- ナノ -
TOP小説メモレス

君とバレンタイン
※君シリーズから




 バレンタイン諸島、という島があるらしい。
 その名の通りバレンタインデーのために生まれてきたようなその島を俺達が訪れたのは、何とちょうどその『バレンタイン』当日だった。
 さすがに俺が生まれて育ったあの国とは違うようだが、この島での『バレンタイン』は『大事な相手』へ贈り物をする日であるらしい。
 それを聞きつけた白ひげ海賊団の半数が、島のあちこちで物を買いこんでいる。
 いつだったかの誕生日の時と同じく、どうやらその送り先はかの偉大なる船長であるようだ。

「花にすんのかい」

 店先に飾られていた多種多様な鮮やかさを放つ花を見下ろしていたらそんな風に問われて、俺はちらりと傍らを見やった。
 先ほどまで隣の店でああでもないこうでもないと贈り物を捜していたマルコは、どうやらそこでもこれという品を見出すことが出来なかったらしい。
 手ぶらの相手に、それもいいかもな、なんて答えつつ花屋の店員を見やる。
 しかし、先程俺を呼びこんだ彼女は、今は新しい客の要望に応えて花束を作成中であるようだった。
 確かに俺から見てこの花々は珍しいし、誕生日の時と同じく、きっと白ひげは何だって嬉しいと言ってくれる筈だが、今はマルコの買い物が先だろう。

「とりあえず、別の店に行ってから決めるか」

「よい」

 そうして告げた俺に頷いて近寄ってきたマルコを伴って、俺はその場から歩き出した。
 いくつかの店をひやかして、たまに他のクルー達と遭遇しながら町中を歩く。
 この島にとっては年に一度の特別な日であるらしい『バレンタイン』は騒がしく、あちこちから客引きの声がした。

「すごいな、この島のバレンタインは」

 クリスマス商戦のようだ。
 やれやれと肩を竦めると、俺の傍を歩きながらマルコが首を傾げた。

「ナマエは、『バレンタイン』ってのを知ってんのかよい」

 そうして不思議そうに問われて、ちらりと視線をマルコへ向ける。
 不思議そうな目がこちらを見ていたので、まあ、と曖昧に頷いた。

「『向こう』にもあったからな。こういうのじゃあなかったが」

 俺の言う『向こう』と言うのはつまり、俺がかつて小さかったマルコと一週間を過ごした、あの世界のことだ。
 おれは知らねえよい、と寄越されたマルコの言葉に『時期じゃなかったからな』と返事をすると、へえ、と声を漏らしたマルコがその目を改めて周囲へ向けた。
 あちこちに並んだ『バレンタイン』ならではらしい贈り物の数々を見つめたその目が、それからもう一度こちらを見る。

「それじゃ、ナマエのとこの『バレンタイン』ってのは、どういうのだったんだよい」

 教えろ、とばかりに放たれた言葉に、そうだな、と俺は呟いた。

「チョコレートを渡すんだ」

「チョコレート? 菓子をかよい」

「そう、チョコレート」

 問われて頷きつつ、何となく視界に入った甘ったるい商品の並ぶ店頭の前で足を止める。
 見せびらかすようにガラスの向こうに並んだそれらを見やった俺に、マルコも足を止めて同じ方を見やった。
 『バレンタイン』はチョコレート、なんて言いだしたのはどこかの製菓会社だったと言う話だが、あれが日本独自のものだと知ったのはいくつになった頃だったろうか。

「好きな相手に渡して告白するっていうのが定番だったかな」

 店先に並んでいる女子向けの可愛らしい奴をどうにか買って、しかし当然ながら『好きな』相手へ渡せなくて、自分で食べつくしたことまで思い出した。
 随分と昔のように思えるそれに、懐かしいな、なんて呟いたところで、ナマエ、とすぐ横から名前を呼ばれる。
 それを受けてガラスの向こうから視線を戻せば、少しばかり眉を寄せたマルコがこちらを見ていた。
 どことなく不機嫌に思えるその顔を見つめ返し、どうした、と首を傾げると、マルコが俺から目を逸らした。
 ちら、とその目がガラスの向こう側に並ぶチョコレート菓子を見て、その口が言葉を零す。

「好きな奴に、やったことあんのかよい」

 そうして問われた言葉に、俺は軽く瞬きをした。
 少しだけ考えて、いいや、と返事を口にする。

「どちらかと言うと、『告白』の時は女から男に渡すことの方が多かったしな。友達同士や家族間で渡すこともあるようだったが」

 バレンタインでチョコレートを渡すなんて、自分が相手をどう思っているか伝えるようなものだ。
 友チョコだとかいう親愛を示す場合もあるらしいが、大体きゃあきゃあと騒いでいるのは女子の方で、俺の友人間ではバレンタインにそういうやり取りをするのが空しいという人間が多かった。
 だから俺だって、用意したものを冗談交じりに渡すことすら出来なかったのだ。
 俺の返事に、へえ、とマルコが声を漏らした。
 その目はまだ、ガラスの向こうのチョコレートたちを睨み付けている。
 じっと注がれるその視線に、店の内側にいた売り子が、少し困惑したような顔をしているのが分かった。
 俺はともかく、マルコは手配書だって出回っている海賊なのだ。
 可愛らしい菓子類がマルコに似合わないと言うことは無いが、海賊が菓子を凝視している、と言うのは少し妙に見えるかもしれない。
 どうして、こんなにも熱心に眺めているんだろう。
 ひょっとして食べたくなったんだろうか。それとも、白ひげに渡す贈り物にするつもりなのか。

