2



○●○


 『プラザ801』から会社に戻って、初日の売り上げ報告書を出して。

 大急ぎで帰宅して、橘課長が用意してくれた薄桃色の六尺褌を締め、鬼原課長がいるはずの褌バーへと向かう。

「……挙動不審過ぎだよ、俺」

 毎日顔を合わせている上司に会いに行くだけなのに心臓の音がどうしようもないくらいうるさくて、カクカクと力の入らない膝で何とか前に進んでいる状態の自分が情けない。

 一歩前に進むたびに逃げ出したくなってしまう気持ちを何とか抑えていられるのは、俺を応援してくれている間宮さんと、橘課長の力強い励ましの言葉のおかげだ。

 ――そして。
 今はふるさとに里帰り中のやんちゃなちびっ子妖精の笑顔が、俺を突き動かす原動力になってくれていた。

 結果はどうであっても、アニキが帰ってきたら、胸を張って戦績報告したい。
 俺のために今まで頑張ってくれてありがとう、と。あの小さなやんちゃ坊主に、きちんと感謝の気持ちを伝えたい。

 ぐるぐるとたくさんの人の顔を思い浮かべながら、結局は鬼原課長のことを考えて苦しくなってしまうということを繰り返しながら、走って、走って。

 駅からの近道になる細い裏路地に入り、次の角を曲がればもうすぐ『CLUB F』の看板が見えたはず……という一歩手前で。

「――っ!?」

 俺の身体は、後ろから伸びてきた誰かの腕に無理矢理引っ張られて、薄暗い路地のコンクリート壁に背中を叩きつけられるように飛ばされてしまった。

「っ、は……! い、た……っ、げほっ」
「あ〜、ごめんなさい。そんなに勢いよく吹っ飛ぶと思わなかったから、力加減間違えちゃいました」

 一瞬視界がブラックアウトして身動きが取れない俺の頭上から、やけに能天気な男の声が降ってくる。

「何……を、いきなり……」
「だ、大丈夫ですか? そこまでひどいことをするつもりはなかったんですけど」

 訳の分からないままいきなり身体を壁に叩きつけられて、大丈夫なはずがない。

 ずりずりと壁に凭れて崩れ落ちながら、突然後ろから俺を襲った男の顔をぼんやりと見上げると、男は困ったような顔で頭をかき、心配そうに俺の顔を覗き込んでもう一度「大丈夫ですか」と訊いてきた。

 こういう薄暗い路地裏でサラリーマンを襲う輩というのは、派手な髪の毛をボッサボッサに伸ばしていて、耳にも鼻にもこれでもかというくらいピアスをつけて“趣味はカツアゲです”というような恰好をした厄介な若者が多いような偏見を持っていたんだけど。

 その場に崩れ落ちた俺を前にオロオロとうろたえるその男は、今どきどこの床屋で切ってもらったんだと聞きたくなるような変なおかっぱ頭に、やたらに目がデカく見えるビン底メガネ。チェックの柄シャツをケミカルウォッシュのジーンズに見事にベルトインして腰には変なウエストポーチを装着している……という、この辺りの繁華街では見かけない出で立ちの巨漢青年だった。

 年は、大学生くらいなのかもしれない。
 が、鬼原課長の高身長に慣れているはずの俺でも一瞬驚く規格外のデカさと、すがすがしいまでのオタクファッションが、年齢だとかそういったものを一切感じさせないのがすごい。

「……大丈夫ですから。そこ、通してください」

 本気で俺を心配してくれているらしい様子からすると、さっきのアレは人違いか何かで、悪い人ではないのかもしれないけど。
 こういった人種には、深くかかわらないに限る。

 思い切り背中をぶつけたことで咳き込んでしまいそうになるのを何とか堪え、立ち上がってその場を離れようとすると。

「ごめんなさい、それはできないんです」
「!?」

 おかっぱメガネの巨漢青年は、再び俺の腕を掴んでビタン!と身体を壁に押し付けてきた。

「何するんですか。俺、金なら持ってませんよ」
「いや、カツアゲとかじゃないです」
「じゃあ何なんですか! ホモのナンパとかですか!」
「ごめんなさい。タナカさんが可愛くない訳じゃないですけど、そういう意味ではまったく魅力を感じないので何の興味もないです」
「……!」

 別に俺は男にモテたいだなんてまったく思わないし、初めて会ったばかりの野郎に何の思い入れもないけど。オタク丸出しのおかっぱメガネにここまであっさりコケにされると妙に腹立たしい。

「……っていうか、あれ? 何で俺の名前を知ってるんですか」
「あ」

 どうして、会ったばかりのメガネ青年が俺の名前を知っているのか。
 当然の疑問を口にすると、おかっぱメガネはあからさまに動揺して“しまった”という顔で目を逸らした。

 俺が『CLUB F』に行くのを阻止するためにこの場にいたとしか思えないタイミングと、不自然なこの様子。

「もしかして……クリスさんに頼まれて、俺の足止めを?」
「っ、違います! 太三郎は関係な……あ、違った、ここは知らないフリをしないといけないんだった」
「……」
「知らない! 太三郎なんて人は知らないし、タナカさんがお店に行けないように邪魔してほしいなんて全然頼まれてないです!」

 性格は基本的に悪い人じゃないのかもしれないけど、もしかしたら頭は思い切り悪いな、この子。



(*)prev next(#)
back(0)


(63/89)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -