まだまだ!先輩には敵わない。


 健全な男子高生たるもの、どんなに我慢しようと思っていても下半身の元気が有り余ってしまうのは仕方ないことだと思う。

 問題は、同室者と二人一組の部屋をあてがわれ、落ち着いて一人仕事に励むことのできない全寮制男子高でどうやってその有り余った血の気を抜くかという一点だ。


「申し訳、ございませんでしたっ!」

 消灯時間間際の部屋で。
 俺は、上半身裸にパンツ一丁という情けない姿で床に勢いよく頭をぶつけて土下座し、腕を組んでベッドの端に腰かける同室者の顔をチラリと見上げた。

「別に、怒ってないし」
「っていう顔がもうものっすごい怒ってるじゃないですか」
「俺は元々こういう顔だ」

 怒ってない、と言いながらも、眼鏡の奥のやや吊り上がった目を細めて氷点下の視線で俺を見下ろしているのは、佐奈田葵先輩。
 一切の妥協を許さない厳しい取り締まりで恐れられる風紀副委員長で、俺の同室者。
 色々あって最近ただの先輩後輩以上の関係に進むことができた、と俺的には思っている、大切な大切な先輩である。

「潤也、どうして俺が怒っていると思う? 言ってごらん?」
「それは……あの、俺が先輩のベッドの上で……こっそりオナってたから、です……よね」
「つまり、申し訳ないことをしている自覚はあったうえでああいうことをしていた訳だ」
「うう……ごめんなさい」

 普段は俺のことを“日浦”としか呼ばない先輩がにっこりと氷の微笑を浮かべて口にする“潤也”は、かなり怖い。
 決して怒鳴ったりすることもなく、むしろいつものそっけない口調よりも優しいはずなのに、思わず目を逸らしてしまうほどの迫力がある。

 先輩が委員会で遅くなると聞いて、最初は大人しく帰りを待っていたのに、つい寂しくなって先輩のベッドで横になってしまったのが間違いだった。
 きちんとベッドメイキングされた洗濯したてのシーツのふんわり優しい香りに、葵先輩の可愛い寝顔を思い出して。当然のように下半身に血が集まって。
 そうなるともう、溜まっていた熱を吐き出すことしか考えられなくなってしまうのが、雄の性というやつだ。

 そもそも、葵先輩をオカズに先輩のベッドで毎日のように抜きまくるという変態的な行為がバレて、そこから何故か奇跡的に葵先輩が俺の気持ちを受け止めてくれたらしい展開になったところまでは、一生分の運を使い切ったんじゃないかと思うくらい幸せだったんだけど。

 俺は先輩に好きだと伝えて、葵先輩も俺のことは嫌いじゃないと言ってくれて……。
 案の定というか何というか、その後、それ以上の進展はなかったのだった。

 だって、相手は鬼の風紀副委員長・佐奈田葵先輩だし。仕方ない。
 
 それは仕方ないにしても。
 まさか脳内でオカズにしてきたような不埒な行為の数々を実際に葵先輩にする訳にもいかず、かといって、今までの一人作業がバレバレだったと分かると、もうひたすら先輩に申し訳なくて、これまでと同じようにはティッシュタイムに入りにくい。
 という訳で、最近は我慢の限界が訪れる前にこっそりトイレに駆け込んで控えめに抜く、という状態が続いて、下半身が暴発寸前まで追い込まれていたのだった。

 そんな中、突如沸き上がったムラっと感。
 耐えられるはずもなく、脳内で葵先輩をオカズに散々えっちな妄想を膨らませながら本能のままにムスコを慰めて。
 納得のフィニッシュを迎え、ティッシュをゴミ箱に捨てようと振り返った俺が目にしたのは、ドアの前の壁に身体を預けて立ち、氷点下の視線で俺を見つめる葵先輩の姿だった。

 もうこれは、言い逃れのしようがない。
 自分でも最低だと分かっているので、先輩の怒りがとけることを願ってひたすら謝り続けるしかない。


「潤也」
「はい! すんません!」
「俺が怒ってるのは、お前が俺の怒ってる理由を全然分かってないからだ」
「?」

 やっぱり怒ってたんすね、とは突っ込めず、俺は先輩が軽く顎先で指示するのに従って床からベッドの上に移動し、背筋を伸ばして先輩の横に正座した。

「俺が先輩のベッドの上でオナってたことを怒ってるんじゃないんですか」
「もちろんそうだけど」
「だけど……?」
「……」

 遠くから見ても人目を惹く美人だけど、間近で見下ろす葵先輩の顔は堪らなく色っぽい。
 安っぽい寮の蛍光灯に照らされた肌は外で見るときよりもずっと白く、キスを誘うように口元にちょこんと位置する小さなホクロが何だか艶めかしく感じる。
 眼鏡の奥で震える長いまつ毛も、潤みがちな黒目も、頼りなく見えて、周りから冷たいと誤解されがちだけど本当は不器用なこの人が可愛くて仕方ないと思えてしまう。

