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自分勝手
※IFの赤犬側


 いっそのこと、憎まれているなら良かった。


 ほんの少しばかりの苛立ちを抱えて、サカズキは小さく舌打ちを零した。
 つい先ほど怒鳴りつけた部下は室内にはもうおらず、今執務室内に残っているのはサカズキ一人だけだ。
 そしてサカズキが苛立っているのは、部屋の外でずっと佇んでいる気配が一人分あるからだった。
 それは、少し前に『最悪の悪魔の実』を食べたという理由で海軍に『保護』された青年のものだ。
 青雉の直属の部下という扱いになった彼は、恐らくクザンからの書類をサカズキへ届けに来たのだろう。
 ならばさっさと入室すればいいというのに、何かを躊躇うように扉の前に佇んでいる。
 青年にそうやって躊躇されるのは、サカズキにとって初めてのことではなかった。
 クザンの部下である能力者の青年は、サカズキと対面するたび酷く怯えた顔をする。
 まるで大将赤犬と遭遇してしまった海賊達が浮かべるような焦りの混じったその表情は、一般の人間が浮かべるものとしては酷く不釣合いだった。
 思えば、初めて会ったときからそうだったのだ。
 あの日出会ったのは、出入り口が一つしかない室内だった。
 サカズキが扉との間に立っているわけでもなかったら、青年はもしかしたらわき目も振らず逃走していたかもしれない。
 顔を青くして、サカズキの言動をつぶさに観察しながら震えそうな声で一生懸命に言葉を紡いでいた青年を思い出し、サカズキは動かしていたペンを止めた。
 センゴクの前での言葉と、その後聞きだしたらしいクザンからの話によれば、青年の家族は既に死んでしまっているらしい。
 そして、どうもそれは、以前サカズキが海賊達を粛清した最中であったようだ。
 サカズキの能力を知っているという青年は、恐らくサカズキが海賊たちの船を沈没させるその様子を見たのだろう。
 己の体をマグマに変えて、ただひたすらに悪を殲滅するのはいつものことだ。
 悪は全て滅ぼさなくてはならないと、サカズキは知っている。その為ならどんな犠牲も厭わないし、周りのどんな被害もためらいはしない。
 そうしてその結果、かの青年は家族を無くしたのだ。

「…………」

 かちゃり、とペンを置いて、サカズキは無言で椅子から立ち上がった。
 未だ扉の前にある気配を感じながら、ゆっくりと歩き出したその足が執務室と廊下を隔てる扉へと近付く。
 大きな手が自分の部屋の扉のノブを掴み、そうして内側へと引いた。
 開いた隙間に、扉へと手を伸ばそうとして戸惑い止まった格好の青年が見える。

「……いつまでそこにいるんじゃあ」

「ひっ」

 サカズキが声を掛けると、青年からは短い悲鳴が上がった。
 少し青ざめたその顔が自分の顔を見上げてくるのを、サカズキは眉間に皺を寄せて見下ろす。
 入れ、と促して扉を手放し、先にサカズキが執務机へ戻ると、もはや逃げ出すことも叶わないと気付いたらしい青年は大人しく執務室へと足を踏み入れた。
 椅子へと座りなおしながら、サカズキは青年を観察する。
 その手に持っている書類と伝版からして、やはり書類を届けに来ただけのようだ。
 きょろりと室内を見回した青年は、室内に自分と相手以外には誰もいないということを把握したのか、少しばかり暗い顔をした。

「それで、何の用じゃあ」

 促すようにサカズキが声を掛けると、あ、はい、と返事をした青年の目がサカズキへと戻る。

「その、クザン大将から、書類を、お持ちしましたっ」

 慌てた様子で言い放ち、その手がサカズキの机へ書類と伝版を置く。
 そのまますぐにサカズキから距離をとり、どこかの新兵のように直立不動の体勢をとった青年に、サカズキは少しばかりの不愉快さを感じた。
 そうまで怯えずとも、見境無く人を攻撃するようなことはしない。
 部下を怒鳴ったのは不始末をしでかしていたからだし、部下との戦闘訓練時の鉄拳制裁を常に誰かへ向けたりはしていないし、一般人を巻き込んだ攻撃をするのは、海賊達を粛清する手段としてだけだ。
 置いてあった承認印で伝版へ受領印を押し、サカズキの手が伝版を青年のほうへと軽く差し出す。
 それに気付いてすぐさま近寄ってきた青年がそれを受け取って離れようとしたのを、サカズキは伝版から手を離さないことで引き止めた。
 軽く手を引き、サカズキの意図に気付いたらしい青年が、少しばかり戸惑った顔をする。

