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 海外の裏社会というものが一体どんなものなのか、今まで平和な人生を送ってきた雪矢には想像もつかないが、ひと月近くも軟禁状態が続いているというのはかなり危険な状態に違いない。

「三上さん、警察に連絡しましょう」

 じわじわと涙の込み上げてきた目で三上に訴えると、どんな時にも冷静な副店長は難しい顔で首を横に振った。

「日本の警察は海外では役に立たないし、下手すれば逆に店長の身が危険に晒される可能性がある。そうですね、佐竹さん?」
「ああ。今は軟禁されているだけでも、コトが大きくなれば状況が悪化することもあるだろう。特に……高田の存在は奴らにとっても予定外だっただろうからな」

 何らかの理由があって軟禁されていた古森はともかく、自ら危険に飛び込んでいった高田はいつお荷物扱いされて消されてもおかしくないという事実を暗に示唆されて、雪矢の目からは堪えきれなくなった大粒の涙が零れ落ちた。

「そんな……! じゃあ、どうしたらいいんですか」

 高田との付き合いは決して長いとは言えないが、それでも、あのオネエ口調の店長は雪矢をスタッフとして『KARES』に迎え入れ、大切な居場所を提供してくれた恩人だ。
 その高田が危険な状況に陥っているというのに、何も出来ない自分の無力さが辛い。

 肩を震わせる雪矢の頭を撫でて落ち着かせようと手を伸ばした香田が、佐竹の鋭い視線に気圧されてそのまま片手を空中にさまよわせていると、再びドアのベルを鳴らして、チンピラ二人組を片付けたらしい伍代が店に戻って来た。

 隣の席に座るよう、佐竹に目で促された伍代がいつものカウンター席に腰を下ろし、三上からおしぼりを手渡されているのを横目に、佐竹は雪矢を安心させようとするかのようにゆっくり、確かな声で言った。

「高田と古森のことは、心配しなくていい」
「え……?」
「蛇の道は蛇だ。警察じゃ役に立たねえが、向こうにも日本の組織と繋がりを持っている連中がいる」
「どういう、ことですか」

 マフィアに捕まって軟禁生活を送っているという高田を、心配するなという方が無理な話だ。

「こっちが代紋を出して話を通せば、向こうもそれに応じるしかねえってことだ。話も既にある程度まとまっている」
「代紋って……佐竹さんはヤクザじゃないのに」

 自分で口にした言葉に、雪矢はハッと顔を上げて涙に潤んだ目で佐竹を見つめた。

 確かに佐竹はどこの組織の構成員でもないが、渠龍組の組長が佐竹の実の兄だという話は先日三上から聞いたばかりだ。
 三上の話では、その兄とはお互いの仕事に干渉しないという約束を取り付けて、今佐竹はフリーの立場で金貸しをしているはずなのに。

 不安に揺らぐ雪矢の目を見つめ返し、佐竹は攻撃的な光を宿していた獰猛な野獣の瞳を幾分和らげて、いつもの甘いバリトンで答えてくれた。

「そんな顔をするな。兄貴に借りを作っちまっただけのことだ」
「私は反対申し上げました」
「もういい、伍代。お前の説教なら行き帰りの車内で十分過ぎるほど聞いた」

 ――やはり。
 佐竹は高田のために、一度は関わらないと決めた渠龍組の力を借りてくれたのだ。

 普段と違う殺気をまとっていたのも、今の話からすると恐らく今日はヤクザの事務所か何かに顔を出した帰りで、本人も気付かないうちに眠っていた獣の本能が騒ぎ始めていたのだろう。

「店長のことも心配ですけど……佐竹さんと渠龍組の方はそれで大丈夫なんですか」

 一瞬の沈黙を破ったのは、三上の柔らかな声だった。

「渠龍組が今回の件で痛みを受けることはねえよ。東南アジアの組織にパイプのある人間を使って、日本人二人を預かるために金を払う話をつけるだけだからな」
「問題は、社長です」

 佐竹の言葉を継いで、伍代は険しい表情で口を開いた。

「今までは中立の立場ということで、渠龍組と敵対関係にある備木仁会の中にもウチの客がいました。ただ、今回の件で渠龍組に個人的な金を入れてしまったからには、今までどおり中立とも言っていられんでしょう」
「俺の出生についてはこの界隈の稼業人なら誰もが知っているからな。元々、渠龍組の人間だと思われても仕方ねえ状態で商売を続けていたんだが」
「我々がシマにしているこの辺りの地区は、一応渠龍組の縄張りということになってはいますが、実際には備木仁会の下部組織との境界にある“中立地帯”です。それを、どこの組織にも属していない社長が治めることでいわば緩衝剤のような働きをしていたんです」

 そういえば、繁華街の外れに店を構えているにも関わらず、雪矢が勤め始めてから今まで、今日のようなチンピラが店を訪れることはなかった。
 それも、佐竹が頻繁に出入りして目を光らせてくれていたからなのだろうか。

「佐竹さんが渠龍組側の人間ってことになったら、どうなっちまうんですか?」

 香田が口にした素朴な疑問に、伍代は重い口調で答えた。

「備木仁会の連中にここが完全な中立地帯ではないとみなされてしまえば、今後ヤクザ絡みの物騒なトラブルが多くなるかもしれません」

 自分のテリトリーに接しているのが中立地帯なのと、敵対組織の縄張りなのとでは意味合いがまったく違ってくることくらいは、雪矢にも分かる。
 当然、佐竹もその危険性は十分に理解していて、それでも高田を助けるために決断してくれたのだろう。

「なるべく面倒なことにならねえように細心の注意は払うつもりだが、もしかしたら迷惑をかけるかもしれん。とにかく、高田のことはこっちに預けてくれ」

 本当は、今すぐその腕の中に飛び込んで礼を言いたいのに。

 残っていたコーヒーを飲み干して淡々と語る佐竹が、何故か急に自分の知らない遠い存在になってしまったような気がして、雪矢はただ黙ってその精悍な顔を見つめるしかなかった。



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