誤解と出会いと、そんなある日。


『トイチの恋人』に登場する伍代の双子の兄と下っ端バーテンダー香田のお話。
ML未満。拍手小オマケが長くなったのでこちらに載せた、程度の小話です。




「あ、伍代さん!」

 夜の街がゆっくりと目覚め始める、夕暮れどき。

 息抜きにぶらりとシマを歩きたくなり運転手役の島田だけを連れて繁華街に出てきた伍代は、馴染みの店の前で先に降り、島田が車を停めて戻るのを待っている間に背後から投げ掛けられたやけに親しげな呼びかけに鋭い瞳を微かに見開き、声の主を確認した。

 呼びかけられた名前は間違いなく自分のものだ。
 ただ、爽やかな笑顔を自分に向ける目の前の好青年にはまったく見覚えがなかった。

 渠龍組若頭、伍代浩介。
 現組長の襲名を機にかつての武闘派路線から経済ヤクザへと方向転換し、数々のフロント企業を抱えて業績を伸ばしている渠龍組の中でも、組長の龍崎を守る盾となり荒事を一手に引き受ける伍代は武闘派中の武闘派である。

 一見しただけでモロにヤクザと分かる厳つい顔に、大抵の人間は目が合っただけで顔面蒼白になり、何もしていなくても謝って逃げ出していくところだが、伍代が視線を向けた先に立っていた青年は逃げ出すどころか人懐っこい笑顔で会釈して距離を縮めてきた。

「こんな所でお会いするなんて偶然ですね、お仕事ですか」
「ああ」
「俺もこれからなんです」

 短く答えながらも、伍代はこの青年が誰だったか、いつどこで出会ったのかを思い出そうとして、一瞬で諦めていた。

 もし相手が下部組織の末端構成員だったとしても顔や名前まで覚えているはずがなく、シマに店を構える風俗店の店員という可能性もあるが、それにしてもいちいち顔までは覚えていない。

 更に厄介なことに、伍代には双子の弟がいて、三十を過ぎても未だに周りから間違えられるほど外見が似ているため、弟と間違えて声を掛けてくる人間も多いのだ。

「佐竹さんはご一緒じゃないんですか」
「あ? ああ」

 その言葉に、やはり弟の隼人と間違えられていたらしいと伍代は内心舌打ちした。

 佐竹は龍崎の腹違いの弟で、伍代の弟はその秘書としてこの界隈で金貸し業をやっている。
 あまりに兄弟で間違われることが多いため、店の営業など大して重要ではない相手の場合にはそのままお互いになりきって受け流すことが弟との間では暗黙の了解になっていて、このときも伍代は特に意識せずに答えた後で、もう一度目の前の青年をじっと観察した。

 スラリと長い足に合ったジーンズと、カジュアルなシャツにジャケットを羽織っただけの気取らない格好が上品に見えるのは、青年の綺麗な体型と整った顔立ちのためだろう。
 前髪をツンと立てた短い黒髪が、人懐っこい笑顔をより爽やかに見せる。
 堅気の女には、こういう爽やかなスポーツマン系の男がモテそうだ。

 特に人目を惹くような華やかさはないが、真面目で誠実そうな人柄が滲んで見えるいかにも堅気のこの青年は、弟とどういった関係なのか。
 いつもなら話を適当に合わせて挨拶もそこそこに流してしまう伍代だが、何となく、この好青年には興味を惹かれた。

「やっぱりお忙しいんでしょうね」
「この時期は何かとな」
「伍代さんも佐竹さんも、最近全然お店にいらっしゃらなくて寂しいですよ」

 伍代の弟は一応ヤクザから足を洗って堅気になったとはいえ、トイチの金貸しの金庫番というほとんど堅気とはいえない仕事をしている。
 そんな男を恐れるでもなく、媚びることもなく、ただニコニコと笑って親しげに話しかけられる人間はなかなかいない。

 普段から舎弟たちは絶対服従、シマを歩けば一般人には恐れられ、女達は金に媚びてくる。
 そんな生活を送っている伍代に青年の態度は新鮮で、何故か気恥ずかしく、こういった知人を持っている弟が少し羨ましかった。

