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○●○


「見て、いちろ! これ見て!」

 鬼原課長の家から帰った俺を出迎えてくれたのは、大きな目を輝かせて何やら大興奮した様子で飛び回るちびっ子妖精だった。

「お前、腹が痛いのは治ったのかよ」
「お腹なんていたくなってる場合じゃないもん」

 小さな羽根を元気いっぱいに羽ばたかせて、鼻息をふんふんさせながら飛び回っている様子を見る限り、どうやら今朝俺を心配させた腹痛は完全に治ったらしい。

 あれだけの量の食べ物がどこへ消えたのかとか、こいつの身体の構造はどうなっているのかとか、そういうことはもう考えないことにする。
 考えても疲れるだけだ。

「ねえ、ねえ、いちろー! これすごい?」
「うん?」

 キラキラと輝く目で俺を見上げるちびっ子妖精は、早く俺に見てもらいたくて待っていたとばかりに、あの『桃ポイントカード』とやらを俺の目の前に掲げてきた。

「お、桃が増えてる」

 最初は一個だけ押されていた桃のスタンプが、いつの間にか三個に増えている。

 高々とカードを掲げたアニキは、渾身のドヤ顔で胸を張って、三個並んだ桃のスタンプを自分でもチラッと確認してからもう一度俺の目の前に突き付けてきた。

 さっきからもう、ふんふんふんふんと鼻息がすごくて、小さな身体は鼻息の勢いだけでどこか遠くに飛んで行ってしまいそうだ。

「これはね、お宅訪問のポイントが桃半分と、次回のお約束分の桃半分でしょ。そしてそして! いちろーがかちょーさんに手料理をふるまったから、桃一個分のポイントがついたの」
「何で俺が課長に手料理を振る舞ったとか、分かるんだよ」

 桃のスタンプを押すだけのために、どこかで誰かが俺を監視していたりするんだろうか。
 ポイントの仕組みが謎過ぎて怖い。

「うーんと、たしか『運命の六尺褌』と連動して自動的にポイントが貯まるはずなんだけど……桃ポイントカードの契約約款、読む?」
「読まない」

 いかにもファンタジーな手乗りサイズの小さな妖精の口から、契約約款などという言葉が飛び出してきて、今日一日分の疲れがどっと出てきた俺は、狭い一人暮らしサイズの居間の隅に鞄を投げて、安物ソファーに腰を下ろした。

 左手の薬指に巻き付いた布にはまだ優しい温もりが残っていて、もしかしたら課長も俺と同じように、さっきまでのことを思い出しているのかなという気がする。

「鬼原課長って……」

 ポツリと呟いたきり黙り込んでしまった俺の膝にちんまりと腰かけて、桃ポイントカードを大切そうに褌の中にしまいながらアニキがクリクリの丸い目で俺を見上げた。

「かちょーさんが、なあに?」
「――何で俺のことなんか、好きなんだろ」

 ちょっと怖いけどあんなに男前で、仕事も完璧に出来て、褌バーに行けば誰もが憧れの眼差しで見つめるようなイイ男なのに。

 特に可愛かったりカッコ良かったりする訳でもなく、仕事の要領も悪くて課長に迷惑をかけてばかりいる俺のことなんか、好きになる理由がないような気がする。

 仮面褌パーティーでハムスターの覆面を被った俺には、“ノンケの部下”が可愛いと言っていたけど、課長自身もはっきりとどこが好きだとか、そういうことは分かってないみたいだった。

「何でだろ。俺、別に男が好きとかそういうんじゃないけど、課長の気持ちがやっぱり勘違いだったとか言われたらショックかもって……」
「そうなの?」
「んー。気持ちに応えるつもりもないのに、好きになってもらいたいってズルいよな」

 何でこんな気持ちになってしまったのか、頭の中がグチャグチャで自分でもよく分からない。

 仕事ではまったく認められていなくても、苦手だと思っていた有能な男前上司に実は好かれているのかもしれないということが嬉しいだけなんだろうか。
 それとも、何か別の感情があるんだろうか。

 じっと俺の顔を見上げていたアニキは、意外にも真面目な顔でふんわりと俺の顔の前まで飛んできて、小さな手でそっと俺の額を撫でてくれた。

「だいじょぶ、いちろーはずるくないよ」
「アニキ……」
「たぶんね、今はいっぱいいっぱい考えるときなの。おれの先生が言ってたもん。がんばっていっぱい色んなことを考えたら、気づいたときにはトンネルを抜けていっぱいいっぱい前に進んでるって。だから今のままでだいじょぶだよ!」

 ぱたぱたと小さな羽根を羽ばたかせて、一生懸命俺を元気づけようとしてくれるちびっ子妖精。
 こんな時、アニキがいてくれて本当に良かったと思う。

「メシ、まだだろ。何か作る」
「うん! えっとね、今日はフレンチの気分」
「無理なこと言うなって」

 今は、このまま悩んでいても大丈夫。

 アニキの言葉に気持ちが楽になった俺は、目の前で揺れるぷりぷりの小さなケツを指先でぷにっと突いて立ち上がったのだった。



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