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 跪いて、褌姿の課長のケツにキスしている自分を想像しただけで、背筋を何やらうすら寒いものが走り抜けていった。
 危険すぎる、未知の世界だ。

 そもそも、万が一俺の方がその気になったとしても、あの鬼原課長が直属の部下にそんなことをさせるはずがない。

「ほら、もたもたしてると朝飯食う時間がなくなるぞ」

 何とか思考を現実に戻して、食卓に向かう。

 狭いテーブルの上にはこんがり焼きあがったトーストとベーコン、チーズ入りのオムレツが並んでいた。

 元々朝は面倒なことをしたくなくて、トースト一枚にバターを塗って食べるだけだったのに、課長に褒められて以来、少しでも料理の腕を磨きたくて必ず何か一品は作るようにしている。
 食いしん坊の妖精も毎日喜んで食べてくれているし、ちょっとした自己満足というやつだ。

「あのね、作戦はもうかんがえてあるの」
「先に言っておくけど、俺はその作戦とやらを実行する気はないからな」

 課長のケツにキスをする作戦なんて、ロクなものじゃないことは聞く前から分かっている。

 俺の後ろに続いてパタパタと食卓の上まで飛んできたアニキは、「じゃーんっ!」と勢いよく、褌の中から小さな黒板を取り出して、いそいそとテーブルの上にセッティングし始めた。

「毎回思うけど、褌の中に黒板なんて入れてチンコは痛くないのか……」

 いつもなら真っ先に朝飯めがけて突進してくるちびっ子妖精が、今日はピンク色のネクタイをきゅっと結び直して、どこぞの講師気取りで黒板に下手な絵を描きこんでいる。

「それでは、この『おねだりキッス☆大作戦』を、いちろーにもよく分かるようにせつめいします」
「ちょっと待て。何その変な作戦名」

 この時点で既に嫌な予感しかしないっていうのは、どういうことだ。

「ええとね、きのうしらべたところによると、運命の六尺褌でむすばれた二人の初ちゅーは、アクシデント的なものでも桃ポイントの対象になるみたいなの。まうす・とぅー・まうすじゃなくてもいいんだって」
「俺の突っ込みはスルーかよ」
「なので、いちろーにはもう一度、前にかぶった『とっとこハム野郎』の仮面をつけて褌バーにいってもらいます!」
「……おい」

 半分だまされるような形でアニキに被せられたあの恥ずかしいハムスターの覆面を、もう一度被れというのか。

 トーストをくわえたまま固まる俺の前で、アニキは小さな黒板に描かれた下手くそな絵を棒で指しながら説明を続けていた。

「仮面をしてたらいちろーだって分からないから、ちゅーしちゃった後も気まずくならないでしょ」
「そりゃ、鬼原課長はそうかもしれないけど、俺には気まずさしか残らないから」
「まず、この仮面をつけたいちろーがたくさんお酒をのんでべろべろによっぱらいます」
「聞けよ、俺の話を」
「それで、かちょーさんは優しいから、きっと近づいてきて“大丈夫か?”とか心配してくれるでしょ?」
「……」

 ちびすけめ。わざと俺の話をスルーしやがって。

 人の話をまったく聞かないちびっこ妖精は、鼻息をふんっと鳴らして、黒板の図の上に白いチョークで『じゅうよう!』とカリカリ書き込んだ。

「そこで! よっぱらってバランスをくずしたいちろーが、とつぜんころんじゃいます」
「本当に突然だな」

 このちびっこい脳みそで考えた作戦とやらの無計画性が全面に滲み出ている。

「ちなみにころぶときは、かちょーさんの背後をとるように意識してころんでね」
「いや、そもそもやらないから」
「そして、よっぱらいのいちろーは、ふらふらになりながら起きあがろうとして……」

 手に持った棒で下手くそな絵をビシッと指して、アニキはドヤ顔で俺を見上げた。

「顔をあげたときに、まちがってかちょーさんのお尻にキスをしちゃうという作戦なんだよ!」
「……」
「これならすっごく自然にちゅーができるもんね! ちゅってしちゃった後で“ごめんなさい、よっぱらって……”とか言えるもん。かんぺきだよね!」

 見かけによらない超高レベルなビジネススキルを持ちながら、この浅はかな計画を完璧だと言えるこいつの脳みそは一体どうなっているんだろう。

「もう行くぞ。置いていくからな」
「あっ、待って! まだ朝ごはん食べてないの」

 慌てて黒板を片付け、むぐむぐと小さな口いっぱいにオムレツを押し込むアニキを見て。

 こんなに元気なちびっこでも、本当は故郷に帰りたいんだろうなと思うと、俺の胸は少しだけ痛んだのだった。




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