 同じ顔を持っていながらクソ真面目な弟は、仕事の付き合い以外で風俗関係の店に出入りすることはない。
 ということは、この青年はちょっとした飲み屋か食事処の店員なのかもしれない。

 もし行きつけの店なら後から弟に聞いて行ってみようか……などと考えていた伍代の脳は、次の瞬間、青年の口から出てきた衝撃的な言葉に凍り付いてしまった。

「もしよかったら、一瞬でも立ち寄って下さい。伍代さんが来ないとウチの女王様がずっとご機嫌斜めなんで」
「っ!?」

 女王様。
 確かに、そう聞こえた気がする。

 まさかそういった店の話ではあるまいと思い直そうとした伍代に、青年は笑顔でとどめをさしてきた。

「最近はもう毎日のようにすごいのを開発されちゃって、俺の身体も限界ですよ」
「か、開発!?」
「あ、でも伍代さんに試したりはしないから大丈夫ですよ」

 開発というのが新しいプレイ内容のことなのか何なのかはよく分からないが、この青年の健康そうな肉体が限界になるような何かが起こっているらしい。

「……」

 今まで知ることのなかった弟の意外な性的嗜好に、伍代の頭は忙しく動き回り、そして凍りつくといったことを繰り返していた。

 伍代自身はSMに興味はなく、特に偏見もないが、自分と同じ顔の弟がM奴隷になって女王様に足蹴にされている姿はあまり嬉しいものではない。
 万が一、組の関係者に見られてそれが自分だと誤解されるようなことがあれば……伍代の極道生命は終わったも同然だ。

 それより何より、こんな真面目そうな堅気の青年がいかがわしげな店で働いていることの方が、今の伍代には大問題だった。

 もしタチの悪い消費者金融から金を借りて、借金を返すために働いているなら力になってやらねば……などと、任侠魂をたぎらせている伍代の前で腕時計に目をやって、青年は「やばい!」と顔色を変えた。

「そろそろ時間なんで失礼します!」
「おい、待て」
「お店、絶対に来て下さいね。ホント一瞬でいいんで。……それじゃ!」

 駆け足で慌しく去っていく背中を眺め、伍代は呆然とその場に立ち尽くす。
 去り際の爽やかな笑顔が、やけに眩しく感じられた。

 名前を聞くのを、忘れてしまった。
 そんなことを思い出したのは、車を置いた島田が戻ってきてからのことだった。

 どうやら自分がもう一度あの青年に会いたがっているらしいということにも驚きだが、考えてみると、男相手にどこか緊張して上手く名前を聞き出せなかったことにも驚くしかなかった。

 さっきの青年は伍代の弟と随分親しくしているようだったから、電話でもかけて聞けば務めている店もすぐに分かるだろう。
 ――が、ただでさえクソ真面目なあの弟が、そのまま聞いたところで自分がSMの店に通っていることなど認めるはずもない。

 さんざん考えた挙句、伍代は携帯を手に取った。

「おう、俺だ」
『組で何かあったのか』

 出るなりそう聞いてきたのは、自分と同じ声。
 兄弟とはいっても、連絡を取り合うのは組関係の問題があった時くらいなので、そう聞き返されるのも無理はない。

「いや、そうじゃねえんだが」

 しばらく間を置いて、伍代は用意していた質問を単刀直入にぶつけた。

「いいSMの店、知らねえか」
『!?』

 その直後。
 明らかに動揺した声と同時に手から滑り落ちてしまったらしい携帯が床に叩きつけられた衝撃音が響き、そこで通信は途切れてしまったのだった。


○●○


 おまけ。

 『KARES』に出勤した香田が、落とした携帯を拾い上げている伍代の姿を見て驚く。

「伍代さん!? どうやってココまで来たんですかっ」
「え?」
「え、だって、俺の方が先に歩いてたはずなのに、全力疾走……にしても速過ぎですよ! っていうか、お仕事中だったんじゃ……」
「??」

 時空を超えて三上に会いに来たとしか思えない伍代に、やっぱり愛の力ってすごい、と驚愕する香田なのでした。


※開発というのはもちろん、三上による殺人的センスのオリジナルカクテルのことです。



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