胡蝶の夢〜偽りの青〜 | ナノ


act.4


「精霊さん、こんにちは」

誰もいない中庭で、樹皮に両手で作った輪で陰を作り、顔を近づけてよく見る。
何か答えてくれたり、変化があるわけではない。要するに自己満足。
けれど、たくさんの輝きを見ているうちに心は晴れやかになっていく。
そんな時、待ち人がやって来た。

「精霊の観察なんて、学者くらいしかしませんよ」

溜息混じりの声に、顔を上げる。鬼コーチの杏李だ。

「観察じゃないよ。挨拶」

「……それは、子供くらいしかしませんね」

「む……つまり私が子供っぽいってこと?」

「さあ、それはどうでしょう」

はぐらかそうとしても分かる。絶対にそう思っている。
けれど精霊だって生きているだろうし、たまには挨拶くらいした方がいいのではないだろうか。
そう言ってみると『なら、あなたは自分の心臓に挨拶をしますか?』と返されて、妙に納得してしまうのだった。
それ程、この国の人にとって精霊とは身近すぎる存在なのだ。

「では、始めましょうか。まずは素振りから」

「はーい」

模造刀を受け取り、木陰へ移動して素振りを始める。
最近は、こうして杏李に剣の稽古をしてもらうことが増えた。
橙真と悠月はというと、いよいよ本格的に芽琉さんの捜索を始めるらしく、船を造る為にいろいろと忙しいのだそう。

「そういえば……」

素振りをする私の腕が下がってきたのを修正しながら、杏李が呟く。

「日向の宮様に聞きましたよ。異世界に関する文献は無かったそうですね」

「あ、うん。そうみたい」

何回目の素振りかをカウントしながら返す。
その後、妙な間があり、手を止めて杏李を見上げた。

「意外です。もっと落ち込んでると思っていたので」

「え?……そんなこと、ないよ」

目が泳いでしまう。
心臓がちくりと痛んだのは、図星だということに気付いてしまったからだ。
帰りたい気持ちが無くなったと言えば、それはそれで嘘になる。
けれど杏李に指摘された通り、落ち込んでいない自分がいる。

「もちろん家族や由乃ちゃんが心配だよ?でも……こんな風に仲良くしてくれる人、あんまりいなかったから……ちょっと居心地良くなっちゃってるのかも……薄情だね、私」

橙真も悠月も杏李も、まるで昔から知り合いだったかのように話してくれる。
そんな好意に甘えて、家族や友達への気遣いを忘れてしまったようで自己嫌悪に陥る。

けれどこちらの世界で、少なくとも今は私は必要とされている。
それなら少しでも役に立ちたいとも思う。
時々、“身代わり”であることに苦しくなるし、考えが矛盾しているともわかっているけれど。

「まあ、それを聞いたら日向の宮様と月華の宮様は間違いなく喜びますよ」

「そうだったら私も嬉しいな」

「さ、休憩は終わりです。お役御免にならないよう、しっかり鍛錬してください」

「うぅ……頑張る」

素振りを再開する。
ふと、『芽琉さんが帰ってきて私が用済みになったら』とか『私が芽琉さんに似ていなかったら誰も親しくしてくれなかったのだろうか』なんて考えが頭に浮かぶ。
それはいつか来るであろう現実で、そこから逃げるかのように、ひたすら模造刀を振った。

夕方になると今日の稽古も終わり、中庭を縦断する人工の水路に足の先を浸す。

「お疲れ様でした。どうぞ」

「ありがとう」

杏李が冷たいハーブティーを入れてくれて、火照った体が冷やされていくのを感じながら一気に飲み干した。
男性に紅茶を入れてもらうなんて貴重な経験かもしれない。
グラスに口を付けたまま、模造刀を片付ける杏李の姿を見る。
変わらず水色の髪はキラキラと輝いていて、睫毛は長く、程良く引き締まった体……
“イケメン”とは正にこういう人のことを言うのだろう。
しかも家事までこなすのだから、少し意地悪な所を除けば欠点を見つける方が難しい。

「……何か?」

「っ!」

目が合って、反射的に顔を背けてしまう。
変に思われただろうかと少し後悔した。

「あ、あのね、私最近、二の腕が引き締まってきたと思うんだ!」

咄嗟に口から出た話を杏李がどう思ったかはわからないけれど、片付けていた手を止め、私の横まで来て膝を付く。
そして、おもむろに私の二の腕を摘まんだ。

「この程度で、ですか?」

「……やっぱり杏李、意地悪」

前言撤回。
こんな風にとてもとても意地悪な所が大きな欠点だ。

恥ずかしくなって、杏李の手を振り払おうとした時だった。

「痛……っ」

ズキンと頭が痛んだ。

「そんなに強く摘まんでませんが」

「そうじゃな……うっ」

冷たい飲み物を一気飲みしたせいか、とか、川に浸かりすぎて体が冷えたのか、などと考えたけれど、私はこの頭痛に覚えがあった。
この世界に来る前に、頻繁に起こっていた頭痛だ。
こちらに来てからはほとんど痛むことはなかったのに……
今までで一番強い痛みに耳鳴りと目眩もしてくる。

「部屋へ戻りましょう」

さすがに真面目な声になった杏李に抱き上げられる。

「ごめんね……しばらくしたら治まる、と思う」

いつもなら恥ずかしいと思う体勢なのに、今は気が回らない。
大人しく部屋のベッドまで運んでもらう。

今まで通り、頭痛は少し時間が経ったら徐々に治まっていった。
けれど、得体の知れない不安や焦燥感、恐怖が私の中に残っていた。




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