秘密のバレンタイン。2
「ほら、できたぞ」
「おいしそう!」
ただのホットケーキなのに、小さな従弟は渡された皿を持ち、大切な宝物のようにそっとテーブルに降ろしてうっとりとそれを眺める。
「食わねえのか?」
フォークを持ったままモジモジと皿を眺め、いつまでもホットケーキを食おうとしない文昭に尋ねると、ふっくらと柔らかそうな頬をりんご色に染めて、小さな従弟は俺を見上げた。
「ばれんたいんにチョコくれたから、ユキちゃんとおれはけっこんだよね」
「……はっ?」
そういえば、2月14日はバレンタインデー。
その頃はまだ“ふんどしの日”が制定される前で、ゴツ顔ゲイの俺にはまったく縁のない女子イベントに何の興味もなかったから気付かなかったが、幼稚園児の従弟は生意気にも恋のイベントを知っていたらしい。
「だって、好きなひとにチョコをあげるんでしょ」
「まあ、そりゃそうだが」
「好きなひと同士は、けっこんするんでしょ」
「……」
幼稚園児の単純かつ無邪気なこの疑問に無難に答えるだけのスキルを、当時高校生だった俺が持ち合わせているはずもなく、どこからツッコミを入れるべきかと悩む俺の気も知らず、文昭はご機嫌な様子でチョコレート味のホットケーキに子供用のナイフを入れていた。
「おれ、ユキちゃん大好きだもん! 好き同士だからけっこんだね!」
まさかこんな小さな子供に手を出すはずはないと分かっているから叔母さんだって俺がゲイでも安心して文昭を預けてくれているというのに。
俺からバレンタインのチョコをもらったなんて得意げに話されたりしたら、変な風に誤解されるんじゃないだろうか。
この勢いで俺と結婚するとか何とか言い出したら、叔父さんも叔母さんも気絶してしまうかもしれない。
そう思った俺は、うっとりと幸せそうにホットケーキを食べる文昭に一応、バレンタインデーの真実を教えてやった。
「あのな、文昭。バレンタインデーっていうのは、男同士ではあまりチョコをあげたりしないんだぞ」
「んー?」
「フミも俺も男だろ。だから、それはバレンタインデーのチョコじゃなくてただのおやつだ」
「えっ……」
子供なりに、自分の信じていた常識が覆されるのはショックだったんだろう。
俺の言葉に、輝いていた笑顔が曇り、大きな瞳は不安げに揺れていた。
「じゃあ、けっこんは……?」
「それも、できねえんだよ」
いや、海外では同性婚が認められているところもあるけど。
それを幼稚園児に教えたところで百害あって一利なし。
ウルウルと、泣き出しそうな目で俺を見上げて。
文昭は、震える声をしぼり出した。
「ユキちゃん、おれのことキライなんだ」
「ちがうって!」
5歳児の思考回路は、難しい。
目の前のチョコ味ホットケーキはバレンタインデーのチョコではないと言ってやりたかっただけなのに、小さな従弟はこの世の終わりみたいな絶望的な表情で、口をぷるぷる震わせて泣き出しそうになるのを必死で堪えているらしかった。
「フミを嫌いになる訳ねえだろ」
「じゃあ、……好き?」
「当たり前だ」
「じゃあ、どうしてけっこんできないの?」
「そ、それは……」
どうしてと言われても。
散々考えた挙げ句、高校生の俺は苦し紛れの言い訳を口にしたのだった。
「文昭はまだガキじゃねえか。結婚ってのは大人しかできねえんだぞ」
大人になる頃にはさすがにこんな会話は忘れているだろうし、とりあえず今だけ納得してくれればいいという苦しい言い訳。
それをどう解釈したのか、文昭は半泣きだった顔を上げてパッと笑顔の花を咲かせた。
「わかった! 大人になるまでけっこんはがまんする!」
「……ん?」
「おれが大人になったらユキちゃんをおよめさんにするから、それまで待っててね」
「うーん……」
こういう納得の仕方でよかったのかは不安が残るが、とにかく、機嫌を直した文昭はふんふんと鼻歌を歌いながらホットケーキをたいらげ、最後に「ごちそうさまでした」と言って、チョコレート味の柔らかい唇でチュッと俺の口にキスをしてきたのだった。
「こら、フミ! 何しやがる、ガキのくせに!」
「だって、好き好きのふたりはチュッてしていいんだよ」
「お前また変なテレビドラマか何か見ただろ!」
「いたいよーユキちゃん。耳ひっぱっちゃやだーっ!」
「生意気なガキにはお仕置きだ!」
チョコレート味の可愛いキスは、小さな従弟から俺への、バレンタインデーのプレゼント。
実は、文昭には絶対に秘密だが、この時のキスが俺の人生初めてのキスなのだった。
○●○
「よし、チョコレート味のホットケーキにシュガーパウダーで褌のロゴを飾ってみるか」
とろとろに溶けたチョコレートが、優しい香りと艶やかな色で胸をときめかせる。
ほわほわと思い出に浸っているうちに無性にあの時のホットケーキが食べたくなった俺は、ふんどしの日のメニューにチョコレート味のホットケーキを出してみることに決め、早速製作に取り掛かった。
キッチンに漂う香りは、甘い甘い思い出の香り。
あいつはガキだったから、あの日のことなんてもう忘れているかもしれないけど。
試作品が完成したら、写真付きのメールでも送ってやろうか。
遠く離れた北海道で暮らす、俺の大切な初恋相手に。
素直に伝えられない、精一杯の気持ちを込めて。
end.
(2012.2.11)
2月14日、ふんどしの日制定を祝して。
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