「あ……あの?」

「……何も、取って食おうとはしとらんじゃろうが」

 低く唸ったサカズキの言葉に、青年は瞬きをした。
 は、はい、と慌てて頷く青年へ、更にサカズキは言葉を紡ぐ。

「そこまで怯えんでもええじゃろうが」

 何もせんうちから拳骨を落としたり怒鳴ったりはせんわ、と続けたサカズキの言葉に、こくこくと青年はまたも頷いた。
 そして、強い怯えを感じている顔を、サカズキへ向ける。
 決して改善されないその表情に、眉を寄せたサカズキの手が伝版を手放した。
 持ち帰るべきものを取り返した青年が、伝版を抱えてすぐにその場から足を引く。

「それじゃあ、サカズキ大将、俺はこれで」

「……のう、ナマエ」

 軽く頭を下げて挨拶を口にした青年を遮るように、両手を組んで口元を隠したサカズキは口を動かした。
 それを聞いて、青年が顔を上げる。
 戸惑いを混ぜたその顔にあるのは、やはりただの怯えだった。
 大将青雉の直属の部下であり、『ヤミヤミの実』の能力者であり、そして家族を失ったこの青年は、ひたすらにサカズキのことを怖がっている。
 サカズキが海賊に恐れられるのはいつものことだ。
 海軍最高戦力として、海の屑である海賊達を粛清して歩くサカズキは、海賊たちにとってはただの恐怖の対象だろう。
 けれども今目の前にいる青年は、ただの、最悪の悪魔の実を食べてしまっただけの一般人だった。
 海軍が守るべき、弱きものだった。
 けれど、海軍大将へ一般人が向ける視線と、青年のそれは違う。
 何故なら、サカズキの正義によって、青年の家族は失われてしまったからだ。

「……わしは、徹底的な正義を信条にしちょる。悪いもんを捨て置くことなどできん。ほんの少しでも悪に染まったもんは、全てを徹底的に排除せんといかん」

 そのくせ、青年の顔に浮かんでいるのは怯えだけだった。
 いっそ、恨まれていれば良かった。
 憎しみは人の有様を変えてしまうものだとサカズキは知っていたが、今の青年のようにひたすらに怯えられるのではなくて、どうせなら殺したいほど憎まれてしまいたかった。
 何故なら、憎しみのあまりに攻撃をされるなら、それに対しては対処のしようもあるからだ。
 けれど、ただひたすらに怯えられているだけでは、それすらも叶わない。

「……どれだけ恨まれようとも、わしはわしの正義を貫く」

 だからそう言ったサカズキに、どうしてか青年は少し安心した顔をした。
 それを見てわずかに戸惑ったサカズキの前で、その目が少しだけ在りし日を思い返すように瞬いて、そして青年は小さく息を零す。

「……そうですね」

 その手で伝版を握り、声を漏らした青年はこくりと頷いた。
 はっきりとした確信を持った声音で、まっすぐにサカズキを見つめて、そうしてその口が言葉を零す。

「サカズキ大将は、きっと、ずっと、そうなさると思います」

 静かな声で言いながら、青年は未だに、怯えの深い顔をしていた。
 サカズキが何を言おうと苛立ちも憎しみも浮かべない青年に、サカズキは胸のうちだけで舌打ちを零す。
 そうやって怯えるくらいなら、殺したいくらいに恨めばいいものを。
 そんな風に思っても、それはただの自分勝手だと分かっていたから、サカズキの口からはそれ以上言葉は漏れなかった。



end

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