「マルコ?」

 どうしたんだ、と尋ねた俺の傍で、やや置いて、マルコが小さくため息を零す。
 それからその目がチョコレートたちの方から引き剥がされて、行くよい、と告げたマルコの足が歩みを再開した。
 それを追いかけて、俺も足を動かす。

「買わないのか?」

「菓子に構ってる暇ァ無ェよい。早くオヤジへのを買わねえと、夜になっちまう」

 きっぱりとそんな風に言うマルコに、それもそうか、と把握した。
 今日の夜は、島へ着いたことを祝っての宴を行うのだ。
 この島には酒場の数自体が少ないらしく、どうせなら船の上でやろうと言いだしたクルーの一案により、自由行動でないクルー達が準備を進めている。
 船へ戻ったら手伝わなくてはならないし、マルコだってそれは分かっているんだろう。

「それで、何を買うのか決めたのか?」

「……まだだよい」

 とりあえず尋ねた俺へ、マルコが首を横に振る。
 眉間には先ほどより深く皺が寄っていて、何にしようか悩んでいるらしいことは明らかだった。
 これはまだまだかかりそうだ、と軽く笑ってから、何となく気になって、先程の店をちらりと振り返る。

「…………」

 ウィンドウの内側から、チョコレートたちがこちらを眺めているのが、遠目にも見えた。







 モビーディック号の甲板は、いつだったかのエドワード・ニューゲートの誕生日と同じく、贈り物で溢れていた。
 酒も食べ物も衣類も、それ以外のあれこれを積んだものを傍らに置いて、グラララと笑う白ひげはとても嬉しそうだ。
 俺が買ったものもマルコが買ったものも、他のクルー達が買ったものも分け隔てなく喜んでくれた船長を囲み、今日も白ひげ海賊団は騒がしく宴を行っている。

「ほら」

 そんな最中、クルー達の間を一巡して戻ってきたマルコへ向けて俺が箱を差し出すと、傍らに座ったマルコが虚を突かれた顔をした。
 その目が不思議そうに俺の顔を見て、それから俺の手の上のものを見る。
 平たい箱にその手が触れて、それを受け取りながらもう一度こちらを見てきたマルコが、何だよい、と呟いた。

「何って、チョコレートだ」

 見たら分かるだろう、と俺が言うのは、その箱の蓋が透明で、中身が透けて見えているからだ。
 プラスチックとはまた違うらしいよく分からない材質のふたの内側でマルコを見上げているのは、今日の昼間、俺とマルコが揃って眺めたあの店で売っていたの同じチョコレートだった。
 あの店で売っていたのより箱は小さいが、一人で食べきるにはちょうどいい量なんじゃないだろうか。
 そんなことを思いながら手を降ろした先で、俺から受け取った箱を掴んだまま、そんなのは見りゃわかる、と呟いたマルコが片手に持っていた酒入りのグラスを置く。

「おれが訊いてんのは、何でチョコレートなんだってことだよい」

 呟くその顔は、すでに酒が回っているらしく、少しばかり赤かった。
 何で、と訊ねられて、俺はマルコを見つめて返事をする。

「見てたじゃないか」

 食べたかったのかと思って、なんて言いながら、軽く肩を竦める。
 ひょっとしたらただ単に白ひげへの『贈り物』候補として見ていたつもりだったのかもしれないが、それには気付かなかったふりをすることにした。
 だって、今日はバレンタインデーなのだ。

「大事な相手に贈り物をする日だろう? 『向こう』でだって、友達や家族同士でやりとりしたりするしな」

 誤魔化すように後半をつけたすと、俺の傍に座ったマルコが、ぱちぱち、と忙しく瞬きをする。
 それからその顔にやがてにんまりと笑みが浮かんで、その手が軽く音を立てて箱を開いた。
 中からつまみ出した丸いチョコレートをその口へ放り込んで、もぐもぐとそれを噛みしめる。

「……甘ェよい」

「そりゃあ、チョコレートだからな」

 やや置いて寄越された言葉にそう返事をすると、そうだねい、と呟いたマルコの口がもう一つのチョコレートを頬張った。
 やっぱりチョコレートが食べたかったのか、次々と一つ一つその口へチョコレートが運ばれていく。
 やがて小さな箱の中身が空になると、マルコの手がそっと元通りに蓋を閉じた。

「うまかった。ありがとよい」

「そうか」

 嬉しそうな顔で寄越された言葉に頷いて、持っていたグラスの中身を舐める。
 同じように酒を一口飲んだマルコが、ふう、と少しチョコレートの匂いの残るため息を零してから、しみじみと呟いた。

「思うんだけどよい、ナマエ」

「うん?」

「おんなじことを考えてたってのは、結構、嬉しいことだねい」

 柔らかくそんな風に言葉を紡いで、マルコが一息にグラスの中身を呷る。
 寄越された言葉の意味が分からず戸惑っていた俺がその言葉の意味を理解できたのは、宴が終わった後に戻った部屋で、俺のベッドの上に放られた薄い箱を見つけた時だった。
 生まれて初めて家族以外の『相手』から貰ったチョコレートは、何だかとてつもなくうまかった。



end

:
戻る