 次の言葉を待って、至近距離からじっと見つめていると、葵先輩は色白の肌を真っ赤に染めて俺のシャツを掴んできた。

「俺がいるのに……一人で、することはないだろ」
「えっ?」
「俺には何もしないのに」
「……」

 これは幻聴か何かでしょうか、先輩。

「や、だって、先輩……俺が何かしたら怒るでしょ」
「何もしてこないくせに、そんなの分からないだろ」
「それは……葵先輩が嫌がると思ったから……、つーか、先輩は俺がどんなコト考えてるか、どんなことするか分からないからそんなこと」
「俺だって男だ。お前が考えてることくらい、大体想像できる!」
「!」

 怒ったようにそう言って口を尖らせる葵先輩の顔は、何だかもう見ているのが気の毒なほど真っ赤になっていて、俺はじわじわと身体が熱くなるのを抑えることができなかった。

「俺ばっかり不安になったり期待したりして、馬鹿みたいだ」
「期待……」

 もしかして、先輩は、ヘタレな俺が一歩踏み出すのを待っていてくれたんだろうか。
 思わず先輩の言葉を反芻すると、可愛い同室者はこれ以上ないほど顔を赤くして背中を向けてしまった。

「今のは嘘! 期待なんてしてない!」
「え、でも」
「もうお前は一生一人でオナってろ馬鹿っ」
「ええぇっ!」

 せっかく恥ずかしがり屋の先輩が勇気を出して本心を見せてくれたのに、このチャンスを逃してしまったら男として本当にダメダメだ。

 俺は慌てて、壁に向かってちんまり小さく体育座りする先輩の背中を包み込むように抱きしめた。
 やや小柄な葵先輩の身体は、こうして俺の腕の中にちょうどよく納まってくれて愛おしい。

「――葵先輩、好きです」
「好きって言葉を免罪符みたいに使えると思うなよ」
「俺、先輩に嫌な思いさせて嫌われるのが怖くて、何もできませんでした」
「……今まで人のベッドで散々変態じみたコトをされていても許したのに、今さらそんなことで嫌いになったりしない」
「もう本当に重ね重ね、色々な意味で申し訳ないっす」

 ふんわりと柔らかい葵先輩の髪からは、俺と同じ寮のシャンプーの匂いがして、腕の中の心地好い温もりを堪能しているうちに、俺の下半身にはじわじわと怪しい熱が生まれ始めていた。

 大人しく、俺の腕に甘えてくれる小さな身体。
 自分にも他人にも厳しく、力強く真っ直ぐな道を歩いているこの人が、俺にだけ見せてくれる危うい頼りなさが、愛おしくて堪らない。

「あの、俺……さっき抜いたばっかなんですけど、勃って……」
「今日はダメ」
「えっ」

 つい今さっき、一人で抜くくらいなら声をかけろ的なことを言っていた先輩に期待をこめて下半身の変化を申告したにもかかわらず、返ってきた意外な答えに俺は固まった。

 腕の中でくるりと体制を変えた先輩が、眼鏡の奥で小悪魔の瞳を輝かせて口元に悪戯な笑みを浮かべる。

「さっき人のベッドの上で勝手にイタズラしてたから、今日はおあずけ」
「おあずけ……」
「そう、おあずけ」

 何とも残酷なおあずけ宣言。
 自業自得とはいえ、これは生殺し過ぎる。
 元気に勃ち上がってパンツを押し上げる息子をどうしろと。

 まだほんのり赤く色づいた顔のまま、先輩は呆然とする俺の唇に、ちゅっと触れるだけのキスをして囁いたのだった。

「ご褒美は、イイ子にしてたら、ね」
「……! っぶね……今、キスだけでイキかけましたよ俺! どんだけ小悪魔ですか!」
「ふふ」

 百戦錬磨の魔性もビックリの焦らしテクで一瞬にして俺を昇天間際まで追い詰めながらも。
 ぴったりと密着した肌からは、俺と同じくらいドキドキと忙しい先輩の鼓動がしっかり伝わっていた。

 器用なのか不器用なのか分からない先輩の、こういうところが本当に好きだと思う。
 見えにくい素顔を知れば知るほど、今までよりもっと好きになる。

 腕の中の小さな身体をギュッと抱きしめて、俺は心の中で呟いたのだった。


 まだまだ、先輩には敵わない。


end.


(2014.6.27)



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