせ、大きな手でポン、と軽く頭を叩くと、鬼原課長はあっさり俺に背中を向けた。

「あの、課長!?」
「考える時間をやる」
「時間……?」
「やっぱり無理だと思ったら、俺がシャワーから戻るまでの間に帰り仕度を整えろ。タクシーを呼んでやる。だが、もし俺が戻ったときにそのまま座っていたら……」

 男二人しかいない静かな部屋の空気が、ピリッと張り詰める。

「その時は、お前のケツを掘る」
「わー! もうちょっとソフトな言い方してくださいよ!」

 今さっき気持ちを伝え合ったばかりなのに、いきなりそんなコトまでしちゃうつもりなんですか、課長。

 顔を真っ赤にしてあたふたとうろたえる俺をリビングに残して、男前上司はバスルームへと消えていってしまったのだった。



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