先輩には敵わない。


 世の中には“蛇の生殺し”という言葉があるらしい。

 ……が。高等部に上がって部屋替えがあって以来、今の状況は蛇の生殺しどころか“俺の生殺し”だ。

「葵、先輩……っ」

 寮の同室者が留守にしている隙に、俺はちゃっかりその同室者である佐奈田先輩のベッドを陣取り、虚しい男の一人仕事に精を出していた。

『潤也……もっと』

 妄想の中の佐奈田先輩は切なげに喘ぎ、掠れた声で俺の名前を呼ぶ。

 実際には潤也なんて呼ばれたことがなくて、日浦としか呼んでもらえないし、俺も先輩を下の名前で呼んだことなんてないけど。
 想像するくらいは自由だ。

「先輩……葵先輩!」

 一人で何度も先輩の名前を呼びながら、俺は腹につく勢いで反り返ったモノをシコシコと擦り続けた。



 同室者の佐奈田葵先輩は風紀委員会の副委員長を務める優等生で、眼鏡の奥の冷たい瞳が一瞬で取締対象者を凍らせると言われ、特に俺たち一年生からは恐れられている。

 そんな先輩と同室だなんて最初は俺も不安だったけど、すぐに佐奈田先輩は噂とは違う人なのかもしれないということに気が付いた。

 滅多なことで表情を変えないのは、不器用で笑い慣れていないから。
 目つきが鋭いのは、視力の低下が早くてすぐに眼鏡が合わなくなってしまうから。
 違反者に厳しいのは、屈強な体格の猛者が多い風紀委員の中で比較的華奢な自分が違反者に舐められないよう、毅然とした態度で接するように心がけているから。

 そんな“風紀副委員長”の肩書きを外して自室で過ごす素顔の佐奈田先輩は、実は夜中にトイレに起きるのが怖いからと寝る前には絶対何も飲まないようにしていたり、意外にも朝が弱くて、寝たまま器用に目覚まし時計を止めてしまい起床の寮内放送で慌てて目を覚ましたりとものすごく可愛い人で、俺はすぐにこの一つ年上の先輩が好きになり、迷惑そうな顔をされても構わず懐きまくっていた。

 最初は単に他の人が知らない風紀副委員長の意外な素顔を知っているだけで嬉しかったけど、一緒に過ごしているうちに何故か好意の方向性が先輩後輩の域を越え、今では先輩をオカズに週に五回は抜いてしまうほどの変態になってしまっている。

 本人は自覚していないけど、普段の佐奈田先輩はどこか無防備で、色気があり過ぎるのだ。

 潤みがちな黒い瞳とキスをねだっているようにしか見えない口元のホクロに惹かれて、何度不埒な真似を働きそうになったことか。
 その度に必死に自分を戒めて今まで先輩の貞操を守ってきた俺の理性を褒めて欲しいくらいだ。

 こんなことが佐奈田先輩に知られたら気味悪がられて速攻で部屋を叩き出されることは分かっているので、気持ちを伝えることはできないけど……先輩の恥ずかしい姿を想像してこっそり可哀想なムスコを慰めることくらいは許して欲しい。
 何といっても、健全な高校生男子だし。



「先輩……葵先輩、すげー、好きっす」
『潤也』

 サラサラと柔らかい先輩の黒髪と色っぽい口元のホクロを思い浮かべただけで、反り返ったモノの先端からはエロい我慢汁が溢れて幹を伝い、右手を濡らす。

 俺の腕の中にすっぽりと納まってしまいそうな佐奈田先輩の細い身体をこのベッドの上に組み敷いて、薄ピンク色の乳首に軽く歯を立てたら、先輩はどんな声を出すだろう。

『駄目だ、潤也……そんなに見ないで』

 いやがる先輩の足を開かせて、秘められたその場所をじっくり観察したい。
 薄い茂みから勃ち上がる控えめサイズのペニスを根元から先端まで舐めて、舌先で弄り回して泣かせてしまいたい。

『もう、焦らすな馬鹿……っ』

 恥ずかしいからもう止めてくれという先輩にキスして、誰も入ったことのないその中に俺自身を突き入れて。何度も腰を揺すって、先輩を感じたい。
 そして、先輩を感じさせたい。

「うっ、……葵先輩……!」

 上下に扱くスピードが上がるにつれ、グロテスクな幹に浮かび上がった血管がビクビクと震え始め、下半身にギュッと血が集まる。

「はあ、あっ!」

 集まった熱が、一気に放出される感覚。

 まだ見たことのない、そしてこの先一生見ることがないはずの先輩のイキ顔を想像して、俺は先端に押し当てたティッシュに大量のザーメンを解き放った。

「……」

 当然のことながら、一度射精してしまえば、その後に襲ってくるのは一人仕事を終えた虚しさと先輩への罪悪感だけだ。

 佐奈田先輩が戻ってくる前にこの破廉恥な行為の痕跡を完璧に消さなければ……と、とりあえずパンツを穿こうとした俺は、フルチンのまま顔を上げて凍りついた。

「終わったのか」
「さ、佐奈田先輩!?」

 いつの間に部屋に帰ってきていたのか、そこには腕を組んで壁に半身をもたせ掛けた佐奈田先輩が立って、俺をしげしげと観察していたのだ。

「生活強化週間の事前打ち合わせがあったんじゃなかったんすか」
「臨時の職員会議が入ったらしくて桐島先生が来られなくなったから、明日に延期らしい」
「えええ、じゃあ、いつからソコに……」
「いつからと言われても答えにくいな。俺が部屋に入ったときにはもう結構盛り上がっていたと思うけど」

 ――終わった。

 元から何も始まっていなかったけど、これは完全に終わりだ。色々な意味で。

 もう二度と佐奈田先輩とは普通に口をきけないだろうし、今夜にでも部屋替えをさせられることは間違いない。
 下手したら寮長に訴えられて、俺は先輩のベッドで先輩をオカズにオナニーしていた変態ホモ野郎として寮を追放され、退学なんてさせられちゃうんじゃないだろうか。
 っていうか、人前でチンコを出したりしたら何かの犯罪で警察に捕まったりするんじゃなかったっけ。

「日浦」
「ごめんなさい! 本当に申し訳ないっす! もう、土下座でも土下寝でも何でもするんで警察沙汰だけは勘弁して下さい!」
「土下寝って何だよ。そうじゃなくて……シーツ、汚れてたら嫌だから交換してきて」
「あ、はい! それはもちろん! いつも交換はしてるんすよ。あ、いつもって、そんな毎日先輩のベッドで抜いてるわけじゃなくてですね」
「あと、空気の入れ替えも」
「します、します。窓開けるんでちょっと寒いかもしれないっすけど我慢して下さい」

 あれ?
 もっと激しく罵られて「この部屋から出て行け!」とか言われるかと思いきや普段とあまり変わらない先輩の態度に、フルチンのままシーツを剥がしながら、俺は首を傾げた。

「あのー」
「何」
「先輩、怒ったりとか……」
「してるよ、当然だろう」

 ああ、やっぱり。怒ってますよね、当然ですよね。

 自業自得としか言いようのない自分の馬鹿さにガックリとうなだれる俺を見て、佐奈田先輩は一歩近付き、俺の手からシーツを取り上げてベッドの上に投げ捨ててじっと顔を見上げてきた。

 細いメタルフレームの眼鏡の奥で、長い睫毛が揺れて色っぽいつり目が俺を見つめてくる。
 やばい。一度は治まったチンコが再び元気になってきそうだ。
 この状況で勃起したら最悪だぞ、俺。

「佐奈田、先輩?」
「葵って、呼べばいい」
「えっ」
「オナる時はあんなに甘い声で何回も葵先輩、なんて呼ぶくせに、素に戻るといつも“佐奈田先輩”になる」
「ええと、それは」

 佐奈田先輩は、俺が先輩をオカズにオナっていたことを怒っているんじゃないのか。

 やや混乱する俺に、整ったその顔を更に近付けて、先輩は血色のいい唇を尖らせた。

「大体、お前が俺のベッドで何かヤッてるだろうなってことくらい前から気付いてたよ」
「ええっ! 何でっすか!?」
「お前が替えた後のベッドメイクは雑で汚い」
「……ああ、確かに」

 佐奈田先輩のベッドメイクはシーツにシワ一つなく、一体どこの軍隊だと言いたくなるような完璧なものなのだ。
 対して俺は、大柄な身体が性格にまで影響しているのか、いつも雑で大雑把。
 完璧に証拠隠滅していたつもりだったけど、まさかそんなに前から感付かれていたとは。

「言いたいことがあるなら、一人であんなことをしないで俺に直接言えばいいだろう」
「言っていいんすか!?」
「頻繁にベッドを使われていかがわしい行為に及ばれるよりはずっといい」
「……」

 一瞬都合のいいことを考えてしまいそうになった愚かな俺の期待を打ち砕く冷たい視線。

 思わず涙目になりかけた俺を見上げる佐奈田先輩は、今度はそろそろと片手を伸ばし、頼りない手つきでシャツの裾を握ってきた。

「俺は……人付き合いが下手だし、特に後輩からは怖がられたりしやすいけど、お前のことは別に嫌いじゃない」
「え、えっ?」
「だから……嫌いじゃないって、言っている」

 怜悧な印象を抱かせる整ったその顔は怒っているようにも見えて、しかも口調もいつもよりぶっきらぼうなものになっているけど。

 シャツを握る先輩の手は微かに震えていて、よく見ると、耳の先だけがほのかに赤く染まっていた。

「葵先輩」

 思い切ってそう呼んでみると、潤んだ黒目が大きく見開かれる。

 ――そうだ。

 この人は何でも器用にこなす優等生に見えて、本当は、とても臆病で不器用な人だった。

「俺、先輩のことが好きです」

 ずっと伝えたくても伝えられなかったこの言葉を、もしかしたら先輩は待っていてくれたんだろうか。

 期待半分、不安半分でストレートな告白を口にすると、それを合図に佐奈田先輩の顔は一気に赤くなって、先輩はその顔を隠すようにぽすっと俺の胸に顔を埋めてきた。

「とにかく早くパンツを穿いて部屋を換気して、シーツを交換してくること。返事はそれからだ」

 厳しい風紀副委員長の声でそう言いながらも、先輩は甘えるように埋めた顔を上げてくれる気配がない。

 そんな先輩が可愛くて堪らなくて、細い身体をそっと抱きしめようと手を回した瞬間、「調子に乗るな」と丸出しだったジュニアを思いきり握られてしまった。

「痛っ、ひっでえっすよ、先輩!」
「パンツを穿けと言っただろう」
「マジで握りつぶされるかと思った……」

 完全に涙目になりながらパンツを穿いて交換用のシーツを手にした俺をちょいちょいと手招きした先輩は、身体を屈めた俺の耳に唇を近づけ、最高に甘い声で囁いてくれたのだった。

「ちゃんとイイ子にしていたら、ご褒美をあげるから」



 やっぱり、先輩には敵わない。



end.

(2012.11.27)




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