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「お! ナマエ、ちょうどよかった」
訓練をひとまず終わらせて、午後の雑用に向かおうとしたところでそう声を掛けられた俺は、足を止めてそちらを見やった。
いつものコックコートを着込んだサッチが、手に持った紙束を軽く揺らしてこちらへ近付いてくる。
さっきまでティーチや他のクルーと一緒にいたのに、今は一人らしい。
「お前、今から武器庫だろ? 途中で、マルコにこれを届けてくれねェか?」
言いながら紙束を渡されて、俺は軽く瞬きをした。
英文が記されているそれは、時々マルコがあの部屋で触っていたような書類だった。
もしかしたら四番隊からの提出物なのかもしれない。
確かに今から武器庫の点検に行くところで、ここからそこまでの間にはマルコの部屋があるけど、どうして俺にそれを頼むんだろうか。
多分不思議そうな顔になった俺を見下ろして、用事があるんだよ、と言って笑ったサッチの手が、無理やり書類を俺へ渡す。
「おれからだって言って渡してくれるだけでいいからな。じゃ、頼んだぜ!」
「あ」
そうしてぱっと身を翻して、サッチはそのまま軽く駆け足で俺から離れていってしまった。
どうやら、大分急ぐ用事があったらしい。
片手で渡された書類を掴んだまま、サッチの背中を見送って、俺は軽く首を傾ける。
まあ、頼まれたことだし、さっさとこれは届けてしまおう。
もしかしたら、久しぶりにマルコの顔が見られるかもしれない。声も聞けるだろう。
そう思うと少し嬉しくなって、現金な自分に小さくため息が漏れる。
やっぱり俺は、マルコが好きなままなようだ。
てくてくと廊下を歩いて、ずいぶん懐かしく思える扉の前で足を止め、軽くそこを叩いた。
「開いてるよい」
中からそんな風に声が掛けられて、確かに言う通り鍵のかかっていなかった扉を開く。
マルコはいつものように頬杖をついて書類を眺めていたところだったらしい。
相変わらず、じっと書類を睨むその目はすごく真剣なのに、頬杖の所為でだらけて見える。
懐かしい光景に、何だか胸が締め付けられるように軽く痛んだ。
「…………ナマエ?」
俺が部屋に入って近付いたところでようやくマルコがこちらを見て、その目がぱちりと瞠られる。
何か、俺の顔に変なものでもついていただろうか。
こちらを凝視してくるマルコに戸惑いつつ、手に持っていた書類をマルコへ差し出した。
「マルコ隊長に、サッチ隊長から」
「…………あァ、頼まれたのかい」
俺の言葉に、小さく声を漏らしたマルコの手が俺から書類を受け取った。
簡単すぎるお使いが終了してしまったので、残念だけど時間切れだ。
「じゃ」
もう一度だけマルコの顔を見てから、俺は軽く頭を下げてマルコへ背中を向ける。
そのまま部屋を出ようとしたら、扉に手をかけたところで、後ろから声を掛けられた。
「……ナマエ」
呼ばれたので動きを止めて、後ろを見やる。
俺のことを呼んだのはマルコなのに、その目はこちらを見てもいなかった。
どうかしたんだろうか。
自分の机を睨んでいるマルコに首を傾げると、どうしてか目の前でマルコが小さくため息を零す。
「……何でもねェよい。じゃあな」
「? ん」
よく分からないけど送り出されたので、頷いた俺はそのままマルコの部屋を出た。
扉を閉じるときにもう一度室内を見やってみたけど、やっぱりマルコはこちらを見ていなかった。
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